第二十七幕『紅蓮の業火』
「おはようございます」
「お、おはよう……」
いつも通り目がさめると、赤頭巾の少女がそこにいた。
いや、別にいつも通りというわけでは無いし、それは彼女が好きでやっている事ではなく、看病の一環としてしか無い事なのだが。
「……ありがとう」
「え……?」
それでも俺は礼を言った。よくはわからないが、言っておかなければいけない気がしたのだ。
すると少女はほんのり頬を紅潮させ、恐る恐る口を開いた。
「もしかして……覚えてます?」
「え――?」
昨日の事だろうか? 確かにひどく頭を打っていたし、記憶の混濁を疑われても仕方が無い。それに、現に昨日の記憶は途切れ途切れの上曖昧だ。これは、正直に言って正確な診断を求めよう。
「ええっと……ほとんど、覚えてないけど……?」
「じゃ、じゃあ、いいんです……」
「え――なんだよそれ? 教えろよ、気になるだろうが」
「い、いえ……私はただギルさんの記憶が曖昧になっていないかを確かめただけであって――」
「いや、知ってるよ。だから今曖昧だって証言したんじゃないか」
「……あ」
あからさまに『失言をした』みたいな顔をするシャルルに、俺は目を細める。
「――絶対嘘だ」
「一体何を言ってるんですか……私は嘘なんてついたことありませんよ?」
「本当に嘘つくの下手だな!」
「痴話喧嘩はそこまでにしておけよ、愚物」
「なんで俺だけなんだよ!?」
シャルルとの軽口の応酬中、どこらからともなく参加したその声に俺は声を上げる。
「って、マルコスか。どうしたんだよ?」
「――そろそろ出発の時間だ。俺はそれを伝えに来た」
「出発……?」
「ああ、それとあの黒髪の娘に言伝を頼まれた。『早く来い。いつまでタラタラと貴重な時間を食いつぶすつもりだ』とな」
「お前も嘘をつくな。リナさんはそんなこと言わねえよ」
どうやら話の内容をよく聞いていたらしいマルコスは、平然とした顔で嘘をついてくる。それに対し、俺はしかめっ面で返す。
「って、出発ってなんだよ? 俺抜きでいろいろ勧めたんならせめて説明してくれよな」
「ああ、そうか。貴様はお偉いことに今起きたのだったな。すまんすまん」
「このやろう……」
いつもの煽りに乗せられ、歯ぎしりする俺の肩をシャルルが叩いた。
「窓の外を見てみてください」
「ん? 窓……?」
「はい。――あそこの、馬車の近くに彼女がいます」
細く白い指が差す先、そこには右目を包帯で隠した少女が、馬車に何かを乗せていた。
「あれで今日、ここを出ます」
「ああ、なるほどな……」
そうだ。黒幕の正体とまではいかなくとも大まかな全容は暴かれ、同時に人狼の脅威もそれに伴って軽減された上、けが人の治療も終わった。
「もうここにいる必要はありませんからね」
「え? でも俺とは違ってお前らは明確な理由があってきたんじゃ無いのかよ?」
「だから、その理由は達成という形ではありませんがなくなったんですよ」
「ああ、なるほど……」
つまり、もうここにいる必要は無いということだ。それは俺にとって喜ばしいことで、同時に寂しいことでもあった。
「じゃあ、もうお別れってわけか」
「そう、なりますね……」
「ふん、何をしんみりとしている。身分の全く違う俺とは違い、貴様ら平民はその気になればいつでも会えるだろう」
「でもお前とは会えないじゃ無いか。それは、俺にとっては寂しいことだ」
「……下らんな」
「そうかよ。つれないやつめ」
腕を組み、不機嫌そうな顔でそっぽを向いたマルコスに肩をすくめてぼやくと、それを見ていたシャルルが笑っていた。
なぜ笑っているのかを聞いても、教えてはくれなかったが。
「おーい、リナさーん!」
開けた窓から身を乗り出し、自由な右手をふると、リナさんはそれに手を振り返してくれた。
「い……っ!」
「傷がまだ治っていないというのに……少しは大人しくしていられないのか貴様は」
「…………」
調子に乗って動くと軋む体が痛み、それをすぐにマルコスに窘められる。そのあまりにもっともな言葉にぐうの音も出ずに黙っていると、シャルルが声をかけた。
「では、何か持ち物があればに自宅をしておいてください。って、貴方は確か何も持ってきていなかったんでしたっけ」
「あ、ああ。本当は来る予定じゃなかったからな」
「そうか、なんで貴様がこの屋敷の衣類を着ているのか気になっていたが、なるほどな。そういう理由か」
そういうマルコスの服装は、確かにコロコロと変わっている。まあ、日によって衣服を変えるのは当たり前だ。よく考えればリナさん達も変えていたしな。
「服装が変わらんのは貴様とその金髪女だけだぞ」
平民からそれぞれの特徴であだ名を作って呼ぶようになったマルコスは肩をすくめてそういった。
確かに、シャルルも俺と同じで服が変わらない。
「まあ、シャルルの場合は服をたくさん持ってるからなんだけどな」
「む、そうなのか?」
「当たり前でしょう……じゃなきゃ何処かの誰かさんみたいに同じ服を何回も着る事になるじゃないですか」
「ああ、何処かの誰かのようにな」
「うるせえよ!!」
俺が服を変えられなかったのは替えがなかったのと、この屋敷の衣類を借りる事に抵抗があったからだ。それに、借りる事に抵抗がなくなった今はもうそんな事はしていない。
現に、今も新しい服に身を包んでいる。
「着た服をそのまま返すってわけにもいかないしな……あの服は持って、これは着ていくか」
「それに血と穴だらけのボロ雑巾を衣装部屋に戻していけば軽く事件になるぞ」
「はは、確かにな」
珍しく冗談を言ったマルコスに、そう笑いかけると『なにを笑っている』と真顔で返された。どうやら冗談ではなかったらしい。本当になんなんだこいつは。
「でも、この屋敷ってどうなるんですかね」
「――どうなるって?」
突然深刻な調子で声を発したシャルルに、俺は聞き返す。
「いえ、この屋敷の所有者であるアルバートさんは殺されてしまったわけですし……」
「ああ、確かにそうだな……」
もし、彼に身寄りがあればその親族達に預けられるだろうが、果たして人が4人も命を落としたこの館をそのままに使うだろうか? それに、至る所は人狼やバレレン、欠陥品により破壊されている。その修繕や取り替えを、果たしてわざわざするだろうか。
だが、そんな俺の杞憂はマルコスの一言で払拭された。
「いや、この館は確か撤去される予定のはずだぞ」
「え……? な、なんでまた?」
「お前も聞いていただろう?アルバーアルバートがこの屋敷を説明したときの言葉だ」
「『昔はここに住み込みで大勢の使用人が働いていた』でしたっけ?」
「ああ。そして『昔は』というのはつまり、今は違うという事だ。現に内装は清掃されているが外観などの手の及び切らない箇所はひどい有様だっただろう?」
「酷いかと言えばなんとも言えないが……そうだな」
「まあ、簡単に言えばこの館は随分前から館として機能していない空き家だったんだよ。それを、今回の“これ”に利用したというわけだ」
「ああ、なるほどな――ん?」
「なんだ、何かあるのか?」
その説明を聞き終え、俺は黙り込んだ。そして、一つ浮かんだ疑問を口にした。
「いや、大したことじゃないかもしれないんだが……じゃあ、なんでアルバートさんはこの館にいたんだ?」
「――は?」
言い終わってから数秒開けて、マルコスは唖然と声を上げた。
「いや、だってさ。屋敷を売り渡しただけなら館に残る理由がないじゃないかよ?」
「そう、だな……いや、そうなのか?この館に、館の主人としてアルバートがいたという事は――そうか、そういう事か……!」
「マルコス……?」
頭を抱え、なにやらぶつぶつと呟くマルコスの名を呼ぶと、彼は突然顔を上げた。
「――資料室はどこだ?」
「え……? 二階の、奥から二番目の部屋ですけど――」
「俺は少しこの館に用ができた! 出発は午後に延期だ!」
「はあ!? そんな勝手な――!」
「……行っちゃいましたね。」
突然興奮した調子で部屋を飛び出したマルコスの背中を乱暴に開かれたドアの影から見送りながら、シャルルが零した。
「ああ……」
なんだろう?一体彼はなにに気がついたのだろうか。
「とりあえずリナさんを呼び戻しましょう。寒い中可哀想です」
「あ……ああ。そうしよう」
寒空の中放置され、もうすでに可哀想なりさんに出発の延期という追い打ちを伝えるべく、俺たちは部屋を出た。
ドアが閉まり、静かになった部屋では、開いたままの窓が木枯らしにガタガタと鳴っていた。
*****************
「うわ、寒っ……!」
「さ、寒いっ……!」
玄関の戸を開けるなり同時に弱音を吐いた俺たちは、この季節にはあまりにも軽装な防寒具なしの体を抱いて庭園を歩く。
「あ、ギルさん、シャルルさん!おはようございます」
「お、おはよう、リナさん」
「おはようございます、リナさん」
「――どうしたんです?」
すっかり赤くなった指先を摩りながら首をかしげるリナさんに、俺たちは揃って黙り込む。
「えっと、非常に言いにくいんだけど……あの、取り敢えず落ち着いて聞いてくれ……あのだな……えっと……――ぐっ!?」
往生際悪くごにょごにょしていると、隣から脇腹に肘が炸裂する。その手心満載の一撃はそれでもかなりの重みとして俺の脇腹を抉った。
「やりやがったなお前……!」
「『俺が言ってやるからお前は黙ってろ』とか言っていたくせにもたついてるからですよ……!」
「だ、だから少し心の準備をだな……」
「それが長いんですよ! その前にリナさんが凍ってしまいます!」
涙目になってその攻撃を実行に移した人物を睨みつけ、反論を試みるが、更にごもっともな反論が帰ってくる。
そこからは売り言葉に買い言葉でいつもの舌戦が開始され、リナさんに本来の内容を伝えたのはリナさんが痺れを切らして俺たちに質問をした頃だった。
******************
「ほんっとにすいませんでした!」
「ごめんなさい、こんな筈では!」
俺とシャルルが声を重ねて同時に頭をさげると、人のよさそうな少女は優しく笑った。
「あはは、いいんですよ。私これで寒いのには強いんです!」
館に入るなり俺とシャルル共同の手厚いもてなしを受け、温かいミルク片手に毛玉みたいになってしまった人のいい少女はそう言って笑った。
「いや、さすがにそれは暑くないか?」
「はい、さすがに汗が……」
じゃあなんでなにも言わなかったのだろうか。
そんなことを思いつつ彼女の体に無数に巻かれた毛布やマフラーを剥ぎ取っていくと、後ろでシャルルが再び頭を下げた。
「本当にすいません。私が付いていながら……」
「いや、半分くらいはお前のせいだけどな?」
真摯に謝るのかと思えば、さらっと責任を逃れようとするシャルルに釘を打ちつつ、俺も再び頭を下げた。
「でも本当にごめん。寒かっただろう?」
「いえ、別にいいんですよ。それで、なんで延期なんかになったんです?」
「ああ、それはですね――」
「俺が頼んだんだ。悪かったな」
シャルルが説明をしようと口を開いた時、丁度その言葉の続きを奪ってマルコスが説明を終わらせた。
「おお、マルコス。なにしてたんだよ?」
「いや、少し興味深いものを見つけてな。借りさせてもらった」
「……の割には何にも持ってないな?どこにやったんだよ」
「――もう積んである。それに、なかなかに興味深いものが揃っていたぞ。貴様も何か行き詰まった時、足を運ぶといい。俺が気に入ったのは一番右の奥の棚にある、考古学の文献だ」
「お前の好みは聞いてねえよ」
「そろそろ行くぞ」
「はあ? 行くって――」
「出るんだよ。この屋敷を」
そう言ってマルコスは時計を指差した。みれば、時計は4時を指している。
「午後だ、出発するぞ」
「あ、そんな時間経ってたのか……」
リナさんをも風に包むのに必死すぎて気がつかなかった。どうやら、かなり長い間彼女を包んでいたらしい。
「悪かったな。待たせて」
マルコスはもう一度謝罪をすると、皆を庭園へ向かわせた。用意も完了し、あとは出発するだけの俺たちは断る理由もなく歩き出す。
だが、その道程の途中、マルコスが俺を呼び止めた。
「おい、愚物。少し話がある。ついてこい」
「は、あ……? 話って――ここじゃダメなのかよ?」
「悪いが、それはダメだ」
「――どうしました?」
突然立ち止まった俺たちを訝しんで、リナさんが声をかけてくる。
「少し話さなくてはいけないことができた。待つことはない、先に出発していてもいいし、待っているならば待っていてくれ」
「え? でもそれじゃあ貴方達が……」
「足ならば心配しなくていい。馬車は裏庭にもう一つあった」
「そんなもんまであったのかよ……」
相変わらずの豪遊ぶりに苦笑していると、納得した様子のリナさん達は軽く手を振ってから歩き出した。
「――付いて来い」
「あ、ああ……」
そうして彼女達と別れ、俺たちは逆方向の、館の最上階へと上がっていった。
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「ううぅ……やっぱさっむいなぁ……」
最上階のその上に位置する屋根の上で、俺は凍える身を抱いて立っていた。
この館は、大まかな形はアルファベットのTの縦棒を極端に短くしたような構造になっていて、今俺たちはその真ん中の屋根の先端部分にいる。
足を滑らせれば、間違いなく死ぬ高さだ。
「なんだよ。話ってのはこんなとこまで来なきゃ話せないようなことなのかよ?」
だからそんな場所にまで連れてきた彼に、俺は言い知れぬ不安を覚えていた。なんとなく、さっきっから様子がおかしい。
「ああ、少なくとも今は……ここ以外ではできない話だ」
「じゃあ早いとこ終わらそうぜ。この寒さじゃ死人が出るぞ」
「――そうだな」
マルコスはそう言って、少し体をずらした。すると、斜面のきつい屋根の上で、さらに不安定な姿勢になる。
「な、なにを――!」
その危険な行動を咎めようと身を乗り出した瞬間、マルコスの体に遮られて見えなかったものが目に映った。
あれは馬車だ。シャルルと、リナさんが乗っているはずの。
「確かに、こんな寒い日には死人が出る」
何をする気だ。そう問いただすことすらできず、俺は固まった体でそれを見届けた。
「だから少し暖かくしよう」
呟くような一言が終わるとともに訪れた大地が揺れるような音と振動、目を直接焼くような光と衝撃が、同時に俺を襲った。
いや、実際に襲ったのは、俺ではない。
――その遥か先にある、馬車だ。
「は……? え? な、なんだよ、これ……?」
なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ。なにが起こってる? なにが起きてる? なにが起きた?
「一つ、いい事を教えてやろう」
「な、にを……?」
混乱しきった頭に、マルコスは容赦なく情報を追加する。
――それも、とびっきり最悪のものを。
「アルバート・センレンスを殺したのは――この俺だ」
聞きたくなかった友の自白が、吹き付ける木枯らしの中確かに響いた。
――惨劇は、終結へと向かう。
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