第七幕『絶望への秒読み』

 高速で閃いた銀色の刃が首を薄く切り裂き、僅かな血の帯を引いて左へ抜けていく。


「――っ!!」


 奇跡的ではあるが避けた。しかし、喜んでいる暇は無い。こいつの剣の脅威はこんな程度では断じて無いのだから。


 長い刀身を振り切った姿勢だったはずのマルコスは気付けば背中に回り込むようにして半回転している最中だった。あの回転の先、あの斬撃の先には俺の死が待っている。


 それを予測していた俺は避けた時に地に着いた手で掴んでいた土を彼の前に投げつけた。


「――シッ!!」


「なぁっ!? くそッ!」


 その渾身の奇襲を、彼は身を捻るようにして最小限の動作で悠々と躱す。

 それに歯噛みしながらもその僅かな隙をついて俺は反撃――、


「――は無理だッ!!」


 振り切られる白銀の刀身が俺の頭と胴を分断するまでの刹那。彼我の実力差を即座に判断した俺は、後ろ向きな決断を高らかに叫びぶが早いか前方に向かって全力で飛んでいた。


 レンガ造り硬い道にまず手をつき、次に肩、背中、腰、足がついた瞬間もう一度強く大地を蹴りつけて反対側の芝へ着地する。芝への着地はダメージよりも速さを優先し素早く転がって獣のような姿勢に落ち着く。


「ッ……!! 掠ったか……」


 背中に発生した熱と刺すような痛みに顔を歪め、傷口に触れた手にあまり血が付いていなかった事に安堵する。だが、あれだけ先読みと策を弄しても完璧には逃れられないとは、やはり凄まじい剣の冴えだ。


「ただの木こりがこれも避けるか……おい、貴様――何者だ?」


 荒い息を吐き顔を蒼白にして身構える俺に警戒心を剥き出しにしたマルコスが一層剣気を強める。


「まさか、本気で『何者だ』とか言われるとはな……この長い人生で初めての経験だぜ」


 その問いに真摯に答える為の答えを持ち合わせていない俺は、どこか誤魔化すような言葉でその場をやり過ごそうとしてしまう。


 ただ、長い人生の中でというのは本当だ。普通に生きてきた18年とこの屋敷での17年で合計35年初めての経験だ。


 ――ここまで関係が悪化したのは。


「茶化すな――答えろ」


 そんな俺の軽口に対するマルコスの返答はそれだけだ。

 手に持った白く輝く細身の直剣の切っ先をこちらへ向け、怒気のこもった低い声で問いただす彼には対話の意思が無いのは目に見えていた。

 ――だからと言って諦められるものでも無いが。


「じゃあ逆に聞かせろ! 俺はお前がアルバートさんを殺そうとしているのを知ったから止めただけだ! 何でお前はそんな事をするんだ!?」


「それは……目障りだったからだ」


「なッ……」


 『嘘だ』


 分かり易すぎる。やはりこいつは隠し事や駆け引きが全く出来ないようだ。だが、それが分かってもその理由がわからない。


 何故殺す? 何故隠す?


「まあ、いい。貴様が奴の手駒だったから助けたのでは無いかと思っていたが……その様子だと貴様はただの『いい奴』らしいな。フン、ならばそんな愚物には用は無い。無為に事を荒らげたくも、人を殺したくも無いからな」


「ま、待てよ! マルコス!!」


「…………」


「た、頼む! 話を聞かせてくれ! 力にならせてくれ! 俺を頼ってくれよ!!」


 俺は再び中身の無い自分本位な空っぽの言葉を紡ぐ。救いようが無いことにそれは俺の本心からの願いだった。


「なにが『力にならせてくれ』だ。ハッ、貴様のそれは体の良い願望の押し付けだろう?」


「そ、それは……」


「黙れ――耳障りだ」


 マルコスは数メートルはあった距離を瞬く間に詰め、どこか痛ましげにそう呟く。だが、それを聞き届けるより先に全身に鈍い激痛が走る。

 刃を鞘にしまい、打撃のみを与える武器となった白銀の剣が、俺の全身を叩きつける。複数の一撃を同時に食らった様に錯覚するほどの連打に体が軋み、血反吐を撒き散らして吹き飛ぶ。


「がふ……っ、……くぁ……」


 打たれた箇所は熱を持って焼けるように熱く、朦朧とした意識に、痺れるような痛み。

 口の端から赤い血をこぼし、全身の激痛に呻きながらも、虚ろな視界を瞬きでなんとか鮮明にしようと足掻く。

 だが、受けた衝撃は脳を揺らし、いとも容易く俺の意識を闇に引きずり込む。


「ま、て……おれ、は……」


「話は終わりだ。――少しは目が覚めただろう」


 遠のく意識の中、無情な言葉が鼓膜を揺らし、取り返しのつかない結末へと進む事を否が応でも想像せざるおえない。

 その恐怖が俺の意識を繋ぎ止め、最早動くことは無いと思っていた肉体に再び力が湧き上がる。


「ま、てよッ……!! 話は……まだ――!!」


 爪を立てて地を抉り、血管を浮かび上がらせるほど力んで身を起こし、吠える。――それを黙らせるための圧倒的な暴力が、頭部を叩きつける。

 『剣で黙らせる』を本当に体感させられ、鈍痛が他の痛みやそれ以外の感覚を連れて闇に消え、今度こそ意識が断絶する。


「――貴様の様な無差別な善は、無差別な悪と何処まで違う……っ!」


 不鮮明な聴覚に辛うじて届いたそんな絞り出すような声を最後に、


「邪魔……なんだよ」


 ――全てが闇に沈んだ。


******************



『――ざまあみろ』


 頭の中に直接語りかける様な声が、何処からか鳴り響く。


『やっぱり駄目だったな。何回やっても失敗するんだよ』


 耳障りなその声は、何処かで聞いたことのある声だ。


『そりゃあそうだ。お前なんだからな』


 嘲る様に、蔑む様に、本心からの嫌悪感を隠そうともせず、言葉は突き刺さる。


『誰にも愛されない。誰も愛さない。誰も愛せない』


 剥き出しのどす黒い感情は、しかし俺を蝕むことは無い。


『お前は死ぬまで、独りだ』


 何故ならそれは――、


********************


 重たい瞼を持ち上げ閉ざされていた瞳を開くと、そこには闇が広がっていた。視界の端から端までの全てを飲み込む様な、全てを包み込む様な黒。


 その優しい闇の中、自らの存在を主張する様に、無数の小さな光が煌めき、その真ん中にひんやりとした白い三日月が浮かんでいる。


 ふと、そんな夜空の左半分が真っ赤に染まっている事に気が付いた。


 恐ろしい予想が脳裏をよぎり、打撲傷ばかりで思い通りに動かない手を恐る恐る持ち上げ、左目に添える。

 そうして刺す様な痛みを確かめて得心がいった。


「目の上が切れてるだけか……」


 最悪の結果でなかった事に安堵する声が漏れ、気の張っていた体がやや脱力する。意識は頭を強く打ち付けた所為で霞みがかった様に曖昧で、それを開く方の目で瞬きしてなんとか追い払い、不鮮明な記憶を呼び起こそうと苦心する。


 そうだ、俺はマルコスを説得しようとして――、


 全身を叩きつける鈍い痛みと決別の言葉。尚も呼びかける俺に向け振り下ろされた暴力と最後の悲痛な声まで思い出して俺は全てを理解した。


「――ッ! ……ッソォ!!」


 最悪の現状とそれを阻止できなかった自分自身への怒りを地面を殴りつける事で四散させ、それでも晴れない怒りに吠える。


「ぐぁああッ……」


 とめどなく溢れる怒りを原動力に、鉛の様に重たい体を無理矢理に動かして起き上がる。荒い息を吐きおぼつかない足取りで手近な木にもたれかかる様子は、最早立っているのがやっとといったところか。

 再び飛びかける曖昧な意識を唇を噛み切る痛みで引き戻し、荒い息を吐きながら足を進める。


 しかし、そんな歩くのがやっとの状態にも関わらず、俺の頭は一つの疑問に埋め尽くされていた。


 普通、彼の技量ならば鞘に納めた状態の剣だったとしても俺程度に致命傷を与える事は造作も無いだろう。最悪死亡、運よくても行動不能。それが俺の彼に対する評価だ。――ならば何故今自分は動けているのか。


「あの、馬鹿、野郎……手加減……とかしてんじゃ、ねえよ……らしく、ねぇ……!」


 骨折もしていなければ靭帯の破損もない。手を抜かれたのだ。それはもうスカスカに。

 しかし、あの状況、あの局面、あの心情、どれを取ってもそれをする理由が浮かばない。


 ――いや、今は彼を見つけるのが先だ。


「だけど何処だ……? あいつは何処に行った……?」


 まるで見当がつかない。これほど繰り返して、これほど失敗して、それでもまだ俺は学ばない。それでもまだ足りない。


「なにか、なにか、なにかッ……!!」


 引きつるような声で繰り返し、頭を打たれた事で曖昧になっている記憶を必死に探る。

 話した内容を遡り、話し始めの頃まで戻ったところでその話の発端が『マルコスの目的を阻止した犯人を探す事』によるものだった事を思い出す。


 そして、その犯人は見つかった。邪魔者の排除が成就した今、ならば次は――、


「目的の、再開……!! あいつ今度こそアルバートさんを殺す気か……!!」


 頭を抱えてそう叫び、こうしてはいられないとすぐさま走り出す。致命傷はなくともガタガタの体は動かすのは十分に困難で、今にも倒れそうだ。

 実際何度も倒れた。だが、その度に己を叱咤して走り続ける。


「――ッ!!」


 そうして闇に沈んだ朧げな庭園を駆け抜けていると、植木の奥から人影が現れた。いや、“現れた”と言うよりは“湧いて出た”という方が妥当だろうか。

 それほどまでに、影の動きは不気味で、認識しずらかった。


 途端に道を塞がれ、とっさに横によけた途端、左腕に――首に感じたものと同じ、冷たい熱を感じた。


「…………?」


 その濡れた二の腕抑え、唖然としたままゆっくりと俺は振り向く。


 そんな俺の視線に気づいたのか、黒いコートに身を包みフードを目深にかぶっていた人物は、そのフードを払いのけ月明かりにその顔を晒す。そうして現れたその顔に俺は息を飲んだ。


「なんで……」


 影の正体を確認した俺は、憔悴しきった掠れ声を漏らす。最悪に最悪を重ねた様な状況を確認した上、その一つ一つの最悪の打開策がまるで浮かばないのだから笑えない。


「なんで、“今”なんだよッ!!」


 そうだ。時間も悲劇も悪意も待ってなんてくれないのだ。

 むしろ、予期していない最悪のタイミングこそ、それはこちらへ這い寄ってくる。


 それを、俺は誰よりも知っていたはずなのに――、


「よォ、どうしたよ? もうすっかりボロ雑巾じゃねえか。んだよ、つまんねえなァ、おい」


 彼は肩を竦め、軽い調子でそう言って心底楽しそうに笑う。

 暗闇の中に月明かりにより浮かび上がる狂笑を隠そうともせず。


「けどまァ、悪ィがここは通せねぇな。あいつからの命令だ。逆らえねえんだ」


 欠陥品は、手に持ったジャギーナイフを器用に回しくつくつと笑う。


 ――だが、それはおかしいじゃないか。


「なんでだ……なんで“今”お前がいるんだよッ!!」


 今までの繰り返しとは装いを大きく変えた3日目は俺の悲痛な叫びを合図に、そうして静かに幕を上げた。


「ま、諦めて――素直に死ねよ」


 そうしてこの6日間は、最悪の結末へと――転がり始めた。

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