第五幕『険悪な会議』

 眠りと覚醒の丁度真ん中の様なまどろみ。その薄暗い闇の中で、聞き覚えのある声が響いている。


 それは、今にも消え入りそうなほど弱々しい、か細く悲痛な独白だ。


「貴方……たん……ね。ごめ……さい」


 聞き逃してはいけない。聞かなければいけない。

 それなのに、それが嫌というほどわかっている筈なのに、俺はそれを聞く事ができない。


 また聞こえない。何故聞こえないのか。何を言っているのか。わらかない。


 俺には、何もわからなかった。


 俺は何も、わかっていなかった。


 意識は再び、濃い闇の中に沈んでいく。



********************



 乾いた涼しげな風が窓から吹き込み、緩やかに髪を揺らす。薄く開けた目に朝日が刺さり、光に刺激された脳が稼働し始めた。

 徐々に、まどろみの中から意識が覚醒へ向かう。


 目を開けるとそこは屋敷の中の一室の様だった。重い頭を動かし視線を滑らせれば部屋の内装が目に入る。壁やベッド、タンスは壊れていない。

 もしかするとあれも夢の一部だったのか?


「ゔッ……!!」


 布団を持ち上げ、身を起こそうとした瞬間発生した軋む様な痛みにに、思わず呻く。その上、身を起こすことは叶わず再びベッドに倒れこんでしまった。

 痛みの走る体に目を向ければ、森での傷の他にも包帯が増えている。


「夢じゃ……なかったのか」


 落胆を隠せず、掠れた声で呟いて昨晩の出来事を回想する。今思い出しても全身が粟立つ。まるで出来の悪い悪夢の様だった。


「じゃあ、つまりここは別の部屋ってことか――?」


 そんな暗い思考を頭を振って振り払い、訝しげに呟いてその部屋を見渡す。朝日の差し込む窓と枕元に置かれた灯りが写り込んでいた視界は、次は簡素ながらもどこか上質な照明と緻密な装飾の施された天井を捉え、最後に澄んだ碧色の瞳に吸い込まれた。

 ベットのすぐ横に置かれた椅子に腰掛け、膝の上に何やら分厚い本を乗せて、俺の命の恩人である金髪の少女がじっとこちらを見ている。


「――あ」


「随分と独り言の多い方ですね。えっと……」


 突然こちらを凝視する俺の視線に、居心地悪そうに身じろぎとため息を一つしてこちらを見据え、少女はそんな事を言った。どうやらなんと呼べばいいのか迷っているようだ。

 今思えば彼女は出会ってから今の今まで俺の名を呼んでいない。


 ――まさか覚えていないんじゃ無いだろうか。


「ギ、ギルでいいよ」


「――じゃあ、ギルさん」


 内心で悲しい予想をして勝手に落ち込んだ俺は、それを悟られない様ぽりぽり自分の髪をかきながら、適当な調子で言ってみる。

 それを聞いた彼女がぎこちなさが残るが言われた通りの名前で自分を呼ぶのに、少しむず痒い気持ちになった。

 改めて呼ばれるとと照れてしまう。やはり相当俺は女性に免疫がないらしい。


「なんか、なぁ……」


「はい?」


「なんでもないよ、独り言」


「……そうですか。じゃあ、あなたも私のことはシャルルと呼んでください」


 何が”そうですか”なのかは分からないが、それに続けて彼女はそう口早に要求してきた。視線を泳がせ再び居心地悪そうにする彼女を見ても、対人経験が皆無に等しい俺は何も察することはできない。

 何故だろう、アルベルトでは嫌だったのだろうか。


「シャルルでいいのか……?」


「はい」


 有無を言わせないハッキリとした返事をすると、彼女はどこか陰鬱な色を含んだ微笑を浮かべた。

 その影の差す様な微笑みの意味も、彼女の抱え込まされた十字架も、それに対する答えも、何も知らない俺はただ意味の分からないその微笑みに、強張った出来損ないの笑顔を貼り付けることで応じる。

 それを見た彼女のその悲しげな微笑が、少し明るくなった様な気がして、俺は心底嬉しいと思った。


 いや、何かおかしいだろう。なんだ……? この感じは。これじゃあまるで――、


「ギルさん、シャルルさん。広間へ来てください」


 自分の心情の変化とその方向性に言い知れぬ違和感を覚え、その究明に回した意識が、ドアと拳が当たる硬い音と努めて潜められた切迫した声に引き戻される。


 そうか。夢じゃないということはつまりアルバートさんが死んだというのも現実ということになる。という事はこれは大方その件に関してのことだろう。

 その事実に思い至り、すぐさまドアへ向かいドアノブに手をかける。内側に開くドアを避けて外に出るとクローズさんは軽く会釈をし案内を始めた。それに続いて俺達は駆け足に広間へ向かう。

 するとそこには一同が今度こそ勢揃いしていた。


 ――アルバートさんを除いて。


 再度話し合いが設けられた。


 今度は全く違った雰囲気でだが。



************ *******



「あの化け物についてなんだが……知っていることがあれば話してくれ」


 そう切り出した彼は、先程俺を救ってくれた大男、ガルディだ。恐らく、数少ないあの化物の脅威を体感した人物だろう。


「何を言っているんだ? 知っていることも何も、そもそもが奴を知っている者など居ないだろう」


 鼻を鳴らし、いやに高圧的な態度でそう言ったマルコスは、何を思い出したように続けた。


「――いや、同じく襲われたにも関わらず生き残った奴が1人居たな……?」


「お、おい……!」


「――は?」


 ただでさえ今にも弾けそうな緊張の中、それをわざわざ掻き乱そうとする様なマルコスの言動に、ガルディは咎めるように声を上げる。

 しかし、俺の意識は突然こちらに矛先の向いたマルコスの視線と、まるで疑われている様な言われ様に奪われ、思わず驚愕のままに弁明を叫ぶ。


「お、俺は何も――!!」


 そのまま勢いに任せて『知らない。』と言いかけるが、あの化け物について少なからず知っているのは確かだった。

 またいつ来るかわからないあの化け物に対抗するためにも、ここは素直に話そう。――こいつの言い方はやや鼻に付くが。


「……いや、ある。大したことない情報だけど――わかったよ。話す。でも少し長くなると思うぞ? 俺、説明するのは下手なんだよ」


「わかっている。それに、安心しろ。誰も貴様に期待などしていない」


「ああ、そうかよ!いちいちうるせえな!!……えっとだな。まず俺が最初にあいつに襲われたのは――」


 いちいち癪に触るマルコスに、湧き上がる苛立ちを隠さず声を荒らる。散々な対応に出鼻をくじかれてのスタートを切った説明は、しかし俺が思ったよりもスムーズに進んだ。

 そうしてことの次第を包み隠さず話し終わると次は情報の整理だ。


 今度は一番情報を持っている俺が仕切ることになった。


「まず、やつの特徴をまとめよう」


 分かってる弱点は銀のみ。力は馬鹿みたいに強い。体は下手な鉄より丈夫。動きは俺じゃ反応できない速度。体は人と呼ぶには無理がある程大柄であるが、人型のオオカミのような見た目。


 ――情報は、それだけだった。


 圧倒的に情報が少なすぎる。しかも弱点らしい弱点は銀以外はまだ見つかっていない。

 これでは対策の打ち様どころか、正体すらも――、


「それは、多分人狼だね」


「――ほう」


「あれが……噂に聞いてはいたが、まさかあれほどまで醜悪とはな」


「――ッ……」


「人狼……いわゆる人喰いの“魔獣”か」


 俺のそんな内心の不平不満を遮る様に、いままで沈黙を貫いていた長髪の女性が口を開く。

 その知らない単語に、俺の身を除く皆がそれぞれ反応するが、理解が追いつかない俺はただ唖然と話の続きを見守る。


「そして、私のよ――じゃない……占い通りならば屋敷の主人を殺した人はまだ、すぐ近くにいる」


「占いって……一体何言って――」


「それは、確かなのか?」


 放たれた言葉はあまりにも荒唐無稽で、俺は思わず疑念を口にするが、その言葉にかぶせるようにガルディが素早く質問した。


「おっと、すまん。遮っちまったな。なんだった?」


「あー……いや、いいよ。俺も丁度同じ事を聞こうとしたんだ」


「そうか? なら、いいんだが」


 思うところはあるが、どちらの質問が有益かは明白のため不本意ながらこちらが押し黙る。早速、数分前に任された立場が危うくなっていた。


「じゃあ、改めて聞くぞ。それは確かなのか?」


「……は、はい! ア、アンチェンタの占いは必ず当たるんです。――だから、お願いです……信じてください!」


 そして、その質問には別の人物が答えた。何に焦っているのか度々篭りながらもそう叫ぶ少女。《調理師》のリナさんだ。


「そうだよね、うん! 彼女の言っている事だ。信じられる!」


 そのリナさんの意見を素早く肯定した《農民》の少年バレレンは、安心させるように彼女に笑いかける。


「あ、れ……?」


 だが、肯定の仕方が流石にわざとらしかったのか2人に怪訝な顔をされてしまう。

 そのままがっくりとうなだれ途端に静かになった彼に同情しつつ、俺は次の話題を切り出す。


「まずは、あの化け物……人狼から身を守るために装備を固めよう。特に銀が有効だ。各自で何か一つは持っておこう」


「はい、私もそれがいいと思います。確か倉庫に幾つか銀製の食器の貯蔵があったかと」


「そ、それだ! それがいいよ!」


 神妙に頷くリナさんと、もう羞恥心と後悔の渦の中から復活したバレレンはそれぞれの思惑と合致した俺の意見に同意してくれたようだ。他のみんなもいたって文句はないらしい。

 そうして、一人一人に食堂から運ばれてきた銀製品が手渡される事となり、一時的な自衛手段としてはひと段落――、


「……木こり風情が。何故お前ごときが仕切っている? あまり調子にのるなよ、平民」


 ――とはならなかった。


 さっきまで仏頂面で黙り込んでいた彼は、何がそんに癇に障ったのか唐突に絡んでくる。一体なんなんなのだろうか、こいつは。


「……一応聞くけど、一体今の話の何が気に入らないんだよ?」


「癪に触る。木こりだの花屋だの……なんの苦労も無く、のうのうと生きてるお前みたいなのがな」


「……は?」


 ギロリとこちらを睨む冷え切った鋭い眼光には背筋の凍る様な威圧感があった。洗練された力とその自負から来るものだろう。正直少したじろいでしまった。

 しかし、俺もそのくらいでは屈しない。だいたい何処か台詞っぽいその言葉には剣幕はあっても重みがない。


「――そうかよ。随分大層なお題目と自信だな。でも、お前が馬鹿にした木こりや花屋も立派な仕事だ。それに、屋敷を襲った人狼を撃退するのに役に立ったのはお前じゃない。その木こり風情の俺だろうが!」


 俺の功績は銀が弱点と発見したことと腹と足へのダメージ、皆が来るまでの時間稼ぎと数だけは多い。

 器が小さいと馬鹿にされようと、人間が小さいと蔑まれ様とも、俺は率先して使えるものを使ってやる。

 それに、何故か俺の横にいたシャルルも貶められたことに自分でも驚くほど腹が立っていた。


『お前がこの娘の何を知っている』


 そんな言葉が喉元まで上がってくるが理性でなんとかそれを飲み込む。今はそんな事を言っても話がややこしくなるだけだ。

 それに、俺こそ彼女の何を知っているという話だろう。


 たが、こいつの言葉はやはり気に入らないし癪にさわる。心底腹立たしい。

 そんな言葉を心の中で重ねるたび、普段感じることのない憎悪が、今俺の中でふつふつと煮えたぎっていた。

 この高慢な男を、どうにかして叩きのめす方法。それだけが、今の俺の思考を支配している。


「それは出会っていたのがお前だったからというだけだろう? それに、もし出会ったのが俺だったなら今こうして対策を練る必要も、館から迂闊に出る事もままならなくなる様な事にはならなかった筈だ」


「それは“もしも”の話だろうが。それに、あいつは本当に危ないんだ。そんな事言ってる場合じゃないんだよ!」


「それは“貴様ら”だからだろう。貴様ごときの尺度でモノを言うなよ、平民。その無礼な口、次開けば首ごとはねるぞ?」


「ハッ、だったらやってみろよ。……逆にお前の考え方を矯正してやる。――ついでにその性格と口もなッ!!」


「――その体でどう矯正してやるんですか? ギルさん。あと、今はそんな事をしている場合ではありません。そうでしょう」


 意味不明な言葉を飲み込んだ時の理性は何処へやら。煽られるままに噴火寸前にまで熱くなりかけた俺を――しかし、怒りに任せて憤慨する前に冷静にしたのは俺が怒りに思考を飲まれる大きな要因となったシャルル本人だった。


「シャルル……」


「今、生き残るために協力しなくてはいけない相手と争いを生む。――それがどういうことなのか、貴方だってわかりますよね」


 力強い眼力で見据えられ、目の離せない俺に、シャルルは畳み掛けるように続ける。

 感情の冷えるような言葉の一つ一つに目を覚まされ、俺はやっと冷静になれた。


「……ああ。そうだな。悪かった。確かに、冷静じゃなかったな」


「いえ、正直私も少しムカっとしていたので人のことは言えません。ただギルさんが先に怒ってしまっただけです」


 ――お前も怒ってたのか。


 いや、それもそうだ。ぱっと見冷静なように見えるだけで、最初の時も驚いて悲鳴まで上げていた。彼女にも人並みの感情はある。むしろ、人よりも強いくらいだ。

 もしかすると、今までの素っ気ない態度や厳しい言動も、不器用なだけで表せない優しさの裏返しだったりするのかもしれない。


「でも、堪え性がない事も確かですね。子供ですか、貴方は」


「うぐ……っ」


 なんて都合のいい事はもちろんなく、容赦なく辛辣な言葉が傷心を抉る。

 ぐうの音も出ないというのはこの事だろうか。いや、実際には声は出ているんだけれど。


「おい、もう話は済んだか、平民共」


「ああ、丁度済んだ所だよ、貴族様」


 だがそれでも、シャルルのお陰であくまで高慢な態度を貫くいけ好かない剣士に今度はなんとか少しは冷静に返すことができた。


 だが、なんなのだろう。こいつは。俺たちの何が気に入らない? それもこんな状況でだ。本当にどうかしているとしか思えない。


 立ち振る舞いが、言動が、目が、声が、仕草が、存在が――どうしようもなく気に入らない。憎くてたまらない。こういう奴は、ろくなことをしでかさない。ああ、きっとそうだ。いや、そうに決まってる。


 ならば、いっそ俺がここで――、


「はい! 今日はみんな疲れているみたいだし! 一旦部屋に戻って休もう。まだ今は真夜中だしね。なんなら窓の外を見てみなよ。ね? 真っ暗だ」


「ふむ、彼女の言う通りですね。要らぬ諍いを起こしてしまうのも、皆さんの疲労が溜まっているせいでしょう。どうかここは――」


 乾いた音を立てて手を合わせ、声高らかにそう進言したアンチェンタさんの言葉に従って外を見れば、確かに外は暗い。まだ夜更けだ。

 俺が気絶したのが日暮れ前だったのもあるだろうが全く、長い1日だ。

 それに、同調した白髪の《御者》クローズさんの静かな戒めも、今の俺にはいい薬になったようだ。

 全く、どうかしているのはどちらなのだろう。何をカッカしているのか。これでは、一番の邪魔者は俺じゃないか。


 そう内心でぼやいて上見れば、豪勢なシャンデリアが優美な光を放っていた。その眩しい輝きに瞳を焼かれ疼く眉間にしわを寄せる。


「おーい、お前ら、早いとこ行くぞ」


「ギルさん。行きますよ。何してるんですか」


「あ、ああ……」


 しばらく眺めているとガルディの声が階段の上から降ってきた。その声と呼びかけるシャルルに急かされて、俺は皆と共にあてがわれた仮の自室へ向かう。


 まるで誰かに操作されているかのような内心の不審な動向が気になりはしたが、きっと疲れているのだろう。――そう結論付けて、俺は広間を後にした。


 その視界には景色を白く塗り潰す光の余韻が後を引いていた。

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