第十五幕『大蛇』

  右手に持った直剣を体の前に置くように構えて右足を前に出し、左足を引いて体勢を落とす。踵は少し上げ、動き出しやすくしておいて、空いた左手を胸辺りまで上げる。


 そうしてしっくりくる態勢をつくると、自然にピタリと動きが止まった。


「なんか……“サマ”になってんな」


 そんな風にガルディに言われふと気になる。確かに、剣なんて持つのはこれが初めてのはずだ。

それにこの構えも何となく“こうしたらいいんじゃないか”と思って構えただけだ。


 だが、そんなこと――、


「おおっと!? 次がくるぞォ――!」


 そんな思考はガルディの緊迫した叫びにより中断される。

 見れば数メートルある距離を、大蛇が一気に詰めてきていた。


 さっきまではまるで見えなかった大蛇の動きは、士気が上がった事と視界が少し開けた場所に出たことで目で追えるようにはなっていた。

 ただ、完全に捉えたわけではない。だが、この右手の武器はそんな差を埋めるには十分に思えた。

 正直言ってほとんど気持ちの問題だろう。だが、それは今という場面においては大きな要因となる。


 ――俺は、後ろや横ではなく“斜め前”に足を滑らせる。正面から受けるのではなく、滑らせるようにいなす事で迫る一撃を逃れ、更に真横から蛇の体を切りつけためだ。そして、その目論見は大方成功した。


 ただ――、


「くそ、悪いガルディ! 浅いッ!」


 ビギナーズラックを遺憾なく発揮した幸運の一撃でも、肌を薄く切り裂くのが限界と言う自分の技量に歯がゆさを覚え、俺は吐き捨てるように叫ぶ。


 対して、薄く切り裂かれた体から血が漏れると、大蛇は驚いたように身をよじりこちらへ向かってきた。


「ガルディ! 頼んだ!!」


「任せとけ!!」


 その大蛇の体をガルディの斧が削り取る。俺とは違い、武器を使いこなすガルディの一撃は、かなりのダメージを与えたはずだ。

 その怯んだ大蛇の懐に飛び込み、その腹へ俺は直剣を突き出す。刀身が手のひらの長さほど沈み込み、先の木の枝とは比べ物にならない量の鮮血が傷口から溢れた。


「ガルルルルッ……!!」


 およそ蛇らしくない唸り声をあげ蛇は後退していく。その馬鹿にでかい体は、この短時間の攻防で四つもの裂傷が刻み込まれており、流石にダメージを感じさせた。

 大半はガルディの斧によるダメージだが。


「はあ、はあ、はあ……」


 だが、こちらも無傷というわけではない。それに、度重なる疲労に体力の限界も近い。確かに森での生活や筋力トレーニングは欠かさず続けてきた。だが、それは日常生活やちょっとした不測の事態でなんとか役立つ程度だろう。

 その程度で、どうして誰かを救うことができようか――、


「いや、今は目の前のことに集中しよう……」


 そんな後ろ向きな思考を頭を振って四散させ、俺は目の前の蛇をどうにかするべく、足りない頭を回転させる。


「ガルディッ! 追い打ちかけるぞ!」


「おお、任せとけ!!」


 短い声掛けをして、俺たちは走り出す。蛇は木の多い方へ後退するので、その後を追う形になる。


 あと少し、もう少しで倒せる。それに、こちらを殺しに来ないのなら捕獲でもいい。とにかく手負いの肉食動物を、野放しにしてはおけないのだ。だから、今は逃すわけにはいかない。


「おおっと、まずいな……おい、ギル! 深追いするな!」


 そう決心を固めた矢先、突然後ろで叫ぶガルディに、弱りきってる今がチャンスだろうと言いかけてふと気付く。ここはまるで森だ。しかも木の密集度がかなり高い。


「そうか、剣が……!!」


 だが、気付くのが遅すぎた。それを理解すると同時、大蛇は棍棒の件で懲りたのか俺に向かって体当たりを敢行した。


「ぐ、ふ……!!」


 俺はそれを剣の腹の部分で受けるが、衝撃に耐えきれない。押し出された空気が苦鳴となって口から漏れ、その威力に俺は更に森の奥へ吹き飛んだ。


 滑るように硬い地面を転がりながらも四肢を伸ばし、なんとか勢いを殺すと、剣を杖のように使って立ち上がる。


 立ち上がれた。だが、ダメージは大きい。頰が切れたようで血が伝い、ガタガタと笑う膝は、支えの剣なしでは立つことすらままならない。


「おい、大丈夫かッ!」


「一応……な。――悪いガルディ。気づくのが遅かった」


「仕方ねえさ。俺も完全に誘い込まれてた。野郎、なかなか頭がキレやがる」


 言いながらも目を離さぬようにしていた大蛇は、それに気付くと再度草の中に潜る。それにより、努力の甲斐虚しく大蛇の体は隠れて見えなくなってしまった。


「ああ、くそっ! どこ行きやがった!?」


 姿の見えなくなった大蛇を探すため、辺りを見回してガルディが嘆く。森の中では木が邪魔をしてさらに場所がわかりにくい。何処から出てくるかが全くわからないのだ。


 大蛇を倒す方法どころか、逃げることもままならない。これでは、どうしようもないではないか。


「いや、まてよ……」


 それならば、或いは――、


「――そうだ……いい方法を思いついた。手を貸してくれるか? ガルディ」


「なんだよ、悪い顔してんな……良い方法なんだろうな?」


「それはなんとも言えないけど……勝機は――ある」


 そう言って俺は不敵に笑う。それは実際、不安や失敗の恐怖を押し殺すためのものだったのだが、ガルディには俺が勝利を確信している様に見えたようだった。



*****************



「――って作戦だ。いけるか?」


「……正直絶対嫌だがな。やるっきゃねえだろ」


「お前ならそう言ってくれると思ったよ、ありがとう」


「感謝すんのは少し早いだろ」


「ああ……そうだな。頼むぞ、ガルディ!」


 大蛇から身を隠し作戦会議を終えた俺たちは動き出した。

 この作戦には数々の工程がいる。それを全てこなすには少々危険が伴うのだ。


 大岩の後ろから大蛇の目の前に飛び出した俺達に気づき、大蛇が食らいつこうと体を伸ばす。それを転がるように交わし、やはり大蛇が“俺を狙ってきている”ことを再確認する。


 ――なら第一次工程は不可欠だ。


 狙いを損ない木に牙を埋める大蛇に、存分に振るえない剣ではなく、あえて蹴りを食らわせる。

 そんなものダメージにならないが、その隙をついてガルディが斧を振り下ろす。

 だが、それも乱立する木々を気にした、間を縫うような縦振りだ。普段に比べ、威力も速度も断然劣る。


「だぁぁああっ!!」


 それを目視し、悠々と交わす大蛇の頰を、しかし根性で速度を増した斧が薄く切り裂いた。


「シャァァァア――!!」


「うおっ!?」


 そこで大蛇の双眸は、明らかにガルディへ向く。殺意のこもった凶悪な眼光に見据えられ、冷や汗をこぼす傭兵を横目に、俺は内心拳を握っていた。


 やはり、こいつにはそれなりの知能がある。これならば、このまま――、


 そんな動向に気を取られていた俺は、波打った大蛇の体に足を取られて前のめりになる。それを大蛇は見逃さず、踊る体躯が俺の体を打ち付け、吹き飛ばす。


「ぐ……っ、ぬぁっ!」


 しかし、最早慣れてきた体の浮遊感から態勢を立て直し、なんとか足から受身をとって着地する。それにより、ダメージは少なく済んだようだ。


「こんっのォ!!」


 だが、そんなものを見る余裕のないガルディには、俺が吹き飛ばされただけのように見えたようだ。


 大振りで振るわれた斧は大蛇の体をかすめ、深々と木に食い込む。


「ああ、くそ……っ! ちと焦ったな!!」


 ガルディは舌打ちと共に斧を手放し大蛇の牙を掻い潜る。素人ならばここで焦って斧を引き抜いてしまいそうだが、そこはやはり場慣れした本職の傭兵だ。余裕を持った動きで牙を躱し、そのまま駆け出す。


 なら、俺が吹き飛ばされただけであそこまで動揺するなよ、と言いたいが――、

 まあ、それも彼が情深い人物である証拠なんだろうとも思う。


 それでも、状況はガルディにとって最悪だ。


 武器を失くしたガルディは、走り回って牙を避け、何度か噛みつかれそうなりながらも避け続けるしかない。


 その後、持ち前の反射神経と運動神経に加え、経験と技量を遺憾なく発揮して数十分は避け続けたガルディは、周りと比べふた回り程大きな木に背をつき息を整える。

 そこら一帯は、その大樹が栄養を全て吸ってしまっているかの様に草が全く生えていなかった。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……も、もう、足……動か……ねぇぞ……」


 息を切らし、今にも死にそうな顔で弱音を吐くガルディに、ゆっくりとした動作で大蛇は近づく。目の前の獲物と数メートルの距離まで詰めた大蛇は、そこでピタリと止まる。


 その不自然な挙動に眉を寄せ、やや気の抜けたガルディの、そのわずかな隙を突き大蛇はそのギラつく鋭牙を剥く。

 だがそもそも、疲れ切ったガルディにはもはや避けるという選択肢はない。


「あの野郎! ここまで織り込み済みとかどんだけ人を――うがぁああ!」


 大蛇の垣間見える知性とそれを予想した上で自分に、この役目を負わせた人物への不平不満を叫ぶが、それすらも遮り訪れた骨の軋む衝撃にガルディは声を上げる。


「ぐぅぅう……! 根性ッ……入ってるかぁぁぁああ!!」


 大蛇の一撃を受け止めた棍棒と全身を軋ませながらも、やけっぱちな叫びを上げて持ち前の怪力と気迫でなんとか押し返す。

 ただ、いくら怪力と気迫があった所で持っている道具が丈夫になったりはしない。ミシミシと頑丈そうな棍棒が悲鳴をあげ、それに対してガルディも悲痛な声を上げる。


「ぐぉおおッッ! も、もう限界だっ! さっさとやっちまえよぉおお!!」


「――せ、急かすなよ! 失敗するだろうが!!」


 怒鳴るガルディにこちらも怒鳴る様に叫んで、俺は木から飛び降りる。先ほどと同じ要領で――先程より良い条件下の一撃を叩き込むために。


===============================


「いいか、ガルディ。まず……作戦はこうだ」


「はあ? もったいぶってねぇで早く言えよ」


「く……っ、今ので俺の中にあった迷いが消えたぞ」


  腹の立つ顔で話を急がせるガルディにそう言い放ち、指を立てて作戦を話し出す。


「まず最初に――お前を囮にするために蛇の気をお前に向ける」


「は!? い、いや、ちょっと話し合おうぜ!? 悪かったよ! な……? ほんの冗談だって!!」


「お前の持ってるそのボロい松明が燃え尽きるまでしか出来ない話し合いなんだよ! つべこべ言うな!」


 おそらくあの蛇には高い知能があると踏んでいた。まあ、蛇にしては、だが――、


「ああ、わかったよ! もうどうにでもなれだ!」


「――じゃあ話すぞ? それにその後はやる事少ないしな」


 未だにどこか納得いかなそうなガルディが微妙な顔をしているが、それに内心で謝罪しつつ意識的に無視して続ける。

 俺には1人で蛇の相手なんて役目は到底できないし、木に登れないらしいガルディでは、肝心の一撃をお見舞い出来ない。苦渋の決断ではあったが、何もかもが足らない俺には、その程度の策しか思いつかなかったのだ。


 しかし、こんな内情を彼に知られるわけにはいかない。こんなくだらないことで不安にさせ、万が一にも失敗でもすれば本末転倒だ。だから俺は、努めて不敵な笑みを作る。


「どうにかして俺が蛇の視界から外れて……ほら、あそこにある木に登る」


 言って、俺は周りに比べて一回り大きな大樹を指差す。

 そう、この作戦は最初に大蛇を仕留めようとした時に使った作戦のリメイクバージョンと言ったところだ。


「それでお前があの蛇を誘導して木の近くまで来てくれればいい。あそこはなぜか草も生えてないからな。あと……出来れば動きを止めてくれると助かる」


「そこは任せとけよ。ただでさえ一介の木こりに頼りきりなんだ。傭兵らしい所もたまには発揮ねえとな!」


「一介って、取るに足らないとかつまらないって意味だからな? 意味考えて使えよな」


「いや、あってるだろ」


「お前なぁ――!!」


================================


 とまあ、こんな感じまで作戦会議は終了したわけだが、――ガルディは俺の言った通り条件をすべて整えてくれた。

 ならばこちらもやらない訳にはいくまい。


 そう口の中で呟くと、彼から渡された直剣を逆手に持ち、ポンメルに左手を添える。そのまま枝から飛び降り、垂直に落下する。

 ガルディの持つ棍棒に思い切り牙を突き立てている今の状態では、察知しようが気付こうが、避けることは叶わない。


 ふと――大蛇と目が合った。


 今から刈り取る命に罪悪感がなかったかと言えば嘘になるだろう。

 ただ、やはり迷いはなかった。


「――うぉぉぉぉおおッ!!」


 ズドンと――、


 刃が肉を裂き骨を断つ感覚がグリップから伝わる。その鈍い感触に、素直に気分が悪くなる。


 足元に崩れ落ちる大蛇から、大量の鮮血が溢れ、あれほどの生命力に満ちていた生物の命が溢れるのを間近で目の当たりにした。


「終わった……のか?」


 あまりに端的で、呆気ないと言ってしまえば呆気ない命の終わり。それを成した震える手を、俺は握りしめた。


 だが――まだ終わりではない。


 これから《解毒草》を探さなくてはならないのだ。


「ふう……こりゃあ寿命が10年は縮んだぞ」


「無理させて、悪かったな。これが終わったら、必ず借りは返すよ。勿論10倍返しでな」


「よっ、太っ腹! さすが俺の同志だな!」


「……いつから俺はお前の同志になったんだよ」


「じゃあよ、そんなお前に一つ頼みがあるんだが――」



 いや、それ以前に蛇退治も――、



「――え?」


 バツが悪そうな顔で何かを言った目の前のガルディが、一瞬にして消える。すると、代わりに顔に何かがかかった。


 頰についた、熱を持ったそれを拭い、べっとりと濡れた手を見る。


 その手は真っ赤に染まっていた。


「…………ぁ」


 前と後ろから、木々を薙ぎ倒す轟音が響き渡る。


 樹木の断末魔に岩の砕ける破壊音。周りに残っていた生物という生物が逃げ出す。


 それを成すのはおそらくこの山の生態系の頂点だ。


 見れば、真ん中に立つ俺を挟み打つように、先程倒した大蛇よりも更に大きい二匹の大蛇が、轟々とひしめいていた。




 ――なにも、終わってなどいなかった。

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