第九幕『求愛者』
これは、毒か……? しかし、それなら一体どこで?
まさか、昼食――、
しかし、ここに来てから唯一皆が口にした昼食を作ったのは、リナさんのはずだ。
それに、彼女は薬の影響はなかった。まさか協力していたのか?
いや、違う。それを手伝うメリットがリナさんにはない。
なら――、
「お前が”ここ”の物に何か細工しやがったのか――?」
「正解ですよ、ギルさん。うん、あなたはやっぱり頭がいい……」
そんな事はないだろう。誰だって少し考えれば気付く事だ。
大方何か調味料の中に混ぜておいたりしたのだろう。どんな料理だとしても何かには使う確率の高い塩などいくらでも方法はある。
「この毒は、死ぬのか?」
「いいえ、安心してください。死にはしません。それは風邪に似た症状を引き起こすだけの薬なんです。発熱、寒気、だるさ、とかね。まあ、咳はなかなか出来なくて諦めましたけどね」
半分独り言の様なバレレンの言葉を聞いて、俺は密かに納得していた。
なるほど、ならば屋敷の人々は今風邪の症状に苦しんでいるわけだ。俺は少ししか食べていないから少しの発熱くらいだが皆は大丈夫なんだろうか。
「どこで……こんなものを……?」
「僕が作ったんです――凄いでしょう?」
「つ、作った……?」
「……あの人にも、あなたには話せと言われていましたしね。僕は約束は、守ります」
「約束……?」
「そちらは生憎話せませんが、僕の過去話なんかは話せますよ?まあ、話すなと言われても話すんですけど」
「なんで……だよ?」
「それは、約束だからです」
「…………」
先程まで殺したいほど憎んでいたであろう相手と普通に会話をし、更には自らの過去までも打ち明けてしまおうとする彼の不安定さ。それに俺は、背中に冷たい氷を這わされた様な錯覚を覚える。
しかし、そんな俺の内心にも気づきもせず、バレレンは淡々と話し出す。
時間を稼がなくてはいけない俺としては嬉しい限りだ。いや、皆風邪の症状に苦しんでいるということは今動けるのは食べていない俺とリナさんだけになるから助けは期待できないか。
しかし、それとは別に彼の過去にも興味があった。
「僕には、歳が3つ下の妹がいましてね。長年女の子が欲しかったらしい母親の妹に対する愛情は強いもので、僕は常に寂しさを感じていました。
だけど、そんな母も僕が風邪をひいた時には優しく看病してくれたんです。
その優しさが……暖かさが忘れられなかった僕は――あろう事か風邪をひこうとしたんです。
冬に水をかぶったり頭を濡らして寝たり……はは、今考えれば馬鹿な話ですよ」
そこまで話して彼は息をつく。すると一瞬だが眉間にシワがよりまるで泣き出しそうな表情になった。
だが、すぐにそれは色彩のない無表情に戻ってしまう。
「そして、ある日偶然僕は村長の家で古い医学書を見つけました。
そこには数々の薬草を細かに説明する文とその調合方法が書いてあったんです。……僕はそれこそ必死でそれらを読み漁りましたよ。それで、一年かけてやっとこれを完成させたんです」
そうしてそんな無意味にも思える悲しい少年の努力は実を結んだ。
一年という、あまりにも短い歳月で望み通りの薬を作り出してしまうほどに、彼は愛を渇望していたのだろうか。
「だが、その時に丁度蔓延していた伝染病に妹がかかってしまった。不治の病です。……そんなもの相手に風邪なんて引いたところで――相手になんてされない。僕の努力は無駄に終わったんです」
少年は『だけど』と、そう続ける。痛ましげに、苦しげに、独白を続ける。
「この話はそれだけじゃ終わらないんです。――それだけで終わっていてくれたなら、それでよかったんですけどね。
その不治の病は風邪に症状が似ていまして、ちょうどその頃僕の作っていた薬が村人に知られてしまったんです……」
そこからの展開は予想はできた。
しかし、俺は乾いた笑を漏らす彼の話を、黙って聞く。
それは知識欲や好奇心といった類のものでは断じてない。だが、それが――その沈黙の理由が何かは俺にも分からない。
彼の悲痛な過去への同情や憐れみか、それを巻き起こした全ての要因への憤りか……もしかするとそれは、ただただ悲しい結末への絶句だったのかもしれない。
俺にはそれがわからなかった。――彼の気持ちすら、もわからなかった。
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少年は叫ぶ。その言葉を聞いて、それを理解して貰える事を信じて。信じてもらえると願って。
「皆、信じてくれよ!! ぼ、僕はそんなもの作ってなんていない! それは、ただの風邪の症状を引き起こすだけの薬なんだよ!!」
「じゃあ、お前の妹のクレアの症状はどう説明するんだ!? あれはお前の作った薬の効果そのものじゃないか!!」
必死に、懸命に訴えかける真摯な言葉を遮るその金切り声に、バレレンは思わず顔を顰める。
彼らは疫病の恐怖で冷静さを失っているのだ。それに、もしバレレンの薬であれば治療方法が見つかる。――だからそう信じたいのだろう。
「ハッ……大方母の愛が妹に向けられていた事に嫉妬したんだろう!? 浅ましい餓鬼だ!!」
「そ、そんな事ない!!」
その言葉は嘘偽りない信実だ。羨ましいとかは感じたが、恨んだり憎んだりした事なんて一度もなかった。
なのに――、
「そうにきまっているッ!!」
聞く耳を持たない人々の姿は幼いバレレンには本物のバケモノに見えていた。いや、実際そうだったのかもしれない。
むしろ、そちらの方が救われるというものだ。
それに少なくともそんな事で救われないのはわかっているのに、それでも尚まだ十四にも満たない幼い少年に全てを押し付け、己の精神の均衡を保とうとする醜悪な私利私欲の塊。それを幼き日のバレレンは人と形容する事はできなかった。
――このままではまずい。確実にこの疫病の原因にされる。
そんな恐怖と絶望に起因する心の寒さとは裏腹に、全身から汗が止めどなく吹き出していた。
じっとりとした絶望が足元からゆるゆると、しかし着実に這い上がってきている。
『どうしてくれる!!』
『死人が出ているのよ!?』
『悪いとは思わんのか!!』
『なんて事をしてくれたんだ!』
『お母さんを返して!!』
『よくも!!!よくも!!!』
ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ
『 お前のせいだ。』
暴論に真実が歪む。憎悪に視界が眩む。見える景色が端から白へ塗りつぶされ、一気に狭まっていく。
――もう、だめだ。
「そんな事ないよっ!!」
しかし、そんな村人による罵声の大合唱は、一人の少女の叫びにより止まる。先ほどとは打って変わり静寂に包まれた村人達。その視線の先には、苦痛に顔を歪めながらも毅然と立ち続ける幼い少女があった。
「――クレア………」
バレレンは、弱々しくこの場へ押し入った幼いながらにも、毅然とした凛々しい少女の名を――妹の名を口にする。
そして再び静寂は少女の声で打ち破られる。
「お兄ちゃんはそんな事しない!! それにその薬は本当に疫病とは違うの!!」
「し、しかしなぁ、クレア――その症状はどう考えても……」
「じゃあ私がお兄ちゃんを見ているわ。それでもし別の患者が出ればそれはお兄ちゃんのせいじゃないって証拠よね?」
「た、確かにそうだが……」
体面上心配している風だったクレアの思わぬ攻撃に、それを頭ごなしに否定できなくなって威勢のよかった男はごまつく。
「”そうだが”なに? 貴方達はただお兄ちゃんに罪を着せて気持ちを楽にしたいだ――ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ……!」
「クレア!! だ、大丈夫か!? む、無理しちゃだめだ……!」
「ありがとう、お兄ちゃん。でも……大丈夫だから。ね?」
困り顔で笑うクレアは、気丈に振る舞ってはいるが体はかなり限界に近い。
――そうだった。この優しくて強く、本当はか弱いこの少女を、自分は支えなければならないのだ。ならば、兄として疫病を蔓延させた犯人などにはなるわけにはいかない。
そう決意を固め、少年は地を踏み鳴らし声高らかに声を上げる。
「こ、この咳も証拠だ!僕の薬では咳は出ない!なんなら……実際患者を見て確かめてみればいいじゃないか!!」
「……わかったよ。三週間だ。三週間期間をくれてやる。その間に患者が出れば――その時は、ちゃんと謝罪する……」
そんな一言で理不尽この上ない条件ではあったが、なんとか危機は脱したようだ。
ぶつくさと文句を言いながら捌けていく村人たちを見送って、過ぎ去った恐怖の余韻にその場へへたり込み、訪れた安堵を噛み締める。
――だが、体は依然震えていた。
********************
それから二週間がたった。
――しかし、まだ患者は出ていない。
村人たちの白い目は自分だけでなくクレアにまで向けられる。
あそこまで啖呵を切ったのだ。グルだと疑われても仕方がない。今では最初の感染者でもないにクレアが感染源ではないかとまで言われ始めている。村人達も、それ程までに追い詰められ、正常な思考を失ってきているという事だろう。
家畜は感染病で死に絶え、畑は持ち主がいなくなった事で荒れ果て、魚はもはや取り尽くしてしまった。元から時給自足で暮らしていた小村だ。だが、あの時は貧しさの中にも協力と優しさと幸せがあった。
それが、今では食料の奪い合いで死傷者まで出る事もある始末だ。
「そう言えば……昨日の朝から何も食べてないな。」
そんな状況に目関わらず、被害は家にも及んだ。
窓が割られ、壁には『村から出て行け』の張り紙。食糧不足に金銭面も苦しく、村の援助すら絶たれ、憔悴しきった両親は見ていられなかった。
だからバレレンは、妹と共にこの村を出る事に決めた。今日の夜が決行の日だ。夜皆が眠りに着いた時を狙う。
「父さん……母さん……クレア……僕のせいで……ごめん」
笑う事も、話す事も、反応すらしなくなった両親と、最後まで自分を信じてくれた妹に、バレレンは1人謝り続ける。
元はと言えば、自分が馬鹿な理由で薬を作らなければ良かったのだから。
「――たられば、キリがないな。ダメだな。クレアに怒られたばかりなのに……」
見た目に特徴が出ないせいで分かりにくいけれど、本当は起きるのも辛いはずだ。それなのにあのしっかり者の妹は、頼りない兄を口うるさく叱ってくる。それが情けなくて、嬉しくて、バレレンは痛む胸を掴んだ。
だから、彼は村を出ようと決心した。そして病を治せる医者を探すのだ。いいや、薬の作り方だけでもいい。そうなれば、絶対に自分が作ってやるのだから。
そんな、明るくはなくても、確かに希望の見える未来を胸に抱いて、少年は潤む瞳を裾で拭った。
「……そういえばクレアが居ないな――」
そんな決意の最中に、ふと湧いた疑問。
それを口にする言葉尻に合わせたかの様に、大音を立てて玄関のドアが蹴破られた。
「なっ!? な、何が!?」
ぞろぞろと、困惑に喘ぐバレレンを無視し、何人かの男たちが部屋になだれ込んでくる。
困惑のまま、抵抗する間もなく、無理矢理に硬い地面に押さえつけられ、あっという間に肌に刺さるささくれだらけの麻縄で縛り上げられた。
「――ッ!! なんだよ!? お前らぁ!!」
男達は答えない。ただ、虚ろな瞳で何かブツブツとつぶやいている。『これで救われる。』だの『やっと終わる。』だの、訳がわからない。
ああ――聞きたくない。
村人たちの焦燥と狂気は、幼い少年の想像を、遥かに超えていた。
そして膨れ上がった憎悪は、小さな希望にまで牙をむく。
引きずられるように連れてこられたのは、迷いの森と称される自殺の名所。そこの一角に位置する大きな滝に繋がる橋だ。
「……っづあ゛!? このガキッ!!」
目的地への到着に緩んだ男達の手を振りほどき、なんとか逃れて地面に転がる。そして、横倒しになりながらバレレンは叫んだ。
「なんだよ! まだ期限は一週間あるじゃないか!! 約束が……約束が違うじゃないかよッ!!」
「黙れ。もう充分だ……貴様らは今日をもって処分する」
人を物みたいに称するその言い草は、吐き気がする様な異常性を孕んでいたが、今はそれよりもその言葉の内容が気になった。
そうだ。貴様“ら”?それはおかしいだろう。だって、ここにいるのはバレレン1人で……それでは、それではまるで――、
「ク、レア……クレアはどこだ……?」
「ああ、あの病原体か……あっちは――今頃もう処分が済んでいるんじゃないか?ふん……安心しろ。お前もすぐそっちに送ってやる」
「えっ、え? い、いや、なに言って……あいつは?あい……あいつは!?クレアは――!!」
「もういい、喋るな」
村人の一人が悲痛に叫びを上げる少年の腹を蹴りつける。
後ろ手に縛られていてそれを防げないバレレンは、当然為す術なく腹を蹴られる。全く容赦のない一撃に、内臓が破裂してしまった様な錯覚を覚えた。
「ゔっ……おぇぇえ!!」
胃を蹴り上げる圧迫感は少年に痛みに悶える選択肢しか与えない。
そして、それによって発生した圧倒的な嘔吐感に、バレレンは思うさまに吐瀉物を撒き散らす。
だが、今の彼には、そんな事は些細な事に過ぎなかった。
――嘘だ。クレアが、死んだ?
何か大きなものが抜け落ち欠けてしまったような、空虚な虚無感が全身をくまなく包み込む。
失った温もりの代わりに瞳から熱い液体がとめどなく溢れる。
それでも尚、一人に続いて憎悪のまま次々と俺を痛めつける村人達。
このまま殴り殺す気だろうか。
そんな物騒な思考に、それでもいいかもしれないと諦める自分がいる事すら、彼にはどうでもよくなってしまっていた。それ程までに、妹という存在はバレレンを支えていたのだ。
「――待ってッ!!」
しかし、それを誰かが静止する。
どこかで聞き覚えのあるその声に、1人の少女を思い起こしながら、それをした人物を見るため痛み軋む体を押して視線を向ける。
そして、その姿を目にして自然と安堵の声が漏れる。
「父さん……母さん……!」
思い描いた人物とは違ったが……そうか、家に入ったという事は当然両親にも気づかれているのだ。
ああ、よかった。これでクレアや自分も助けて――、
「処分だろ……なら、早くやってくれよ」
「……は?」
両親の顔は憔悴しきっていてまともな判断なんてできるようには見えない。いや、それにしても少し様子が変だ。
だが、それもやはり今の彼には気になりさえしなかった。
どうせ叶わぬ夢ならば、少しも見せずにいてくれれば良かったものを――、
助けなんていない。
助けなんてこない。
彼にとって世界の全てだった村も、唯一の救いであるクレアも、家族すらもいなくなってしまった。なら、この世にすがる意味がない。
ならば自ら死を選ぼう。こんな奴らに、こんなバケモノ達に殺されるのだけはごめんだ。
――幸い周りには誰もいない。
バレレンはふらふらと立ち上がり橋から飛び降りる。
狭い吊り橋だ。横に少し歩くだけで落下する。すると、後ろから何か叫び声が聞こえた。
――しかし、それは彼の耳には届かない。
落ちていく。落ちていく。
そしてクレアに会いに行く。
視界は、深い闇に染まった。
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「――でも、僕は生き残ったんだ。そして……それを助けてくれたのがリナなんなんだ。でも、きっと彼女は覚えてないだろう。何年も前の話で……だいぶその時から僕は変わってしまったから。
でも、それは事実で、僕は彼女に恩返しをするために、これまで死ぬのを我慢して生きてきたんだ」
次は必ず――彼女だけは守るんだ。
「邪魔する奴は全員殺してでも」
そこまで話してバレレンは少し落ち着いたようだ。俺は正直その壮絶な過去に絶句することしかできなかった。
しかし同時に、それ以上に衝撃の事実に思い至る。
そして、それはバレレンを絶望から救い出すための糸口になりうる事実だ。
「お前の妹……クレアっていったか?」
「え……?はい、確かにそうですけど、それが一体――」
困惑に揺れる双眼をハッキリと見据えて、俺は言い切った。
「なら……お前の妹は、まだ生きてる」
決定的な、一言を――。
「――え?」
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