第十二幕『妖狐』
「やあ、ギルくん。目が醒めたかな?」
「…………ぁ?」
片方が闇に閉ざされたままの不鮮明な視界の先で、誰かがこちらに語りかける。
「まだ、記憶が混乱しているみたいだね……まあ、それだけの怪我を負えば仕方が無いか。」
その男は、どうやら頑丈そうな檻の向こうに居るらしい。
『なんで』
そう思った矢先に、気がついた。
「――ああ、そうか……俺が、中にいるのか……」
だが、次に浮かぶのは何故自分が檻の中にいるのかという疑問だ。
それにだらりと項垂れ、考え込む俺に男は穏やかに声をかける。
「ゆっくりと思い出せばいい。時間は、たっぷりとある」
優しく心地よさすら感じる声色にもかかわらず、どこか身の毛のよだつような不快さを孕んだ声。
それに思考をかき乱され、眉間にしわを寄せ熟考する俺に、得体の知れない男は続ける。
「だが、少しは急いだ方がいいかもしれないね」
「…………」
「じゃないと、また皆死んでしまうかもしれないからね」
何がだろう? 誰がだろう?
何でだろう? いつだろう?
わからない。わからないが――、
「――それは、嫌だ……」
「くはは、そうだろうね。君はそういう人間だ。――改めて、自己紹介をしよう」
俺の呟きをどう受け取ったのか、それを受けた男は芝居がかった動作で頭を下げ――言った。
「僕の名前はアルバート・センレンス」
「…………」
「この館の主人で、この『計画』の首謀者で、君の言うことろの――黒幕というやつだ」
「――アル、バート……」
計画。黒幕。死ぬ。アルバート・センレンス。記憶。首謀者。
頭の中で、それらがぐるぐると回っている。低回する思考。周り、回り、最初に戻る。
それでも答えが出ないから、当たり前みたいに最初へ戻る。
何度も、何度も。繰り返し、繰り返し。
――繰り返し。
「俺は……繰り返して……」
任されて、頼まれて、俺は再びそこへ舞い戻った。
――何をするため?
決まっている。
俺はそれを嫌という程繰り返して、何度も何度も繰り返して、胸にため刻み込んだこの記憶はそう簡単には消えたりしない。
俺がやるべきことは、ここで起こるすべての惨劇をなかった事にし、黒幕を見つけ、『計画』なんてものを叩き潰すこと――、
「アル、バート……、」
そして、その元凶がそこにいる。
「セン、レンスぅぅ……!!」
するべき事。しなければいけない事。
それを、今思い出した。
「ああそうだね、ギル・ルーズ。いかにもそれは僕の名だ」
そうして思い出した途端に、膨れ上がるのは真っ赤な憎悪だ。
「お前がぁッ! 全部――!!」
目の前すら眩むような、深く、濁った負の感情が、疲れ切り、傷ついた体を動かしていた。
「――やった。ああ、そうだよ。全部、僕の仕業だ」
そんな俺の怒号に、アルバートは平然と答える。 俺の怒りなど、羽虫のさえずりほどにしか聞こえていないと、そう言われているようだった。
――それがさらに、癇に障った。
「ふざけんじゃねえよ! お前は、お前だけは必ず殺してるッ!!」
「その体で、どうやって?」
「から、だぁ……!?」
血走った目で睨みながら怒りに震える声で復唱し、俺は自分の体を検分する。
これだけ負の感情を向けていても平然と意見し、挙句に従わせてしまうオーラと、それにまんまと従ってしまう忌々しい自分。
そんなものへの驚愕も、怒りも、
「――あ、れ?」
包帯に巻かれた、関節を失うほどに短い右腕を見た事で四散する。
「うわぁぁぁあああああッッ!!?」
「ああ、やっぱり驚いてしまうよね。それは」
「……は、はぁっ!? ……ぇ……は?」
「でも、どうか安心してくれ。僕は、君と話がしたいんだ」
「は、な……しぃ……?」
滝のように溢れる冷や汗を拭おうとして、残った左手が鎖に繋がれていることに気がついた。
状況がわかればわかるほど、意味がわからなくなっていく。さっきまで全身を支配していた灼熱の怒りは、氷点下の恐れへと塗り替えられていく。
「あ、そうだ。傷はもう塞いであるよ。欠損した右腕と左目は無理だったが……それ以外は完璧だから安心してくれ」
「左目……?」
「クローズがやってくれたんだ。君の姿を見た時の蒼白な様子には胸が痛んだが、仕方ないと割り切ってもらった。物分かりがいい友人ばかりで、僕は幸せだよ!」
驚愕に打ち震える俺を置き去りにして、アルバートは早口にまくし立てる。別段、先を急いでいるのではないだろう。ただ、久し振りに会った旧知に募る思い出話を話したくてついつい気がはやってしまったような、だいたいそんな感じだろうか。
――一言で言って、狂っている。
気付けば先の怒りは完全に消え去り、今俺を支配しているのは、凍えるような冷気だった。
歯は鳴り、手はこわばり、肩は震え、目は泳ぐ。
そんな、怯えきった子供のような有様。
「ああ、怯えることはない。僕は君と話がしたいんだ。」
それに、アルバートが優しく声をかけた。
――だが、それは見当違いだ。
「なにも、お前が怖いわけじゃねえよ……」
「……ん? じゃあなんで震えてるんだい?」
そうだ。俺は別に、ただ自分が脅かされることに恐怖しているわけじゃない。
それに対して怯え切らないくらいには、俺は『最悪』への経験を積んでいた。
「みんなは、無事なのか……?」
だから、俺が怖いのはそれ以外の理由。
つまり彼らが死ぬ事だ。立てた誓いが、結んだ約束が、正しい行いが、できなくなる事が何より恐ろしかった。
「どう、なんだよ……っ!?」
「――それには、イエスとだけ答えよう。そうだ。僕はまだ彼らに手を出しちゃいない」
「ああ、良かった……」
体の力を抜き体を傾けると、ジャラリと鎖が音を当てる。
どうやら、倒れこむ事はできないらしい。
「――じゃあ、話の続きをしようか」
そんな俺に、アルバートは言った。
「話の、続き……?」
「ああ、そうさ。僕は君に興味がある。全てを教えてもいいくらいに、興味がね」
「興味って……まさかそんな理由で――!」
「――そうだよ? 僕は、私利私欲のために『これ』をしているんだ」
彼の言う『これ』が、一体なにを指すのかは、この状況なのか、この計画の事なのかはわからない。
だが、どちらにせよこいつは危険だ。
「そんなにおかしいかい?」
「それは、おかしいだろう……」
「――でも、君たち人間だって皆自分の為に動くじゃないか」
「そんな事は――!!」
『違う』と、そう言いかけた口が、勝手に閉じた。
「…………」
いいや、違うな。そう言い切る事ができなくて、意図的に口をつぐんだのだ。
「我利私欲のために他を貶め、私利私欲のために他を喰らう。自己陶酔のために他を救い、自己満足のために他に与える」
「そんなのは、嘘だ」
「いいや――現実だ」
こいつは、いやにもっとらしい事を言う。まるで、自分は全てを知っているみたいに。
「でもさ、それで救われるならいいじゃあないか! そう、僕は思うんだよ!」
根拠のないただの虚言だ。
くだらないただの戯言だ。
意味のないただの妄言だ。
中身のないただの狂言だ。
きっと、そのはずなんだ――。
「なんの理念もない自己満足は、時に他を救うんだ!
なんの罪もない小さな犠牲は、時に多を救うんだ!」
そう言って詭弁をまくし立てるあの忌々しい怪物に、俺は問う。
「正気か?」
「本気だよ」
その答えは、それだけだった。
「……ああっと、無駄話もこの辺にして――まずは何が聞きたいかな?」
勢いのまま置いてきぼりにしておいて、アルバートは慌てたように取り繕う。
「お前が……なぜ『記憶』を持っているかについてだ……」
極限に達した恐怖と絶望が冷静にさせたのか、それに対して俺は問いを投げかけていた。
「おっと、覚えてたか。ちょっと驚いたなぁ」
「いいから……早く答えろよ」
「くははは、せっかちだなぁ、ギルくんは」
急かす俺を楽しそうに嘲って、アルバートは手近な椅子に腰を下ろした。
地下牢の冷たく湿った空気か、彼の持つ独特の雰囲気かはわからないが、猛烈に居心地が悪い。
「じゃあ、まずは僕の正体からだ」
「ああ……」
「僕は《妖狐》というものだ。化け狐とか、そういった言われ方もするね」
「それは知っている。――だけど、それはなんなんだ?」
「ふむ、難しいね。じゃあ、まず僕の目的を言おう」
「目的……」
「僕の目的は、新たな依り代を見つけ出す事。この今にも朽ちそうな体を、新しい新鮮なものに取り替える事だ」
語られたその内容に、俺はただ絶句した。と言っても内容ではない。
そのそれを言う彼の態度の、身勝手さと救いのなさにだ。
「ああ……まさか君は僕にも崇高な理由があったりするのかと思ったのかい? いや、それとももっと醜悪な悪を望んだのかな?」
アルバートは、そんな俺の内心をまるで書いてある心理描写を読み解くようにスラスラと看破する。
そして、正直その通りだ。俺はこいつに何か理由があって、それを突き詰めていけば何か辞めさせたり、止める手立てが浮かぶものと思っていた。
――それがなんだ。
「生きるため……」
これでは手立てなど、あるはずがない。
「だから言ったじゃないか。全部、自分のためなんだ」
「あいつらをここに集めたのも、ここで起こったこれまでのすべての惨劇も、これからまた生まれる苦しみも悲しみも――!!」
「全部、僕のためだ」
「ふざけんじゃねえよッ……!」
「――理解できないのは仕方のない事だ。人種どころか、種族が違う。君は災害に理由を問うのかい?」
「てめえは、災害じゃねえだろうがッ!」
「くははは、その通りだ」
怒鳴る俺に、終始アルバートは楽しげだ。
こいつはきっと、愉しいんだ。人が苦しむのが、人が悲しむのが、人が涙をこぼすのが、愉快で愉快でたまらないんだ。
「さて、次は僕がした事を話そうか」
「…………」
「おっと、とうとう黙ってしまったか……連れないね。――まあ、いいよ。まず、君たちを集めた時からだ。
僕は微弱ながら人を操る能力を持っているからね。事情報収集に限っては敵なしなんだよ。
で、それを使って君たちの存在と、そのプロフィールを調べ上げたというわけだ」
「でも、俺は例外なんだろ……」
「ああ、そうだね。例外で、イレギュラーだ」
アンチェンタやクローズさんにも言われたが、何か深い意味でもあるのだろうか。
いや、どうせこの話好きの男は訊かずとも勝手にしゃべる。今は邪魔をせず、黙って聞くのが得策か。
「まあ、それは最後にとっておくとして、続きだ。
まず、僕の計画の初段回は僕を『何者か』に殺させる事にある。それによって疑心暗鬼を誘い、最後に残った破綻者を、僕が載っとるという寸法さ」
「――は?」
「ん? そんなに不思議かい? 自らを殺させ、走査線から外れる。そんなのありふれていて大した事じゃないじゃあないか」
確かに、殺されたふりをして容疑者から外れようと画策する犯人は、推理小説なんかではセオリーだ。
だが、実際に殺されるなんて、そうそうないだろう。
「あ、そうだ。これはまだ言っていなかったね。……僕が人の人格を乗っ取る条件は大きく分けて2つあるんだ。
――まず、1つが自分を殺させる事だ。僕は僕を殺した人間に、強制的に『憑く』事ができる。……と言ってもそれは一時的でね。持ってせいぜい5日程度なんだ。そうなれば、新たな依り代が必要になる。
あと、もう1つは心を完全に壊す事だ。心が死んだ空の肉体は、乗取りやすく長持ちするんだよ。ただ、逆の場合は乗っ取るのに時間がかかる上に、すぐに朽ちる。最後に君に入ったのも、かなり苦肉の策だったよ」
『まあ、おかげで今こうしているわけだけれどね』そう言って、アルバートは笑った。
「そうか……」
アルバートが記憶を有していた理由が、やっとわかった。
あの時、俺がリナさんの額を撃ち抜いた瞬間にも、彼は俺の中にいたのだ。俺の心の一部として、確かに存在していたのだ。
「あの時、5日目に俺を打ったマルコスは、お前か」
「ああ、そうだよ? よくわかったね。なんでわかったのか、参考までに聞かせてもらえるかな?」
「別に、単純に様子がおかしかったんだよ」
「ふぅん……そうか」
「――あと、マルコスは俺を名前ではそうそう呼ばねえよ。発破かけた時の1回以降は、特にな」
「くは、くはははは! 名前か! それはしまったな! くははは!」
1000回繰り返してやっと1回だ。それが、あんな簡単に口にするわけがない。
「はは……あーっと、ちなみにそれまで僕はクローズを媒介としていたんだ。――僕を殺したのは、彼だよ」
「クローズさんが……」
人質として取られた娘を救うためだろうか? だとすれば、そんな娘を愛する親の気持ちすら、こいつはまんまと利用したわけだ。
「最低だな……」
「くははっ! ひどいなぁ!」
心底楽しそうに笑う彼の、その姿を睨みつけて、ふとあることに気がついた。
「ん、どうかしたかな?」
そんな俺の機微に、アルバートは細かく反応する。
「笑い方……欠陥品と同じなんだな」
「あ、ああ、彼か。はは、それはそうだろうさ」
「……あ?」
「だって、彼は僕のなり損ない――『欠陥品』なんだからね」
こいつは、言うこと為すこと総じて狂っている。俺は一体あと何度驚愕に打ち震えなければならないのだろうか。
だが、そんな俺の感情をよそに、アルバートはまた口を開いた。
「彼はね、僕が干渉したにもかかわらず、唯一退けた稀有な例なんだよ。本当に、特例中の特例さ。仲間の傭兵団をすべて失ったと聞いた時は、正直いけると思ったんだがね」
「あいつは、強いからな……」
「――まあ、今では『君を除いて』という但し書きが付いてしまったけれどね」
そう言って笑うアルバートの瞳には、羨望にも似た色が伺えた。
それは、俺にはたまらなく気持ちが悪いだけだったが。
「――でも、退けたなら……欠陥品の奴はなんなんだよ……?」
「ああ、あれは――僕の残滓だよ。成り損ないの、出来損ない。それが彼だ」
「……なんだよ、それ」
「くはは、わからなくていいんだよ。君は、僕や彼とは違うんだから」
理解できないと項垂れる俺に、アルバートはそう言った。
悲しそうな、寂しそうな、そんな声だった。
「それとも……」
だが、それはまたすぐどうしようもなく楽しくて仕方ないような声色へ変わる。
「出来損ない同士、作り物同士、通じるところでもあるのかい? ……ねえ? ギル・ルーズくん」
――そして、アルバートは語りだす。
「いや、違ったな。誰にも愛されなかった『失敗作』だっけ?」
「な、んで……それ、を……?」
やはり、こいつは人が苦しむのを見るのが――、
「さあ、話を続けよう」
――どうしようもなく好きらしい。
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