第十幕『もう一度』

 薬の影響から助けは望めない。かと言ってこちらも薬の影響で力ずくで倒すのも無理。だが、これを逃せばもう活路は途絶える。何より、バレレンをこの絶望の中から救ってやりたい。


 ――ならば考えろ。この一瞬に全てを燃やせ。脳神経が焼き切れたって構わない。全身全霊で、言葉を尽くせ。


 きっと、これが最後のチャンスだ。


「クレアが……? な、なに言ってるんですか? それにクレアはあの時、確かに――」


「死ぬところを見たのか?」


「……っ、いや、だけど――」


 嫌々と、駄々をこねる子供の様に首を振って、バレレンは救われる選択肢を拒絶する。

 それを成すのは、長年憎悪に身を焦がし、忌まわしい過去に囚われ、それでもなお生きてきた彼の心に絡みついた鎖だ。


「あの時、クレアは殺されず売られたんだ。奴隷として。多分クレアを殺す役回りだった村人が金に眼が眩んだんだろ。疫病でかなり困窮してたらしいからな」


「で、でも! クレアはその疫病の患者だ! 普通なら気付くはずだ!!」


「多分、疫病が蔓延してるなんて知らなかったんだ。薬で眠らせたり、気絶させたり……咳を誤魔化せばいいだけなんだからいくらでも方法はあるだろ?それに、クレアの病気はやつれたりとかの見た目の変化はほぼ無いからな。それは奴らにとって不幸中の幸いだったんだろう」


 彼らにとってはなんの関係もない、おぞましい私利私欲による自分勝手な理由だ。

 だが、それによってクレアは助かったわけだから、なんとも言い難い。


「だけどどうやって!?」


「多分、お前とクレアが引き離されてからそんなに経ってない頃……かな。奴隷商がクレアの病気に気づいて殺そうとしていたんだ」


「な……っ!!」


「それで、それを丁度近くにいた俺が――助けたんだ」


 とは言ったものの、正直助けたなどと言える様なことは何もやっちゃいない。ただ突っ込んでいってボコボコにされながら喚き散らしていたら、偶然近くにいた衛兵に気付いてもらえた。それで、違法売買をされていた他の子供達と共に助けられたのだ。


 だが、今それを説明する意味も時間もない。抵抗はあったが、後でしっかりと話そう。


 それよりもだ――、


「そしてクレアは俺の家族として暮らせるようになった。でも、病気にかかってるのは知ってたが、まさか疫病だとは思わなかったよ」


 そう、重い病気にかかった妹というのは彼の言うクレアの事だ。

 そして、彼女は今も元気とは言えないにしろ生きている。


「それに治療法は見つかったんだ。あともう少し金が溜まればあの娘を救える。……バレレン、お前はまだ全てを失ったわけじゃ無いんだよ!!」


「…………!!」


「まだ、取り戻せるんだよ!まだ、やり直せるんだよッ!!」


 魂の叫びに喉が震える。何度目の絶叫だろう。酷使した喉が痛み、叫びに血が混ざる。――だがそんな事は気にならない。


「妹を! クレアを!! 助けるんじゃねえのかよッ!!!」


「僕は……僕は……っ」


 迷ってる。これなら、いけるかもしれない。バレレンを正気に戻せるかもしれない。

 救うなんて大それた事出来なくても、せめて彼にとっての仮初めの救いになる。そのためにも、俺は全力を尽くす。


「バレレンお前はまだ――!」


「だ、まれ……っ!! そんなの嘘だ……嘘だ、嘘に決まってる! 何度僕がそうやって騙されてきたと思ってる! 今更そんな安い芝居に……僕は惑わされたりなんてしないッ!!」


 しかし、そんな叫びは彼の閉ざした心には届き得ない。

 頭を抱え眉間に、しわを寄せ、悲痛な声で怒鳴るバレレン。

 耳を塞ぎ、目を塞ぎ、果てには心まで塞いでしまったのように――同じ間場所にいるはずの彼が果てし無く遠く感じる。


 するりと胸に差し込んだ『不可能』という可能性から、そんなもの認めないと背を向けて、俺は体温感覚の狂った体を震わせながら声を上げる。


「違う! 嘘なんかじゃ無い!! 全部本当の事なんだ! クレアは、今も生きてるんだよ!!」


 駄目だ。このままではせっかく掴みかけた糸が切れてしまう。そんな予感が、俺の思考を鈍らせ焦らせる。

 それがわかっていても今更冷静になんてなれず、感情のまま俺は必死で弁解する。


「信じてくれ! 俺はその村人たちとは違う!」


「いいや、違わない! お前もあいつらと同じだ! だって、僕を騙したじゃ無いか!!」


「は――? 俺が騙し、た……?」


 どういう事だ?騙したとはなんのことだ?バレレンは何を言っている?


「一体、なんの事だ……?」


 頭に乱立する疑問符を押しのけて、俺掠れた問いを口にする。

 それを聞き届けたバレレンは、一瞬侮蔑の色を顔に浮かべると、言った。


「あいつが、全て教えてくれたんだ……この屋敷で起こることの、全てを……」


「あ、あいつ? あいつって誰だよ……? まさか、そいつはこの屋敷の中に居るのか!?」


「――そうだ……この世界には救いなんて無いんだ。そんな都合のいい話があるわけない!!」


 俺の叫びに、バレレンは聞く耳を持たない。分厚い壁の中にに閉じこもったバレレンの心には、俺の声なんかまったく届かない。

 まるで救われるのを拒むかのように。拗ねてぐずった子供のように。少年は耳を塞ぎ、目を瞑り、ただ叫ぶ。


 ――だめなのか? やはり俺では無理なのか?


 何か、何か無いのか?


 もう一言でいいんだ――、


 バレレンの心を動かし解きほぐせる何かが。


「バレレン……」


「うるさいッ! 黙れ黙れ黙れ!! 黙れよぉ!!」


 声が震える。視界が滲む。そして震える唇で――俺は一言を絞り出した。


「――頼むから、信じてくれよ」


 考えて、考えて、考え抜いた挙句、絞り出したそれは聞くに堪えないただの懇願だった。

 そして、なんの飾りも、偽りも、無いただただ純粋な意思――”信じてほしい”という気持ちだけが込められた、


そんな一言だった――。





「もういい、お前は“処分”だ」


 しかし、バレレンからの返答は、説得の失敗をまざまざと見せつける様なそれだった。

 無感情に放たれたその短い一言は、俺の思いや作戦や切望を、無意味で無価値で無駄だと、そう告げた。


 助けたいなんて、救いたいなんて、ただの驕りだったのだ。

 助けるどころか助けにすらならない。


 バレレンが調理具置き場からギラギラと凶悪に輝く本物の鉈を取り出す。恐らく、最初から隠してあったのであろう。

 右手に持ったそれは、今まで使い使われたフルーツナイフや包丁とは明らかに違う“何か”を纏っているように感じられた。

 生物から命を奪うために特化した“何か”を。


 それをバレレンは振りかぶる。


 対する俺の体は鉛か何かになってしまったかのように全く動かない。薬の影響か、目の前の状況への絶望か、はたまたその両方か。それはわからない。俺には何もわからなかった。


 心が、体が、先から急速に冷えていく。這う様な冷気が、喉元まで這い上がってきている。

 向けられた強烈な殺意への恐怖や悲しみによる寒気が俺の体を体の芯まで凍りつかせる。


 バレレンは鉈を振り下ろす。あの殺傷力の高そうな無骨な武器は俺の命をやすやすと刈り取るだろう。ひどく、遅くゆっくりとした一瞬を絶望と死への恐怖と共に嫌になるほど体験する。


 目を瞑る。さっきのバレレンと同じだ。なにも見ない。なにも聞かない。


 早く――もう、終わってしまおう。





 鉈が振り下ろされる。






 ――事はいつまで経っても無かった。




「――なにをしてるんですか?」


 絶望の中、暗闇の中、聞こえるはずの無い声がこの暗く闇に包まれた部屋に響く。

 鈴の鳴るような心地のいい、ずっと聴きたくて仕方なかった。そんな声だ。


 俺はゆっくりと目を開く。


 そこには、輝く様な金髪を赤いフードで覆い隠した少女、


「――なんで……」


 ――俺の命の恩人シャルル・アルベルトが立っていた。


「シャ、ルル……」


「リナさんに感謝してくださいよ」


 絞り出すような声で名を呼ぶ俺に、赤頭巾の少女は言う。


「屋敷中を走り回って私たちを呼んで回ってたんですから」


「は……?」


「ギルさん……! 遅くなってしまって……ごめん……なさい!」


  思わず情けない声をを漏らしてしまう。そんな俺の名を、今度はその少女でない誰かが呼んだ。


 呼ばれるまま、そちらに視線を向ける。すると激しく息を切らしたリナさんが見えた。本当に助けを呼んでくれたようだ。


「ギルさん……だ、大丈夫……ですか……?」


「あ、ああ……」


「『ああ』じゃないですよ。貴方もあの薬の影響がで出るでしょう」


「そうだ、そうだよ……! 薬だ……! お前らだってあの薬の影響で動けないはずなのにどうやって――!」


「解毒したんですよ」


「げ、解毒……?」


 あっけらかんと言い放つシャルルに俺はあんぐり口を開ける。そのだらしなく開いた口に、オブラートに包まれた粘土状の物体が放り込まれる。


「う……っ!」


「溶けると苦いですよ。早く飲み込んでください。それはかなり即効性が高いので数分で完全に解毒されます」


「なんでそんなことができるんだよ……お前は……」


「私、実はこういうものには詳しいんですよ。ですが材料がないので薬は貴方が飲んだものともう一つだけです」


「もう一つ……」


「はい。今は2つしかできなかったので、貴方と彼に――、」


 指を差し出したシャルルに従い、俺は無意識に視線をずらす。見れば、そこには仰向けになって呻いているバレレンと、それを成したであろう紳士服に身を包んだ男性が立っていた。

 てっきり二人だけだと思っていた。しかし、本当の助っ人はこの人と言ってしまっても過言では無いだろう。


 そこにいたのは、柔和な笑顔でこちらに手を伸ばしてくる《御者》クローズさんだ。


「ク、クローズさん!」


「体は、大丈夫ですかな? 後の事はこの老骨におまかせください……と言いたいところですが、情けない話、薬の効果がいささか強すぎました。それでも彼女のおかげで解毒はできています。――加勢をお願いできますか?」


「相変わらずかっこいい……本当に、なれるものなら貴方のようなかっこいい紳士になりたいです」


 手を取り言い終わらぬうちに立ち上がる。急速に冷え切っていた体が、心が――、氷解してゆく。


 全く、軽いものだ。たった数秒で俺の心はころころと変わってしまうのだから。

 まったく、本当に、本当に、


「もう一度言いますよ。なに諦めたような顔をしてるんですか?貴方は――私に恩返しをしてくれるんでしょう?」


 退屈しないな。ここは――、


「……任せとけよ。もういいってぐらいしてやる。全部まとめて、片付けたらすぐにでもな」


 だから、頑張れ。虚勢でも、その場凌ぎでもなんでもいい。戦う力となるものならば、この弱い自分を奮い立たせられるなら。それを糧に、格好をつけて立ち上がれ。


 ――もう、一人じゃ無い。



「さあ、もう一度だ」

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