乙乃章 初節 譚之一


鵜師うし!」

 そう叫んで、修練場から出て行く足を止めさせたのは虞夷須多爾ぐいすだにだった。

 鵜師がその声に振り返ると、そこには李梓仁帆里いしにほりも立っていた。

「絶対に不当です」

 興奮すると、思っていることがまず口をついて出てくることが、須多爾の悪い癖だ。

「なにがだ、というのだ」

 不機嫌そうに、低い声で鵜師が答えた。

「わかってらっしゃるでしょう。鵜師も同じお心持ちのはずです」

 落ち着いてはいるが、とても強い口調で仁帆里が続けた。

 確かに仁帆里の言う通りではあったのだが、努めて抑えた口調で鵜師が答えた。

「うむ、私からも手をまわして何とか現状を把握しようとしてはいるのだ」

「でも!」

 須多爾が続ける。

縷々香るるかがそんなことするはずは、絶対にありません」

「分かっている」

「ですが、縷々香が国王爆殺の容疑者として捕縛されてから、すでに丸一日が経とうとしているではないですか」

「分かっている!」その語気から鵜師もいらだっているのが二人に伝わってきた。

 自分たちで詰め寄りながら、鵜師がここまで感情をあらわにしていることに二人は驚いた。鵜師の言葉にはどんな感情さえも乗ることがないのだ、と今日の今日まで思っていたからだった。


 まさに青天の霹靂へきれきともいえる出来事であった。縷々香が国王爆殺の場に、まさに鍵ともいえるような存在で舞台に立っていたこと。言祝ことほぎの歌劇の出演者で唯一出生が不確かであったこと。そして、濤族であったこと。そのいずれもが今回の事件での縷々香の関与をほのめかす結果になってしまっていた。

 禁衛府調査部や弾正台だけではなく、国軍憲兵隊までもが捜査に関与してきたことも、事態を悪化させているのは間違いがなかった。

 なんとしても、そして一刻も早く縷々香を奪還しなければならなかった。

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