第二十九幕『死者からの手紙』
「おはようございます」
「ああ、おはよう……」
いつも通り目がさめると、赤頭巾の少女がそこにいた。
いや、別にいつも通りというわけでは無いし、それは彼女が好きでやっている事ではなく、看病の一環としてしか無い事なのだが――、
いや、違う。そうじゃないだろう。
『なんでここにシャルルがいる?』
「――なッ! シャ、シャルル!? お、お前、どうし――ぐぁっ……!」
「無理をしては駄目ですよ。貴方は撃たれたんですから」
取り乱す俺を、落ち着いた様子のシャルルがなだめる。だが、そのまま納得なんてできるはずもなく、俺は痛みを堪えて声を上げた。
「で、でもッ! なんで、お前が生きてるんだよ……?」
その問いに、シャルルはなにかを考えるように俯き、それから言った。
「――あの時、偶然私は館に鞄をとりに行ったんです。リナさんの事で取り乱して、忘れてしまったようで……そしたら、外でリナさんの乗った馬車が」
最後まで言えず、悲痛な表情をうつむいて隠したシャルル。その姿を見て、俺は自分がどれほど無神経な質問をしたのかやっとわかった。
「取り乱した……ごめん」
「いいんです。私も貴方があそこで倒れているのを、生きているのを見るまで、同じような状態でしたから」
「じゃ、じゃあ、リナさんは!? リナさんだってもしかしたらお前を追って馬車を出てたってことも……!」
「いいえ、それはありません。私が爆発するのを見た時、確かにリナさんは乗っていました」
「――そう、か」
彼女は、苦しんだのだろうか。いや、あの爆発だ。きっと、痛みすら感じる間もなく一瞬で終わったはずだ。
それに、もしあれで苦しんでいたとしたら、それこそもう救いなんてないじゃないか。
「シャルル。多分、黒幕はマルコスだった……よく考えれば、あいつが姿を見せない時にこそ何かが起こっていた」
「マルコスさんが……」
口振りや知識、アリバイや権力からすれば、彼が一番の容疑者だろう。今考えれば、最初に俺がマルコスに大して異常なまでの敵意を感じたあれも、彼の策だったのかもしれない。
『いいや、違う』と、そう思っている部分だってある。矛盾点や相違点だって探せば見つかるかもしれない。だが、それが何なのだ。
「もう、みんな死んだ……」
今残っているのは俺とシャルルだけで、死んだ彼らの中に黒幕がいたとしても、もう問いただす事も罪を償ってもらう事もできやしない。
だったら、有耶無耶でいい。マルコスにも、何か事情があって、あんな凶行に及んでしまっただけのはずだ。
いいや、違うな。そうであれと、俺が身勝手に願っているだけだ。
「私は、今からマルコスさんとリナさんを埋めてきます。せめて、何もできなかった私の償いを……今からしてきます」
「あ、ああ……そうか」
そうだ。せめて弔ってやらなければいけないだろう。彼らはどういう理由であれ命を落とした。だから、今生きている俺たちが、その命と悔恨を少しでも弔わなければ。
「じゃあ、俺も――」
「ダメです。貴方は今自分の体がどんな状態かわかっているんですか?」
「いや、でも意外と痛くないんだよ。体だって、少しは動く……」
「それは鎮痛剤が効いているからです。それも、薬草ではないしっかりとした薬品です。それでも、まだ痛みがあるんでしょう?」
「ああ……わかったよ。無理を言って悪かった」
「悪いと思ったなら寝ていてください」
「はは……厳しいな、まったく」
乾いた笑みを零し、俺は横になる。確かに、ここ最近傷が治るより先に怪我が追加され、治療が追いついていない節があった。
それに、昨日今日と気絶しっぱなしだ。1日くらい、しっかり休まなくてはいけないかもしれない。
それに、もう俺が古墳奮闘するような場面は起こりっこないだろう。唯一人狼だけが気がかりだが、奴が来るのは決まって月が出る晩だった。
それに、もし襲われたとしても、今の俺では何もできない。ならば、休んで夜までに少しでもマシな状態になることが、今俺に出来る最善のはずだ。
――それに、俺はどこかでもう人狼が来ることはないと確信していた。
「…………」
それがなぜかはわからない。俺には何も、わからない。
*****************
「ギルさん! な、なんでもう出歩いてるんですか!」
「え? あ、ああ……いや、だいぶ楽になったし手伝おうかと」
「いや、だからそれは鎮痛剤が……もう、切れてますね……」
「え、そうなのか?」
ただひたすら唖然とするシャルルに、俺は戸惑っていた。
確かに黙って出歩いたのは悪いと思うが、十分に休息はとった。マルコスに撃たれ、気絶込みの6時間と、意識的に眠った6時間で、だいたい12時間くらい眠ったことになる。
それだけ眠れば、傷の大部分は治ってしまうものじゃないのだろうか?
「そんな訳ないじゃないですか……!」
「え? でも実際に治ってるぞ?」
「だから、そんな訳……あれ? ほ、本当ですね……」
型の良い眉をひそめ、思案顔で唸るシャルルは、最終的に俺の体をペタペタと触りだした。
なんとなく居た堪れない気持ちになったが、そこは見栄っ張りの本分を発揮して毅然と無反応を貫いた。
「傷はふさがっていない部分や折れた箇所に痛みが残っているみたいですが……本当に大方治り始めています」
「ほらな? こんなもんだろ」
「違いますよ! 貴方が特別なんです」
「特別……」
アレが関係しているのだろうか。だとするならば……ああ、本当に、忌々しい――。
「ギルさん?」
「え? あ、なんだ? シャルル」
「今すごく怖い顔してましたけど……何か気に障りました?」
「い、いやいや! そうじゃないんだ! ただ――」
「ただ……?」
どうするか。良い言い訳が全く浮かばない。
「えっと、だな……」
「はい、なんでしょう?」
「あー、お腹すいたなって……」
「…………はあ」
結局、出てきたのはそんな陳腐な言い訳だけだった。全く、いざという時に役に立たない頭だ。
「じゃあ、リナさんに――」
そんな益体もないことを考えていると、シャルルがそんなことを口走った。
最早、習慣だったのだろう。
五日間、朝昼晩と三食。計15回だ。ふと、口をついて出てしまった言葉。
「……は、もういませんよね。はは、すいません……」
その自らの言葉に酷く心を引き裂かれて、赤頭巾の少女は力なく笑う。
むしろ、露骨に悲しんでくれた方が見ていられたかもしれない。だが、シャルルは自分がした失言で俺が傷付くことがないよう、悲しみをこらえて笑って見せた。
その笑顔の後ろ。背中に隠した右手から、ポタポタと赤い血をこぼしながら、少女は気丈に笑って見せた。
――本当に、彼女は嘘が下手だ。
「よぉしっ! シャルルもお腹すいたろ? 俺が料理を作ってやろう!」
「え……?」
「これでも俺はずっと一人暮らしだったんだ。掃除に洗濯、自炊に裁縫、なんでもござれの万能人間なんだよ」
「え……いや、だから……」
「だからお前はそこで座ってろ! びっくりするほど美味い料理を作ってやるから、少し一人になるけど待ってろよ。すぐに持ってくるから」
「ありがとう、ございます……」
「おう!」
満面の笑みで手を振って、困惑気味のシャルルの前から姿を消す。
この厨房は、シャルルにとっては嫌な思い出も良い思い出もあり過ぎる。だから、今の彼女を入れられない。
「それに、一人だったら無理して堪えなくても良いだろ……」
そう言って、俺は震える手を押さえつけてドアを閉じた。
******************
料理の結果は、奮闘の末かなり良い出来のものが出来上がった。
だが、骨折により右腕しか使えないせいで、かなりの時間と幾つもの食材の犠牲を払うことになったのも事実だ。
「まあ、結果よければすべてよしだ!」
「意外と、美味しいですね」
自分を慰めるべく声を上げた俺の横で、いつもの調子でシャルルが淡白な感想を言った。
その目は赤く腫れているが、それについては、当然目を瞑る。
「にしても、良かったですね」
「良かった……?」
「いえ、利き腕は右みたいですし、骨折したのが右腕じゃなくて良かったですねね
「あー、そうか。そういうことか」
何気なく言ったシャルルの言葉に対する、俺の含みのある反応に、少女は怪訝に首を傾げた。
「私、何か変なこと言いました?」
「あ……い、いやいや、別にそんなことはない。だだ、俺は別に右腕を骨折してても支障はなかったんだよ」
「え……?」
「俺、両利きなんだよ」
「え……!?」
そう。あまり使う機会も見せる場面もなかったので特に良いもしなかったが、俺は両利きなのだ。
とは言え、後から訓練してなったもののため、本来の利き腕である左腕より右腕の方が使うことは多い。
今や、利き腕が逆転してしまったと言っても良いだろう。
「そうなんですか……何というか……ギルさん意外と本当に万能なんですね」
「意外とが余計だ」
「ギルさん本当に万能なんですね」
「お、おおぅ……」
素直に言い直すシャルルに普通に照れる俺。それを見て、彼女の『少し見直した』みたいな視線の熱が、やや冷める。
「でもまあ、それを言うならシャルルだってそうだろ」
「え?」
「薬とか治療とか、俺は医学方面はあんまり強くないんだよ。ほら、すぐに治っちゃうから」
「ああ、ギルさん元から傷の治りは早いんですか?」
「まあ、な。でもここまで劇的じゃなかった気もするが……いつからだったかな……」
正直思い出せないが、なんとなく蛇の一件が終わってからは特に早かった気がする。
怪我をし過ぎて体にそう言った特色が現れるとかは――まあ、ないな。
「――ん、美味い」
「早速、自画自賛ですか」
「そりゃあ褒めるさ。美味いからな」
「まあ、確かに美味しいですけど……」
そうして談笑をしながら、俺たちはやや作り過ぎの料理達を食べ終えた。
その頃には、もう14時を回っていた。
「随分遅い昼食になったな」
「でも、久しぶりにちゃんと食べましたよ。ここ最近はなかなか食べ物にありつけませんでしたからね」
「ああ、そうだな」
この二日間。欠陥品による騒動から人狼の襲撃、マルコスの暴挙など、めまぐるしく巻き起こった出来事は、まるで長い悪夢のようだった。
気絶していた時間が長いということもあるが、それでも特に密な2日間に感じられた。
ただ、その中で一つ引っかかる事がある。
――マルコスの最後の様子だ。
意味不明な言動や、様子が変になってから取った行動の脈略のなさ。
「あれは……ガルディと同じ多重人格か?いや、何か違う。あれは……」
「ギルさん……?」
記憶を必死に探るが、気絶した直後の出来事のため、不鮮明にしか思い起こせない。
「都合がいい……ならばもろとも……だったか?」
「ギルさん……!」
全く意味がわらからない。完全に八方塞がりだ。
「ああ、くそ――行き詰った……」
「ギルさ――」
「行き詰まった……!?」
「きゃあ!?」
突然起き上がった俺に、シャルルが悲鳴をあげる。なんとなく、あの滝で助け出されたときを思い出した。
「――じゃない! そうだ。あいつはヒントを残していたのかもしれない……!!」
「ヒ、ヒント……? 何を言ってるんですか?」
「ちょ、ちょっと用ができた! 悪い、片付けといてくれ!」
「え!? あ、待って――!」
隣に座るシャルルの声すら聞こえない。それほどに、思い至った事実は衝撃的だった。
「なんて言ってた……!? 思い出せ……思い出せ……!」
ヒビの入った左足を松葉杖で代用し、バランスの悪い体で必死に廊下を駆け抜ける。
「なんだ……!? なんだ……!?」
そのスピードすらも歯がゆくて、俺は必死に頭を回転させることで痛む腹の傷すら無視して進み続けた。
『いや、少し興味深いものを見つけてな。借りさせてもらった』
「違う……っ!!」
『もう積んである。それに、なかなかに興味深いものが揃っていたぞ』
「それじゃない……!!」
『貴様も何か行き詰まった時、足を運ぶといい』
「そうだ……この言葉!」
だが、もしかするとただの感想なのかもしれない。他愛もない、雑談かもしれない。
――だが、俺には彼が意味もない言葉を、彼にとって大一番の直前である場面で嘯くとは、どうしても思えなかった。
いや、俺はきっと何かあると確信していたのだ。クレラ・マルコスという男の狡猾さを痛いほどに実感した俺だからこそ、そう確信していた。そう信じた。
『俺が気に入ったのは一番右の奥の棚にある、考古学の文献だ』
「これだ……ッ!!」
頭の中で反芻した台詞。そうして探し求めた内容を見つけたと同時に、俺は二階の資料室にたどり着いた。
「一番右の奥にある……考古学の文献……!」
口に出しながら幾つもの本の背表紙をなぞり、目的のものをつかんで引き抜く。
「これが一体――、」
勢いよく開いた本のページをパラパラとめくっていると、途中何かが落ちた。
「――封筒……?」
拾い上げ、その中身を見聞する。
どうやらそれは、手紙のようだった。
「ギルさん……? 本当にどうしたんですか……?」
だが、それを開き、いざ読もうというところで背後から声が掛かった。
「……ど、どうした!?」
思わず飛び上がりそうになったが、咄嗟に手に持った手紙を封筒ごと懐に押し込め、上ずった声できき返す。
「いや、こっちが聞いているんですが……」
「あ、悪い」
「いえ、もう館を出ましょう。そう言いに来ただけです」
「――あ、ああ、そうか」
そうだった。元は昼食を食べ終わったらすぐに館を出る手筈だった。それを、俺の身勝手で延長してしまったようだ。
「じゃあ行くか……」
その内容は無性に気になるが、まずは安全の確保が先決だ。もう人狼の襲撃がある夜まで少ししか時間がない。
襲われた時対抗する手段がない今は、館から出ることが先決だ。
「はい、急ぎましょう」
そのせいか、なにやらそわそわと落ち着かないシャルルと共に、俺は館を出た。
*****************
「くそ……あいつ、変な嘘つきやがって……」
「仕方ありません。それより、急ぎましょう。日が暮れてしまいます」
よろよろとおぼつかない足取りで館へ来た道を辿りながら、俺は悪態を付く。
実は、マルコスの言っていた館の裏庭にあった馬車というのは嘘だったようで、俺たちは結局歩いて帰ることになったのだ。
「ああ、ギルさん。そう言えば、結局あれは何だったんです?」
「……手紙だよ。マルコスからの」
「手紙……?」
そう言ってシャルルに説明するため取り出して、俺は自分がまったく読み進めていないことを思い出した。
「ええっと……」
《貴様がこれを読んでいるならば、俺はもう死んでいるのだろう。そして、お前以外の『本当に招かれた住人』も同様に死んでいるはずだ。》
そこまで読んで、チラリと後ろに立つ少女を見る。
どうやら、この手紙を見るに彼女は相当の幸運だったらしい。
「だけど……なんであんなことを……?」
《まず最初に、俺は黒幕ではない。》
「は――?」
《相手の性質上、騙し討ちまがいの方法でしか裏をかくことができず、対象外の貴様にもその内容を話すことはできなかった。
しかし、これはリスクや手間を惜しんだわけではない。それが最低条件だった。だが、その理由を説明する事も、今の俺にはできない。
だが、ヒントなら残す事ができる。》
「ヒント……」
《今、本来ならば貴様しか生き残らないはずの状況で、恐らく貴様以外に生きている奴がいるはずだ。》
「――あ?」
生き残っているのは、俺とシャルルだけだ。だが、それは単なる偶然で――、
《偶然だと、そう思うのも勝手だ。》
「ま、待て……待てよ……」
《だが、そいつは恐らく――》
「――お前が、人狼なのか……?」
最後に書かれた文章をただ読んだつもりが、俺の口は問いを発していた。
後ろを歩く赤頭巾の少女に向けて、気づけば懇願まがいの問いかけをしていた。
「…………」
「なんとか、言えよ――、」
いつもみたいに呆れたように笑って、違いますと一言言ってくれればいい。それで、ただのそれだけでいいというのに、うつむいたシャルルは言葉を忘れたようにただ立ちつくす。
「なあ!? 頼むから、違うって……答えてくれよ!!」
自分から聞いておいて、本当はずっと前から気づいておいて、俺はまだ浅ましくも否定を懇願する。
――しかし、
「はい……そうですよ」
赤頭巾の少女は影のさす微笑を湛えて、『最悪』を答えた。
「――私が、人狼です」
そう言って笑う少女の目には、身を割くような眼光が青く揺らめいていた。
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