乙乃章 零節 譚之二

          

 街路には人が溢れ、めずらしく露店なども出て賑わっていた。

 緑色で丸みを帯びた路面電車は、いま王立劇場前の停留所でさらにたくさんの客を吐き出している。車両の前面に晴れがましく国旗が交差して掲げられていることが今日が祝日であることを示していた。

 今日は建国慶賀の日。この国が誕生してちょうど三十年目に当たる。

 この月の初めから数々の式典や催し物が開催され、月の終わりにあたるこの日を迎えるための準備が市内各所で進められていた。

 海部津智往では祝賀行進パレードのはじまりを知らせる吹奏喇叭ファンファーレの音が高らかに鳴り響いた。

 王立劇場では国王臨席のもとで記念式典が執り行われたあと、王国の創生を題材にした新作歌劇のお披露目公演が興行される予定になっていた。


「すごい賑わいだな」

 男は王立劇場がよく見える茶房の窓際の席に腰を下ろしながら、注文をとりに来た給仕につぶやくように言った。

「あれ、お客さん、旅の人かい。こっちじゃ、もうひと月前からこんな具合だよ。でもまあ、やっぱり今日が最高の賑わいだね」

「仕事の都合で昨日着いたばかりなんでね。すごい人出だと聞いてはいたが、これはなるほど確かにすごい」

「国を挙げての祝日に、そりゃぁご苦労なこったね。私らにとっちゃ、道は混むのに店にはまったく入って来ずなんで、商売あがったりなんだけどね」

 馬車で通る国王をひと目観ようとごった返す人の背を窓の外に恨めしそうに眺めながら給仕は大きくため息をついた。

「ところで」

 給仕が言葉を続ける。

「こんな日に仕事だなんて、何をしてなさるんですかね」

「いや、なに。電気屋さ」

 男が自分の仕事を軽い口調で告げる。

「技師が足りないっていうんで、式典で王立劇場の配線を再点検するために急遽借り出されたのさ。なんとか無事、間に合ったがね」 

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