第十八幕『安寧と休息』
また、夢を見ているようだ。
なんでか、随分と久しぶりな気もした。
随分と懐かしい気がした。
いつもそうだっただろうか?違うだろうか?
いや、まあいい。些細な事だ。
――どうやら、俺は誰かと話しているようだった。
相手は、肩までの長さの艶やかな黒髪を風に揺らす少女。
だが、肝心の彼女の顔は黒い靄のかかっているせいで見ることは叶わない。
その少女は俯き、ただ『ごめんなさい』と繰り返し続けていた。
誰だったか、何故だったかは、思い出せない。
――景色が次の場所へ変わる。
俺は薄暗い部屋で少年と睨み合っていた。
少年は『こんなはずでは』と呟いていた。
誰だろうか、何だろうか、分からない。
続けて世界は切り替わる。
切り替り、変わり続ける。
長髪の女性は『頼んだ』と、
白髪の老人は『任せた』と、
褐色の巨漢は『始まりだ』と、
銀髪の青年は『終わりだ』と、
金髪の少女は『愛している』と、
黒髪の少女は『愛していた』と、
そうして世界は終わりを告げる。
それなのに、世界は再び最初から映し出される。
もう見たくない。聞きたくない。逃げてしまいたい。いくらそう叫んでも、悪夢は悪夢のまま、俺に最悪を見せつけ続ける。
それを事前に知ることで何をしろというわけでもない。
ただ、永遠の悪夢に終わりはない。
死ぬまで。いや――死んでもだ。
そんな終わらない筈の永遠の悪夢から、
俺の意識は浮上する。
******************
目が覚めると、寝ぼけた頭にぼやけた世界が広がっていた。まどろみの中の世界は情報量が少ない。纏わりつくような眠気を払う為、少し瞬きを繰り返し、体を動かしてみる。
そうして数分過ごしていると完全に意識が覚醒した。ゆっくりと体を起こし伸びをする。
「ん……? あ、服が――、」
布団を畳み、ベッドの上で一息ついたところでやっと服が変わってい流ことに気付いた。
目が覚めた思っていたが、まだかなり意識は曖昧らしい。
「そうだ。あの後風呂に入って……着替えたんだ。――あの服、捨てられたかな」
俺は今、灰色一色の寝間着のようなものに身を包んでいる。
作りはバスローブの形に近いが、ズボンは別にあるので丈の長い上着のようになっている。
俺は、ベットから出てドアノブをひねる。
部屋から出ると、窓から早朝の爽やかな風が吹き抜け残った眠気を吹き飛ばした。
ほうと息を吐き、辺りを見渡す。階段の手すりに肘をかけ背中からもたれかかる。
そのまま少しそうていると、階段の下から足音が聞こてきた。そちらに目をやると白髪の老紳士が階段を上ってくるのが見える。
穏やかながらもその奥深くに鋭さを見せる眼光と視線が交錯する。すると、その人物は驚いたように眉を上げる。
「おや、ギルさんですか。おはようございます。このたびは大変ご迷惑を――」
そう言いながら頭を深々と下げてくるのは黒い紳士服に身を包んだ老紳士、クローズさんだ。
「ク、クローズさん! 体は……もう大丈夫なんですか!?」
「はい、おかげさまで完治とはいきませんが、ある程度動ける程度には」
そう言ってクローズさんは手に持っていた松葉杖を見せてくる。
「なら、散歩はほどほどにしてくださいよ……?」
それに対して、俺は頰を掻きながら苦笑した。
これで会話終了かと思った俺は軽く頭を下げそのまま風呂へ向かおうと――、
「貴方こそ体調は?」
したのだが、そんな一言で呼び止められる。
その言葉に『言われてみれば』と体を見渡し、各所に異常がないか動かしてみる。
正直、あれほどの怪我をして次の日にまさか元気に出歩けるとは思っていなかったが、驚異的な回復力を見せた俺の体はほぼ完治していた。
「大丈夫ですね。どこも問題ありません」
「そうですか。それは良かったです」
そう言って胸をなでおろすクローズさんにそろそろ聞きたかった質問をぶつける。
正直、沢山ありすぎてまとまらないが――、
「あ、そうだ、リナさん……! あ、あの! リナさんが……っていうのはどうゆう事なんです?」
「あ、ああ、その事ですか」
そう言ってクローズさんは少し黙る。そのまま数秒の沈黙を経て、顔をあげたクローズさんの顔には申し訳なさそうな微苦笑と謎の笑みが刻まれていた。
「あれは、嘘です」
「え……?」
「あれは、嘘です」
繰り返すクローズさんの言葉に思考が止まる。あれは嘘? つまり、リナさんが孫って言うのは――?
「はあ!? い、いや、どうゆう事ですか!? ってかなんで!?」
思わず大声を出し大袈裟な身振り手振りを加えて問いただす俺に、申し訳ないといった表情のクローズさんが軽く頭を下げる。
「騙すような真似をして申し訳ない。別段陥れようという気は無かったのです。それは誓って本当です。――ただ、そう言ってくれと頼まれましてな……」
「頼まれた?」
「はい、私がもし死ぬような事があればきっと貴方は悲しみ嘆くと。だから、その貴方に立ち上がる意味を、守るものを与えてくれと、――そう言われました」
「その口ぶりからするとその誰かは言えなさそうですね……」
「はい、申し訳ない。こればかりは譲れませぬ」
「いやいや、いいんですよ。実際そのお陰で助かってますし」
「それは置いておいて」と俺は本題を切り出す。あった時には言うと決めていた事だ。
先ほどまで回っていた舌が歯車が狂ったように動かなくなる。冷や汗が頬を伝う。
「あ、あのですね、クローズさん。なんというか――薬草を探した帰りに色々ありましてね」
ごにょごにょと口籠り支離滅裂な言動を繰り返す俺にクローズさんが眉をひそめる。我ながら情けない。こういうのは、一気にいかなくては進まないのだ。
そう、覚悟を決めて、息を吸い込む。
「あ、あの! 馬車壊してすいませんでした!! あと小麦粉と油樽と盾も!!」
黙り込んでしまいそうな口を無理やりに動かし口早にまくし立てる。今度は俺が頭を下げ返事を待つ番だった。
「ギルさん。貴方は自分のした事がよくお分かりですか?」
そう言われて身が竦む。よくわかっているつもりだ。だが、これからどうなるかはわからない。
罰金? 弁償? 普通に捕まる? そんな不穏な疑問符が頭上で回る。
――ただ、それは俺の杞憂だったようだ。
「恩人にそのようなものの謝罪を求める愚昧がどこにいましょうか」
そう言われてハッと顔を上げる。目の前で、珍しく厳しい表情をした老紳士が怒りとは違う何かに突き動かされ、俺を叱りつけていた。
「貴方は人の――私の命を救ったのです」
俺はその手を握り握手する形になる。クローズさんはその手をさらに両手で握り締める。
「本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れはしません。貴方は私の畏友であり、恩人です」
そう言って再び頭をさげるクローズさんに不意に目頭が熱くなる。
「ありがとうございます。そう言ってくれると……嬉しいです」
そう口早に行って頭を振る。気恥ずかしいというか、歯がゆいというか――、
「あ、それじゃあ俺顔洗いに行くんで……また後で!」
「はい。いってらっしゃいませ」
そう軽く会釈するクローズさんに会釈を返して歩き出す。
そう言えば、まだ沢山聞きたい事は残っていたのだった。まあ、後からいくらでも聞けばいい。
そんな事を考えながら俺は廊下を歩く。ただただ平和なひと時を、噛みしめるように。
******************
俺は洗面所で顔を洗い、歯を磨いた後再び廊下に出た。意識は鮮明で、冷たい冷水を浴びたおかげで一気にさっぱりした気分になり目が冴えている。
「……そろそろこの屋敷を出なきゃな」
そんな冴えた頭で、俺は呟いた。
クローズさんを助けられた今、もはやこの屋敷に残る理由は二つしかない。人狼と、この一連の騒動の、黒幕の正体解明だ。
それを終え、安全を確保して初めて、俺は帰ることができるのだ。
「早く帰ってクレアに薬を買わなきゃな……」
そんな事を考えていると前からシャルルとリナさんが歩いてきた。
「あ、シャルル、リナさん」
「あ、ギルさん。おはようございます」
「おはようございますギルさん。どこかに行かれるんですか?」
若干シャルルより堅苦しい喋り方のリナさんが、俺に質問を投げかける。
その様子に、全く違和感は覚えない。それが、逆に俺には痛ましく思えて、罪悪感に心を滅多刺しにさる。
だが、それだからこそ。彼女が頑張っているからこそ。俺もいつも通りにならなくてはいけないのだろう。
「あ、ああ……別にどこにってわけじゃないんだけどな」
「朝からふらふらいい身分ですねギルさん」
「うるせえよ! いいだろ別に! ――なら、お前らは何してるんだよ?」
何故かきつい言い方をしてくるシャルルに声を上げる。なんとなく懐かしいやりとりな気がした。
「ああ、私たちはご飯を食べに行くんですよ。朝ごはんですよ。ギルさんも一緒にどうです?」
俺がそんな軽い衝撃に打ちのめされていると、リナさんが答えてくれた。
食事か。そう言えば、昨日は馬車の中で食べた携帯食料しか食べていないのだった。
気がついた途端、内容物の無い胃が締め付けるような痛みとともに空腹を訴えだす。
「ああ、そうだ。俺もお腹空いてたんだよ。よし行こう」
そう言って俺は、厨房へ歩き出した。
空腹は感じるのに、食べ物を欲することが出来ない今の状態では、満足に朝食も楽しめるか怪しいものだが――、
******************
なんて、そんな不安を抱えて広間にやってきたのだが、よく考えれば料理を作ってくれるのはリナさんなので一緒に行くとなれば待たなくてはいけない。
空腹に鳴るはらを抑えて俺たちはソファに腰掛けていた。
「ギルさん」
「ん? どうした?」
「ぐーぐー、ぐーぐー、なんとかならないんですか? そのお腹は」
「いや、一回しかなってないだろ! 掘り返すなよ恥ずかしい! ――ってか仕方ないだろ? 何も食べてないんだし。」
なんだろう。ひょっとすると俺は彼女に何かしたのだろうか。
そんなことを考えてしまうくらいに、今日のシャルルは不機嫌さを露わにしていた。だが、その理由も次の一言でハッキリした。
「ギルさん」
「だから……なんだよ?」
「また……何かあったんですか?」
そう言われて、そう言われてしまって、俺は思わず絶句してしまう。
俺は、昨日から誰にもあった事を話をしていないのだ。昨日は、やや無理がある言い訳を押し通してなんとか誤魔化した。
心配をかけるかと思ったし、何よりその話題を掘り下げてリナさんが悲しむのを見たくなかったからだ。
「なんで、それを……?」
だから、アンチェンタがいないのも皆は何か理由があって途中で帰ったんじゃないかなんて思っているらしい。
それについては俺が説明するつもりだったのだが――、
「わかりますよ。リナさんに、皆に……気を使いながら話して笑って、昨日の夜から――、」
「それは……」
「貴方は多分気負いすぎる面倒な性格です。全て自分で背負いこんで、周りには心配させないよう笑顔を見せる様な」
「そんなことは……ねえよ」
じっとこちらを見据える少女の目線から顔を逸らし、俺は不貞腐れたような声を出す。
それでも、その視界の端に少女の手が微かに震えたのは見えた。
「そんな生き方は――不便じゃないですか?」
その少女は、何かを考えるように、何かを悩むように、小さく、ゆっくりと言葉を重ねる。
「誰かの為に、自分を犠牲にして……確かに、それは正しい事です」
「俺はそんな殊勝な事はしてねえよ……」
そうだ。彼女はなぜこんな見当違いな事を言っているのだろう。俺は、そんな人間ではない。もっと利己的で、自分勝手で、自分の事しか考えていない偽物だ。
「俺は、俺がしたいって思った事をしてる……それだけだ」
昨日アンチェンタに言った理由。それとは別の理由を、俺は口にした。
「それは、貴方が本当したいと思ってしている事ですか……? これは、貴方が本当に望んだ結果ですか……?」
「そ、それは……っ!」
「じゃあ貴方はこの屋敷に来たせいで遭う事になった出来事は全て、貴方が望んだ結果だと――そう言えますか?」
彼女のその言葉を否定したくても、今のこの状況を望んだ事だなんてどうしても言えなくて、俺は黙る。
そうしている内に、意を決したように少女は口を開いた。
「私と関わろうとした時も不本意じゃなかったですか……?」
そう言われて、
そう言わせてしまって、
失敗したと思う。
「私と関わらなければ……貴方はあんな目に遭わずに済んだ筈なんです」
うまく、できていると思っていた。
「そう、だな……」
「――ッ……」
俯き、心の中身をそのまま口にする俺に、シャルルは小さく息を飲んだ。
「確かに……アルバートさんやバレレンが死んだのも、アンチェンタを救えなかったのも、俺の望んだ事なんかじゃない。」
こうして、こういう答えが返ってくるのがわかっていて、それでも彼女は聞かずにはいられなかったのだろう。
「それは、間違ってない。お前の――言う通りだよ」
言われたくも、聞きたくもない言葉が返ってくる筈なのに、それによって相手が傷ついているかも知れないならば、聞かずにはいられない。そのままにしてはおけない。
そんな不器用な少女に、俺は内心の吐露を続ける。
「だけどな、最後のは違うぞ」
「え……?」
「不本意なんて、そんな訳ないだろ。俺は、別にそんな理由で君についてきたわけじゃない。俺は、本当に感謝しているんだ。本当に命の恩人なんだ。だから、俺はそれを返すために動いているだけだ」
だが、そうして口にした言葉は、どうもしっくりこない。
「いや、ちょっと違うな……俺は多分ここが居心地がいいんだろう。この空間が、この人達の中が――お前の隣が、居心地がいいんだよ」
そう言って目を合わせる。少女の姿はどこか儚げで、今にも消えてしまいそうで――つい、そんな事まで口走ってしまった。
「それは、どういう……」
歯が浮くような臭い台詞を素面でのたまう俺に、信じられないといった感じの様子で、少女は真意を問いただす。それに、俺は自信を持って言葉を返した。
「ああ……俺はみんながいてくれるこの場所が、大切なんだ」
俺は胸を張ってそう言い放った。
自分が出来る力強さでだ。
「ふ、ふふ。なるほど、そうきますか。あははは。はい、そうですね。とっても貴方らしいです」
それを聞いて、少女は堪えきれないように吹き出した。何か吹っ切れたような、今までとは違うどこか清々しい笑顔だった。
そんな笑顔に、俺は少し目を奪われてしまった。
「……あ、あれ!? 今のとこはその反応だとおかしくないか!?」
「あははは、大丈夫です。おかしくありませんよ。おかしいのは貴方の頭だけです」
「なっ……別におかしくはないだろう! それに俺は王都でも五本の指には入るほどのの頭脳の持ち主って言われてたんだぞ!」
「な、なんと言うか……それは随分と寂しい都ですね」
「いや、別に人口が5人ってわけじゃねえよ!!」
そんな思わぬ反応をしてしまった気恥ずかしさに、俺は早口で捲し立てる。自分でも、驚くほどに動揺していた。
そのせいで、どこか踏み込んだ内容だった会話は、いつものくだらない軽口の言い合いに戻ってしまう。
ただ、それはそれで心地よくて嫌ではない。今回はシャルルの望んだ答えを返せなかったようだが、次こそはしっかりと返してみせる。
その為の時間は、きっとあるはずだから。少なくとも俺は、そう信じていた。
しかし――、
そんな関係は、距離感は、俺たちのの過去や背負っているものの重圧によって――歪に拗れ、狂ってゆく。
そう遠くない未来に。
俺は死よりも辛い絶望を、
嫌という程――味わう事になる。
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