乙乃章 参節 譚之十

 仁帆里は相変わらずの上目遣いで、少しとげのある口調で聞いた。

「そりゃあ、どの歴書にも殆どおんなじ記述がしてある。こればっかりは、間違いようのない事実だな」

「だから、誰が言ったの」

「なにいってんだよ、歴書だよ。教科書も、書館の書物もぜんぶ一緒だ」

「あー、もういいわ。あのね、それはね誰かが書いたわけよね」

「なにいってんだよ。あたりまえだろ」

「うん。でも、誰が書いたの」

「知らないよ。じゃあ、仁帆里は知ってるのか」

「ううん、誰が書いたかは知らない。でも、誰が書かせたのかは知ってる」

「え? 誰」

「うーん、誰っていうのは、正解じゃないわね。でも、須多爾も知ってるわ」

「なんだか、さっぱり要領を得ねえなあ。イライラするぜ。まったく、なんだっていうんだよ!」

 あまりにもどかしくて、須多爾はかなり強い口調で怒鳴り声をあげた。体をゆすったので、寝台がガタン! と大きな音を立てた。


 しばらくの沈黙があった後、仁帆里の口から音が漏れた。

「・・・・・・さ・・・・・・い」

 しかし、それは耳を凝らさないと聞こえない、ごく小さなささやきだった。思わず、須多爾は聞き返した。

「なに! だからなんだっていうんだよ。くっそうっ」

「・・・な・さ・い・・・・・・ごめん・なさい」

 今度ははっきりと耳に届いた。が、それは須多爾が予想していたような軽口の反論ではなかった。

 須多爾と仁帆里は並んだ寝台で正面を向きながら、声だけで話していた。まだ、筋肉の強張りで首が上手く回らなくて一番楽な姿勢だから、というのは表向きで、実は二人ともある事実に向き合うのが怖くて、何となくワザとお互いが目を合わせないようにしていたからだった。話の途中では寝台を降りて、仁帆里がこっちへ廻って来たこともあったが、やはり面と向かって顔は合わせなかった。

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