第二十八幕『始まりの殺人』

「アルバート・センレンスを殺したのは――この俺だ」


 マルコスは口元を吊り上げ、嘲るようにそう言った。


 その言葉と、目の前で起こっている事を認識するには、かなりの時間を有したと思う。だが、時間の感覚すら狂ってしまったようで、その時間は長かったのかそれほどでもなかったのかは、正直なところわからなかった。


 そんな俺をみて、再びマルコスが嘲笑する。


「理解できないか? いや、理解したくないか?」


 まるで逃げ道を塞いで追い詰めるように、マルコスは俺を問い詰める。


「さっきの爆発。あれをやったのも俺だ。この時間に“ああ”なるよう仕掛けをしておいた。――これを見ても、お前はまだ認められないか?」


「ち、ちが……う、なんで? ……なんでだよ?」


「なんでか……? ――簡単だ。邪魔だったからだよ。屋敷の主人という立場のやつは、俺の計画には邪魔だった。それだけだ」


「違う……そうじゃない……」

 

 なにもない虚空をキョロキョロと見回し、落ち着きの無くなった瞳を泳がせる。唇はわななき、全身は粟立つ。


「あと少しで……あと少しで終われたはずなんだ……こんな、こんな最悪な悲劇を……っ!! 終わることができたんだッ!!」


 ――理解できない。理解したくない。この先を、もう見たくない。


「悲劇? 終わることができた? ハッ、違うな。何もかもが違う。お前は、なにも知らない」


「何が、だよ……!」


「悲劇だと言ったな。まずはこれを正そう。これは悲劇なんて大層なものなんかじゃない。趣味の悪い茶番だ」


「茶番……?」


 嘲るように、自嘲的にマルコスは吐き捨てる。その聞き捨てならない内容を、俺は無意識に反芻した。


「ああ、茶番だ。……何から何まで計画通りのな。大局的な流れどころか、人の思いも、行動も、最期まで、何から何まで計算され尽くした流れの中を演じさせられる……茶番劇だ!」


「ふざけるな!! あいつらの思いも行動も最期も、茶番なんかじゃない!! そんなの、あり得ない!!」


「いいや、あり得るんだよ。あり得てしまうんだ。現に、俺もお前も、今まさにその茶番を演じているんだからな……!」


「じゃあ……! それがわかってるならそのレールの上からはずれろよ! なんで全部わかった上で、こんな事してんだよ!!」


「そうするしかないからだッ!!」


 ごうごうと吹き付ける強風の中、寒さも恐怖も忘れ去って、俺たちは怒声と設問を重ねる。

 この胸の痛みも、失った辛さも、すべて茶番だなんて、認められない。


「俺は、 このふざけた計画を叩き潰し、この世から完全に消し去る。――その為めに、お前らには死んでもらう」


「なんでだ!? なんでそうなる! 言えばいいじゃねえか! 相談してくれればいいじゃねえか!」


「…………」


「――何か方法ならあったかもしれない! なのになんで……なんでこうなっちまうんだよッ!!」


 すると、俺の叫びを聞いたマルコスは、愕然と目を見開いた。

 そして、そこからがくりと糸の切れた人形のようにうなだれる。


「…………」


 もしかすると、今の一言に彼の気持ちを動かすものがあったのだろうか――?


「なあ、おい。マルコ」


「――俺だって……! こんな事を、したかった訳じゃない……っ!!」


 そこからなにか聞き出せないかと口を開いた俺声を遮って、マルコスが叫んだ。


 その、震える肩を鬱血するほど右手で掴み、嗚咽を孕んだ声で叫ぶ彼の姿は、俺には大きな感情の流れを無理やりにせき止めるかのように感じられた。


 ――どこかで俺はマルコスからもバレレンの様に、後悔や懺悔が出てきてくれるんじゃないかと期待していたのかもしれない。


「マルコス――、」


 そして、実際にその反応はそのどちらともとれるものだった。それを理解して、俺の心臓は浅ましくも高鳴る。救いがない訳ではないかもしれないと、浅はかな希望を抱く。


 ――だが、現実はそれほど甘くはないのだ。


「ふふ、はは……」


 それを、俺はこの数日で痛感したはずなのに。


「ふ、ふは、ははは! あははははは!! あはははははは!!!」


 震える声で名を呼ばれた男は、いつかの狂人のように、絶叫のような笑い声を上げた。


「――とでも言うと思ったか? もしそうすれば気が済むのか貴様は? ははは!! 面白い程に陳腐だな!!」


「……は?」


「なんの根拠も証拠もない俺の、しかも目の前で大切な者を殺した俺の言葉を、あれほど簡単に信じるとはな……笑いを堪えるのにどれだけ苦労したか! ははは! ははははは!!」


「なに、言って――」


「ハッ、相談……? それでは俺の計画に支障をきたすだろうが。それに、なぜ貴様ら平民ごときの命を、俺が気遣ってあげなければならんのだ? ――弱者の貴様らが、強者の俺たちの糧になるなど、至極当然の事だろう」


 そう言って嗤うマルコスの瞳には、言葉の調子ほどの感情はない。なにも、罪悪感も、悲しみも、後悔すら感じていない。そんな冷徹な瞳だ。


「その顔だ、その顔が俺は見たかったんだよ……!!」


 今諦めれば、死んでいったすべての命が『計画』というわけのわからないもののただの犠牲となってしまう。――それだけは、絶対にダメだ。


「さあ、茶番は終わりだ」


 ――だが、それでも現実は無情にも『最悪』を平然と突きつける。


「なんでだよ……っ!!」


 歯を食いしばり、涙声になりながら、俺は突き付けられた拳銃を――それを持つ騎士を睨みつける。


「なかなかに愉しかったぞ、ギル・ルーズ。俺はな、本当に愉しかったんだ……」


「だ、だったら――、」


「だが、今この瞬間に比べれば、これまでの全てを合わせたところで到底敵わない。ただの前座だ」


 そう言ってマルコスは再び目を伏せ静かに時を噛み締めると、ゆっくりと顔を上た。その瞳には、もう感情は欠片も残されていなかった。


「――さあ、終わりにしよう」


 火薬の弾ける轟音と共に、突き抜けた弾丸が背後の窓を割る。

 それを知覚した瞬間、右腹部から焼け石を押し付けられたような熱が発生した。


「ご、ふ……」


 内臓に穴が空いたのだろうか、しばらくして口の端から血がこぼれた。寒い冬空の中、焼けるように熱い血を零す腹部を抑えて、俺は膝をつく。


「お、れは……何を――」


 崩れ落ちる俺を見て、マルコスが驚愕にわななく手から、拳銃を取り落とすのが見えた。


「……あ?」


 ――なんだ? 何が起きてる?


「ああ……そうか……そういうことか……! ならば都合がいい。もろとも、全てなくせばいい……!!」


 無理解に目を剥く俺の前でそう呟くと、マルコスは跳んだ。


 後ろに――思い切り跳んだ。


「は――?」


 ――その先には、屋根も、地面も、何も無い。


「マル、コス……!!」


 気が付けば、俺は動いていた。痛む体は相変わらずだが、そんなことすら忘れて、俺は駆けていた。


 遥か下の地面で、何かが潰れるような鈍い音が鳴るが、それでも俺は進む。

 もう力の入らない体は崩れ落ちて、動かなくなった体を無理矢理に引きずるような形だったが、それでも俺は進む。


「が……っ、はぁ! ぐ……ふぅ!」


 ずるりずるりと、鮮血に湿った体が立てる生々しい音を聞きながら、俺は進み続ける。


「あ、れ……?」


 目的地まで這いずった俺は下を見ることは叶ったが、下にあったのはマルコスではない真っ赤な血と肉片だった。

 ならマルコスは、一体どこへ行ってしまったのだろう?


 ――ああ、血が流れる。寒い。寒い。


「お、れは……な、にを……なん、のため……に…………」


 世界が、暗くなっていく。突然日が落ちるのが早くなったのだろうか。


「あ……ぁぁ…………ぁ……」


 真っ暗な夕焼けの中で、俺の意識は溢れていく。血が、小さな川を作っていた。


 熱い、苦しい、寒い、怖い。

 暗い、明るい、痛い、怖い。



 ――ああ、眠い。



*******************



 目の前には、何もない真っ白な世界が広がっている。


 ――とうとう、俺は死んだのだろうか。


 なら俺は天国と地獄どちらへ行くのだろうか。


 それとも、実はどちらともなくて、俺はこれから消えるのだろうか?


 ――まあ、いい。どちらでも、どうとでもなればいい。もう、俺には何もないのだから。


「ギルさん、何してるんですか?」


「――あ?」


 そんな中声をかけられ、面倒げに振り向けば栗色の髪の少年が随分と懐かしい微笑を湛えてそこに立っていた。


「ああ、なんだ。バレレンか」


「『ああ、なんだ』じゃないですよ。どうしたんです? 真っ白ですよ?」


「あ、ああ……本当だ」


 苦笑気味のバレレンに促されて見てみれば、なるほど確かにおれの体は真っ白になっていた。

 完全なホワイトではないが、モノクロを極限にまで薄くしたような軽薄さだ。


「心まで真っ白みたいですね……まあ、そんなことはこの際いいです」


「ああ……」


「もう一度訊きますよ――何、してるんですか?」


「何って……」


 何をしているのか。そう訊かれれば、確かに何をしているのだろう。ここはどこなのだろう。彼はなぜここにいるのだろう。


「わからない……」


「違いますよ。そうじゃなくて、僕の残したヒント、ちゃんと生かしてくださいって言ったんですよ」


「あ、ああ……人狼、妖狐、精神汚染、薬物――だっけか?」


「不老不死の研究が抜けてます。はあ……人が文字通り命懸けで残したヒントを……本当にしっかりしてくださいよ」


「悪い……」


 ぼんやりと謝罪を口にすると、バレレンは仕方なさそうに肩をすくめる。


「じゃあ、僕はこれで終わりです。と言うかこれは貴方の記憶なんで貴方が潜在的にも知らないことは教えられませんからね」


「じゃあ、先に言っててくれ……多分、俺もすぐに行くからさ」


「はは、それはどうでしょうね?」


「え――?」


「ほら、よーく耳を澄ましてください。貴方の愛しの彼女がお呼びですよ」


「なに……言ってんだよ……?」


「では、さようなら」


 掠れた声で問いを発する俺の前から、バレレンの姿が薄れていく。


 ――いや、消えていくのは俺の方か。


「俺は……俺は――!」


 鮮明になり始めた意識で、俺はバレレンに叫ぶ。謝罪か、感謝か、それ以外の何かか、正直言って俺にもわからなかった。

 なにせ、俺はそれを伝えるより前に、その世界から消えていたのだから。


「貴方ならできます。……僕たちを、助けてくださいね」


 最後、消滅に際して微かに確かに聞こえたそれも、俺の記憶が作り出した言葉なのだろうか。


 それは、俺にはわからない。俺にはなにも、わからなかった。



 だが、そうでないことを――俺は願う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る