第十幕『利己的な救済』

 何かを失った欠落者は、その失った何かを埋めるため、代用品を探す。


 そして、その失ったものは彼にとっては愛で、哀で――飽いだった。

 だから、彼はそれを“よろこび”で埋めようとした。


 ひどい話だとも、哀れだとも思ってしまう。


 だが、同情はしない。する余地があるとしても、俺にはできそうにない。

 それはきっと、絶対に許されない詭弁だ。


 ――可哀想だなんて、思わない。


「はっ、だったらなんで殺さねぇ?」


 そう言った俺に、薄暗い牢の奥から欠陥品は嘲るように問う。


「言ったろ――俺は誰も死なせない。その中に、例外も特例も許さない。いや、許せないんだよ」


「あ? 言ってたか? そんな事」


「……さあな、よく覚えてねえよ」


「くははは。しっかりしろよな、オイ」


 俺は、前回の1日目に割り振られた部屋に隠れ、そのクローゼットから取り出した猟銃を構え、いつか辿り着きドアを開くであろう欠陥品を待ち構えた。

 そして、扉を開けた欠陥品の足を撃ち抜き、身動きを取れないようにしてから館の中にある地下牢へ拘束したのだ。


「――にしても、随分潔いんだな」


「なにがだよ?」


「わかってるくせにいちいち聞き返してんじゃねえよ……」


 ヘラヘラと俺を煙に巻く欠陥品に、俺は苛立ちを隠さず口に出す。

 睨みつける眼光は、恐らく暗闇の先には届いていないが。


「おっと、バレてたか」


「で、なんでだよ?」


 再度聞き返す俺に、欠陥品は肩をすくめる。


「さすがの俺も銃を持った相手に機動力を殺された時点でお手上げだ。潔いんじゃなくて、生き汚ないんだよ」


「…………」


「これでも俺なりに真摯に答えたんだ、信じられないとか言われても知らないぜ?」


 やや納得しかねるが、あきらめてくれる事に越したことはない。それどころか、あそこで俺のハッタリを信じて引き下がってくれなかっなら、弾丸の切れた銃しか持たない俺は、なす術なく殺されていただろう。


「昼にまた食事を持ってくる。殺さないからしばらくはそうしてろ」


「殺さないから……ねぇ」


「なんだよ――、」


 階段に足をかけ、顔も見ずに言った俺の言葉に、欠陥品は含みのある反応を見せる。


「いや、なに。お前にとっては大したことじゃねえさ」


「じゃあいい……悪いが、俺には時間がないんだよ」


「――ただな」


 踵を返し、再び階段を上がりだした俺の背中に、やけに小さく弱々しい声がかかる。


「主人格をあいつにしたとして、その場合は俺は消えるわけだ……でもそりゃあ、殺さねえって言えるのかよ?」


「――知らねえよ」


 そう答えて階段を上がる。無言で、無心に、無感情に。


 そんな限りない無の中で、くつくつの喉を鳴らして笑う声だけが、悲しく耳触りに反響し続けていた。



******************



「――――ん」



 遠くから、誰かが呼ぶ声が聞こえる。



「―――さん」



 誰だろう。なんだろう。



「――ルさん」



 俺は、一体――、



「――ギルさん」



「――え?」



 目を開いて最初に映り込んだのは、こちらを見下ろす青い瞳の少女だった。


「あ、れ……」


「気がつきましたか?」


「あ、ああ……」


 曖昧な返事を返す俺を怪訝に見つめて、シャルルは思案顔を作る。

 だが、なにやら考え出したシャルルがその思考に没頭する前に、俺は素早く質問を切り出した。


「なんで……なんで俺はこんなことに……?」


「倒れていたんですよ、また」


 その答えを聞いた俺は、だだ唖然とする。

 その事実と、自分自身の情けなさにだ。


「こんな事してる場合じゃ――!!」


 唇を嚙み切りながら布団を払いのけ、俺は起き上がろうとする。

 しかし、それは半身を起こしたところで素早く伸ばされた手に制された。


「待ってください」


 驚いて顔を上げた俺を、シャルルは怒ったような顔で見つめた。


「ギルさん。最後に寝たのはいつですか?」


「………… 」


 そうして見据えたまま、シャルルは俺を静かに問いただす。


 本当に、彼女は人をよく見ていると思う。俺が訊かれたくない事を、的確に訊いてくる。


「最後に、まともに食事をしたのはいつですか?」


「それは……」


 いつだっただろうか。


 それすらも、思い出せない。


「何があったのかは、私にはわかりません。何をしようとしているのかも、わかりません。」


「俺は……」


「でも、貴方が傷付いているのはわかります。貴方が助けを求めているのもわかります。」


「やめろ……」


「擦り切れてしまいそうなほど身を粉にして、一体何をしているんですか?」


 掠れた声で否定すらできず、俺は図星を突かれて口籠る。


「私には、何もできませんか……?」


 ――彼女は、なんで俺なんかを気遣うのだろう。


「できる事は、あるかもしれない……」


 大口を叩くだけで何も出来ず、何も知らず、


「だ、だったら私にも――!」


 やっと全てを知ったかと思えば失敗ばかりで、挙げ句の果てには仲間の足すら撃ち抜いて、


「――だけど、これは俺がやる。やらなきゃ、いけないんだ」


 何が守るだ。何が助けるだ。


「なんでですか……何をですか……」


 ――訊かれて答えようと、さらけ出そうとするたびに過るのは、1000回分の惨劇の結果だ。


「……言えない」


「なんでですか!?」


 特に、シャルルをこの手で殺した事は何度もある。彼女の死は、俺にとって最も間近で、最も頻繁で、最も辛かった。


 死の重さに序列をつけるなど愚の骨頂だ。だが、それを理解してなおそう思わせる苦痛を、それは与えてきた。


「――言えない」


「――ッ!!」


 だから、俺自身がどれほど疎まれようとも、傷付こうとも、失おうとも構わない。


 それでも彼らは必ず傷付けず、失わずに終えてやる。


 『助けて下さい』と、そう言われてしまった。


 『信じている』と、そう託されてしまった。


 ――そして、それに対して俺は『任せろ』と答えた。


 ならば、諦める事は許されまい。


 ならば、逃げる事は許されまい。


「だけど、必ず悪いようにはしないから。必ず、助けてみせるから。――俺は、もう大丈夫だ」


 ぎこちなく微笑んでそう宣う俺の姿を見て、シャルルはすぐに俯いてしまう。

 自分勝手なくだらない言葉に、幻滅されてしまったのだろうか。


 ――だとすれば、悲しいな。


「……わかりました。私は、もう何も言いません」


 こちらに一瞥もくれず、俯いたままそう言った少女に一言礼をして、俺は部屋を出た。


 アンチェンタにもせめてこうしてやりたかったが、あいつには心が読めるのだ。だから、その暇すら与えずに拒絶を示してしまう必要があったのだ。


「…………」


 ――いや、もしかすると俺はあいつに八つ当たりをしたのかもしれない。


 この苦しみを生み出した原因はあいつだと、身勝手で見当違いな悪意をぶつけたのかもしれない。


 そうでないとは思いたい。


 俺だって、もうこれ以上自分自身を嫌いになりたくないのだ。自分自身を、憎みたくない。


「うっ……」


 だが、正直なところもうわからないのだ。


 自分がなにを思い、なにを感じて、なにを目指しているのかすら、もう曖昧になってきた。


 今感じている感情は、喜びなのか、怒りなのか。それとも、悲しみなのか、焦りなのか。


 今感じている痛みは、負傷なのか、錯覚なのか。それとも、現実なのか、記憶なのか。


 今の俺は本当に俺だと言えるのだろうか。この膨大な惨劇の記憶は、前回の最後に入り込んだ『何か』は、俺を蝕み尽くしていないだろうか。


「――おえぇぇぇえぇ!!」


 そんな低徊する思考を遮って、堪えきれない嘔吐感のまま洗面台に縋り付くようにして吐き出すのは、黄色がかった胃酸だ。

 吐き気を感じた時、すぐ側にあったのは助かった。


「ああ、くそ……」


 いつなにが起こるのかわからない不安と焦り。

 気を抜けば飲まれそうになる程の重圧と絶望。

 それによって、俺の精神は極限まで疲弊していた。


 だが、ただでさえ気絶したのはタイムロスだ。

 時間が足りない今の状況で、こんな事をしている暇はない。


「早、く……」


 吐き気を噛み殺し、洗面所から出て向かうのは、資料室だ。


 本来なら、もう少し館内での危険を取り除き終えてからの予定だったのだが、相手が動き出した今、それは不可能と俺は判断した。


「俺が……助ける――」


 魔法の言葉を繰り返し、


 呪いの言葉を繰り返し、


 俺は1人廊下を進む。


 その先に、まだ欠片も見えない希望があると信じて、ただひたすらに俺は――進み続ける。

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