乙乃章 参節 譚之十七

「いや、そうではない。はじめは興味、そして次に恐怖が阿僧祇王を支配していったのだ。はなから悪意があってのことではない、といったまでのことだ。でなければ、聡明な国祖様がお気づきになられないわけはない」

 鵜師は、何かを思い出すようにその言葉をかみしめた。

「それまでは、その存在すら気にしなかった人間が、その潜在的能力を生かして自分を凌ぐ存在になるやも知れぬ、ということに気がついた時、人のとる行動は大きく分けて二つ」

「はい。心血を注いで助力し成長をともに喜ぶか、力の限りねじ伏せて自分の地位の安定を図るか、です。俺は、たぶん後者です。というか、劇団では前者ですが、蹴球では後者ですね。後輩の才能を妬み、何かにつけて妨害をするでしょう」

 須多爾は自嘲気味に苦笑いした。

「その違いは、何だろうか」

「はい、相手に対する、親密度、でしょうか。何でしょうか」

「うむ、そうかも知れんな。つまりは人の気持ちの動きに規則は設けられんのだ。最初は無知による恐れだな。『泥』族の諺にある『闇夜の泥亀でいき』だ。いきなり予期しなかったものが目の前に現れたら、人は意味もなく恐怖を感ずることが多いのだ」

「はあ、しかしだからといって阿僧祇の振る舞いは容認できません」

「うむ、もちろんだ、許せるものではない。しかも、阿僧祇は実に巧妙に卯差氏の内政に入り込んだだけではなく、女王をも隷属させようとしたのだ。国祖様は純粋ではあったが、決して愚鈍ではない。執拗さを増す阿僧祇の事のなしように国祖様は信の置ける者に実情をつぶさに探らせることをした」

「あ、知ってます。もしかすると『由解違』ですね。本当にあったんですね」

「ん? なんだ『ゆげい』って」

「うーん、王直属の特務機関かな。諜報活動を中心に女王のためならありとあらゆることを行う秘密組織のこと。正式な記録が全然残ってないから、おおやけには噂だけで実在はしなかったとも言われているの」

「うむ、概ねその通りだ」

「でも、なぜ特設の機関なのですか。弾正台とか、既存の機関はなかったのでしょうか」

「うむ。阿僧祇のやり方があまりに巧みで容易にはその実態が掴めなかったのだ。正攻法では、のらりくらりとはぐらかされるだけだった」

「それで由解違が組織された、と」

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