第十九幕『束の間の安息』
男は、独り薄暗い調理場で白い薬の入った小ビンを片手に唸っていた。
「――何に混ぜりゃあ確実に殺れるんだ……?」
そう呟いた彼は、つまらなそうに椅子に腰をかけ足を組む。お世辞にも小柄とは言えない大の男の、その全体重を掛けられた木製の華奢な椅子が重圧に耐えかね悲鳴をあげる。
しかし、男はそんなものには構いもせず、ただただつまらなさそうに息を吐く。
「はぁ、つまんねぇなぁ……もっと楽しめると思ったのによ……あーあ! つまんねえなァ!」
その気だるげな調子は、なんの前触れもなく怒りに染まり、苛立ちのままに男は声を荒げる。
「あのガキがうまくやってりゃこんな事しないで済んだのによォ! ガルディの野郎も邪魔しやがるし! っああ!! 散々だぜまったくよッ!!」
一応は潜めた声で悪態をつき、苛立った目で周囲を見渡す。
その下で先程からミシミシと音を立てている四つ足の華奢な椅子。その耐久性など御構い無しに、彼は前2つの足を浮かして子守椅子のようにしてゆらゆら揺らす。
「まあァ、ガキの時は楽しかったし、いいとするかな……」
口元を凶悪に歪め、手をわなつかせながら男はうっとりとした表情になる。きっと、その瞬間を思っての事だろう。
「あー……そうだ。どうせ“あいつ”ももう死んだんだ。好きにやろう。これはまあ――適当に塩にでも混ぜときゃいいだろ」
そう言って男は手の中のビンを弄びながら立ち上がると、鼻歌交じりに棚から塩を探し取り出す。
その時、塩と間違えて砂糖を取り出し、そのまま間違ってその中に薬を突っ込むが、そんな間違いは彼にとって些細なことだ。
「なに……してるんですか?」
そう後ろから響いた声に比べれば、
些細なことで、つまらないことだ。
――だってこんなにも楽しい事が起きたのだから。
「あー、なにって……まあ、つまらないことだ」
「つまらないこと――?」
男は狂笑に歪む己が顔を隠そうともせず質問に答えると、それを受け訝しげに問いを重ねる侵入者は明らかに警戒の色を見せている。
どうやら自分が“何”をしていたか気づいていたようだ。そう確信すると、更に興奮がこみ上げる。
「そうそう……で、今から楽しい事をしようと思ってなァ!! しかもそれ、金貰えるんだぜ!?」
「楽しい事って……どうせ人殺しでしょう……?」
「ん――? ああ……」
『 正解だよ 』
小さな子供のように無邪気に、殺人鬼はそう言って歩き出す。
目の前の存在を蹂躙し弄び楽しみ壊すために。邪悪の限りをつくすために。
その存在を――殺すために。
*******************
【 12時間前 】
俺たちは朝食をとっていた。
時計を見れば盾のような装飾の短い針が8と9の中間を指し、槍のような装飾の長い針が、丁度真下を向いていた。
その、8時半過ぎというかなり遅めの朝食になったのはリナさんが料理を凝りすぎたせいだそうだ。
だが、その甲斐あってか料理自体はものすごくうまかったが。
「シャルルそのサンドウィッチ取ってくれよ」
「どれです? あ、これですか。あー、えっと――どうぞ」
「あり――がふッ!!」
シャルルが取ったサンドウィッチを俺の口の中にねじ込む。いや、誰が食わせてくれって言た。
だが、どうせ口の中がいっぱいで喋れないし、あの話し合い以来どこか機嫌のいいシャルルは何故か満足気なので、それを黙って咀嚼する。
しかし、不満を目で訴えかけるのは忘れずに、だ。
口の中でレタスのみずみずしい食感とトマトの甘酸っぱさ、分厚いベーコンのジューシーな肉汁とスパイスのマスタードが同時に主張し、それでいてそれぞれが引き立て合いながら舌の上で踊る。
「おいおい、お二人さんお熱いねぇ。随分と見せつけてくれるじゃねえの」
そう茶々を入れてくる声がなければもっとこの味を楽しむことができただろう。こうも鬱陶しいと、そう思わずにはいられない。
前回といい今回といい、彼は俺の食事の邪魔がよっぽど好きらしい。
「うるせえよ、ガルディ。お前みたいな一生独身まっしぐらなイカツイおっさんには若さは眩しすぎるだろ。サングラスかけとけ、つぶらなお目々が潰れるぜ」
「はっ! ガキにはこの全身から滲み出すダンディズムとワイルドなオーラがわかんねえんだろうな! それにサングラスなんてかけちまった時にゃ、人集りが出来ちまうっての」
「馬鹿か、お前は。1人で一生言ってろ」
こちらも昨日からやけに上機嫌な様子で、正直絡み方が鬱陶しい。それがほぼ一日中となれば、返事が素っ気なくなるのも必然というものだ。そんな鬱陶しいガルディとの軽口を終え、俺は新しい食べ物に手を伸ばす。それは前回一口しか食べられなかったスープだ。
湯気の立つそれを大きめのスプーンで掬ってすすると、口の中で野菜とソーセージの優しい風味と味わいが広がる。それを思う存分に堪能し、熱い液体が喉を通るのを実感すると、俺は声を上げた。
「うん、やっぱうまいな……!」
「あ、ありがとうございます。ずっと……こればかりやってきたので……というか私にはこれくらいの事しかできないですし――」
謙遜しながら小さくなっていくリナさんには、別段おかしな所は見受けられない。本当にいつも通りといった感じだ。
「またまた、ご謙遜を!」
「よっ! 嬢ちゃんの料理は世界一だぜ!!」
「そうですよ。皆さんの言う通りです!」
「い、いや……あ、ええっと……??」
悪ノリしてはやし立てる面々に、あたふたと混乱するリナさん。それを見て、俺はもう彼女は大丈夫だと思った。
「あははははははは」
――そう思っていた。
******************
【 10時間前 】
朝食後の長めの談笑を終え『お邪魔なようで』なんて言って何処かに消えていったダンディなオジサマと、その少し後に何処かに行ってしまったリナさんを見送ると、俺たちはまた2人になってしまった。
しかし、まさかリナさんまで行ってしまうとは思わなかった。リナさんがガルディについて行ってないことを祈るばかりだ。
「なあ、シャルル。そう言えばなんでみんなこの館にいるんだろうな?」
「……あ、知らなかったんですか? 私たちはみんなこの館に招待されているんですよ。2週間の滞在を予定しての招待です」
「へー……え――?」
いや、今彼女はなんと言った? 招待? 二週間の滞在――!?
「う、嘘だろ!? じゃ、じゃあ俺だけ関係ないのかよ!?」
「はい、ギルさんだけ雨宿りですね」
「んな……馬鹿な……」
そうか、だから俺が屋敷に入ろうとした時、シャルルは一瞬戸惑うような仕草を見せたのか。
マルコスのアルバートさんへの質問の仕方もそうだ。およそあれは雨宿りをさせてもらう人間の態度ではないと思っていたが、招かれた客ということならば合点がいく。
「なんだそれ……俺なんかめっちゃ図々しく思われてないか……?」
「大丈夫ですよ。それどころかギルさん、皆さんと一番打ち解けてるんじゃないですか?」
「そ、そうかな? ならいいけど……」
そう言えばだからあんな大きなカバンを持っていたのか。あの中に生活用品などを入れていたのだろうか。その割には随分と軽かったが――、
「あ、だからみんな着替えがあるのか」
「え? ああ、そういえばギルさん着替えを持っていないんでしたよね。あ……すいません! あの服もう捨てちゃいました……!」
「いや、いいよ。あれはさすがにもう服としては着れなかったしな」
「えっと……じゃあ、何か屋敷の中の服をお借りしましょう」
「いいのか? そんな勝手に?」
「まあ、緊急事態なので……というかもうその寝間着は屋敷の物なので遅いですよ」
「あー……そうか。だとは思ってたけどやっぱそうだよな。まあ、風呂場に置いてあったんだ、仕方ないさ」
言いながら灰色の寝巻きの裾を引っ張ったり裏返したりしてみる。それを見たシャルルの目が半分閉じ、そのなんとも言えない表情でこちらを見てくる。
その視線に居心地の悪さを感じ、軽く身じろぎしながら『なんだよ』と問うと、返事が返ってきた。
「意外と大雑把なんですね。それに、さっきと言ってることが違うじゃないですか」
「え? そうか?」
いつも通り、もう一度呆れ果てたといった感じで溜息を吐くと、彼女はとんでもない事を言い出した。
「じゃあ、そうと決まれば服を選びに行きますか」
「……え? まさか、俺のをシャルルが選ぶのか?」
「ええ、当たり前じゃないですか。貴方だけだとどうなるか心配です」
「えぇぇ……」
シャルルのネーミングセンスが壊滅的なのは《解毒草》などで分かっているのでなんとなく彼女が選ぶ服に不安を煽られる。
「さあ、行きますよ!」
額に青筋を浮かべながら彼女を見やる。だが、そこにあるのは心の底から楽しそうな微笑を浮かべる少女の顔だ。そんな、つられてこちらまで微笑んでしまいそうな無邪気な顔をされてしまっては、とても『君のセンスは怪しいからいいよ』とは言い辛い。
「はあ……」
だから俺は、彼女よろしくため息をつき、楽しそうに前を歩く少女の後に続くように廊下を進む。
その途中、ちらりと見た窓の外の木に、珍しい青い鳥が木に止まっていた。
シャルルに教えてやろうと振り向いたときには飛び立ってしまったが、とまっていた木の枝はその存在を裏付けるように、音もなく――静かに揺れていた。
******************
【 8時間前 】
「うーん……この服もいいと思うんですけどね」
そのまま舞踏会でも開けそうなだだっ広い衣装部屋の一角で、ブツブツと何かを呟きながらぐるぐると俺の周りを回るシャルルを横目に、目の前の姿見を眺める。
その中には、ダボダボの緑のズボンを履き、長袖の癖に丈はヘソが見えるくらい短い灰色のシャツを着て、その上からカウボーイのような茶色いジャケットを羽織り、真っ赤なベレー帽をかぶった奇抜な青年。
見たくもない俺の姿があった。
わかったことが2つある。
1つはこの部屋にある服のレパートリーはものすごい量で、様々なファッションに身を包むことができることと、それを生かすことができればかなりのハイレベルな着こなしが可能となること。
そして、もう1つはそれを使ってコーディネートをしてくれようとしているこの少女のセンスが、絶望的に悪いということだ。
「シャルル……俺は、さすがにこの格好で外を出歩けないぞ? ――もし出歩いたら『頭の可哀想なオシャレさん』って呼ばれることになるからな」
「そんなことはありませんよ。ギルさん、貴方は自分に自信を持ってください? 元の貴方も十分イケてます」
「違う! 俺じゃなくて服のことだよ!! なんだこの面白人間は!? バカか? バカなのか俺は!! もういいよ、自分で選ぶから!!」
「そう、ですか………気に入ってくれると思ったんですが……」
「うぐ……っ」
そう言って露骨に凹むシャルルを見て槍でも刺さったように胸が痛む。だが、妥協は許されない。このままでは本当にオシャレさん(嘲笑)になってしまいかねない。
ここは心を鬼にして――、
「……ま、まあ、後一回くらいは……選んでもらおう、かな……?」
早速折れてしまう意志の弱い俺だった。
俺が鬼になれるのは、早くてもきっと来世かその次あたりだろう。
「じゃあ次はこれなんですが――!」
途端、露骨に元気を取り戻したシャルルに服を着せかえられそれをなんとか誘導して少しマシな方へ近づけてゆく。
結局、俺の服装は生地の薄い暗い灰色の長袖のシャツの上に、肩と袖に白いラインの入った青っぽいエメラルドグリーンの半袖の上着を着て、下に暗い紫のズボンを履いた、『少し裕福な家の子ども』が着ていそうな服装になった。
「ま、まあ、ギリギリいい感じかな?」
「そうですか? 私は少々冒険心が足りていないかと――」
そんな恐ろしい事を呟くシャルルを意識的に無視して体を動かしてみる。
色合いは少々気になるが、随分と動きやすく、上着とズボン生地は厚いので肌寒くなってきた今の気候にあっている。しばらくこの一式を何セットか貸してもらおう。
最後に伸びを1つしてから衣装部屋を出る。すると鼻腔を刺激する香ばしい香りが漂っていた。
よく見ればもう2時だ。下手をすればみんな食べ終わっているかもしれない。
「そろそろ昼ごはんでも食べるかな」
「あ、はい、そうしますか」
そう言って歩き出す。
その時間は、
ただただ平凡で、
ただただ平和だった。
――次の惨劇開始まで、
【 あと6時間 】
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