乙乃章 参節 譚之二

「えーと、縷々香はどこ行っちゃったのかなあ」

 須多爾は、眉間のしわをさらに深くしながら、懸命に記憶を辿ろうとしていた。

「ええと。仁帆里と鵜師のところへ行ってぇ、だろ。で、縷々香はどうしたんだっけ」

 目の前で腕を空で動かしながら、筋道を立てようと藻掻もがいているように見えた。

「これが、こうなるだろ。で、これが、こうくるだろ。そんでもってぇ、鵜師がこう来て、仁帆里がこう言ってぇ、で、縷々香は? え、縷々香はどうしたんだっけ・・・・・・」

 しばらく腕をクネクネと動かしていた須多爾は、突然、目を見開いて勢い良くその半身を起こした。

「鵜師!」

 やっと頭の中の歯車がかみ合ったのであろう須多爾は、沈痛な面持ちで我が師を呼んだ。師はなにも反応を示さなかった。

「鵜師」

 須多爾はなおも問いかけた。

「あ、あれは、どういうことでしょうか。なぜ、俺と仁帆里が襲われなければならないのでしょうか。しかも、俺たちは応戦した。強い気迫に気圧されそうな相手だったのに、俺たちは厳然と立ち向かい、しかも互角以上に戦った。確かに、俺自身が戦っているのに、まるで人ごとのようでした。眼は相手を確かに見据えているのに、手も足もなにもかも、他人の物のように勝手に動いて、相手を斬りつけた。相手がどこの誰かも分からないのに、殺してしまった。そうだ、俺も仁帆里も人をあやめました。いつものように舞って、そして舞を舞うように長刀を相手に突き立てました。あれは・・・・・・あれは、現実のこと、なのでしょうか。それとも幻覚? 夢? 鵜師、教えてください。師が俺たちに何かをしたんですか。もしそうだとしたら、縷々香はそれが故に捕縛され、所在が不明になっているのでしょうか? 鵜師! 鵜師、教えてください。鵜師、教え・・・て・・・」

 須多爾は、もうそれ以上言葉を継ぐことが出来なかった。言葉が、思いに付いてこずに、空しさだけが胸の中に積み重なっていくようだった。思いが自分を押し潰しそうになり、激しい吐き気が襲ってきた。一時的に自分のものとは思えなくなっていた筋肉には強張こわばりと鈍痛だけが残っていた。

「鵜…師…」

 もう一度、なんとか師の名だけは、呼ぶことが出来た。が、もうそれが声を発することの限界だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る