乙乃章 参節 譚之三


「うむ、仁帆里が目覚めるまで、と思っていたが、この方がよいのかも知れん。須多爾、よいか。これから話すことは、いままで私の胸の中だけに留めておいたことなのだ。これを聞いた以上は、もう元には戻れん」

 鵜師が、その閉ざしていた重い口を開いて、おごそかに語り始めるのを須多爾はまるで映画を観るように、なにか絵空事の現実のような感覚の中で聞いた。

 須多爾は、押し上がる吐き気を懸命に抑え込みながら、なんとか言葉を発した。

「鵜師。ここまで来て、まだそれを言われますか。どうして、今更ここから引き返すことが出来るでしょうか。あるいは、まだ子どもよ、と軽んじてのご発言ですか。でしたらば、鵜師、俺はあなたを心から軽蔑します。今日を限りにあなたを師とあおしたうことを、根絶こんぜつします」

 二人の間を、時間が少しゆっくりと流れ、そののち鵜師が静かに口を開いた。

「済まぬ、須多爾よ。確かにお前の言うとおり、得手勝手に過ぎた物言いであったことは、認める、許せ。このまま、なにも知らん、といってやり過ごすことも出来ん。ただ、これだけは、言っておきたかったのだ。それ程までに、このことは途轍とてつもないことなのだ、と」

 須多爾は、はっきりいって言い過ぎた、と思った。この一刻足らずで起こったことは、彼の十四年弱の短い人生で味わってきたことよりも濃密だったから、もう許容範囲を超えていたから、扱いきれずに思わず口をついて出た言葉だった。言いながら、なにを言っているのか分からず、思わず口を抑えようと思ったほどだったのだ。しかし、師はその言葉に声を荒げることもなく、正面から向き合い、しかも詫びている。師はあくまでも師で、世の中のことわりとはあくまでも隔絶、超越した存在なのだと思っていた。事実、今日この時までの鵜師は、須多爾と仁帆里、そして縷々香にとっては、確実にそうだった。師が、白を黒というなら、それが必然なのだ。そう思っていた。そして、決して自分たちには弱いところを見せることはしないのだ。そう思い込んでいた。

 その鵜師が詫びている。他の誰でもなく、自分に詫びている。

 それに気づいたとき、すべてのことを許容できる、と思った。この人のためなら、何でも出来る、と思った。真の意味で、師弟になれた気がして、胸の奥底が熱かった。いつの間にか、吐き気が消え瞳が濡れていた。

「鵜師、教えてください」

 とてもすがしいたいらかな面持ちで、須多爾が言った。

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