序幕『断罪という名の救済』
白い靄のかかった様な曖昧な視界と水の中にいる様にこもった聴覚は世界は、現実を認識することを拒んでいる。
体の方はどうやら芯から冷え切っている様で、思い通りに動かないどころか頭痛と耳鳴りがひどく意識を保っているのさえやっとだ。
そんな曖昧な世界に自分以外の存在を認識したのは、意識の覚醒からからかなり経ってからの事だった。ぼやけたそれは、どうやらの転がっているこちらを上から覗き込んでいる少女らしい。
その少女は、鮮やかな金髪を隠すように目深に赤い頭巾を被り、青い瞳を爛々と輝かせる少女――、
「――じゃない、よな……」
心臓を銀の弾丸で撃ち抜かれ、暖かい鮮血に塗れて冷たくなった彼女を――その冷たさと暖かさを、俺の手はまだ未練がましく憶えている。
そうだ、彼女は死んだのだ。無残に、無情に、その命を散らした。
いや――、
「――違ぇ、だろ……てめぇが殺したんじゃねぇか」
自らを嘲るため呟いたその声は、ひどく掠れていて、まるで自分の声ではない様だった。暗い感情の奔流の矛先は己へ向き、自ら放った言葉に傷だらけの心を抉られる。傷だらけで穴だらけの、見る影もない血まみれの心。
それがどうしてかひどく滑稽で、ひどく愉快で、くつくつと喉の鳴る君の悪い笑がこみ上げる。
どうやら、俺も大分“あちら側”へ染まってきた様だ。いや、これは今も着々と俺を蝕むこの得体の知れない『何か』のせいだろうか。
いや、まて。それなら、今そこにいるのは誰だ……?
「ギルさん……大丈夫、ですか……?」
「――え?」
そう考えて、改めて開いた視界に映った人物に、俺は目を奪われた。
「リ、リナさん……!? 本当に生きて……?」
「はい……この通りなんとか生きてしまっています」
「――いや……でも! シャルルは君が乗った馬車が爆発し燃え上がるのを見たって言った筈だ……それなのにどうして君は……?」
そうだ。屋敷を出る時、リナさんは馬車に乗り込んだ。そこでマルコスの策略により彼女は天を焦がす様な業火に焼かれた――筈だ。
だが、目の前にいる彼女は服装こそ変わっているが、正真正銘の彼女だ。ついでに言えば傷一つない。
「まさか、それもシャルルの嘘か……?」
「――いいえ、流石に予想外でした。私はあの爆破に巻き込まれましたし、実際に生き延びてはいませんよ。私は、あの時確かに死んでいます。ついでに言えば即死だったので痛みはあまり感じませんでした」
「…………は?」
まるで、当然の事のようにあり得ないことを言う彼女に、俺はただ『何を言っているんだろう』と思う。
なら、今目の前にいる彼女はなんなのだろう。まさか幽霊とでもいうのだろうか。
冗談だというならば笑えない。――冗談でなければ尚笑えないが。
「何を……一体どういう事なんだ?」
「ああ……すいません。唐突すぎましたね。やっぱり今の貴方は何も知らないんですね。――ですが覚悟してください。これからするお話はもっと突飛押しもない事ですよ」
「だ、だからなにを――!」
煮え切らない言い方に苛立ちを覚え、聞き方が乱雑になってしまいそうになって口籠る。そんな俺を、なぜかまた懐かしむように見て、彼女は意を決するように口を開く。
「まず……アンチェンタについて話さなくてはいけませんね」
「アンチェンタ……?」
「はい。彼女の詳しい生い立ちはまた本人に聞いてください。今は先に彼女の本当の呼び名を伝えておきましょう」
彼女はもう死んでしまったというのに何をどうやって聞くのだろう? 彼女は何を言っているのだろう?
わからない事が多すぎて思考がまとまらず、疑問符のみがぐるぐると回り続けているこの頭では一言も発することが出来ない。
だが、それは会話を円滑に進める事には役立ったようだった。
「貴方のわかる言い方でいうと彼女は《魔女》というものです。実際は異端と言うか、半魔と言うか……そんな中途半端なものなんですけれど」
「――魔女?」
「わからないのも無理はありません。私も最初は信じる事ができなかった。だけど、どうか信じてください。聞いてください」
その言葉に『信じる』などと安請け合いできるはずもなく、俺はまた沈黙する。それを了承と取ったのか、リナさんは再び説明を始めた。
「彼女の力は本物です。あの、占い――いえ、あれは貴方の言った通り本当は予知なのですが……その予知の他にも沢山の魔術を彼女は使えます」
思い返してみれば、確かに彼女の『主人を殺した人はまだ、すぐ近くにいる』という予知は当たっていた。それに、あの俺の心を見透かしたような言動や大蛇による傷を癒したあの木の実。
そして、その後の俺ね治癒力の増大など、今となっては確認する事はできないそんな力は、信用には足りないが信憑性を帯びてきていた。
「そして彼女は最期、私に『不死の加護』を与えました。まあ、『不死』なんて言っても、それは未完成で一度しか生き返る事ができないものなんですが……ですが、私はそれによって今ここにいるんです」
それが彼女の言った“死んだが生きている”理由なのだろうか。
確かに、俺にはそれ以外にあそこから無傷で生還する方法は浮かばないが……
「――わかった。まだ確信はできないけど一応筋は通っている気は……しないでもない。だけど、それだけじゃないんだろ?」
これはただの決めつけのようなものだ。件の魔女の予知とは全くの別物。単なる夢見がちな希望の押し付けかもしれない。
しかし、何故か俺はそれに確信を持っていた。それも、かの《魔女》のなせる技なのだろうか。
――何か“ある”と。
「はい、そうです。そして、
言うと、リナさんは意を決するように目をつむり強く唇を引き結ぶ。
よく見れば、小さく震えているのがわかる。
だが、ふっと体から力が抜け、再び開いたその瞳には曇りのないハッキリとした決意が浮かんでいた。
「この数日間、貴方が友情を深め、愛した人達を全て助ける事が出来るかもしれないとしたら、貴方はどうしますか?」
「そんなチャンスがあるのなら……俺はどんなものでもそれを掴む」
そう俺は即答する。
そんな唐突な俺の変わりようにリナさんは驚いたように目を丸くし小さく口を開いていた。
だが、遠い過去を懐かしむ様な目で薄く微笑むと、すぐに真剣な表情へと戻り話を続ける。
「それが辛く苦しい道だとしてもですか?」
「……ああ」
「死よりも、辛い苦痛が待っていたとしてもですか?」
「――ああ」
「全てを明らかにしても、その真実にに打ちひしがれ、絶望するだけだとしてもですか?」
「――ああ。……当たり前だろ。それに、何があっても俺はこんな最悪な結末だけは認めない」
「ああ……やっぱり貴方は凄い人ですね」
何故かリナさんはどこか辛そうに笑う。しかし、その笑みもまた、すぐに消えてしまった。
「教えてくれ……どうすれば俺はみんなを救えるんだ?」
「それ自体は、至極簡単なことなんです」
「簡単――?」
今までの前置きでかなり身構えていた俺は、盛大な肩透かしをくらい思わず口を開く。しかし、そんなものはただの杞憂だった。
そんな、全てを救うチャンスを掴む方法が、簡単なはずなんてなかった。
「はい、その方法は――私を殺すことです」
と、彼女はそう言った。
「……は?」
その言葉は数時間前に起こった凄惨な状況を彷彿とさせ、俺の思考は停滞する。頭の中が真っ赤に染まり、目の前がモノクロに点滅する。
チカチカとした刺激が脳髄を刺し、狂った時間の感覚が全身の感覚を道連れに狂わせていく。暑いのか寒いのか、立っているのか浮いているのか、前を見ているのか、後ろを見ているのか、わからない。わからなかった。
そんな中、その言葉を口の中でなんども反芻しやっと追いついてきた理解と無理解に俺は怒鳴り声を上げる。
「そ……れ、じゃあッ……!! それじゃあダメだろッ!? だ、だから俺は! お前も助けたいんだよッ!!」
「大丈夫です」
「何がッ! 何が大丈夫なんだよッ!?」
「――大丈夫です」
頭を掻き毟って目を血走らせ、異常なほど取り乱し喚き散らす俺を静かに制して彼女は口を開く。
その穏やかな眼差しに気圧された訳ではないが、何故か俺は咄嗟に口を噤む事が出来た。
「この方法なら私も助かります。いえ、これは本来私を助けるためのものなんです」
「――どういうことだ……?」
再び驚愕に喘ぐ俺を力強く見つめリナさんは言葉を紡ぐ。
「アンチェンタが私に施したのは加護だけじゃないんです。それを……彼女は『永遠の悪夢』と読んでいました」
「永遠の、悪夢……?」
そう自分でもその名を口にしてみて、なんとなく仰々しい割に安っぽい名前だと思う。
そして、それがあのいい加減な彼女らしいとも思った。
「呪いといっても、この呪いは私には発動しません。私を殺した者に発動する呪いです」
「そ、そうか、だから……」
だから彼女は私を殺せと言ったのか。そして辛く苦しい道だと。
いや、だがわからない。
「――それがどうしてみんなを助けることに繋がる?」
そうだ。死んでしまった彼らを蘇生する方法があって、その代償が大きい為に覚悟の確認をしたのだと俺は思っていた。
しかし、方法は自分を殺すことで、それで発動するのは呪いだと彼女は言った。
「これは、永遠の悪夢なんて言っても本来、言ってしまえばやり直しの機会を与える救済措置のある呪いなんです。
――私を殺した瞬間その人の記憶だけをそのままに時間を巻き戻す呪い。つまり私を殺さない事でしか逃れる事のできない、私を助けるためのものなんです」
続いて語られたその条件に合点がいった。確かに、それならば殺した本人はその無限ループから逃れるために彼女の殺害を諦めるか最悪守らなくてはならなくなる。
その上、殺した本人にしか残らない記憶は悪夢として刻み込まれ、誰の記憶にも残らない。
しかし、それよりも俺の気を惹くのは――、
「時間を……そんな事が本当にできるのか?」
「はい。しかしそれにはそれなりの代償――かなり高位の魔女の命が必要なんです」
「そうか……じゃあ、あの時アンチェンタは自分の命を……」
俺の脳裏にリナさんの額へ手を伸ばし間もなく絶命した彼女の姿が再生される。
「――そうです。そして、この呪いによって繰り返されてきたこの数日間は1000回以上に及んでいるんでいます」
「……1000回!? そんなにも繰り返してきたのか……?」
「はい、本当に何度も、何度も、何度も……」
彼女はその全てを覚えているのだろうか。ならばそれは俺の想像を絶する記憶だろう。
「でも、おかしいじゃないか。その理屈だと、君に記憶が残っているのは――」
叫ぶ途中である答えに行き着き全身が固まってしまう。それ程にひどく簡単で、悲しい答えだった。
「まさか……自殺、したのか……?」
――自殺。
それならば辻褄が合う。リナさんを殺した者が自分ならば、呪いは自分に向く筈だ。
だが、辻褄が合っても理屈は合わない。
「でも、それじゃあ――君を助ける呪いが君にかかってちゃ、本末転倒じゃないか……?」
「……そうです、そうなんです。根本の理屈に合わない。――だから矛盾が生じ呪いが不具合を起こしたんです。そして、暴走した呪いは近くにいた貴方とシャルルさんにもかかってしまった。貴方も何か既視感のようなものがあったのではないですか?」
「既視感……」
そうか。あれは予知やデシャヴなどではない。
――記憶だったのだ。
俺の剣の腕もそうだ。1000回以上も繰り返していれば当然少しは上達するだろう。
今までの夢や既視感の原因としてしっくりとくる。
「そうか、分かった……分かったよ……納得したし、信用できた。実体験なら、これ以上ない証拠だ」
「本当ですか……! よかった、本当によかった……!」
胸を撫で下ろすリナさんの姿は疲れ切っているように見える。
そして、その疲労は俺には計り知れないものだろう。
だが、もう少しだけ頑張ってもらわなくてはならない。
「その呪いを発動させるために俺は君を助けるために君を殺せばいいんだな……?」
さっきと同じだ。
助けるために殺す。
――だけど、今度助けられるのは『全て』だ。
「はい、そうです。でも……貴方はこの1000回以上の惨劇を全て思い出す事になるんです。不完全な記憶の私でも精神が崩壊しかけてしまったほどの凄惨な出来事を……」
「――分かってる。呪いなんだろ? そのくらい覚悟はしてる」
「でも、今度は私も他の誰も……貴方を覚えていない……それでもいいんですか?」
「忘れたんなら、無くなったんならまた新しく作ればいいさ。今度はもっとうまくやってやるよ」
「でも、きっと今回でもう限界なんです……もう、世界の修正力に抗えない。恐らく、完全に巻き戻すことができるのはこれが最後です。だからもし、次に貴方が死んでしまったら――、」
「それなら心配しなくていい。元から0だった可能性が少し増えて、1くらいにはなった。それで、俺は十分だ」
「でも――!」
「――大丈夫だ。俺はアンチェンタに頼まれたんだよ。この惨劇を終わらせてくれって。それに俺は任せろって答えたんだ」
――そうだ。
これは俺だけの問題じゃない。
「バレレンに、クローズさんに、ガルディに、マルコスに――助けるって言ったんだよ」
――シャルルに愛してるって言ったんだよ。
「今度は助けてやる。俺は絶対に諦めない」
「ギルさん……」
「俺は君を信じる。だから君も俺を信じてくれ」
全てに手を伸ばし全てを失った愚物は――それでも尚諦めない。
伸ばして、伸ばして、届かないのなら、掴めないのなら、死ぬ気で噛み付いてでも繋ぎ止める。
「俺は全てを助けるって誓ったんだよ」
「――そう、でしたね……すいません、自分から持ちかけておいて試す様な真似をしました。貴方は、そういう人だった……だから私は……」
今にも泣き出しそうな顔で言葉を紡ぐ彼女は、しかし最後の言葉を口にする事はなかった。
迷いと哀しみに揺れる双眸は何かを諦める様で、何かを決断する様な、強い――強い光を宿す。
「どうかお願いします。あの人達を――私達を……助けて下さい」
リナさんは艶やかな黒髪を揺らして深々と頭頭を下げ、そう静かに呟く。
その声が震えていたのは、自分で成し遂げたかった事を他人に丸投げし、自らは記憶を失う――その事への悔恨だろうか?
ならばそんなものは杞憂だ。
「君一人に全部背負わせて、それに気づけなくて、悪かった。それと――ありがとう」
「えっ……」
俺は短く言って、困惑に顔を上げる彼女の眉間にシャルルを撃ち抜いた銃を向ける。
弾丸はあと一つ――残っている。
「後は任せとけ。俺が絶対に……助けてやる」
「はい、信じてますからね」
まるでその銃口が救いの手に見えているかの様に、彼女は安堵しきった穏やかな瞳を潤ませて微笑んだ。
その微笑みにもう麻痺してしまったと思っていた胸が、千切れそうな激痛を訴える。
だが、この後に及んで迷いはない。
冷ややかで無機質な引き金に指を置く。玩具の様な軽い抵抗を残し、呆気なく押し込まれた引き金を機に、冷え切った鉄の塊から灼熱の弾丸が打ち出される。
視界の大半が弾けた鮮血で染まり黒髪の少女が力無く横倒しに倒れこむ。
瞬間、視界に白熱する火花が弾け、全身の感覚が遠のいていく。
激しい頭痛と耳鳴り、押し寄せる吐き気に奥歯が鳴り、足元から大地が消失した様な感覚に平衡感覚を奪われる。
立っているはずなのにぐるぐると旋回し続けているかの様な気持ちの悪い浮遊感――やがてそれすらも消失し、世界そのものが歪み始める。
「これが、呪いかッ……!!」
視界が、聴覚が、嗅覚が、味覚が、触覚が、全てが失われていく。
世界から色が音が大地が空が水が生命が消えていく。
――いや、消えていくのは俺だ。
世界から切り離される。今までにない疎外感に押しつぶされていく。
時間が巻き戻っていく。
その膨大な流れの奔流に、ちっぽけな存在である俺は飲み込まれ抵抗すらできず翻弄される。
「絶対に――、」
遠のく意識と体。もはや感覚は無くなった。
「俺が……絶対に!!」
それでも俺は――、
もう無いはずの拳を握りしめて。
もう無いはずの歯を剥いて。
もう無いはずの喉を震わせて叫ぶ。
まだ残っている魂を震わせて叫ぶ。
「この最悪な結末を、変えてやるッ!!」
バッドエンドはもう十分だ。
時間は巻き戻る。
凄惨な惨劇の始まりへ――、
幸福と日常を奪い返す為、
平穏と安寧を取り戻す為、
絶望と終焉を消し去る為、
――俺は、惨劇をやり直す。
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