第二十一幕『裏切り者』

 食事場と化した広間へ向かい、そこで昼食を終え、食器を片付け終わった頃には、時計はもう4時を回っていた。


 またもや食事が遅くなったのは、リナさんが完成した料理を運ぶ途中でひっくり返したからだ。

 だが、そのお陰で遅れず食事にありつけたのだ。今は感謝をしておこう。


 その後リナさんはみんなに謝って回ったらしく、俺の部屋まで来た時には、生まれたての子鹿みたいに震えていた。話を聞けば全員に許しをもらったようだ。

 それもあのマルコスにまでだ。廊下で見かけたときは何か少し話し込んでいた風だったが。


「まあ、相手が相手だしな……」


 呟きながら、その椅子に浅く腰掛け膝に肘をついて不満そうな顔をしている男を、怪訝な面持ちで見てみる。


「なんだ、平民。物乞いならなにもやらんぞ」


 すると、視線に気がついた彼から案の定癪に触る言葉が帰ってきた。


「要らねえよ。ってかお前に物乞いしてもストレスとかしかもらえなさそうだしな」


 俺は手のひらを上に向け脇を締めて肩をすくめ、それに加え最大限にムカつくであろう表情を作ってそう返す。


「己より上位の存在へ敬意を払うどころか嫉妬心と敵意を向けるか。ハッ、いかにも低俗な思考だな」


「お前……本っ当、物語に出てくる典型的なムカつく貴族って感じだな。実は役作りとかしてたりするんじゃないか? だったら友達減るしやめたほうがいいぞ?」


「おい、貴様。貴様と俺では本来ならば話すこともできないほどに階級に差があるということを忘れるなよ? わかったらせいぜいわきまえろ」


「お前なぁ……!」


 ぎりりと歯を鳴らす俺に一瞥をくれると、お偉い貴族様は鼻を鳴らしてこちらではない何処かを向いてしまった。

 そんな彼の横顔に、ふと思い出した言葉を投げかける。


「――ってかその“平民”ってのどうにかなんないのかよ? いちいちややこしいんだよな。お前、クローズさん以外のことみんなそう呼ぶからさ」


 そう、こいつはクローズさんのことはそのまま“クローズ”と呼ぶのだ。本当に、あの人には本当に聞きたいことが山ほどある。


「ふむ――、確かにそうだな。わかりにくい。少し変えてみよう」


 意外と物分かりのいいマルコスに正直驚く。あの態度は高飛車な性格から自然に来るものであって悪意とかはないのだろうか?


「なんだ……本当に考えてくれるのな。お前ならてっきり『ハッ、調子にのるなよ? 平民』とか言ってくるかと思ったのに」


「おい、似てない物真似とその不細工な話し方はなんだ」


「いや、今のは結構似てたと思うぞ? なあ?」


「はい、すごくそっくりでした」


「ふざけるなよ貴様ら……」


 悪ノリするシャルルとその元凶たる俺に鋭い視線を向け、ソファから腰を浮かしたマルコスをリナさんがあわあわとなだめる。


「あ、そうだ。名前は考えたのかよ?」


「……ああ、たった今決まったぞ」


「へぇ! どんなんだ?」


「――愚物」


 これには俺も流石に黙り込んだ。


 なんなんだ、こいつは。


 しかもそれを言い放つマルコスの目にはあまり悪意が感じられないのだからなんとも言い難い。


 そんな内心を余所に、俺のあだ名は『愚物』に決定した。


「あの、ギル……愚物さん」


「お前は普通にギルでいいだろ! 変に影響されるなよ!」


「では、ギルさん。あの、ガルディさんとクローズさんがいませんが、どうなされたんでしょう?」


「ん? あ、本当だ……でも、あの人たちのことだし大丈夫じゃないか? まだ別に夜遅いわけでもないんだし……」


 だが、しかし心配なのも事実だ。あの大男はともかくクローズさんが無断で姿を見せないのは珍しい。


「ま、まあ、それもそうですね。すみません変なことを聞いて」


「いいよ。別に。聞きたいことや話したいことがあったら隠さず言ってくれよ」


「はい。ありがとうございます。――でもそれ、ギルさんもですからね」


「うっ……」


「聞きたいことは別としても貴方は溜め込む癖がある。だからそういったときは私に相談してくださいね」


「……ああ、わかったよ。約束だ」


 指と指を組むのは、この歳になって流石にしないが、おきまりの指切りげんまんを唱えお互いに顔を見合わせ笑いあう。

 同じ笑みと言っても俺は普通の笑み、シャルルは呆れたような微苦笑だが。



******************



 【 2時間前 】


  俺は広間のソファに座り、久しい一人の時間というのを味わっていた。

 視線をずらし玄関横に設置されている古そうな大時計を見る。時刻は夜の6時ぐらいだ。


 みんなはそれぞれ自室へ戻るか風呂に入ってしまった様で、ぼーっとしていた俺は完全に置いてきぼりを食らっていた。


「ああ……久しぶりに“独り”だな……」


  この館に来るまでは、ほとんど1人だった。出会う人々は悪い人ではないのだが、基本森から出ることのない俺は人と顔をあわせることがまずないのだ。

 帰ってくれば目を覚ますことはほとんどないクレアと2人きり。


 別にそれが苦であったわけでないのだが、こうしてたくさんの人と触れ合うことが出来るのはやはり嬉しいと思う。


 そんな当たり前になりかけていたそんなことを今、改めて再確認した。


「――って、ちょっと置いてきぼり食らったぐらいで何感傷的になってんだ……」


 そう言って立ち上がり、キョロキョロと辺りを見渡す。

 そろそろ俺も風呂に入ろう。だが、場所はどこだったか。


 とりあえず手当たり次第に当たることにして右側の一番奥のドアを開けてみる。


「間違えたか……」


 開いたドアの先は薄暗く、ぼんやりとしか見えない。だが、身を乗り出して目を凝らすと、どうやらそこは厨房のようだった。


 ――ふとバレレンのことを思い出した。


 だったの数日前なのに、随分と昔みたいに感じてしまう。だが、その恐怖は鮮烈に俺の脳裏に焼きついている。


 鳥肌が立ち、冷や汗が垂れる。


 それはまるで、暖かくて輝く様な平穏から、無機質で血生臭い惨劇に引き戻されるような感覚。


 言い知れぬ不安が押し寄せる。


「シャルル……」


 ――気付けば、俺は走りだしていた。


*****************


 【 1時間前 】


「本っ当に――何やってんだよ、俺は……」


  俺は1人、シャルルの部屋の前に立っていた。自分で考えていたよりも見知った人物の死と命の恩人である赤頭巾の少女の存在は、俺にとって大きなものになっていた。


「どうせここまで来たなら、最後まで……」


 そう呟いてドアをノックするが、返事はない。どうやら、音が小さかった様だ。

 だから俺はもう一度、今度は少し強めにノックする。


 だが返事はない。


「……あれ?」


 俺はドアに耳を押し付け中の音を聞いてみる。これではまるで変質者だ。衛兵に見つかれば現行犯で牢屋にぶち込まれるレベルの。


「…………」


 中から微かに声が聞こえるが分厚いドアに阻まれ聞き取れないから救えない。いや、それは逆に救いだろうか?

 だが、なんとなく聞こえてくる声の感じから察するに誰かと話している様だった。


 ――よかった無事の様だ。


 そう思うと、不意に顔を見たくなってしまった。本当に情けない。


「シャルル、入ってもいいか?」


「……ん、ああ、いいですよ」


 長々と悩んだ挙句、意を決して聞いてみる。すると、中からどことなく上の空な返事が返ってきた。


「じゃあ入るぞ」


 その返事を聞き、扉を押し開け中に入る。


「え?あ……! やっぱりダメです!! 今は入っちゃ――、」


 すると、突然中からドタバタと何かを隠す音や声と共にドアの向こうから上ずった少女の声が響いた。

 だが、そんな声が聞こえたのはもう俺がドアを開き中へ足を一歩踏み出した丁度その時だった。――つまり、もう遅いという事だ。


「あ、あれぇ……?」


 部屋の中には、顔を真っ赤にしてこちらに走り、ドアが開くのを防ごうとしたであろう彼女が両手を前に出した片足立ちの姿勢で硬直していた。


 きっとこんなことは些細なことで、聞く人からすれば大した興味もないことだろう。だいたい予想はつくことで、だいたい想像はつくことである。


  だが、あえて特筆すればだ。


 シャルルは薄いピンクがかった最小限に身を隠す布以外を纏ってはいなかった。


 ――つまり、状況は最悪だった。


「ギ、ギルさん……これは流石にこちらの落ち度です。――ですがせめて何か行動をしてくれてもいいのでは……?」


 それは彼女が自身に原因があった事の後ろめたさに苛まれながらも、なんとかできるだけストレートに伝えようとした――有り体に言えば『出て行け』のサインだった。だが動転している俺はそれすらにも気づかない。


 何かすることがないのかと言われてまずシャルルの身体をじっくり検分してしまう。

 羞恥により薄く紅潮した肌の色はきめ細かく透き通るようで、すらっと細い足にも女性らしい弾力が見受けられる。

 また、くびれた腰は余計なものが全くついておらず、加えてあまり主張していない胸は――、


 い、いや! いやいやいや! 違うだろ! これはさすがにわかるぞ! 違うだろ!


 そう脳内で自分に自分でツッコミを入れるマッチポンプ。そしてやっとまとまってきた思考をめぐらせ次なる策を考える。


 やはりストレートにいこう――、


「シャルル……なんかよくわかんないけど――ありがとう。でも別に本音を隠さないってだけで、身体は隠してもいいんだぞ」


 俺ははにかんだ笑顔でそう言い放つと、親指を立てて歯を光らせる。


 ――数秒の間をおいて勢いよく閉められたドアに俺は額をしたたか打ち付けた。



*******************


「ほ……本当に申し訳なかったと思っています」


  再度部屋に入れてもらうなり即座に土下座を敢行した青年に、服を着替え終え、いつもの一張羅に身を包んだ少女がこれまたいつもの呆れた目を向ける。


「はあ、もういいですって。気にしてませんし……それにこれに関しては私が悪いですから」


「そ、そんなことは……でも、ありがとう。よかった。最悪変態のレッテルを貼られるかと思った」


「いや、心配しないでください。そのレッテルはもう貼ってあります」


「慰めるみたいな口調で言うなよ……」


「はははは、すいません。冗談です」


 本当に傷ついたようすで肩をすくめる青年に苦笑しつつ、赤頭巾の少女は立ち上がる。


「少し喉が渇きました。水を飲みに行ってきます」


「ああ、わかったよ。じゃあ俺も帰るかな。……別に用があったわけでもないし」


 そういって立ち上がった彼に、シャルルは愕然と目を見開いた。


「え? じゃあなんで来たんですか?」


「ん? ああ、なんて言うか――顔が、見たくなったから……?」


 放った問いかけに返された、彼のあっけらかんとした言葉にいちいち内面を掻き乱される。そんな人付き合いに対する拙さ。それに、心底うんざりする。

 だが、少女はそれをあくまで表面に出したりはしない。


「そうですか。ならよかったです」


  顔に出さないように、素っ気なく、無表情、無干渉を意識して部屋を出て行く。

 

 その閉じたドアから離れるまで、少女はかなりの時間を有した。



******************


 自分で水を飲みに行く――とは言ったものの、正直喉はそれほど渇いてはいなかった。


 ただ、年齢の近い異性と同じ部屋にいるというのがあまり慣れず、つい我慢できずに出てきてしまったのだ。


「それなのに少しそれを残念がってるって……」


 いつから自分はこんなに変わったのだろうと思う。――いや、“変えられてしまった”だろうか。


「確か私はこんな人恋しい人間ではなかったはずなんですが……」


 そう1人呟いてシャルルは暗く遠い廊下の先を見る。

 そこにはただただ闇が広がっていて、何もないように見えて、空虚な自分と重なる。


 そんな自分を命の恩人といったあの青年は、知らない間に自分にとって少しだけ大きな存在となっていた。


 付け加えれば彼女は不思議なことにここの住人には全員に古くからの知り合いのようなそんな感覚を覚えている。


 ――だが、その中でもやはり彼は異質で特別だった。


 何故だろうか。なんとなく。昔から知っていたような。昔から親しかったような。そんな感覚が出会った時からしたのだ。


 そして、その感覚は次第に強まっていっていた。


 ――きっと気のせいだ。人とこんな風に触れ合うなんて今までの生活の中で初めての体験だっから動揺しているんだ。


 自分にそんな言い訳をして少女は歩き出す。喉がそんなに渇いていないとは言っても、少しくらいは渇いているし、何よりする事がないのだ。


 皆自室にこもってしまって外に出ているのは自分くらいだ。そのせいで館には電気が点いておらず全体的に薄暗く場所によっては真っ暗なところもある。


 そんな薄暗い廊下を歩いていると、よく見ればクローズという男性の部屋のドアとガルディという男性のドアが半開きになっていた。

 2人でどこかへ出かけたのだろうか。


 そんなことを考えるが、別に中を見て確認をしたりはしない。自分は別にお節介焼きでもなければ正義感が強いわけではないのだ。


 あの青年ならばこれを不審に思い、己の中の正義感に突き動かされて首を突っ込んでしまうのだろう。

 どれだけ自分がひどい目にあうかがわかっていても、他人の為に。


 本人は否定するだろうがきっと彼はそういう人間だ。


 だが、シャルルはその前を通過して廊下を抜け、広間につながる階段を降りる。薄暗く足元が見づらいので実は途中2回ほどつまずいたが、転落は免れる事ができた。


 この館に来てからはいろいろな事があった気がする。ここにいた時間は短いが、今日も含めて濃密な数日間だったと思う。

 そして、その長く長く感じるような濃密な時間はこれからも続く。どころか、更に密度を増し大切な思い出となってゆくだろう。


 だだし、それが幸せかは別にしてだ。


「…………あ」


 気づけば、またもやドアが半開きになったままの調理場までたどり着いていた。


 その光景を見た途端、好奇心とは違うなにかに駆られ、シャルルはドアノブをひねる。

 そんな事をしてしまったのはきっと、さっきは意地を張って通り過ぎてしまったあの部屋や、あの厄介な青年のせいだ。


 ギィーといった重々しい音が、冷たく冷え込むような闇と静寂に響き渡る。

 調理場は暗く、奥が全く見えなかった。


 まるでそこだけ世界から欠け落ちたような、


 まるでそこに飲み込まれてしまいそうな、


 ――そんな闇。


 その闇に、蠢く人影を捉える。


 それに驚いて体が跳ねる。鼓動が一気に早まり嫌な汗が頬を伝う。

 蠢く人影は息を殺して何かを喚く。だが、その声は潜めきれておらず、確かにシャルルの鼓膜を揺らす。


「あのガキがうまくやってりゃこんな事しないで済んだのによォ! ガルディの野郎も邪魔しやがるし! っああ! 散々だぜまったくよッ!!」


 何を言っているのだろう?


 いや、それよりもその声には聞き覚えがあった。全く話し方やトーンが違うが、根本的な声色は同じに思える。


「まあ、ガキの方は殺す時は楽しかったし、いいとするかなァ……」


 その男が呟いた物騒な単語に瞬時に身を隠す。言葉もそうだが話し方だ。

 本気で殺しを楽しいと思い実行する異常な人間。見分ける事はできても、シャルルには全く理解できない人種だった。


 だからこそ、恐怖に身が竦む。


「あー……そうだ。どうせ“あいつ”ももう死んだんだ。好きにやろう。これはまあ――適当に塩にでも混ぜときゃいいだろ」


 男は尚も意味のわからないことを呟き続けている。


 目が慣れてきたのか闇に隠されていた男のシルエットが少しづつ見えてきた。男は座った椅子の前足を浮かしゆらゆらと揺れながら手で何か粉のようなものが入った瓶を弄んでいた。


 頭の中で様々な情報が連鎖的につながっていく――、


 その“塩に混ぜる”という単語。


 瓶に入った粉らしき物。


 厨房という場所。


 物騒な男の言葉。


 ――その条件からあの、悲しき狂人を思い出す。


 ならば、今男が持っているものは。


「――毒?」


 その事実に驚き、そして恐怖する。


 『 逃げよう 』


 即座にそう思うが体は言うことを聞かない。恐怖で腰が抜けたのかと思ったが、そういうわけでもない様だ。


「はあ……」


 自分には――正義感やお節介には程遠い存在だと思っていたのに。

 やはり自分はあの青年に変えられてしまったんだと思う。


 それに、あの青年ならばここで迷ったりしない。


「なに……してるんですか?」


 それにあの青年にもう悲しい思いはして欲しくないという感情が、私に口を開かせる。私の意志を奮い立たせる。


 というのも、目が慣れてきたシャルルにはおおよそのシルエットがわかるのでその人物を特定することができたからだ。


 これは、こんなのは――酷すぎる。


「あー、なにって……まあ、つまらないことだ」


 男は本気でつまらなさそうにそう呟く。いきなり後ろから声をかけられればもっと驚くかと思っていた。

 だが、彼はそんな様子を見せることなく平然としている。


 まるで発見されるのを待っていたかの様だ。


「つまらないこと――?」


「そうそう……で、今から楽しい事をしようと思ってなァ!! しかもそれ、金貰えるんだぜ?」


 今度は嬉しそうに声を上げる男に心の底から嫌悪感を抱く。


「楽しい事って……どうせ人殺しでしょう……?」


「ん――? ああ……『正解だよ』」


 低い声で囁く様に言って、影は立ち上がる。ゆっくりと歩み寄ってくるのがわかる。


 非力な“私だけ”では彼には太刀打ちできないだろう。だから、精々彼を睨みつけることで抵抗する。

 だが、それすらも楽しそうに彼は噛みしめる様に、ゆっくりと焦ることなく近づいてくる。


「死ぬまで、いい声で鳴けよ?」


 そんないかにもな台詞を吐いて男は武器を振り上げる。それを見て一瞬恐怖を覚えてしまう。恐怖に屈してしまう。

 咄嗟に、選んではいけない選択肢が頭に浮かんでしまった。


 その事に、それが浮かんでしまったという事に絶望して、シャルルは崩れ落ちるようにへたり込む。


 それが男には諦めたように見えたのか、楽しそうに、愉しそうに顔を歪める。


 目を閉じ、それが振り下ろすであろう死を、ただただ待つ。


 だが、なかなかその時は訪れない。目をきつく瞑り唇を血が出るほど噛み締めている自分を滑稽だと笑っているのだろうか?


 いや、だが笑い声は聞こえない。


 途中、金属と金属がぶつかり合う音が聞こえた気がした。


 ゆっくりと瞼を上げる。


 目を開ければ、そこには一人の青年が背を向けるように立っていた。


「大丈夫かッ!!」


 その青年は黒々とした長く分厚い直剣を盾に――その身を盾にシャルルを庇うように立っていた。


「――助けに来たぞシャルルッ!!」


 ギリギリと押し込まれる圧力に耐えながら、苦しげに青年は叫ぶ。

 そしてこちらの安否を確かめ終えたその顔は、ゆっくりと大き過ぎる斧を振るう男に向き直る。


 今朝着替えたばかりの服は所々埃や血で汚れている。きっと、暗い階段を全速力で駆け下りでもして転げ落ちたのだろう。


 それだけ、必死になって走り回ってくれたのだろう。


「てめぇ、どうゆう事だ……これは流石に冗談じゃあ済まされねぇぞ……」


 そんな彼は、歯を食いしばり苦痛に顔を歪めながら視線を男の方へ戻す。後ろに居るシャルルからでは見えないが、今までに見た事のないほどの“怒り”という感情がその背中からでも伝わってくる。


「――ガルディィィイイッッ!!」


 その叫びには、しかし怒りよりも悲しみや焦燥の感情が色濃く出ていた。

 そんな悲痛な絶叫を聞いて男――傭兵ガルディは凶悪に口元を歪める。


「冗談? ああ……俺ァ冗談は好きだが、確かにこれは冗談じゃないよな……? そうだぜ、冗談じゃない。全くよ……」


 ――お楽しみの邪魔はよくねえぜ?


 隠しきれない愉悦に震える声。


 それを聞いた青年の怒号は、再び悲劇の舞台となった厨房に響き渡る。


 そしてその声は、まだまだ深く深く暗い更なる絶望の――幕開けの合図となる。

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