第35話「魔乳ピチピチ、攻略?」

 日陽ヒヨウいづるは夢を見る。

 とても甘やかな、ぬくもりに満ちた夢だ。

 恋人が微笑ほほえんで、ささやいてくれる夢。

 阿室玲奈アムロレイナの言葉は、まるでみつのように甘い。


『ふふ、いづる君……ねえ、いづる君。しましょう? して、あげるんだから』


 少年にとって、それはあまりにも刺激的な誘惑ゆうわく

 どことも知れぬ空間を漂ういづるは、夢の中にまだ見ぬ恋人の裸体を浮かべていた。普段から玲奈のスタイルは清冽せいれつな美しさで、シルエットだけで容易よういに素晴らしさが想像できてしまう。ジャージにTシャツというラフな格好でくつろいでいても、その美貌びぼうが陰ることはない。

 いづるのムッツリスケベな性格は、身近に暮らす程に玲奈を意識し続けていた。

 そして今、睡眠時に脳が情報を処理する中、断片的なものがいびつつながりつらなる。


『いずるくん……ジュアッグ、してあげましょうか?』

『ま、待ってください玲奈さん! いけませんよ、それはいけません!』

『駄目? 嫌なのかしら? ねえ、いづる君……ゾック、ゾゴックしましょ?』

『玲奈さんっ! そんな破廉恥はれんちな』


 夢の中の玲奈は、大胆に身を寄せてくる。

 普段は見せない、とても蠱惑的こわくてきな表情。

 可憐な少女が、十代の瑞々みずみずしさに女の武器をまじえた時……いづる中で本能と煩悩ぼんのうとかケダモノを呼び覚ます。可能性のけものユニコーンを模したガンダムが、角割れと同時に覚醒かくせいするように。


『ほら、いづる君? ここを、こう……ゴック、ズゴック、ハイゴック……ズゴックEイイ?』

『いけませんよ、おかしいですよ玲奈さん!』

おかしい? そうかしら……ねえ、いづる君。早く私にTINティンコットを頂戴ちょうだい。TINコットを私のフライ・マンタにガッシャして欲しいの』

『ああ……玲奈さん、僕は、僕はもぉ』

『いづる君のギガンでギャンとしたのが……私のオーキスにインレしてるわ』


 溶け合い混じり合う意識と意識、感覚と感覚。

 粘膜のかなでる淫靡いんびな音が、いづるの中で激しい高まりとなって逆巻く。

 だが、不意に夢の終わりが訪れた。

 果実のような匂いすら再現された、腕の中の玲奈が……突然、とても聞き覚えのある声で喋り出す。あっという間に夢が夢でいられる時間が色褪いろあせていった。


『こらぁ、もぉ~! いづちゃーん? ねぇー、起きてよぉ。みんな来ちゃうよぉ?』

『あ、あれ? この声……ペズンドワッジ!?』

『あっ、ひどーい! わたし、そんなにドムってないよぉ』

翔子ショウコ……お前、翔子なのか」

『そうだよぉ、着替え持ってきてあげたのに……玲奈先輩の分も」

「つまり、これって!」

「あ、起きたぁ……ふふ、おはよぉ! いづちゃん!」


 目が覚めると、ふにふにの笑顔が自分を見下ろしていた。

 どうやらいづるは、ぐっすりと寝入ってしまったようだ。

 学園祭の朝を迎えて今、いづるはゆっくりと上体を起こす。

 ここは、ベッドだ。

 そして、ステージの上だ。

 第二体育館特設ステージのド真ん中で、いづるはベッドに寝ていたのである。


「そうか、ステージ……演劇部のセットのベッドだ。保健室は鍵がかかってたし、それで」

「いづちゃん、あと一時間くらいで他の生徒達も登校してくるよぉ~?」

「ああ、翔子……もしかして、それで早めに?」

「そうだよぉ。いづちゃんもだけど、玲奈先輩をたきりスズメにできないもの~」


 楞川翔子カドカワショウコ、どこまでもおかんレベルの高いおっかさんキャラであった。

 これがバブみというのだが、まだギリギリ一般人的なオタク知識しかないいづるには知る由もない。そして、先程のみだらな夢の興奮が圧倒的母性でぬぐわれた。


「そうか、とりあえず着替えておくかな……ん?」


 ベッドから降りようとしてシーツについた手が、なにかをつかんだ。

 やわらかい。

 そして、温かい。

 鷲掴みにした弾力のぬくもりに、小さく「んっ……!」と鼻から抜けるような声が響いた。思わず手元へと視線を落として、いづるは絶叫を張り上げる。


「え? あ……ほああああああっ!? れっ、れれ、玲奈さんっ!」

「あー、いづちゃん駄目だよぉ? 男の子ってほんとーにえっちなんだからあ~」

「これはいったい、どういうことなんですよぉ!?」

「えーっとぉ、昨晩はお楽しみでしたね? ふふふ、お赤飯せきはん炊かなきゃ」

「翔子ぉ、待て! 待って! ほら、玲奈さんもちゃんと制服を……ほ、ほぴゅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?」


 衝撃と驚きが許容値を超えると、人間は言語にならない奇声を張り上げてしまう。

 それを身をもっていづるは知った。

 そして思い出す。

 昨晩、寝床ねどこを求めていづるは玲奈と校舎を彷徨さまよった。校務員とのニアミスを繰り返しながら、二人は第二体育館にどうにか忍び込んだのだ。ステージには、学園祭の期間中に上演される演劇のセットがある。そのベッドでいづるは、玲奈と――

 そう、玲奈は今下着にシャツだけの姿で身を横たえていた。

 そのふくよかに過ぎる胸の膨らみを、いづるの右手がばっちり握っていたのだった。

 やわらかくたわんで指を押し返す、張りの強さがとても不思議な感覚だ。

 まぎれもなく、玲奈の胸をタッチどころかキャッチしていた。


「しょっ、しょしょしょ、翔子っ! ……このことは内緒に、して、ください、ませんか」

「ふふふ、どぉしようかなあ? あ、これはいづちゃんの着替えね。こっちが玲奈先輩」

「ありがと……あ、そうか。昨晩確か、制服がシワになるからって」

「ほんとぉに、それだけぇ~?」

「うっ、うるさい! ……多分、そんだけだよ。僕達だって、非常時だったんだ」

「でも、ちゃんとお互いゆっくり話し合えた?」


 そう、昨夜は深夜の学校に二人きりだった。

 想いをぶつけられた。

 全てを打ち明けられた。

 そしてなにより、玲奈の戸惑とまどいと躊躇ためらいを受け止められた気がする。

 玲奈は完全無欠のスーパーヒロイン、それは実の父の失踪で家や財産を失っても変わらない。否……平々凡々ないづるとの庶民生活で、より一層彼女の魅力は増した。

 そんな彼女が、自分でも制御できぬまま持て余していた感情……嫉妬しっと

 そのことを共有し、解き明かして、いづるは嫉妬の根源に対する罪滅つみほろぼしをちかったのだった。


「ありがとう、翔子。僕は大事なことを思い出せた。失う前に取り戻せたんだ」

「いづちゃん……キリリとドヤってるけど、いづちゃん……手、放してあげて」

「あ、ああっと! そ、そうだ……」

「あー、そうやってんだ手をじーっと見るのぉ……めーっ、だよぉ。ほんとぉにいづちゃんって、男の子って」


 その時、玲奈が寝返りをうってから、目を開く。

 彼女の頭部に飛び出たアホ毛が、左右に開いてVの字をかたどった。

 長い睫毛まつげを濡らして、まどろみの中から彼女は目覚めた。

 ぼんやりといづるを見上げる、その瞳がうるんでいる。星々を散りばめた双眸そうぼうの宇宙が、じっといづるを見詰めていた。


「あら、おはようう……いづる君」

「おっ、おお、おはようございます!」

「……? 顔が赤いわ。風邪を引いたのかしら」

「い、いえっ! すこぶる健康です! 健康な男子過ぎて困るくらいです! あ、これは翔子が持ってきてくれた玲奈さんの着替えですから」

「まあ、ありがとう。翔子さんもおはよう、とてもいい朝ね」


 あくまで優雅ゆうがに玲奈は身を起こした。

 その姿は、唯一の着衣に見えるシャツの胸元が大きく開いている。

 まだ少し、玲奈の思考と意識は眠りを脱ぎ捨ててはいない。羞恥心しゅうちしんも鈍くて、ただただ優しい笑みを浮かべる表情がまぶしかった。

 すると、ステージの下で声があがる。


「時間がないぞ、いづる少年。そして阿室っ! 部室棟ぶしつとうのシャワー室、スタンバらせておいた。ボイラーも温めてある。すぐに行ってきなさいよ!」

「ふふ、ありがとう……富野信者とみのしんじゃ君」

「俺は富尾真也トミオシンヤだ! それ以上でもそれ以下でもない」


 なんと、真也まで来ていた。彼は「悲しいけど俺、翔子が心配なのよね」と笑う。そして、それとなく翔子と視線で言葉を交わしていた。

 その姿を見られた朝が、不思議と嬉しくて、玲奈にも嬉しさが伝わったのがわかる。

 いづるにとって初めての、私立萬代学園しりつばんだいがくえん文化祭……萬代祭ばんだいさいが始まろうとしていた。

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