第十一幕『黒幕の影』

 正直言って『もう一度』などと啖呵を切ったもののあまり状況は芳しくなかった。


 俺は一応動けはするが、怪我と少量とはいえ薬の影響で万全とは程遠い。シャルルやリナさんはさすがに戦えるとは思えない。

 唯一戦えるクローズさんも、解毒をしたとはいえ薬の影響でかなり弱っている。


 とは言え4対1だ。“数で言えば”圧倒的に有利。何より一人であれば既に心は折れていただろう。

“味方がいる”それ自体が何よりも心強かった。


「さあ、バレレン。形勢逆転だ。頼むから話を聞いてくれよ」


 だから、俺は大きく出る。怒りにわななく少年に状況を悲観させ、気持ちを少しでも冷静にさせるためだ。

 しかし、その方法ではもう一つ大きな反応を示す感情がある。


 ――怒りからくる激情だ。


「黙れ……黙れ黙れ黙れッ!!」


 激情に駆られ甲高い叫び声にも似た怒声を放つバレレンに後ずさる。額に冷や汗が浮かぶ。


 しかし、それも想定内だ。まず先決されるのはバレレンから情報を聞き出す事。そこから、なにか打開策を掴み取る。


「お前らはいつも……いつもそうだ! そうやって数や権力を振りかざしして力無いものの夢を希望を人生を踏みにじる!」


 ガリガリと、やわらかそうな栗色の髪を掻きむしって金切り声を上げるバレレンの言葉。


「そう……誰かに言われたのか?」


 その、明らかに彼のものでは無いであろう言葉に引っかかる。


「……っ!? う、うるさいッ!!!」


 明らかに過剰な反応。しかし違うとは言わない。

 つまり、バレレンに何かを吹き込んだ奴がいるということだ。


 そして、恐らく――


「そいつがこの騒動の黒幕か」


「――ッッ!!」


 バレレンの顔が苛立ちに歪む。 

 相当強く信頼している上で憎んでいるようなそんな矛盾した感情をバレレンの反応が色濃く示す。

 何を吹き込まれたのだろう。どんな関係なのだろう。


 ただ今分かるのは――、


 バレレンがそいつをかなり信頼していること。

 それなのに“あいつ”と、名前でも敬称でもなく、それどころか恨みすら込めて呼んでいること。

 そいつがバレレンの憎悪を膨れ上がらせるだけのなにかを吹き込んだであろうこと。

 そして、そいつは必ず見付け出さなければならない敵ということだ。


 分かったことは少ない。だが、この前進は大きい。

 まだ、もう少し話せばそれも望めるかもしれない。しかし、その時間はもうなさそうだった。


「ゔぅゔゔう……!! クレアァア!! ごめん、ごめんごめん――!!」


 充血した目を見開き、細い喉を掻き毟りながらバレレンが叫ぶ。その異様な反応に、全身が粟立つ。


「なんだよ、これ……これじゃあ、まるで洗脳じゃ無いか……っ」


 あの優しく、気の弱そうな少年を目の前の狂人に変えた何者かに戦慄する。この数日間で、何度も味わった感情だ。


「――ふざけるな……!」


 そして、同時に小さいながらに濃密で凶悪な憎悪が俺の心にも巣くっていた。

 それは、初めて抱く感情だった。


 ――しかし、それに俺はまだ気付かない。


 ふと、頭を掻き毟り続けていたバレレンの動きが止まり、その手が腰のポーチに向かう。

 そこから鮮やかな緑の半透明な液体が入った注射器を取り出す。


「ギ、ギルさん!クローズさん! はやく離れて!」


「――あ、ああ!!」


叫ぶリナさんに、驚愕によって真っ白になっていた意識を引き戻され、すぐさま俺は後ろに飛んだ。毒や薬に精通したバレレンだ。もしあれが即死系の毒なら、刺されれば最後だ。


 ――しかし、気付くのが遅すぎた。


 バレレンはその細い針を深々と刺し込み、ピストンを押し込んで液体を一気に注入する。




 ――自分の首に。


「え……?」


「な、なにやって――!!」


 その予期せぬ状況に停止した思考を、俺は全力で回転させ考える。

 頰を伝う冷たい冷や汗が、ポタリと床に垂れる。


「ギルさん……! あ、あれは――!?」


「……わからない!!」


 なんだ?あれは……? 精神安定剤? それともまた別のもの? まさか自害用? だが、なんのために……?


 必死で考える俺をあざ笑うように、頭の中でぐるぐると回る疑問符は、


「うぐぁぁぁぁぁあぁぁぁああああああああッッ!!!」


 ――しかし、目の前の光景を見たことで一気に消滅した。



 苦痛に叫びをあげるバレレンの体が、緩やかに赤黒く変色する。体は強張って反り返り、筋肉や血管の形が浮き彫りになる。


 苦悶の表情を浮かべるバレレンと目があう。その表情は数秒の巡回を経て――頰が吊り上がった凶悪な笑みに変貌する。


 次の瞬間、バレレンの姿が消えた。


 いや、正確には消えたのではなく一気に体制を限界まで下げたのだ。

 人間の目は構造的に激しい上下の動きには対応しきれない。それによって、俺の目にはバレレンが消えたように見えたのだ。


 そこからバレレンは滑るように一気に俺との距離を詰め胸の中心あたりに掌底を叩き込む。

 驚くことにその威力は体が天井に叩きつけられる程だった。


「――ごあっ!?」


 更に、落下してくるのをバレレンに片手で受け止められ、俺はそのまま力任せに投げられる。

 視界が一気に加速し、机の上を跳ねるように吹き飛んで食器棚を盛大に破壊しやっと止まる。


「いっ、てぇ……!」


 特に痛む背中と左の腿の痛みに耐えながら、俺は己の体を検分する。幸い折れてはいないようだ。

 手首や足首も痛みを度外視すれば動く。まだ動ける。


 だが、バレレンの異常な力、スピード、体の様子、多分間違いない。――あれは、ドーピングだ。


「早く……早くしないと……!」


 きっとあの体の異様な変化や身体能力の爆発的な底上げからして、恐らくあれは長く持たない。

 無理をすればバレレンは心と体を完全に壊してしまうだろう。


 その事実に思い至り、焦りながら身を起こそうとする。が、体がうまく動かない。


「無事ですか!!」


「ギルさん!!」


「だ、大丈夫ですか!?」


 三者三様の心配する声が聞こえる。尋常じゃ無い吹き飛び方をした俺を案じてだろう。

 その行為に報いるべく机に掴まって体を起こし手を振る。安堵の表情を浮かべる仲間たちに、こちらも安堵を得られた。


 そんな束の間の安息を打ち破るかのようにバレレンが動き出し、次は老紳士におそいかかる。

 距離を詰めると大振りで拳を突き出し、足元をすくう様な蹴りを放ち、鉈を振るう。クローズさんはそれを最小限の動作で避けると、カウンターで拳を眉間に叩き込む。


「シッ――!!」


「ぐぅっ……!!」


 その洗練された動きや構えからは明らかに御者の職業から逸脱しているそれが見受けられる。本当にこの人は一体何者なのだろう。

 しかし、すんでの所でバレレンもそれを避ける。どうやら動体視力も底上げされているらしい。


「アァッ!!」


 カウンターの拳がクローズさんの胸辺りを襲う。とっさに構えたクローズさんの体が、威力に負けて壁際まで吹き飛んだ。


「ぐぅ……っ、ギルさん、今ですッ!」


 だが、それはわざと受けた拳だ。俺はその言葉を聞くと同時に、壁に叩きつけられながらもその膝を地につけないクローズさんと交代するように飛び出る。


 右腕を思い切り引き絞り走り込んでいくが、素人丸出しのそれを避けるまでも無いと判断したのかバレレンは避けようともせずけりの予備動作に入る。


 だが、拳はフェイントだ。俺は蹴りを繰り出すため片足立ちになったバレレンの足を蹴りはらう。不意打ちに加え、バランスの悪かったバレレンはグラつく。

 本当は倒れると思っていたのだが、そうそう簡単にはやられてはくれないらしい。


「ァァアッ!!!」


 だが、そのバレレンの顔面に再び入れ替わったクローズさんが拳を叩き込む。

 ただでさえ足を蹴られて体勢が悪かったのだ。次こそバレレンが吹っ飛ぶ。


「ぐぅぅ……ッ!!」


「まじかよ!?」


 そのまま少しの距離を転がったバレレンは、すぐに体勢を立て直し、俺たちに休む暇すら与えない。

 そこから地を蹴り、一気に距離を詰めてきたバレレンが俺の喉元を鉈で狙うが、それが俺の首を切り裂く寸前、クローズさんが俺の襟首を引いてくれた。


 しかし、それでも避けきれず、切り裂かれた頰に血が伝う。


 だが、鉈を振り切って隙だらけのバレレンにクローズさんが蹴りを叩き込む。


「ぐっ……!!」


 再度吹っ飛ぶバレレンは、しかし倒れず代わりに靴底を焦がした。

 全く衰えない気力と殺意をたたえた瞳でギロリとこちらを睨みつけるバレレンに冷や汗が浮かぶ。


「全く、恐ろしい限りですな」


「ハッ……よく言いますね。僕は貴方の方がよっぽど怖いですよ」


 とはいえ、その純粋な脅威は人狼ほどでは無い。それに、クローズさんの技量が予想以上に桁外れだ。

 これならバレレンを止められるかもしれない。いいや、いける。いけるはずだ。


 クローズさんに導かれながら防御と攻撃を繰り返し、体の不調とドーピングによる地力の差を埋める。

 そして、それは成功しある種の一方的とも呼べる攻防が続いていた。


「これなら、いける――!」


 勝利を目前とし、うっすらと見えた希望の光――それが突然、途絶え。俺の背筋を舐めるような悪寒が走る。


 時間が急速に停滞するような感覚。頭が情報に埋め尽くされ思考が止まりそうになる。心に宿っていた希望が一気に不安に支配されていく。


 なんだ、この感覚は。嫌な予感、既視感、デシャヴ。どれも違う。

 これはまるで、これから起こることの予知――?


「あれ……?」


 考えがまとまりだすと、途端体から力が抜ける。視界が一気に収縮しぼやける。強烈な嘔吐感せり上がり、息が荒く不規則になってゆく。


 原因はなんとなく分かる。分かってしまう。先とはまた別の要因。


「――シッ!!」


 俺に近づいてくるバレレンにクローズさんが小さく鋭い掛け声とともに拳を放つ。

 しかし、明らかに疲労と薬の影響で動きの鈍った彼単体では薬を投与をしたバレレンには当たらない。


「ぐぅ……っ!?」


 紙一重で避けられ回し蹴りを叩き込まれたクローズさんの体が突風に吹かれた様に吹き飛ぶ。壁に激突しうな垂れて動かなくなる。


「クローズ、さんッ……!!」


 叫ぶが、返事は無い。これは本格的にまずくなってきた。俺は、バレレンに向き直る


 そうか、こいつはこれを待っていたのか。


 それにこの嘔吐感や全身に回る激痛――。


「――また、かよ……っ!」


「当たりです。ギルさん」


 今度は、意外なほど静かに応じる。その目には蔑視と、喜びと――悲しみが浮かんでいた。


 だが、何故そんな目をする?そんな疑問とは裏腹に俺の口は分析した状況を淡々と垂れ流す。


「鉈に……毒を塗ってたのか……」


「はい……それに、今度は本当に“毒”です。貴方は、治療をしなければ半日も持たない」


 そう言って、鉈を高く振りかぶる。


「でも、貴方の息の根は今から止まる」


 今度こそ振り下ろされる鉈。これこそさっきと同じだ。デシャヴどころでは無い。そして同様に、俺に為す術は無い。もう助けも来ない。

 だが、目は閉じない。諦めない。


「ギルさんッ!!」


 金髪の少女の、裏返った悲鳴が聞こえた。


 それと同時に、俺の決意とは裏腹に視界が陰で覆われ何も見えなくなった。瞬間、あの凶悪な武器が肉に食い込み筋繊維を切り裂く音がする。決定的で、致命的な破壊音がした。筈なのに――、



 ――痛く無い。



 『何だ?』


 分かるだろう。


 『何が?』


 さっきと同じだ。


 『何が……?』


 本当は、分かってるんだろう?


『また、助けられたんだよ。』


 目を開けば、そこには赤く染まった紳士服に身を包んだ、白髪の紳士が俺に覆い被さるように立っていた。


「あ……ああ、ああああッッ!!」


 俺は、自分の無力さと行いを呪いながら声を上げる。それを成した人物への、無理解を声にする。


「なんで……! なんでだよッ!」


「さ、さあ……なんでで、しょうね。気がついた時には、体が……動いていました。――それ、に……前途ある若者に……未来を託すためッ……老ぼれが、犠牲になるなど……至極当たり前の、ことの筈です……」


 優しい笑みを浮かべ、途切れ途切れにいつものような自虐を口にするクローズさんを驚愕と困惑をもって見つめる。


「そんなの……そんなものは、違うだろっ!!」


 訳が分からない。なぜ出会って間もない俺なんかを身を挺して助ける必要がある?命を賭けるほどの情が湧くほど、過ごしてなんていない筈なのに。

 うまくまとまらない言葉を涙とともに吐き出す。


「は、ははは……私のために、泣いて下さるか。」


「泣くよッ……泣くに決まってるだろッッ!!」


 涙が頬を伝い服を濡らす。だめだ。死なないでくれ。誰も死なないでくれ。


「ありがとう……ございます……では、最後に……後は……任せました……」


「どうかリナを……私の娘を、助けてやって下さい……」


 ドサリと――、


 俺の想いを裏切るように。最後にとんでもない事を言って俺の横に倒れこむ。


 今のは、きっと彼が守り続けてきた秘密だろう。それを打ち明けるということは、彼は自らの死を受け入れ生を諦めているという事だ。


 クローズさんの背中には深い傷が刻まれている。おびただしい出血だ。早く止血しなくてはならない。このままでは死んでしまう。


 ――しかし俺は、なにも失いたく無い。


「だから……」


 俺は全身の力を掻き集め立ち上がる。立ち上がらねばならない。助けけると決めたのだから。


 何度も何度も助けられたのだから。曲がりなりにも任せられたのだから。

 

 守るなんて事は出来ないかもしれない。だが、せいぜい争わせてもらおう。


「クローズさん……死んでほしくないのは貴方もだ。俺は、誰も失いたくないんです」


 きっともうあと少ししか動けない。だから全てを賭けて。全てを掴み取るために――俺はバレレンに向き直る。


「シャルル、リナさん……クローズさんを頼む」


「はい……」


「――任せてください」


 策もない。武器もない。力もない。……だが、まだ切り札がある。

 だからまだ諦めない。このくらいじゃ折れやしない。――みっともなく全力で生き足掻く。


「絶対に助けてやるッ……!」


 足掻いて、足掻いて、足掻き続けた先に、求める結末がある事を願って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る