第十七幕『帰路』

 荒い息を吐き、ふらつく体を手近な岩にもたれかけて、目の前の半壊した山の一部、その下に積もる岩石の山を見る。


 体は再び満身創痍で、全身の火傷と打撲傷と裂傷が律儀に痛みを訴える。血と泥にまみれた一張羅は所々が炭化し、破れ、最早見る影も無い有様だ。数年間に渡り着用し続けた馴染みの服だけに思うところはあったが、命あればこそのものと飲み込んでおく。


「何回死ぬかと思ったか分かんねえな……」


 だが、終わった。終わったのだ。

 無様ながら生き残り、なんとかちっぽけな矜持を守ることができた。――痛み分けの様な手放しに喜べない結果ではあるが……


 ゆっくりとした動作で立ち上がり、こちらの足に合わせてゆっくりと並走する馬に、倚り懸かりながら横転している馬車の方へ向かう。どうやら安全運転とはいかなかったらしい。


「ぶ、無事か……?」


「ああ、なんとかね。――って、それはそれはこっちの台詞だよ。あ、薬草は私たちが見つけておいたから安心してくれ。……ともあれ疲れた。さあ、帰ろう」


「あ、ああ――あぁ!?」


 気だるそうに首を鳴らしながらぼやくアンチェンタ。その台詞に賛同し、帰路につこうと歩き出しかけた足が聞き捨てならない一言に止まる。


「うわぁっ!? び、びっくりするな……いきなり大声を出すんじゃないよ、全く」


「いや、だってお前……!」


 音がしそうな速度で首を回し、大声を出す俺に、大きく伸びをしていた自称占い師は軽く体を跳ねて目を見開く。

 大袈裟に胸を押さえ、肩を上下させる彼女に構わず、俺は言葉にならない驚きを間髪入れずに羅列する。


「え、いや……はあ!? な……っ、ど、どこで!? え、いや、嘘だろ!? だ、だってお前――」


「お、落ち着いてくれ! 嘘なんかじゃないよ! ……休憩中に君が1人で森に入って行っちゃってね、かと思ったら途端に山を降れと切迫した声で叫ぶもんだからね。とうとう気でも触れたのかって……あー、いや、何でも無い。今のは気にしないでくれ」


「わかった。その件は後でじっくり話そう」


「は、ははは。お手柔らかに……」


「だから、は、や、く、し、ろ !!」


「あはは……で、まあ素直に下山を開始したんだよ。まあ、ガルディ君はなんだかそれらしい理由をつけて君を探しに行っちゃったから皆でって訳じゃないけどね」


「だから……良いから早く肝心な部分を話せよ! こに生えてたんだ!?」


「そうカッカしないでくれよ。わたしはこれで臆病なんだ。怖くて話せなくなっちゃうじゃないか。――ああ、いや……わかった。話す話す。だから睨むのをやめてくれ……ああ、えっと。簡潔に話すと――2人で山を降りて来る途中に、なんか普通に生えてたよ」


「はあ……? ま、ますます意味が分からないぞ……なんだ? 普通に生えてた?」


 長々と語った挙句、内容はスカスカで所々脱線し、一部聞き捨てならない部分もあった散々なアンチェンタの説明は、それでも何とか理解できた。しかし、それで納得するかは別問題だ。


「普通に生えてた? なんだそれは。じゃあ、なんで俺たちは見つけられなかったんだよ?」


「ふふん、君は何も分かっちゃあいないね。それを説明するにはまず君の――」


「はい、そうなんです。アンチェンタが言っていた大まかな位置は合っていたんですが……高さが違ったんです」


「え? た、高さ……?」


「あっ、リナ……!!」


 俺のその大袈裟な反応に味をしめ悪戯心に駆り立てられたアンチェンタは質問に答えるのに託け、更に俺を更に困惑させようとする。

 その様子を見兼ねたリナさんがペラペラと回り出した占い師の舌から紡がれる言葉を遮り、簡潔に伝えてくれる。


「アンチェンタ? ちょっと悪戯が過ぎますよ。貴女は少し黙っていて下さい!」


 予期せぬ伏兵に出鼻を挫かれたアンチェンタが口を尖らせ抗議の声を上げるが、開きかけた口に指を当てられて制される。


「くっ、ギルくん。君はいつの間にうちの娘を手懐けたんだい?」


「アンチェンタ? まだ言いますか?」


「あー、はいはい、分かりました。分かりましたよ。ふん、もういいさ。私はそこらへんの岩と話してくるよ」


 リナさんに叱られたアンチェンタは、何やら悔しげな声色で最後の反撃を試みるが、珍しく不機嫌さを隠さない少女に低い声で名を呼ばれると、やけっぱちな声を上げ不貞腐れながら岩陰に消えていった。


「……邪魔者も退散したことだしそろそろ詳しい事聞いても良いかな?」


「あ、ああ、そうでしたね! すいません。で、では早速……実はあの草は木に巻きついた蔓のようなものだったんです」


 強張った笑みを浮かべ頰を掻きながらそう呟く俺に、先程の毅然とし態度を一瞬にして崩してリナさんは慌てふためく。しかし、すぐに息を整えると気を取り直した少女はそう言った。


「ああ、なるほど……そういう事か……」


 その言葉に合点がいった。つまり《解毒草》は俺たちが必死になって探していた頭上にずっとあったのだ。


 山を下るとなれば斜面により必然的に視線が高くなる。それにより、こうもあっさり見つかったのだろう。

 頭にあった《解毒草》の“草”という部分に、イメージを引っ張られていた。あれ程彼女の名付けのセンスはあてにならないとわかっていたはずなのに……


「ま、まあ、見つかったんならいいんだ。帰ろう」


「……え? ガルディさんは、まだいませんよ? そう言えばまだ見ていませんね」


「………っ」


 ――ガルディはもう死んでしまった。


 無残に、抵抗すらままならず、命を散らしていった。隠していたわけでは無いが、伝えるのはしのばれた。

 だが、そうして先送りにしてしまうのは俺の悪い癖だ。目を閉じ、意を決して息を吸う。告げる言葉を選ぶ様に間を置いて俺は目を見開いた。


「ま、まさか……」


「ああ、ガルディは、もう――、」


 事実をありのままに伝えようと口を開く。


 その瞬間――、


 目の前の光景に喉元まで出かかっていた言葉を失う。


 ずるずると、全身に火傷と裂傷を負った舌のない大蛇が、岩山の陰から這い出してきたのだ。


「な……っ!? あの落石でも死ななかったのか!?」


 いや、そんな筈はない。あんなものをまともに食らえば確実に死ぬ。現に青い大蛇は今岩の下で無残な死骸を晒し、息絶えているのだから。


 ならどうして――?


 その疑問は大蛇が這い出してきた場所を見ることによって解決された。えぐった様に漥むその馬鹿でかい浅い横穴は、しかし曲がりなりにも洞窟型になっている。ということは奥に行けば行くほど分厚くなっていき崩落の確率が下がるのだ。更にはそれが落石から身を守る遮りとなる。

 知能の高い大蛇は本能的にもそれを察し素早く降り注ぐ落石から身を隠したのだろう。


 まともに喰らえば致命傷だが――『まともに喰らわなければ』その限りではない。


「くそ! 考えが甘かったッ!!」


 更に青い大蛇がその身を犠牲にして盾になり若干小さい赤い大蛇が身を隠すことができたのだ。

 きっとそれは殺し殺されるのみの関係である俺には推し量れない、彼らの間にある大きな絆。そして生物元来としての生命力――。


 その凶悪なまでの悪運が今、大蛇の脳を、肺を、心臓を、体を動かしている。


 赤い大蛇は、驚愕に飲まれ立ち止まる時間すら与えず俺の目の前にいる少女へ食らいつこうとする。


「リナさんッ!!」


 俺は叫ぶ。悔しい事にそれくらいしかできないのだ。痛めた左足では、あの距離を走り抜けることはできない。


 片足のみで駆け、必死になって手を伸ばすが――届かない。


 その目の前で、走り込んだアンチェンタがリナさんに飛び付き、その身を盾にする形のままその毒牙から飛び退く。

 だが、当然それでは逃れられない。このままでは2人とも死んでしまう。


 たった1秒が永遠に感じる程引き伸ばされた時間の中、ゆっくりと動く体で、痛む足を無視して必死に地を駆けて、それでも尚届かない。

 届きえない距離へ手を伸ばすその先で、波打つ体を不規則に踊らせる大蛇が目標へ迫る。

 鋭い槍のような鋭牙を剥き、その切っ先で胸の中の少女とそれを庇うアンチェンタごと貫かんと大蛇が迫る。


 その、引き伸ばされた時間に伴う残酷なまでの静寂と、抗いようのない現実を――、



「――ウオォァッッ!!!」



 ――まとめて切り裂く、荒々しい掛け声が上がる。


 そして、その声と共に振り下ろされた大斧が肉と骨を断つ重い音を響かせ、その刃を大蛇の体に叩き込む。

 大木の幹の様な大蛇の身にもその傷は深く重い。それは十分に致命傷になりうる攻撃だった。


「な……!?」


 だが、俺はその事実よりも、斧を振るった人物の方に驚愕した。


 それは、足を痛めて思うように走れない俺でも、リナさんに覆いかぶさったままの姿勢で固まるアンチェンタでも、その下で困惑のまま唖然としているリナさんでもない。


 そこには――、


 身体中を鮮血に濡らす一人の巨漢の男が立っていた。


 死んだと思っていた男が立っていた。


 生きて――そこに立っていた。


「ガル、ディ……お前っ……なんで生きて――」


「おいおい、勝手に殺すなよな」


「いや、だって……お前血塗れだったじゃねえかよ……?」


 そうだ。ガルディは十分に致命傷とも思えるほどの血を吹き出し地を転がった。

 それを見た俺は、思考を停止させ現実から逃げる決断までしたというのに。


 それに現に今ガルディの体はほとんどがまとわりつく様な赤黒い液体で染まっている。


「お前らしくないな。普通に考えて体当たりであんなに血が出るわけねえだろ。もしかして、俺がやられたのがそんなショックだったか?」


 そう言ってガルディは歯を見せて快活に笑う。


 ――そうか……確かにそのはずだ。


 大蛇がもし噛み付いたりしたのではあれば吹き飛ぶ筈もないし、体当たりならばまずあんな量の血なんて出ない。その事は、他ならぬ俺自身が実証――もとい経験済みだ。


 ならば、何故気付かなかった。いや、答えは明白だ。俺は思考を放棄し現実から逃げた。だから気づかなかったんだ。


「それは、理解した。……だけど、じゃあそれは? ――お前、真っ赤じゃねえかよ」


「あ、ああ……これか? これは血糊ってやつだよ」


 そう言ってガルディは破れた革鎧をめくり上げる。すると中には体当たりの衝撃で少々歪んだ薄い鉄板が見えた。


 ガルディの話を要約すれば、彼の鎧は二重構造になっていて、その間に大きめの血糊袋を入れていた。それが体当たりの予期せぬ威力に弾け漏れ出てしまったという事だった。


「――これこそ傭兵の知恵!! 秘技、死んだふり! ってな」


「傭兵の知恵……? ああ、薬草探しの時に言ってたやつか?」


「おお! それだ、それ」


「なら、知恵ってか悪知恵だ。まったくタチが悪い……」


 そんなに自分の言っている事が面白いのか、ゲラゲラと豪快に笑うガルディに俺は半目で応じる。

 だが、良かった。生きていて、本当に良かった。


「っと……おしゃべりもこのぐらいにしといて――さっきはやってくれたな爬虫類! 結構長いこと気絶しただろうが! 景気付けに今度こそ蛇鍋にしてやるよ!!」


「おい、舐めてかかったら次こそ血まみれにされるぞ、悪知恵傭兵」


「おいおい……心にもない事言うもんじゃないぜ? そんな事ばっか言ってると、愛しのガルディさんに嫌われちゃうぜ」


「てめぇ、背中に気をつけろよな……」


 誠心誠意の怒りを込めたその一言を最後に、軽口を中断して俺たちは大蛇の方へ刃を構える。


 親子揃って空気の読める蛇だ。もしや待ってくれていたのだろうか。それは流石に笑えない冗談にしてもここまで静かなのも妙だった。


 だが、それは後で考えよう。


 今度こそ――本当に今度こそこのしつこい爬虫類にはご退場願おう。


「さあ、最後の正念場だ……気合入れろ!」


 体は全身が痛むし軋む。剣を握る手にほとんど力が入らない。だが、今俺には守りたいものがあるから。やっとクレア以外にも出来た大切な人達だから。


 ガルディにアンチェンタ、リナさんとクローズさんにシャルル――まあマルコスも入れておいてやろう。


 波打つ巨体で地を削り猛然とこちらとの距離を詰める大蛇の動きはひどく遅く見えた。

 これはきっと、いつかの極限の集中力が生み出す濃密な時間だろう。


  その引き伸ばされた時間の中、同様に愚鈍な動きで直剣を大きく引き絞るように振りかぶり、大蛇の牙を最小限の動きで潜り抜けていく。

 その避けきった先で靴底から土煙を上げ急旋回。振り向く遠心力と足、腰、肩、腕全ての加速と重みを無駄なく余り無く――光を反射し白銀に輝く刃に乗せる。


「あぁあぁああぁあッッ!!!」


 下から駆け上がる、鈍く輝く鋭い刀身が獰猛な毒牙を切り砕き斜めに抜ける。

 だが、その痛みすらも無視して、大蛇は俺に残った牙を突きたてようと迫る。


 思い切り剣を振り切った姿勢だ。痛む左足の事もあり避けるのは不可能。剣で防ぐにしても振り切った刀身を引き戻しすぐに防御の姿勢を作る程の技量は無い。

 かと言って、生半可なガードでは確実に貫かれる。手を犠牲にし、軌道をそらして致命傷を避けても牙の毒にやられるのがオチだ。


 目前に迫る鋭い牙の先端が俺の肩から体内へ侵入するまでの数秒。

 その間に、俺は焼き切れそうになる思考回路を無理矢理に繫ぎ止め、鋭い頭痛に歯噛みしながら案を出しては潰していく。


 そんな中、後ずさった足が何か硬いものを踏みつける感覚が足裏から伝わった。それにゆっくりとしか動かない視線を向け、確かな期待に頰を歪める。


 停滞しそうなほどの時の流れが終わり、急速に動き出す世界の中、大蛇との間に馬車の横転で投げ出されたのだろう“大盾”を蹴り上げ、後ろに飛ぶように倒れこみながら痛む足で支えて障壁を作る。

 盾の近くにあった足が左足だった為、仕方なく傷ついた足を犠牲に支える形だ。


「ぐあぁあッ!!」


 衝撃で痛めていた足に焼け付く様な激痛が走る。目の前に火花が弾け、電撃が走ったような手足の痺れる痛みを噛み殺し、俺は全力で踏ん張る。


「オラァァアアッ!!!」


 硬質な鉄の塊である盾に思い切り体当たりをかまし額から再度血を吹く大蛇の首をガルディが唸る大斧で斬りつける。

 だが、硬質な鱗に阻まれ半ばで食い止まる。


 だが、絶好の機会だ。これを逃す手はないだろう。


「うおあああぁぁあッッ!!!」


 俺は残った右足に全体重を乗せ飛び上がる様に血塗れの剣を振るう。下方向から飛来した刀身が大蛇の腹から侵入し、硬質な皮膚を、分厚い肉を、臓物を断ち切って、半ばまで侵入していた斧の刃に激突し、交錯する。


 その瞬間、『ブツン』と肉の絶たれる大音を立て、切断された大蛇の首が鮮血を撒き散らし宙を舞った。


 その大岩のような頭部は傷口から漏れ出す鮮血で放物線を描き、その果てに質量を感じさせるズシリと重い音を立て地に落ちる。


 それに遅れて残された体が轟音を立て地に伏し砂埃を巻き上げた。


 ――それは、大蛇討伐の確固たる証明として、頭部は血と砂に汚れて硬い大地を転がる。


 転がる頭部に目をやれば、そこには生を渇望し生き足掻いていたであろう眼光が途絶えること無く俺を睨みつけていた。


 だが、それはこちらも同じだ。


 そして俺達は生き残った。


 ――ただ、それだけだ。



「終わったのか……」


 そんな一言を呟き、誰ともない誰かに確認を求める。答えが返ってくる事は想定していなかった問いだ。


 ――しかし、それに応える声はどちらにしろ聞くことは叶わなかっただろう。


「アンチェンタッ!!!」


 その代わりとばかりにそんな悲痛な叫び声が完全に回復した聴覚器官を貫いた。

 嫌な予感に背筋が凍り、汗まみれの体に更に冷や汗が伝う。


 バネ仕掛けの様に後ろを振り向き痛む足を引きずって駆け寄ると、崩れ落ちるように倒れこむアンチェンタをリナさんが抱えその名を叫び続けているのが目に入った。

 顔を蒼白にして荒い息を吐くアンチェンタの背中には深々とした傷跡が刻まれ大量の血が漏れ出していた。とめどなく溢れる血液が紺で染められた薄手の衣を真紅に染め上げていく。


 血が止まらない。これは奴の毒の特性の一つだろうか? 他にも、発熱などの症状が彼女を襲っているのが見て取れた。


「くそッ! ガルディ! すぐに清潔な布と水を持ってきてくれ! 俺は毒を吸い出しておく!!」


「お、おお! 任せとけ!!」


 怒鳴るように叫びガルディを急かすと俺は毒を吸い出す作業に入る。走れない俺はこれしかできないのだ。


「くそッ! くそッ! 死ぬな! 死ぬなよッ! お前が死んだら……俺は、一体何の為に――!!」


 もう、誰一人失わない為に、そして一人を助ける為に開始された薬草探しは、別の誰か一人の犠牲をもってして完結されてはならないのだ。


 それなのに――、


 俺はまた間に合わなかった。届かなかった。


 俺は、また――、



*****************



 ガラガラと、車輪が回る音だけが響く馬車の中、俺たちは沈黙だけを貫いていた。

 体と心にそれぞれ傷を負った俺たちは、俯き言葉を発しない。


「うぅ……」


 そんな押し潰されそうな静けさの中、薄い布に身を覆ったアンチェンタが呻き声を上げもう開かないかと思われたその目を薄く開く。


「ア、アンチェンタ!?」


「目ぇ醒めたのか!!」


「い、生きてる……生きてるよな!? 良かった! 良かった……っ!」


 それに気付いた少女が声を上げ続いて口々に安否の確認を叫ぶ俺たちに床に伏す蒼白の占い師は鬱陶しそうに顔を顰める。


「ふふ、君たちは……本当にやかましいな……まったく」


「素直にありがとうって言えないのかよ、お前は……いや、それより本当に大丈夫か? 後少しだけ待ってろよ! 今すぐ館に着くから……!! そしたら、そしたら――!!」


 そしたら、なんなのだろう。採取した《解毒草》は蛇の毒には効かず、他の解決法は思いつかない。いくらシャルルでも、見知らぬ生物の毒は治療できまい。


 それでも、心底可笑しそうに笑う彼女の微笑みからは着々と生気がこぼれ落ちていて、俺は逸る気持ちを抑えきれない。

 彼女のいつもの皮肉が、まるでかりそめの去勢に見えて、考えるより先に根拠のない期待と希望論を捲し立てる。


「いや、いいよ……ここら辺――確か、花畑だったよな……出来ればま置いて行ってくれないか? どうせ死ぬなら、綺麗な場所で死にたいんだよ……」


「な……っ、何言ってんだ! よ、弱気になってんじゃねえよっ!!」


 毒は吸い出しきれなかったのだ。血液に混ざった毒は、このまま出血を続けさせ、脈打つ生命の鼓動を止めるだろう。


 つまりこのままだと――、


「ごめんごめん……冗談にしても、状況が悪すぎたかな? それに、別に君の所為じゃないだろう? それに……別にいいさ……」


「何が、いいんだよ……っ!」


「私は、独りだったんだ……ずっと……ずっと……」


 どこかここではない遠い場所を見て、アンチェンタは掠れる声で続ける。


「《魔女狩り》なんてものが横行していたあの場所で……それのせいで死ぬ思いをした――……本当に、死ぬ間際だった。そんな時、リナと出会い、救われたんだ……そうして生きながらえて、君達とも会えた……もう、十分さ……」


「何、言ってんだッ!! まだ……まだ……そんなに話してないだろうが! 仲良くなってないだろうが! まだ――全部、これからだろうがよッ!!」


「はぁ、い……いんだよ……もう、十分だ……」


 『ああ、そうだ。』と、アンチェンタは震える声で続ける。

 その声は弱々しく着々と近づいて来る死を嫌でも実感させられる。


「リナ……こっちに来てくれないか……?」


 下唇を強く噛み嗚咽を堪えるリナさんはその言葉に静かに頷く。

 震える体をぎこちなく動かして、震える手を伸ばす彼女のすぐ横で優しく両手で包む様に手を握る。

 その小さな細い手に包まれた自分の手を見て、アンチェンタは愛おしげな瞳で頰を緩ませた。


「ああ……懐かしいな……こうやって、これまで……私は、何度救われて……」


「そんなことない……っ、私はまだ何もできてないよ! だから死なないで! 死なないでよ……っ!」


「は、はは……やっぱり君は……優しいね。優しすぎるよ。私が――いや、前の、かな……? まあ、いい……どちらも、私なのには違いないんだから……」


 俺には全く意味のわからないことを言い出すアンチェンタを、リナさんは涙を湛えた真剣な眼で見つめ続ける。そうして2人の間にだけ伝わるやり取りは、無粋な介入者を拒む様に、2人の世界を作り上げる。


「そんな、ことをした……私に……まだ、そんな目を……向けてくれるん……だね……」


「――当たり前だよ。アンチェンタ。私は、貴女は私の為にやったんだって、ちゃんと分かってる……だから、恨んでなんかいないよ? ねぇ、だから……っ、貴女が死んじゃったら……私がこれから頑張る意味が――」


 深い哀しみと自罰的な決意を胸に呟くリナさんの言葉も、やはり俺にはわからない。

 ただ、それを聞いたアンチェンタが微々たる反応ではあるが驚愕に顔を強張らせ、そしてその顔を綻ばせたのは見ていて分かった。


「そうか……強くなったね……」


「……でしょう?」


「ああ、本当に……一丁前に、生意気になったよ……」


 そう言って、アンチェンタは震える指をリナさんの額に当てる。その手が一瞬だが光ったような、そんな錯覚を覚える。


「彼女に加護が……あらんことを――」


 そんな幻想的な光景の中、しっかりとした口調で何かを唱えたアンチェンタは一度黙した目をこちらへ向け、その先の俺を見据えて口を開く。


「頼んだよ……きっと、この惨劇を終わらせられるのは――イレギュラーである君だけだ」


 そう言って、彼女はゆっくりと手を伸ばす。それを、その手をしっかりと握りしめ――、


「わかった。任せておけ」


 出来る限りの力を込めて、そう誓った。彼女に、そう誓った。

 彼女は俺の言葉を聞いて、その言葉に何かを確信した様に頷き、もう一度微笑んだ。


「おっと……」


「お疲れ様です……少し、休んでいてください」


 安心し、力の抜けたアンチェンタが倒れこむ前に、華奢な腕がしっかりとの体を受け止める。

 その痛々しい軽さに歯噛みしながら、それを押し殺して少女は笑って見せた。


 それを見て、一人の――、


 いや、《独りだった》彼女は――最愛の少女の腕の中で安らかな笑みを浮かべ静かに息絶える。


 それは眠るような穏やかな表情だった。

 それは目を奪われるような美しい顔だった。


 その安らかに目を閉じた彼女を、《独りになった》少女は抱き続けていた。


 いつまでも、いつまでも――、


「うっ、ううっ……ぅうう……」



 ――泣き続けていた。


********************


 アンチェンタの遺体は、リナさんの要望で彼女の言っていた花畑に埋めた。赤い花の咲き乱れる、一面の花畑の真ん中に。


 黒髪の少女は、1人そこで謝り続けていた。一体誰に、どうして。そんなことを聞くのすら憚られる、一心不乱なまでの謝罪を――。


 出発した朝、あれ程まで賑やかだった馬車は、たった1人の乗客の消失により静寂に包まれる。無機質な移動音だけが反響する馬車には、小さくすすり泣くリナさんの声だけがこだましていた。





 ――俺は、今回も








 また、救えなかった。

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