第二十四幕『三度目の邂逅』

 明かりの落ちた薄暗い部屋に、金属と金属がぶつかり合う甲高い音が響く。

 剣と斧がぶつかった摩擦で火花が飛び、時折明るく照らされる部屋に愉悦に歪んだ狂笑や、鋭い眼光が浮かび上がる。


「…………っ」


 今、怒声や短い気合いや狂笑などがこだますこの部屋にいるのは、俺とマルコスと欠陥品と名乗る大男だけだった。


 数分前にはその場にいた少女――シャルル・アルベルトを逃すため、俺は様々な策を練り、何とか奴の気を逸らそうとした。だが、それは意味をなさなかった。


 何のことはない。だだ俺たちが彼の相手をするうちに、シャルルは普通に部屋から出ていたのだから。


 こいつは確固たる目的を持っていない。故にシャルルが逃げたことなど殺す順番が変わっただけぐらいにしか思っていないのだ。


 その異常性に再度全身が粟立つ。


 だが、それが今は好都合だった。


 そして、シャルルを逃すことに成功した俺たちの次の課題はこの男をどうにか五体満足で戦闘不能へ追い込むことだ。


 それには――、


「マルコスッ!! 悪いな……! 付き合わせて!」


 動きながら話すせいで途切れ途切れになる言葉は、それでもしっかりと隣で剣を振るう騎士に届く。


「勘違いをするな! 貴様のためなどではない。さっきも言った通り、俺もこいつは生け捕りにするつもりだったから――なッ!!」


 言葉の語尾が強くなると同時、この攻防の中でも最高速度の斬撃が大気を切り裂く様に銀の帯を描いて欠陥品の頭部へ迫る。


 だが、それを捉えた欠陥品の判断も早い。瞬時にそれを防御不可能と判断すると、元々斧を振り切ったせいで後ろに寄っていた体位を起こさず、逆に倒すことで回避を図る。


 まさに、別次元の攻防だ。


「愚物! 今だッ!!」


 だが、その別次元の住人は、容赦なく凡人にもその領域を強要する。その上、それについていけなくては、後ろから迫る死に飲まれるというのだから笑えない。笑えないし冗談じゃない。


「ぐっ、無茶、言うなよな……っ!!」


 鼻先を薄く切られるだけにとどめて避け切った彼の体勢が後ろ体重になったのを見計らい、マルコスが俺に合図をかける。

 それを受けて、事前に指示されていた俺は悪態をつきながらも爪先の浮いた不安定な欠陥品の足を蹴り払った。


「うぉおあッ――!?」


 その追い打ちに体勢が崩れ、巨体が声を上げて背中から倒れ込む。


 しかし、欠陥品はただ倒れるだけでなく、低い姿勢で蹴り抜いたまま動けない俺に斧を振るう。俺を仕留められれば戦力減少、失敗してもマルコスの追撃を逃れられるという、こちらとしては心底厄介な機転だ。


 それに、死角であるせいでどう足掻いても俺では攻撃に反応が間に合わない。そのまま、振るわれる大斧は、唸りを上げて後頭部へ迫まるのがわかる。


 だが、その鋭利は刃が俺の頭部を分断する寸前、迫る斧をマルコスは迷わず蹴り上げた。


「ぐぁっ!!」


 驚愕と衝撃によって欠陥品が多斧を取り落としたことで攻防が集結し、やっと振り向いた俺は、蹴り落された斧が真横の床を深々と抉るのを見て戦慄する。


 その恐怖を振り切るように、俺は突き刺さった斧の側面を蹴って転がり距離を取る。


「――フゥッ!!」


 息つく間もなく、そこに腰に巻かれたベルトから引き抜かれたナイフによる追撃が来る。それを視界の端に捉え、寝転がった様な姿勢の俺は横に転がってナイフを躱す。


 転がる度響く木の板を穿つくぐもった音を聞きながら、最後に隣にあった机に転がり込むと、そのままの勢いで振り下ろされた分厚い刃が薄い机を深々と貫き、刃が丸ごとこちらに突き出した。


「うおっ!? しまった、抜けねえ!」


「くそ……っ、あぶねえな――この野郎ッ!!」


 床に刺さった斧を乱雑に引き抜き荒々しい足音を立ててこちらへ近づく大男に、俺は潜り込んだ机を吐き捨てる様な文句とともに目の前に蹴り上げた。


 突然目の前の光景が木の板で埋め尽くされた欠陥品は、それでも慌てる事なく手近にあった椅子を振るい、軽々机を吹き飛ばす。


 その一撃で簡素なデザインの小綺麗な机と椅子が一瞬にして木片へと変わるのを見届け、俺は思わず苦笑を浮かべた。


 ――そこにマルコスが彼の足を狙い剣を振るう。


 だが、欠陥品はそれを器用に避け、剣の腹を踏みつける。


「ちょっと、甘えなァ……!」


「――チッ!!」


 マルコスはその剣を折られない様反射的に引いてしまう。

 それに本人も顔を顰めるが、しかし、そこにできた隙はこの死戦では大きい。


 それを狙い、欠陥品は拳を振るう。だが、マルコスの反応が間に合い、なんとか拳を腕でガードをする事ができたようだ。


「今だ――!!」


 衝撃に後ろへ押し込まれるマルコスの後ろに隠れていた俺は、入れ替わるように飛び出て剣を全力で振るい頭を狙う。

 しかし、それを籠手で防がれ、俺は腹に蹴りを食らった。


「ぐっ……!」


  後ろに吹き飛ぶ様に転がり靴底と手を使ってなんとか止まる。


「はあっ……はあっ……はあっ……」


「ッチ……少し厄介だな」


 荒い呼吸を繰り返し疲れと焦りと恐怖に高鳴る心臓をなだめる自分に対し、隣の騎士や目の前の傭兵には全く体力が尽きる様子がないのを見て実力差を歴然と感じる。


 やはり地力では彼らに劣る。何故か俺は剣の扱いには多少慣れているが、それでもやはり足りない。


 だから頭をひねる。少ない経験から相手の動きを予測して一歩先の動きをする。それがダメなら口八丁で相手を誘導する。それもダメなら周りの物や人の力を借りる。


 そうやってなんとか差を埋める。


 そうしなくては、また失う――。


「行くぞォッ!!」


 俺はわざと叫んでこちらに注意を引き、一気に距離を詰める。前傾姿勢に下げた頭の上で、欠陥品が斧を振りかぶるのが見えた。


 ギリギリまで引きつけた瞬間、横にあったベッドに飛び乗り、その反発を利用して更に飛び上がることで斧を躱す。


 木登りや、足場の不安定な森での移動で鍛えた足腰だ。こういった身軽さでは負けない自信がある。


 眼下に、欠陥品が振り切った斧を無理やりに止めて再度振りかぶるの姿が映る。落ちてきた俺を狙い撃つためだろう。

 だから俺は天井から吊るされている照明に手をかけ、着地時間をずらす。


「おォ――!?」


 眼下に、横薙ぎに放たれた斬撃がインテリア類を破壊し尽くし床にその残骸がばらまかれるのが見えた。


「ああぁあッッ!!」


 そうしてもう一度斧が振り切られたのを見て手を離し、俺は荒々しい気合いと共に踵落としを放つ。


 ――しかし、それは斧を持っていない空いた左手で掴まれた。


「なんッ――!?」


 そのまま力任せに持ち上げられ片足を掴まれている俺の体は重力に従って落下し宙吊りになる。


「あがぁ……っ!」


 物凄い握力で握られている痛んだ方の足がズキズキと痛み宙づりにされたことで頭に血が上っていく。


 その無様を晒す俺に勝ち誇った顔の欠陥品が挑発を入れる。


「やっぱ詰めが甘いなぁ……どうした? そんなんじゃ誰も――」


「詰めが甘いのはお前だよ。ちゃんと周りを見とけ」


 だから俺はその挑発を遮りそう告げる。それを聞き、珍しく驚愕の色を見せて目を見開いた欠陥品は即座に振り向こうとするが、もう遅い。


「ーーッァアア!!」


 後ろに回り込んでいたマルコスが鞘に収めたまま剣を後頭部に叩き込む。


「もう一発ッ!!」


 その衝撃で前のめりになった男の顎を間髪入れず俺の剣が打ち上げる。


 その衝撃によって流石に握力が弱まった手を蹴って逃れ俺は床に落ちた。


「いっ――!!」


 地面に激突した額の痛みをこらえて顔を起こし前を見れば、あれほど暴れまわっていた大男が大音を立て地に伏していた。

 後頭部と顎に完全に直撃した打撃は彼の脳を揺らし意識を飛ばしたのだろう。


「剣を抜いたままでは殺してしまいそうだからな。鞘に納めさせてもらった」


「ナイス判断。剣の側面じゃ空気抵抗で振りが少し遅れるからな。俺も鞘があればそうしたいんだけどな」


 そう言いながら剣を杖にして立ち上がり地に伏す男を眺める。


 怪物の様な筋力とそれ以上に恐ろしい凶暴な性格の持ち主でもあり、あの大蛇との戦闘を共に乗り越えた仲間でもある大男。


「……マルコス、何か縛るものをとって――」


 彼を元の“ガルディ”という男に戻すための算段を立てなければならない。

 俺はまずこの凶暴な人格の彼を縛り上げようとした。


 ――しかし、それでは甘かった。


 炸裂した拳が俺の体を吹き飛ばす。訳も分からず吹き飛ばされ部屋と広間の間に取り付けられたもう一つのドアをぶち抜き硬いタイルの上に転がる。


「――ッ!? ぐ、ぐぁぁあ!! いっってぇぇええええ!!!」


 すぐさま軋む体を持ち上げ立ち上がろうとするが、手をついた左手の激痛に力が抜け再び硬いタイルの感覚を顔面に味わう。


 見れば割れた窓の破片が左手を貫いていた。それを力任せに抜こうとした時右腕が動かないのに気づく。


「くそッ……か、肩もかよッ……!!」


 捻挫や突き指は一度すると癖になるというが脱臼もそうなのだろうか。

 だが、無事とは言えないが死んでもおかしくないほどの一撃から戦闘不能にならずになはもはや奇跡だった。


「――ッ!! マルコスッ!! だ、大丈夫かッ!!!」


 叫ぶ俺の横に大破している元はドアだった場所から投げ出されたマルコスが転がる。


「くそッ……油断した……!」


 マルコスも何発か食らった様で口の端から出血している。


 だが、痛みにのたうち回る暇さえ与えず残った上半分を吹き飛ばし中から男が出てくる。


「おいおい……こんなもんじゃないだろ……まさか終わりとか言うなよな?」


「馬鹿言うんじゃねえよ……だったら少しは力加減しろ……!」


「あァ? お前こそ馬鹿言うんじゃねえよ。それじゃあつまんねえだろうが」


 楽しそうに笑う男は、これ以上無く異常で、狂っていた。


 ――だが、こいつの一番の厄介な特性は狂った性格でも厄介な怪力でもない。


「ほら? 立てよ……?」


 この、しぶとさ――驚異的なタフネスだ。


 俺が一撃で満身創痍になった大蛇の体当たりから大きな負傷なく生還し、硬い鉄の塊で頭を何度打っても平然としているタフネス。


「てめえのがあの蛇よりよっぽど化け物だぜ……」


「――違うだろ? ギル」


 突然、今までと打って変わった落ち着いた低い声でそう言われ固まる。


「お前らが本気で俺を殺す気だったなら、さっき殺せただろ? ――少なくともこんな事にはなっていなかった」


「ああ……そうだな」


 そうだ。いくら頑丈な人間でも所詮“人間”なのだ。化け物でもなければ怪物でもない。


 首を切れば、心臓を貫けば、長時間出血をさせれば――死ぬ。


「――だけど」


 呟く様に声を放ち、動かない右腕の代わりに仕方なく手に突き刺さったガラスを歯で咥えて引き抜く。


「うっ……」


 剣を出血の止まらない左手に持ち替え、その手で肩を押さえて俺はゆっくりと立ち上がる。


「俺は、お前を殺さない……全部守るって決めたんだよ……!」


 眉間にしわを寄せた仏頂面で言い切ると、手を伸ばし鼻っ面へ剣先を向ける。


「そりゃあ……傲慢ってもんだぜ」


「……ガルディ。お前にも何回も助けられたからな。待ってろ――すぐにそこから引きずり出してやる」


 どこか自嘲気味な笑みを浮かべる狂人の言葉を無視し、その奥にいる筈の、あの気のいい頼り甲斐のある俺の友人“ガルディ”にそう言った。


「く、ぐふっ……あは、あはははははははははははは!!!」


 そう宣言された彼は――彼ではない彼は堪えきれない様に笑い出した。


「っ……、はぁ……はぁ……助ける? ハッハッハ! 俺を笑い死にさせる気かよ!?」


「それは困るな。お前に死なれるとガルディが助けられない」


「あぁ、マジで大好きだぜ、お前! 殺したいくらいになァ……!」


「ああ、そうかよ。俺はお前のこと大嫌いだぜ。殺したいくらいにな」


「――じゃあ、やれるもんならやってみな。俺を殺さずお前の大好きな皆を助けてみろよぉ!!」


 わななく両腕を広げて咆哮する男を睨みつけ、俺は彼ではない誰ともしれない相手に宣言する。


「言われなくても――!!」


 俺はみんなを助ける。そう、彼女と約束したから。次は絶対に助けるって約束したから。


 ――だから、助けてみせる。



「俺は、誰も諦めないッ!!」













 ――ふと、



 唐突に目の前が真っ赤に染まる。


「……あ?」


 わけがわからないまま顔を拭い前を見る。


 見れば、目の前に立つ大男の2メートルを超す身長は頭一つ分ほど小さくなっていた。


 ――文字通り頭一つがなくなっていた。



「――え?」


 ドサリと糸の切れた人形の様に倒れこむ。すると、失った頭があった位置から鮮血が噴き出した。


 その鮮血を浴びる、彼の命を屠った“それ”は舌舐めずりをする。


 “それ”は――、人狼は――、



 再び俺の前に立っていた。

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