第五幕『夕焼けの対談』
他愛の無い世間話や雑談に花を咲かせ、話し込んでいる内に日はかなり落ちてきていた。
だが、ここでの会話は俺の想像以上に弾んでいる。おそらく、今までの初対面の中でも一番いい滑り出しだろう。
そんな会話の中でも一番長く続いていた話に区切りがつき、ふと静寂が訪れる。
――そろそろ本題に移ってもいい頃だろう。
夕日によって橙色に照らされる庭園で俺は老紳士と向き合う。
その穏やかながらも鋭い眼光と目を合わせ息を飲む。
内情を探るような形になってしまう事に嫌悪感を否めない。――が、今は些細な情報でも惜しい。
だから切り替えろ。
だから切り捨てろ。
『――信じてますからね』
目を瞑り懐かしくも感じる愛しい少女の一言を心の中で思い出して、俺は脳裏にこべりつくように残っていた迷いを払う。
この人から情報を引き出すには相当の技量が必要とされるだろう。まず、今までで分かっている彼についての情報をまとめよう。
『高い身体能力』『様々な機械への精通』『高度な医学技術』『意図的に高められた薬品への耐性』『武術全般の修練経験』『詳しい素性が明らかになっていない』
「…………」
「――どうされましたか?」
「いや、本当に貴方は俺と同じ人間なのかなーって思いまして……」
「はは、ひどい事をおっしゃる。私は普通の人間ですよ。――しかし、まあ語調から察するに褒めていただいた様ですね」
「だから、そういうとこですよ!」
どの程度考えを読まれるのか、半分試しのような調子で鎌をかけてはみたが、まさかの看破に心の底から戦慄する。情報追加だ。
『読心術にも長けている』
いわゆる万能人間というやつだろうか。彼が何故それ程までに己を昇華するために努力を重ねてきたかは知らない。
しかし、この能力は全て公にはならない場での活躍を目的としているように思えた。
だからこそ、ここが正念場だ。彼から多くの情報を引き出す事ができればこの屋敷での計画の阻止へ向けた大きな糸口がつかめるかもしれない。
しかし、この人は油断なんてしないだろう。
だから、俺は知っている全ての情報を駆使してわずかな綻びを見つけ無くてはいけない。
特に彼の娘、カミーラ・ヴェルチェ についての情報がこの話の鍵を握っている。
――実は、彼には一人娘がいるのだ。年齢は現在17歳で俺と2歳差しかない事には驚いたが、実の親子でないことを知って納得がいった。
何せ以前、クローズさんに見せてもらった写真に写っていた彼女はクローズさんとは全く似ても似つかないものだったからだ。
丁寧な細工の様に整った端正な顔立ちに、艶やかな光沢を持った赤みがかった長髪。各所から覗くお嬢様気質な白い肌を包む髪色より少し濃い目の赤で染め上げられた優美なドレス。
そして、そこまでの優雅で気品溢れる貴女然とした要素を打ち砕くかの様な、歯を見せた無邪気な笑みと掲げられたピースサイン。
それ以外にも短めのスカートが伸びきるほどに大きく広げられた両足や堂々と腰に添えられた手、頰に走る泥を拭った跡、そしてその横に映るクローズさんのなんとも言えない微苦笑が様々なことを物語っていた。
しかし、俺はその少女とは直接的な面識は一度もない。その写真に写る彼女も今から丁度1年前の姿らしい。と言うのも彼女――カミーラは1年前から行方が分かっていないのだ。音信不通、消息不明、生死不明と無い無い尽くしの非常にまずい状況だ。
そして、その彼女が“この屋敷での惨劇を引き起こしている黒幕の手中にある”と言うのが、クローズさんの今一番彼女への糸口となる大きな情報なのだ。
それが、俺が何度か彼に殺された時に死に土産として語られた情報。しかし、それも50にも及ぶ死に土産をなんとか繋ぎ合わせこの程度。先が思いやられるどころの話ではない。
だが――いや、だからこそ。
その上でそのほつれた糸を手繰り寄せ真実を掴む。
その為には――、
「――クローズさん」
「なんですかな? ……何か良い話題でも浮かびましたか?」
「はい、良いのが浮かびました。まあ、これが話題って言うのかは分かりませんけど」
そこで言葉を区切り目を伏せてもう一度考える。怪しくならない様に、安く思われない様に、言葉の発し方にまで注意を払う。
ゆっくりと眼を開きそして口を開く。
「貴方の“目的”はなんですか?」
「――――」
俺の唐突な問いにクローズさんは年相応の皺の刻まれた眉間にさらに皺を寄せ目を細めるた。
俺の質問の意図を図り兼ねているのだろう。
「いや……別に深い意味があるわけじゃ無いんですけどね。ただ、ここに来た人達はみんな何か目的があるっぽいなって思いまして」
「ほう……」
顎に手を当て目を細めるクローズさん。その値踏みするような視線に不快感とはまた違う不安のようなものを覚え、俺は軽く身じろぎをする。
「――では、まず先に貴方の目的を教えていただけますかな?」
そうして返事を待っているとクローズさんは一つトーンの落ちた低い声色でそう問う。
「質問に質問で返す形になってしまい大変申し訳ない。しかし、何分意図の計りかねる相手にさらけ出していいような内容でもありませんので」
「……そりゃあ、そうですよね。すいません、ほぼ初対面の相手なのにいきなり」
「それは――いえ、これは蛇足ですね」
「……その、含みのある部分もいつか、話していただけるとありがたいですね」
苦笑し頭を掻きながらそう言う俺を見てクローズさんは申し訳なさそうに軽く頭をさげる。
「私もそのような機会に恵まれることを望んでおります。それに、なんとなくですがそうなる様な気がするのです。――貴方は、そう思わせる何かを持っている」
「買い被りですよ」
相変わらずの褒め殺しに自嘲する様に答え顔を伏せる。
ふといきなり暗くなってしまった事に気付く。まずい、変な空気になってしまった。
「そ、それよりなんでしたっけ? 俺の目的……でしたっけ? いいですよ。いくらでも話しましょう」
取り繕う様に早口に捲したてる俺に、クローズさんは何か言いたげに口を開く。
だが、実際にはその何かを口にすることなかった。その代わりとばかりに、静かに問いを発する。
「では、話していただけますかな」
「まあ、大層なもんじゃ無いですよ。たった一言で済みます」
「ほう、それはどんな……?」
「――俺はみんなを助けたい。ただ、それだけです」
自分で口にしてその内容の小っ恥ずかしさに顔を覆いたくなる。
「ふむ……」
しかし、それを聞いたクローズさんは感慨深いものでもあったのか、優しげに頰を緩めた。
「……やっぱり『助ける』なんて大仰な事、俺なんかには無茶な話ですかね?」
「いいえ、そんな事はありません。それに――貴方は、優しいお方だ」
「そんな事は無いですよ。助けたいってのもただの自分勝手な独りよがりみたいなもんですから」
「それでも、それは立派なことです」
肩をすくめ皮肉げにそう答える。
しかし、老紳士は頑として好意的であることを止めたりはしない。正直、早く話題を変えたい。
「そ、そうですか? 他の人だって誰かを助けるためだったり誰かの為だったりするんじゃ無いですか?」
「ふむ……」
俺は、そんな人達をたくさん見てきた。
ならば、彼はどうなのだろう? やはり、彼の娘のことだろうか?
「貴方は……何処までも貴方の目的に真っ直ぐなのですね。――そして、それ故どこか危うい」
「危うい……?」
「人を救う為には、まず自分が救われていなくてはいけない。それなのに、貴方は自らを省みるという事をしていないように思えます」
「そうですかね……? でも、今はそんな頑張り屋の自分を労って、気分転換の散歩中ですよ?」
「……ははは、そうでしたな。これは散歩中の雑談でした」
“散歩”というその部分を強調し、珍しく皮肉っぽいことを言って気さくに笑う老紳士にはどうせ俺の真意はバレている。
本当に手強く、怖い相手だ。
「じゃあ、先に一つ質問してもいいですか?」
――だが、怯んではいられない。
「何なりと――ただ、内容によりますとだけ」
「貴方はこの屋敷で起こる事について、何処まで知っているんですか?」
「ほう、貴方はもうそこまで……ただの御仁と侮っていたわけではありませんでしたが、やはり――、」
「いや、だから何度も言ってるじゃないですか。侮るも何も、俺は平々凡々な一介の木こりですよ? これもただそんな話を小耳に挟んだだけで――、」
「一介……いいえ、それは違います。貴方は、人の為に自らを犠牲にできる至極善良な人間だ」
「本っ当に……貴方は何でも褒めてくれますね。貴方にとって俺は何に見えてるんですか」
彼の他者に対する過大評価は今に始まった事ではない。しかし今回は特に凄まじい。
クローズさんの語る自分はまるで英雄か何かのようで、現物の無力な自分と重ねて正直辛くなる。
「ならば、『侮らなくていい』という、そこだけは違うと言わせていただきましょう――その真摯で真っ直ぐな光を宿す瞳の奥底に巣食う感情は、私にとって脅威に値する。それは、十分に危険だ」
クローズさんは最後に敬語口調を崩し、警戒を露わにした。
それにより、鍛え上げられた肉体から放たれる闘気とも殺気とも言えない何かに、俺は押しつぶされそうな錯覚を覚える。
「…………」
しかしこの程度で屈してなどいられない。俺が嫌という程味わってきた本物の殺意と憎悪は、こんなものではないのだから。
「やはり……身震いひとつなさらない」
「今、俺に何かしたんですか?」
しかし、そのやせ我慢が無駄に警戒を煽ってしまい、咄嗟に闘気や殺気を感じ取ることすらできなかった風を装い、気の抜けた声でそう嘯く。そんな俺の真意を見抜いたのか、はたまたあまりの肩透かしに落胆したのか老紳士は表情を消した。
「……っ」
しかし、その目に労わりと慈しみが宿っているのも長い付き合いとなれば自ずと分かるというものだ。
その付き合いも俺にとってはという限定付きだが。
「って……また話が逸れましたね。もう一度仕切り直しです。――貴方はこの屋敷で起こる事についてどのくらいの情報を持っていますか?」
またもや逸れた話の軌道修正をして俺は眼前の老紳士を見据える。
何を知っているかではない。最早彼がこの屋敷で起こる惨劇について深く知っているのは明白だ。だから聞き方を変える。
だが、きっと彼は――、
「何があったとしてもそれは言えませんな」
「やっぱり……でも“言えない”ってことは知ってはいるんですね?」
「何も答えることは出来ませんな」
「…………」
――やはりそうだ。
頑なな彼の返答に黙り込んだ俺は、端から見れば諦めたように見えただろう。しかし、それは全く違う。俺は確かな確証を得た事に内心で拳を固めていた。
恐らく、彼は本心からこの情報を隠そうとしていない。そうでなくては彼がこんな簡単に不審な点を見せるとは思えないからだ。
この場合、何か理由があって伝えることができないと考えるのが妥当だ。
「娘さん――ですか?」
「……ほう」
先程のやり取りとは逆に今度は彼が黙り込む。
珍しく驚愕に目を見開き唖然とした様子でこちらを見る老人は警戒心と期待を現わにした様な複雑な表情のまま固まる。
しかし、すぐさまその目の奥に宿る憎悪が膨れ上がり、穏やかな老人は殺気を隠そうともせず声を発した。
「何処で、それを……?」
「クローズさん、落ち着いてください。それにまず、貴方は俺に手を出せない。――違いますか?」
「…………」
正直内心は面白いくらいに恐怖で竦み上がり、今も背中と額からは冷や汗が溢れている。
だが、今までの繰り返しで培った経験と決意がその弱い心を押し殺し、震えないよう苦心しながらさも落ち着き払ったように低い声を俺に出させていた。
この台詞に根拠はない。だが、彼に殺された回数は他の面々に比べリナさんの次に少ないのだ。
その殺された時と言うのも俺が出張り過ぎたり、この屋敷の核心に近づき過ぎた時だけだった。恐らく、彼は娘を人質にされその人物の命令のまま動いている。そして、今もその命令に抗えずにいる。
「今は取り乱す時じゃない。それにこれは、お互いに望ましい結果を臨むための対談の筈です」
「対談と言うには……いささか無粋な点が見られますな」
「そうですね。繊細な部分に土足で上がりました。――すいません」
吐き気がするような詭弁をまくしたて、目の前で悔しげに顔を歪めるクローズさんを弄ぶかのような自分の言動。その非礼を頭を深く下げ、詫びる。
彼を含めた皆を救うためとは言え人の気持ちを踏みにじるような行為をし、挙げ句の果てには自分勝手な謝意をさも悲しげな声色を使って口にする。まったくどうしようもない人間になったものだ。
そんな俺の自分本位な謝罪を聞いてクローズさんは深いため息と共に殺気を消した。
脱力し遠く、滲むような夕日をを見据えるその目には悲哀と疲労が見て取れた。
これまでも、今現在も、彼は一時も気の休まる時間を持てず血眼になって娘を救おうとしている。
そんな彼の弱みにつけ込み搔き回す自分と、この屋敷での騒動の糸を引く人物。その間に、どれほどの差があるというのか。
――分からない。俺にはなにも、分からなかった。
だが、俺にはそんな自己嫌悪に浸っている暇はない。
『助けて』
そんな、最早何度言われたかもわからないその言葉は俺が諦めそうになった時、頭の中で反芻しては巻きつく楔のように心を締め付け引き裂いていく。
「申し訳ありません。私も感情的になってしまいました。貴方が娘に何をしたと言う訳でないというのに――、」
「そんな、仕方ないですよ。大切な、娘さんなんですから……」
「ただ、どうやって娘のことを知ったのか……それを教えていただけますかな?」
「はい、当然です。って言っても俺はただ聞いただけですよ」
「聞いた……? いったい誰に?」
「アンチェンタ……さんでしたっけ? あの人に貴方のことを聞いたら『彼は意外な事に物凄い娘を溺愛しているんだよ』って言われまして」
「なぜそれを彼女が……いや、そうか彼女は……」
頰を掻き苦笑いしながらそう答えるとクローズさんは何やら呟いて納得した様子だ。
これはあながち嘘ではない。本当に最初にクローズさんの娘について知ったのはアンチェンタのその言葉がきっかけだった。
予知のような事ができる彼女はランダムに一つだけならば人の秘密を暴けるというなんとも恐ろしい魔法を使う事ができる。
それによって数回か教えて貰ったりもしていたのだ。
嘘を見破れるならば、嘘をつかずに誤魔化せばいい。そんな屁理屈のような作戦は、しかし今の所成功しているようだった。
そして、次はクローズさん警戒を解かなければならない。
ただ、これには明確なプランは無い。話し方を練ってしまえば何処かに作り物っぽさが生まれてしまう。それをこの鋭い老紳士は見逃してはくれないだろう。
だから、半分は行き当たりばったりの出たとこ勝負だ。何かしらの方法で嘘を見抜けるならば虚偽を信じさせるのは難しくとも、真実を信じてもらうことは容易い。
「安心して下さい――とは言えませんけど……どうか信じて下さい。貴方の娘さんが死ぬのは俺に取っても最悪な結末です。もし、そうすることがその他の誰もが助かる結末への近道だったとしても、俺は必ずそれを選ばない。絶対にです」
「……何故、貴方はそこまで?」
「頼まれたからです。みんなを助けてくれって、頼まれたからです」
『下らない』『無茶だ』『無謀だ』そう何度否定されたとしても、俺はその言葉を何度も繰り返す。
それが間違っていたとしても、そうするべきだと思うから。そうすることしかできないから。
「その為にもまずは情報が欲しい。だから、お願いします」
「本心からそう思っているようですね――ふう……わかりました。私の負けです」
ゆっくりと息を吐き彼は最愛の娘と写っている唯一の、あの色褪せた写真のような微苦笑を浮かべる。
「ただ、私の体には契約によりある術式が施されています。この術式によって私はこの術式について詳しく語ることも、術者の命令に逆らうこともできません」
「じゃ、じゃあ――」
「ですから伝え方を工夫しましょう。聞き取りにくくなりますが申し訳ない」
「――は?」
年相応に刻み込まれたシワを濃くして柔和な笑みを作り彼はそう言い放った。その言葉の意味をうまく理解できず俺の口から気の抜けた声が漏れる。
だが、本物の無理解はこれからだった。
「“それ”は、私達の中にいる。その力は全ての心を騙し、欺き、操り、壊す。故に、無闇に他者を信用してはならない。人――いや、人の形をした“それ”は、偽りの皮を被った化物かもしれないのだから」
「え、クローズさん……? い、一体な――、」
「その魔を滅するには、魔の力を借りよ。また、依り代をただ破壊するだけでは、死にはするが消えはしない。新たな依り代を作り上げ、再び新たな悲劇が生まれるだけだ。――だが、奴を下す手段と力は全て貴方の手の中にある。貴方達だけが計算高い彼の存在にとっての予測外『イレギュラー』なのだから。」
「――にを……?」
明らかに重要な情報の羅列。今までのループの中では無かった新たな情報。しかしそれをすぐさま理解するにはあまりにも唐突過ぎた。
無理解の海に沈み、その全ての解読を試みる俺の思考は白熱し火花を散らす。
「申し訳ない。今の私にはこんな回りくどい方法でしか伝えられません。……ですが、聡明な貴方ならきっと分かっていただけるはずと信じております」
「…………」
何も喋る事ができず、ただベンチに腰掛けた体を小さくし腕を組んで眉間に皺を寄せる。
そうして固まった俺をクローズさんは穏やかな瞳で見守る。
「――そして、あの孤独な少女を救うことができるのも、きっと貴方だけなのでしょうね」
そう呟くと、瞳を黙し静かにその場を去った老紳士の聴き逃してはならない筈の言葉に、思考の海に沈む俺は気付かない。
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