第二十三幕『鬼ごっこ』
少女の手を痛くならない程度に強く握り、俺はいつの間にか電気の点いていた広間を駆ける。
なんとか彼女を逃さなくてはいけない。あの欠陥品と名乗った男の魔の手から遠ざけなくてはいけない。
彼女だけは、もう――、
「ギルさんッ!! 伏せて!!!」
そう叫んだ彼女に押し倒され、俺の思考は中断された。
次の瞬間、振るわれた大斧が先程まで俺がいた空間を大気を切り裂くような唸りを上げて通過していく。
「あ、あっぶねぇ……! ありがとうシャルル助かった!」
「いえ、先程助けていただいたのでこれでおあいこです」
いつもの調子を取り戻してきたシャルルに安堵し息を吐く。
ただ、そのままじっとはしていられない。すぐさま立ち上がり追撃を躱す。
「鬼ごっこかぁ!! 確かあれって捕まったら死ぬんだったよな!? じゃあルール通りいこうぜ!!」
更にもう一撃振るわれる斧が最高速度に入る前に、すぐさま踏み込んで受け止める。だが、そこから無理やり押し返され、再度つばぜり合いに入る。
「バカかッ! 鬼ごっこはそんな物騒な遊びじゃねえよ! 捕まったら鬼になるんだよ!!」
「そうか……じゃあ特別ルールだなァッ!!」
何が楽しいのかゲラゲラと笑いながらも、力強く振るわれる斧のパワーに押し負け、少し後ろに飛ばされる。
だが、俺も倒れないよう手をついてブレーキをかけ、なんとか踏みとどまる。
――やはり地力に圧倒的な差がある。
更に、技量も格が違う。彼はあの馬鹿でかい大斧を軽々と振るい、一撃でも当たれば即死級の攻撃を幾度も繰り返す。
「くそッ! 埒があかないな!」
「ギルさん!! 私が合図したら目を瞑ってください!」
「……わ、わかった!」
その攻防を見ていたシャルルが、何かを思い付いたのかそんな事を言った。なんの意味があるのかはわからないが、今はそれを信じるしかない。
「余所見してんなよなァ!?」
「うぐ……っ!!」
そう決心したちょうどその時、後ろから声が響いた。
「ギルさん、今ですッ!!」
それを聞き届けた瞬間、俺は手近にあった花の装飾が施された白い透明感のある陶器を投げつける。が、それは呆気なく斧によって粉砕されてしまった。
しかし、その短い時間のおかげで目を瞑る時間を稼げた。それに、声の上がった位置や、この目を瞑るという行為から、大方の内容は掴めた。
「なんだなんだ!? 小細工はおしまいか!? なら殺す気できてみろよ!!」
まるで苦戦するのを楽しむように欠陥品は俺を挑発する。
対して俺も、別にそれに対抗するわけではないが俺はできる限り挑発的な笑顔を作って――答える。
「残念。今からやるのもその小細工だ」
「いきますッ!!」
俺がそう言い切ると同時に、シャルルがスイッチに添えていた手を動かし広間やその周りの部屋全体の明かりを落とす。
この部屋は大元の電源を入れてからでなければ明かりがつかない。
しかし、当然明かりを消すことはこちらだけでもできる。
先に目を瞑っておいたのは明かりを落とした時、すぐに目を慣らすためだ。そして案の定、目を開けば暗いにしても周りにあるものはぼんやり捉えることができる程度の闇が広がっていた。その事に、俺はシャルルと胸をなでおろす。
「では今の内に……!」
「いや、駄目だ。あいつだってあれで優秀だからな。目くらいすぐに慣れる様になってる筈だ。」
それに、あの斧のリーチだ。慣れる前に近づいても足音でバレて真っ二つだろう。
「え、じゃ……じゃあ?」
「決まってるだろ、逃げるんだよ!」
対する欠陥品の視界は突然切り替わった明暗に目が慣れず完全な闇に包まれていることだろう。
だからその隙に俺はすぐさま隣の部屋のドアノブをひねり、中へ身を隠す。奴は恐らく俺を追ってくる。それを利用し、身を隠して時間を稼ぎ、打開策を練るのだ。
また、その中にはシャルルを逃す目的も含まれる。
手近にあったクローゼットを開きかけてある服をかき分け人1人は入るであろうスペースを作る。
「隠れろシャルル!」
「あ、貴方はどうするんですか!」
「え……? お、俺は……」
しまった。言い訳を考えていなかった。まずい。きっと彼女は――、
「ほら、やっぱり一人でなんとかしようとしてましたね。貴方が隠れないなら私は隠れません。」
「うぐっ……そう言うと思ったよ……」
毅然と言い放つシャルルの目には強い意志が宿っている。
だめだ、こいつは絶対に諦めてはくれない気がする。
「ああ、もう仕方ないか! 下手にこだわってたら二人とも輪切りにされる!」
俺はシャルルに引っ張られるように中へ入る。薄暗いクローゼットの中は狭く窮屈で辛い姿勢が続く。自然とシャルルと密着する形になる。
すると、顔や耳が熱を持って赤くなっていくのがわかる。心臓の鼓動が早まっていく。
だが、シャルルの顔は暗くて全く見えない。まあ、きっといつものすまし顔をしていることだろう。
それを想像し、一気に恥ずかしくなってくる。何をひとりでどぎまぎしてるんだ、俺は。
いや、違う。そうじゃない。一体、何を考えているんだ。今は彼女をどうにか逃すことを考えよう。
「なあシャ――」
名前を呼ぼうと口を開いた直後、静かな部屋にドアノブをひねる音が響く。
「――ッ!!」
コツコツと中に入ってくる足音が聞こえる。足音は部屋中を歩き回り右ヘ左ヘ動き続ける。
息を殺し体を小さくする。足音は少しずつ近づいてくる。
俺は咄嗟にシャルルをクローゼットの奥へと押し込んだ。すると、更に無理な体勢になるシャルルが小さく呻く。
それに心の中で謝りつつ、いつ開いてもいいように剣の柄を握る。
恐怖に身震いしそれを押さえ込むように歯をくいしばる。
だが、次第に足音は遠ざかって行いった。
――捜索を断念したのだろうか?
その事にホッとした俺は、溜め込んでいた息を吐く。
すると、パチリと電気のスイッチを入れる音が響き、部屋が明るく照らし出された。
「くっそ……っ!!」
足音は俺たちではなく部屋の電気をつけるスイッチを探していたのだ。
そして、このクローゼットは下半分に空気を通すための隙間が空いている構造になっているので外から中がうっすらと見えるのだ。
「やばい……っ!!」
それに気付いた足音は一直線にこちらへ向かってくる。
冷や汗が滲む。
――まずい。
――まずい。
――まずい。
ガチャリと――、
クローゼットのドアが開け放たれる。そこにいた人物と目が合い。俺は驚きに目を見開く。
「え――?」
「おい、愚物……貴様なんでこんなところに入っている?」
そこにいた男――クレラ・マルコスは、本当に不思議そうにそう呟いた。
******************
狭いクローゼットの中から出て辛い姿勢に置かれていた体を軽い体操でねぎらいつつ、俺はマルコスに質問を投げかける。
「なんでお前がここにいるんだよ?」
「何を言っている。貴様が叫び散らして俺の名を呼んだのだろう?」
「名前を呼んだ……? いや、何言って――」
言葉の途中で黙り込んだ俺に、シャルルが呆れた顔で訊いてくる。
「何か思い出したんですか……?」
「あ、ああ……実はちょっとな……」
そうだった。俺はクローズさんの死体を見つけ動転した時に人手を集めようとしたのだ。その時にこいつの名を呼んだのだった。
「それで、探してくれてたのか? あ、広間の電気をつけたのもお前か……?」
「ああ。あれだけ暗くては見つけるものも見つけられんのでな」
こいつは電気のつけ方を知っていたのか。そのまま『あそこの電気はどうやってつけるんだ?』と聞きそうになっていまはそんな場合じゃないと口をつぐむ。
「で、何があった?」
「――ガルディが……いや、ガルディのもう1つの人格――欠陥品と名乗ったそいつが外で暴れてる」
「欠陥品か……ハッ、ふざけた名前だな。いかにもやつが思いつきそうな陳腐な名だな」
「やつ? なんだ、お前も何か知ってるのか?」
「口ぶりからするに、貴様の言う人物は今この屋敷で暗躍しているもののことだろう?」
「あ……ああ、そうだ。アルバートさんを殺し、バレレンをけしかけ、そのバレレンを欠陥品に殺させ、クローズさんまで殺した……全ての黒幕だ」
「フン、ならば違うな。……なにせ、俺の言っているそいつはもう死んだ人間だからな」
「え――?」
「ギルさん! 足音が近づいてきました!!」
ずっとドアに耳を当て周囲の様子を伺っていたシャルルが最大限潜めた声で叫ぶ。
それを聞いた俺は、マルコスを問いただす事を中断し、そちらの物音に耳をすます。全神経を聴覚に集中させるため目を瞑り呼吸も止める。
そうして生み出した静寂の中、早まっていく鼓動とコツコツとタイルの床と硬い靴底が当たる音だけが響く。
ドアの近くへ来た足音はピタリと止まる。
再び冷や汗が垂れる。後ろのマルコスが腰に差していた剣を鞘から抜き放つ音がかすかに聞こえた。
俺もいざという時のため右手に持っていた剣を構えておく。
――キュッと、
靴の底のゴムがタイル製の床と擦れる音が聞こえた。
「諦めたのか……?」
いや、違うこれは――、
「シャルルッ!! ドアから離れろッ!!!」
叫びながら少女の手を掴み後方へ思い切り引く。小さく悲鳴を上げた少女が後ろのソファに倒れこむのと、分厚い木製のドアが蹴り破られるのはほぼ同時だった。
ガラガラと音を立てドアの下から八割ほどが木片に変わる。
「んー? なんだよ、一発で正解か……なァーんか、拍子抜けだな。」
そんな気の抜けた言葉を放ちながら男は残ったドアをくぐるように中へ入ってくる。
「くそッ! もう見つかったッ!!」
「悲観してる暇はない。構えろ愚物……!」
「んん? なんか増えてんな?お前は確か――、」
頭に手を当て思案顔の欠陥品。だがその思案顔をはすぐさま崩される。
マルコスが一気に距離を詰め横薙ぎの斬撃を放ったからだ。それを大斧を盾のように使って受け止め、またもや欠陥品は狂笑を形作る。
「――俺の名を、貴様が気安く呼ぶな」
「冷たいこと言うなよ。クレラ坊ちゃん」
マルコスは低い声で怒りや憎しみに満ちたような言葉を吐き捨てギリギリと刃を押し込んでいく。その刃は欠陥品の肩まで届く。
鎧の下の灰色の薄手のシャツにじんわりと血がにじんでいく。
「マルコス! 殺さないでくれ! そいつは……ガルディの体でもあるんだ!」
「フン、はなからそのつもりだ! 俺もこいつから聞き出したい事が山ほどあるんでなッ!」
「ありがとう、助かる……!」
「勘違いするなよ……これは俺のためだ」
「おいおいおいおい……俺のこと無視して、お喋りかよォ!!」
そう、悲しそうな素振りを見せるどころか、どこか嬉しそうな声色で叫ぶ彼の丸太のような足がマルコスを襲う。
両手に剣を持っていたマルコスは防ぐことができず横腹に重い一撃を喰らってしまう。その威力で吹き飛ばされ先ほどまで俺たちが隠れていたクローゼットに背中から突っ込む。
しかし、すぐに立ち上がり俊敏な動きで剣を構える。
それを不思議に思い欠陥品の方を見ると、逆にこちらが苦悶の表情を浮かべ足を押さえていた。
「ああ、くそッ! いってぇな……なんだ? てめえ、なにしやがった?!」
初めて悔しそうな顔をみせる欠陥品がマルコスに問いただす。
それを薄い微笑で受け止めたマルコスは皮肉っぽい声色で答える。
「明らかに緊急事態のようだったからな。準備をさせてもらった。まあ、それでもかなり効いたがな」
そう言って蹴られた腹部を叩くとコツコツとおよそ服からなる音ではない音が響く。
「お前、鉄板入れてきたのかよ!?」
何故か俺が一番驚いたように声を上げる。それをマルコスは鬱陶しそうに手を振ることで肯定する。
「ああ、いてぇなぁ……いてえよ……それ相当分厚いだろ? よく動けんなァ」
「この程度の重りは甲冑に比べれば大した重さではない」
その言葉を聞き、そんな場合でもないのに唖然と目を見開き硬直し固まった口をぎこちなく動かして、俺は恐る恐る尋ねる。
「え……? お前、甲冑とか着るの?」
「当たり前だ。俺は剣士と言っただけで騎士でないとはいってないだろう?――というかそっちが本職だ。」
「じゃあ最初からそう言えよ!」
「支えているお方にあまり無闇に公言するなと言われていてな」
『じゃあ最後まで言うなよ』と内心で文句を言いつつ、大斧を持つ男を見る。
今だに足の痛みを訴え、蹲るようにしているが右手に握られた斧は放さない。きっと無闇に近づけば、俺たちの首をはねるだろう。
つまり、今から全力の戦闘を開始すれば、少なからずシャルルに被害が及ぶという事だ。
なら、まずは――、
「シャルル……逃げてくれ!」
「――ッ……」
俯きその顔は目深に被った赤い頭巾により見えなくなる。
何故、彼女が頑なに誰かを心配するのかを、人を見捨てるようなことができないのかを、俺はどうしても理解できない。
「本当なら、私が……」
少女は何かを伝えようと喉を震わせるが、それを迷う様に口籠り声と同じく震える手が服の裾を強く握りしめる。
その握った手に薄く鋭い彼女の爪が突き刺さり、白い手に血が伝っていた。
「……っ!」
やはり、彼女にそうまでさせる理由は、彼女が自分に背負わせ――そして、背負わされた罪の十字架の意味も形も重みも知らない俺にはわからない。
だけど――、
「俺は君に命を救われて、そのあとも何度も助けてもらった……! だから、これはただの恩返しなんだよ。だから、これは……!」
ダメだ。うまく言葉がまとまらない。ずっとずっと長い間。言いたくても言えなかった言葉が積み重なりぐちゃぐちゃになっていくような感覚。
それを無理やりに押しのけ今の俺の気持ちを口にする。
「だから……俺を信じてくれ。絶対解決して、生きて帰ってくるから。それまでリナさんのことを頼みたい」
どうしようもなく弱いくせに、いや、弱いからこそ、俺は力強く言い放つ。
その言葉を聞き、顔を上げて目を見開く少女をしっかりと見据え、俺は続ける。
「それに、情けない事に絶対俺はまた少なからず怪我をすると思う。だから、それを治すのも――頼む」
「で、でも……っ、それは本当は私がしなくてはいけない事で――!!」
「――頼む」
「だ、から……」
しっかりとした口調で情けない言葉を口にする俺に、シャルルは困惑のままに声を上げる。そんな彼女に俺は念を押すように繰り返した。
「……無茶苦茶、ですよ」
彼女は仕方なさそうに微笑む。
「シャルル、俺は――、」
「わかりましたよ。何度も言わなくてもわかります。あなたは変な所で頑固ですからね。……任せてください。リナさんの事も、貴方のことも、私が助けてみせます」
「あ……ああ。任せた。だからここは俺に任せてくれ」
「はい、信じてますからね」
シャルルは微笑をたたえて仕方なさそうに、嬉しそうに、そう言う。
その笑顔と言葉に力と勇気を貰った。
そうと決まればまずはシャルルを逃す事に専念しなくてはならない。
かなり危ない橋だが、必ず渡りきってみせる。
俺を信じると言ってくれた少女の為にも俺は死に物狂いで頑張らなくてはいけない。――そう心の中で決意を固め、欠陥日と名乗った男へと向き直る。
「ハハハッ!! 名高いストレイン家直属の騎士様も、三年職務を離れりゃあ腕が鈍るかァ? あァ!?」
「黙れ! 誇りの重みすら知らない紛い物風情が……!」
「誇りの重み、ねぇ……あァ、吹けば飛ぶくらいってことか?」
「その口、二度と開くなッ!!」
数カ所に薄い切り傷を作った騎士が苛立ちを隠さず吠える。それを挑発する巨漢の傭兵はほぼ無傷といった具合だ。
早く加勢に行かなくてはいけない。無力で無知な俺でも、囮ぐらいには役立てる。
「……っ! マルコス待ってろ!! すぐ行く!!」
馬鹿でかい斧を器用に受け止め、全体重を掛けてくる巨漢の男の圧力に耐えながらマルコスが叫ぶ。俺はそれに答え剣を肩に担ぐ様に構え走り出す。
「ごめんなさい……本当なら私が……」
そちらに気を取られていた俺は、その背中を見送った少女がそう小さく呟いた事に気付かない。
気付かなくてはいけなかった。
痛ましげで、悔しげで、悲しげな、
――その声に。
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