第二幕『赤頭巾の少女』

 気付くと、俺は独り鮮やかな赤色の花々が地面を埋め尽くす広大な花畑に立っていた。華美で鮮やかな花の群れは、いつまで見ていても飽きないほどに美しい。

 ただ、その全てが網膜に焼きつくほど鮮烈な赤一色という違和感だけが、俺がその風景に没頭することを妨げていた。


 だが、そんな違和感が明確な形を持った疑問へと変わるより先に、世界の方が変化を見せる。

 吹き荒れる風が咲き乱れる花びらを飛ばしたのだ。


 吹き上げる風に舞い上がった花びらは、しかし吹き飛ばされることはなく、まるで意志を持っているかのように俺を囲む。綿密に、少しの余白も残さず真っ白だった世界を塗り替えていく。

 気がつけば、大地も空も赤く染まっていた。


「……?」


 ふと、目が眩む様な真紅の中、唯一別色の存在である白い靄が、今にも掻き消えそうな儚さで漂っているのに気が付いた。どうやら人の形をしているようだ。

 だけど、それはどこか虚ろで、手を伸ばさなくてはどこかに行ってしまいそうで、掴まなくては消えてしまいそうだった。


 ――だから、俺は手を伸ばす。


 ひどく、焦る心に反してゆっくり動き出す手は虚しく空を搔く。


 届かない。あと一歩で、届かない。


 白い靄は小さく囁く。


「……さい、ご………い、ご……なさ…、…………い」


 何か言っている。――なのに、聞き取れない。なぜか、聞きたくない。その言葉を聞いて仕舞えば、俺がやったことの意味が、理由が、すべて崩れてしまうのだから。


「も……ちど……………なん…でも………でも……」


 ひどく悲しい気持ちになった。

 ひどく虚しい気持ちになった。


 そして、意識は覚醒する。


*******************



「うわぁぁあああっ!!」

「わあぁぁあああっ!!」


 突然叫び声を上げ起き上がった俺に不意を突かれ、隣に座っていた人物が悲鳴をあげる。


「君、は……誰だ?」


「――その台詞そのまま貴方に返しますよ。一体なにがあったんですか? 流木に引っかかっていたから助けられたものの……」


 起き上がるなりすぐさま口をついて出た質問に、先ほどの悲鳴は嘘のように少女は平静を取り戻し、更に呆れた表情を作って応じる。


 しかし、それもそうだ。人に名前を聞くときはまず自分からというではないか。親しき中にも礼儀あり。そうでないなら尚のこと、だ。他人の事は知らないし、とやかく言うつもりもないが、少なくとも俺はそう教わった。


「えっと、俺の名前は……」


「それより体、大丈夫なんですか?」


 聞いといてそりゃないだろ。と内心毒づきながら冷静になって先程彼女の言った台詞を吟味する。

 そして、内容を理解し始めたところで少女が指差す先に視線を移すとそこにはだらりと力なく垂れ下がる自分の右腕があった。


「――ッッ! いっってぇぇえええ!」


 そうだ、あの化け物に襲われてそれでこんなことになっているのだ。ならばその時に負った傷も当然健在だろう。そんな不要な理解と共に驚きと混乱によって一時的に忘れ去られていた痛みがまとめて帰ってくる。


「ぐぅ、あ……! い、痛い痛い痛い……っ!!」


「えっと、ちょっと痛いですけど我慢してくださいね」


 少女はのたうち回る俺の右腕を器用に持ち、何やら不穏なことを囁いた。

 次の瞬間、ゴキリという生々しくも軽快な音が俺の右肩から鳴り響き、すぐさま痛烈な痛みが全身を駆け抜け涙目になって叫ぶ。


「あぁぁぁあああッッ!?」


 ひたすら絶叫する俺。何度目の絶叫だろうか。だが、声を出せば痛みは和らぐのだ。だから、これは堪え性がないという訳ではなく、ただ有効な手段を取っているだけだ。と、意味がないのを承知の上で言い訳をさせてもらう。


 それはそうと、右腕は痛みこそあれ少しは動くようになっていた。どうやら脱臼していたようだ。


「これは痛み止めの薬草です」


 そう言って渡された草をそのまま口で咥え、涙目になりながら再び硬い地面に突っ伏す。


 そうして落ち着いて周りを見てみれば、俺は滝の横にある岩陰で、布だけで出来た簡単な寝床のようなところに寝転がっているようだ。

 上に着ていたジャケットとシャツは岩に貼り付けるように干してありズボンは相変わらず濡て体に張り付いていた。


 しかし、右側にある焚き火のおかげであまり寒さは感じない。

 渋い苦味のある大きめの葉を咀嚼し今度は自分の体へ視線を滑らせる。どうやら右肩以外は治療が済んでいるようだった。出血していた箇所を先に直していてくれたらしい。


 最後に俺を助けてくれた少女へ視線を向ける。見た目は俺とあまり年齢の差はないように見えた。

肩に掛かるか掛からないかくらいの艶やかで細い金髪。大きな瞳の色は澄んだ碧色。

 そして、整った顔立ちと綺麗な髪を隠し覆うように羽織った赤い頭巾。まるで童話の赤ずきんのようだ。


「なんなら肩をはめてくれるまで気絶しとけばな……――ともあれ、ありがとう。助かったよ。えっと、君は……?」


 そう言えばこれは二度目の質問になってしまった。その上、もう名乗るのを忘れている俺は相当記憶力がないらしい。

 だが、少女の方も忘れてしまったのか、面倒になったのか、それは定かではないが、先ほどの様な悪態はつかず素直に答える。


「私は、シャルル・アルベルトです。えっと……この下流の街で花屋をやっています」


「へ、へぇ…そっか」


 自分から聞いておいて返しがひどすぎる気もしたが(あまり女性との会話は慣れていないのだ)彼女――アルベルトは文句よりも質問を選んだようだった。


「あなたは?」


「俺は、ギル・ルーズだ。ギルって呼んでくれ。職業は木こり――人呼んで森の番人だ」


「なんで言直すんですか……へぇ、でも番人なんて言う割にはずいぶんみすぼらしい格好をしていますね」


「………」


 命の恩人にこれ以上心配はさせまいと、なるべく元気に振る舞うが、肝心の本人に全く伝わらない。強張る笑顔を向ける俺に、彼女の反応は冷たいものだ。

 初対面の相手に随分と手厳しい少女だった。しかしまあ、言い返せるような格好でもないので黙っておく。


「何はともあれ、助かったよ。改めて礼を言わせてくれ」


「別にいいですよ。大した事はしてませんから。……それじゃ、私は急ぎますので」


 そう彼女は早口に捲し立て、それすらも言い終わらない内に立ち上がり荷物を重そうに持ってさっさと行ってしまう。

 何か急ぎの用があるのだろうか。


 だが、これで返してしまっていいのだろうか――命の恩人を?


「ま、まってくれ! その荷物俺が持つよ! せめてもの恩返しだ」


 こんな事、ただの迷惑かもしれない。いや、それどころかいらないお節介だ。

 でも、それでも俺はその時ここで彼女を一人で行かせてはいけないと思った。本能では無い別の何かが、そうしろと叫んでいる。


 その理由は、分からないが――、


「恩って……」


「そう、恩だ! 君は俺の命の恩人なんだよ! だから、恩返しをさせてくれ!」


「……その体でですか?」


「そこは任せろ。君の治療のおかげでもうどこも痛くない!」


 軋む肩をぐるぐる回し、痛む身体でピョンピョン飛び跳ねて見せる。正直強がりもいいところだったが、とにかく何かしたかったのだ。


「はあ、言っても無駄みたいですね……わかりました。ちょうど肩が痛くなっていたところです。お願いします」


 嫌々では無いが、どこか投げやりに差し出された茶色のバッグを受け取り、肩に掛ける。それを見届けると、何故か彼女は頭巾を引っ張って顔を隠した。

 思わぬ反応を不思議に思いながらも歩き出した俺の後から、気鬱と喜びを混ぜた様な微笑を浮かべた少女がついて来た。


 ただ、荷物は思ったよりも軽かった。

 別段俺が持つまでもないくらいに――、



********************



 威勢良く荷物を奪い取り意気揚々と先陣を切った俺だが、よく考えてみれば目的地を知らない。なので今は仕方なく、冷たい視線を送る少女の後にセコセコついて行っている。

 だが、それも仕方ないと言わせてもらいたい。なんせ彼女の選んだ道は百歩譲っても半分獣道なのだ。

 草が生えていないか、生えているかの違いでしか判別できないその道は、ところどころから背の高い草花がつきだしている。

 そんな雑多な獣道らしきものを30分ほど歩いた後、突然目の前のアルベルトが立ち止まった。


「どうし――おお……」


 いきなり立ち止り、それっきり黙りこくった彼女の行動に違和感を覚え声を上げるが、その視線を辿った先の光景に合点がいった。

 今、俺と彼女の目の前には屋敷がある。灰色の石で地盤を固めその上にコゲ茶色に変色した木造建築のまさに洋館といった感の建物が乗っかっているような感じだ。

 所々は剥がれ、欠け、ツタがはっている廃城の様な有様だが、が不思議と威厳というか悠然とした雰囲気を漂わせていた。

 前に広がる庭もそこらの公園よりも一回りほど広い。広大な花壇や空を支える柱の様な噴水の群れ、その周りにポツポツと置かれたベンチにテーブル――まさに庭園といった感じだ。


 そんな館を見ていると、周り暗くなっているのに気が付いた。


「ん? なんだ……?」


 怪訝に呟きながら空を見上げれば、あれ程まで雲ひとつなかった青空に黒々とした無数の雲がその快晴を塗り潰して広がっている。

 それを見た俺はある予感と共に顔を顰める。


「これは雨が……」


「――降るな」


 俺よりも先に思わず呟いたシャルルの言葉の最後を取り、忌々しげに放った一言を合図にする様に、『……ポツ…ポツ…ポツポツ』といった具合に早まる雨音に比例し地に落ちる水滴が地面の色を暗くしていく。


 少しひねった蛇口から溢れる水くらいだった小雨はあっという間にバケツをひっくり返したような豪雨となって降り注ぐ。

 雨を遮るものを探し走り出した頃には遠くの景色が霧がかったように見えなくなるほどの雨量となっていたほどだ。

 俺はそれから身を隠すように館に駆け込もうと濡れそばった庭を駆ける。


「アルベルト!! 一旦雨宿りしよう! 荷物が濡れるぞ!!」


「え……は、はい……そうしましょう」


 なぜか乗り気じゃないアルベルトも後を追って館に向かう。俺は玄関前の屋根に身を隠し、体についた水を払う。しかし、一向に水滴の無くならない服に、横殴りに振り付ける雨がこの屋根では防げていないことに気付く。

 右往左往した後、ほかに方法は無いと意を決してドアを叩く。


「す、すいません! 雨宿りをさせてくれませんか!?」


「あっ、ギルさ――」


「どうぞ」


 ドアを叩き叫ぶ俺に意外なほどすぐ帰ってきた返事に驚き、そしてそれ以上に感謝しつつ、やけにデカく重たいドアを押し開け中に入る。途中、アルベルトが何か言った様な気がしたが、そちらを見ても俯いたままの赤い頭巾しか映らなかった。


 ――中にはには6人の男女がいた。


 何故かは分からない。しかし、確実に嫌な予感がしていた。引き返せ。今すぐ逃げろ。そう本能が警鐘を鳴らす。しかし、再び本能とは別の無意識が、そのまま進めと言っている。


「お邪魔……します」


「ええ、ようこそ」


 それは決して救いへ導いているのではなく。どころかその逆に思えた。


 そして、その予感は当たることになる。



 俺にとって、最悪の形で――。

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