第十一幕『潰えた希望』

「ぐっ……ごほ、ごほっ!」


 本の群れの奥から分厚い資料を引き抜くと、上に積もった埃が舞う。その舞った埃を手で払いながら、俺は涙目の目を擦って呟く。


「ここは、まだ使われてないってことか……」


 前回マルコスが言っていた資料室で、俺はこの館に纏わる事についての資料を探していた。


 繰り返した千回分の記憶から、書類や文献はすべてこの一室に集合していることはわかっている。


「バレレンが持っていた本の切れ端――あの本体も、ここにあるはずだ」


 だが、いかせん多過ぎる。見上げるほどに隙間なく積み上げられた本棚が部屋を区切るように置かれ、壁すらもすべて本で埋め尽くしているのだ。


 最早、資料室というより図書館といった風情だった。


 ただ、綺麗に分別をされた並びのため、総当たりを強いられるということは無さそうだが――、


「――おや、ギルさん。なにか探しものですか?」


 そんな打算にはやる気持ちを落ち着かせていると、背後から声がかかった。

 振り向けばほとんど話したこともない館の主人であるアルバートさんが、そこに立っていた。


「はは、何もそこまで驚かれなくても。死人にあったような顔をなされますね」


「あ、いや……」


 穏やかに笑うアルバートさんに合わせて俺も笑みを作るが、ぎこちないそれは彼の瞳にどう映っただろうか。


 そんな不安ばかりがつきまとって、さらに笑みがぎこちなくなるという悪循環。


「……すいません」


 それをなんとか振り切るように、俺ははにかみ笑いとともに短く謝罪を口にした。


「ははは、何を謝ることがありますか」


「確かにそうですね……えっと、どうかしましたか?」


「――実は、私も丁度本を探していましてね。どうです? 気に入ったものはありましたか?」


「あ、すいません勝手に!」


 その言葉に、俺はハッとさせられた。

 前回、前々回と今までの繰り返しの全てにおいて最初の被害者となっていたのがアルバートだったせいで、大抵この館の権利はあやふやになっていたのだ。


 だが、今回その主人である彼がいる以上、勝手な行動はまずいだろう。


「ははは。ですから、いいんですよ」


 そんな俺に対しても、アルバートさんは人の良さそうな笑顔でそう声をかける。

 どうやら、ここにはかなりの人格者らしい。


「ここには随分人が来ていませんでしたからね。退屈で仕方がなかったんですよ」


「ずっとここに住んでるんですか?」


「はい、そうですよ。これでもかなり若い頃は頑張っていたんです」


 苦笑し、必死に言葉を選ぶ俺に、アルバートさんは楽しげに答える。


「ははは……」


 館の主人である彼に怪しまれ、放り出されてしまえば何もできなくなってしまうのだ。必要以上に慎重にもなる。


「――ところで、ギルさんはどんな本をお探しで?」


「あ、ああ……えっと……特には決まってませんね。その場で面白そうなものを、と思いまして……」


「ふむ、なるほど。ならこれなんかどうですかな?」


「ナイトウォーカー……?」


 手渡されるままに受け取り、俺は手のひらよりも数センチばかり大きなそのファイルを広げ、ページをめくる。


「ナイトウォーカーとは……夜に屋外をうろつき歩きまわる犯罪者や売春婦、または夜行性の動物のことを指す。また、盗賊や吸血鬼や夜行性の獣人、それに類する種族を指すこともある……尚、ここでは後者を示す――、」


 そこまで読み上げて、俺は首を傾げる。それは、どうも俺の求めている情報とは違うらしい。


 そう思って本を閉じかけた手が、その拍子にめくれたページに書かれた文章に止まる。


「人狼に、ついて……」


 そこには、俺もよく知る人狼についての内容が、詳細に書かれていた。


 身体能力や、ある日の満月で起こる変身。弱点の銀やトリカブトなど、それはもう事細かにだ。図説や、写真まで付いている。


「どうです? 興味は湧きましたか?」


「はい。――これは……アルバートさんの私物ですか?」


「いや、お恥ずかしい。年甲斐もなく趣味はオカルトよりでして」


「いや、年甲斐って……まだ十分若いじゃないですか」


「くはは、気持ちのいいことを言ってくれる」


「それに、その……いいんじゃないですか? 夢があるってのは」


 そう言って、俺は緩やかに微笑んだ。


「ほう……と言うと?」


「いや、特になにってわけじゃないんですが――、」


 彼と話していると、何となく落ち着くのだ。


 持っている独特の雰囲気やオーラがそうさせるのだろうか。


「――私には夢があるんだよ」


「へぇ……いいですね。羨ましいですよ」


「いやいや、そうでもないさ」


 それは、感じたことのない深い安心で、心が洗われ、温かいぬくもりに包まれるような安堵感――、


「夢や幸せなんて持つ前には特別に見えるものさ。でもいざ手にした途端に、それはただの平凡に変わってしまうんだ」


「そうですかね?」


「なんと言うか、身も蓋もないけどね」


 言葉1つ1つが、緊張した体と心を解きほぐし、緩やかな安息へ誘う。


「でも、持っていない俺にとってそれは、まだ特別なものだからやっぱり羨ましいですよ」


「ふむ、やっぱり君は面白いね」


 彼のような人間こそが、人を導くに値する。カリスマとは、こういうことを言うのだろうか。


「――ん?」


 そんな安らぎの中、胸の奥に小さなささくれのような『違和感』が生まれた。


「どうかしたかい?」


「い、いえ……べつに……」


 何だろう。そう気になりはするが、今はそれに気づかないほうがいい気がする。気づかないほうがいいのだと、誰かが言っている気がする。


「それより、もっと話をしましょう」


「くはは、それはいい」


 それに、この楽しい会話を、安らぎを、失いたくないと思った。

 そうだ。些細な疑問などくだらない。どうでもいいじゃないか。


「――だが、それはいいのかい? 折角見つけた手掛かりだろう?」


「ああ、いいですよ。気にしないでください」


 今この時間に比べれば、俺は――、


「いや、そうはいかないよ。それは私が勧めたものでもあるんだ。頼むよ、それでは私の立つ瀬がない」


「そこまで言うなら……」


 興味の薄らいでいた俺は、しかし強く促されるまま渋々次のページをめくる。するとそこには、白い狐の絵と共に【妖狐】という名が載っていた。


「ん――、」


 ――そういえば、バレレンが持ってたページの切れ端にも同じ事が書いてあったな。


 なんとなく、人狼についての記載に目がいってしまい気が付いていなかったが、それも十分に不知で不穏だ。


「妖狐とは、白い狐の姿をした魔物である、か……」


「どうかな? 探している真実の、その発見の手助けくらいはできたかな?」


「はあ……どうでしょう」


「なにか、思うことはあるかい?」


「いえ? 特には、ありませんが……」


 神妙に訊くアルバートさんに、恐る恐る答える。なんだろう。なにか、試されているみたいだ。


「いや、ならいいんだ……どうやら、終わったみたいだしね」


「え、なにがですか?」


 訊き返す俺に、アルバートさんは柔和な笑顔で答える。


「いや、いいんだ。さあ、話を続けよう」


「あ、ああ……はい。そうですね」







『――そうじゃねえだろ』






「……は?」


「ん、どうかしたかな?」


「い、いえ……本当に何でも――、」


 突然、そんな陶酔した頭に、誰かの声が響く。





『なに、してんだよ』





「や、やめろ……」


 それに対して、俺は耳を塞ぎ、無視を決め込む。




『そんなこと、してる暇はないだろうが』




「何だよ……うるせえな……」


 頭の中に直接響くそれは、耳を塞いだ所で小さくもならない。



 声は止まない。



『救うんじゃないのかよ。助けるんじゃな、かったのかよ』



「なにをだよ……? 誰がだよ……?」



 耳障りなその声は、俺に問う。



『全てをだよ。お前が、そう誓ったはずだ』



 声は、簡潔に答える。



「俺が、誓った……?」




『そうだ。お前は、リナさんに、シャルルに、アンチェンタに、助けるって誓ったはずだ』




「リナさん……シャルル……アンチェンタ……」


 その名はなにか、麻痺した記憶を呼び覚まさますようだ。

 それがなんなのかは、まだ俺にはわからないが。



『そんな所で、休んでいる暇はないだろう』



 それでも声は、辛い過去と現実を俺に突きつける。



「――ギルくん? 本当に大丈夫かい?」


「大丈夫、です……」


 混乱に狼狽える俺を心配してくれるアルバートさんの声は、優しく穏やかで、その甘露な言葉に浸りそうになる。




『いいから、早く苦しめよ』




 逆にその声は至る所に棘があって、優しさや穏やかさとは無縁のそれだ。


「――そう、だよな」


 だが、俺にはそちらのほうが好ましい。


 ただ、何の意味もない怠惰な甘みなど、


「――俺には、幸せが過ぎる」


 そう呟いた途端、霧がかったように、麻痺したように不鮮明だった頭が、一瞬で晴れた。


 真っ白でも、真っ黒でもない、様々な色が混ざり合ったような不完全な灰色の世界。


 そこに浮かぶのは、数々の疑問だ。


「……アルバートさん」


「――ん?」


 静かに、逸る気持ちを押さえつけて、俺は彼を問いただす。


「なんで、俺にこれを俺に進めたんですか?」


「……えっ?」


「――なんで、俺が何かを探していると思ったんですか?」


 発せられた問いに鼻白んだように目を瞬かせるアルバートさん。その彼に、俺は質問を畳み掛ける。


「くはは、知っていただなんて大袈裟な。こんな場所に居ればわかるとも。君が――、」


「――本を探していると、そう思うはずだろ、普通なら」


「……ほう」


 敬語口調すらもどかしく、先の従順な態度を殴り捨て、俺は睨みつけるように続ける。


「俺は……ある理由でここを資料室と知っていた。だけど、普通の人が見ればここは図書館だ」


「…………」


「それに、俺が言ったじゃねえか。『その場で面白そうなものを、と思いまして』ってよ」


 沈黙を貫くアルバート・センレンスに、俺は先の自分の情けなさを嘆きながらも畳み掛ける。


「挙句には、本ではなく資料を渡してきた。それも、こんなピンポイントでだ」


 ここまで言っても、彼はその余裕な態度を崩さない。


「だいたい、まず持っておかしいんだよ。あんだけ盛大にドンパチやったんだ。異変に気付いて、何かあったのかって騒ぎ出すだろ」


 しかし、思い起こせばおかしな点はいくらでも出て来る。最初の被害者という定義付けが、どうも判断を鈍らせていたらしい。


「それも、ここで何かが起きると以前から知ってなきゃの話だけどな……」


 それに、今思えば彼が『生きていた』という変化こそが、この館で起きる事態の変化に直結していたのだろう。


「正直に答えろ、化け狐」


 だから俺は、長い間追い求め続けた真実とその首謀者に、


「お前が、黒幕か」


 憎悪と殺意とともに、問いを投げかけた。








「――くはは……、やっとか」


 だが、返答は変わらず余裕を持ったそれだった。


「……意外と、驚かないんだな」


「いいや? これでも驚いているんだよ。嘘をつくのが得意なだけなんだ。外見を取り繕うのが、得意なだけなんだよ」


「……そりゃ、羨ましいな」


 肩をすくめてそう嘯くアルバートに、俺は静かに答える。


「ふふ、僕にはこんな状況でそんな軽口を叩ける君の方が羨ましいけどね」


 飄々とした態度で一人称すら変わり、踊るような楽しげな口調で話す彼は、どこかあの粗雑な欠落者と重なった。


「やはり……君はイレギュラーだね」


「イレギュラー……?」


「ああ、イレギュラーさ。僕が操れるようになるだけの弱みと、崩壊の糸口になる心の傷。それらがないと入れないはずのこの屋敷に足を踏み入れながら、なにをしても歪まないその矛盾……いや、元から歪んでいるから、かな? 本当、実に興味深いよ」


 ペラペラと早口に捲したてる彼の言葉は、理解が及ぶのに分かりたくないような。そんな不快さを孕んでいた。


「さっきとは大違いだな……」


「まあ、さっきは僕が君の心を弄っていたからね。ああ、あと……前回マルコスくんに激しい怒りを抱いた時もかな?」


「――は?」


 今、彼は何と言った?


 前回と、そう言ったのか?


「な、んで……ッ!!」


「――ん?」


「何で、お前がそれを――!!!」


 叫んで、そのニヤけ面を下にある襟を掴んで、引き寄せて――、





 そして、何度も回転した世界の先で、気付けば俺はびしょ濡れの地面に転がっていた。


「……ぁ………は……?」


 掠れる声が漏れる。息が、漏れる。何かが、溢れる。


 なんだ、何が起こった?


 いや、何が起こってる?


「……あ…………ぅ……」


 状況を確認するため、周りを見渡そう。


 そう思って、体を起こそうと手を動かして、その手が動かない事に気がついた。


「…………ぁ?」


 そうやって、手が動かない事に気がついて、その手が存在しない事に気がついた。


「は……? ぁ、ぁあ……!? あがぁっ! ぐぁがぁあぁああああ!!!」


 ――痛い痛い痛い痛い痛いっ!!


「あが……っ! ぃあ゛……ぐぁあ……!!」


 悲鳴と苦鳴も、この発生した苦痛からは救い出してはくれない。


 だが、それでも勝手に出てしまうのだから、仕方が無い。


「おいおい……ひっでぇ有様だなァ……ギル?」


「ゔ、あ――?」


 そんな俺を見下ろして、左のみの霞む視界の先で巨漢の男が嗤う。


「探してんのはこれか?」


 そう言って、男は血だまりの床から真っ赤に染まった資料を取り上げ、ぶらぶらと見せつける。


 そんなものを探していないのは知っているだろう。嫌なやつめ。


 ああ、痛い。ああ、苦しい。


 いっそ、死んでしまいたいくらいだ。


「――手荒な真似を許すとは言ったが……これはやりすぎだろう」


 そんな彼を、横からアルバートが嗜める。


「仕方無えだろ? 今俺が助けなきゃ殺されてたぜ? お前」


「だから……それでもいいと何度言えばわかるんだ」


「あ、悪りぃ悪りぃ。すっかり忘れてたぜ」


「――わざとだろう」


 そんな気の抜けた会話を聞いていると、それが途切れた数秒後に、血でできた水たまりを踏み荒らす何者かの足音が近づく。


「すまないね。ギルくん。僕はもっと君と話していたかったんだが……いうことを聞かないんだよ彼。許してくれ」


「ぁ……ぅっ……、ぇぁ……」


「ケッ、言ってろ」


 そんな彼の謝罪に、心底不快そうに欠陥品が鼻を鳴らした。


「まあ、まだ騒がれても死なれると困るからよ……寝とけや」


 そして、そう言って振り下ろされた拳を最後に、俺の意識は途切れた。

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