乙乃章 壱節 譚之四

 濃い霧が晴れるように、すべてが思い出された。

 慶賀式典で独りで舞を舞うことが決った時の、あの何にも代え難い晴れがましい誇らしい気持ち。我が事のように喜んでくれた、かけがえのない二人の友のこと。いわおのような師のこと。厳しかった修練のこと。

 毎日、修練の後も三人で練習を重ねたこと。これまでよりも数段長い長刀を遣うことになるので、研鑽を重ねたこと。友からは、改めて大胆さと優美さを学んだこと。

 そうして、そう建国記念の日に王立劇場のあの場所で起こったことも。

 脳裡のうり鮮鋭せんえいな映像として映し出された。

 舞台の上から貴賓席きひんせきが黒焦げになっているところが見えた。自分の目に写っていることが現実のものにはどうしても思えなかった。そして、舞台上の自分に駆け寄る軍服姿の男。腕を強く引かれる。吃驚びっくりして思わず手の長刀を取り落とす。舞台の袖で叫び、駆け寄ろうとする友、師が目の端に見えた。

 最後の視覚は小銃の銃底が自分に振り下ろされる光景。肩に当てられるはずのにぶい色をした金属が眼前に迫ってきた。

「顔はやめてくれ!」

 そう叫んで両腕で顔をかばい、咄嗟とっさに顎を引いた。

 どんなことがあっても顔を傷つけられてはいけなかった。自分は、役者だから。いつもそう教え込まれてきた。

 直前の記憶は、ぶっつりとそこで途切れていた。そこまで思い出すと、鼻の奥にツーンと血の臭いがした。

 霧の晴れた鏡のような湖面の如く、極めて自然に全部が自分の頭の中に存在していた。記憶、という感じなのではなくて、そこにある。そんな感じにも思えた。


 しかし、なおも分からないことがあった。連れられて観た奇術師の小旗のように、スルスルと紐に連なって出てきた情景の中に、ふたつ漆黒の闇があった。

 なぜ自分が、打たれ、傷を負い、どことも知れぬ暗闇の中に打ち捨てられなければならないのか。自分は、今日のこの日のために汗をぬぐなみだこらえ修練を続け試行を重ね錯誤を繰り返してきたのではなかったか。王のために舞い、唄い、そして王を祝うために舞台に立った自分が、どうしてこのような目に遭わなければならないのか。何度考えても自分には理解できなかった。そして、なぜ王が・・・・・・。

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