第20話「お目覚め」

 夢を、見ていた。

 日陽ヒヨウいづる、15歳……まどろむ夢の中は、いつもあの人の向かう先。

 やっぱりというか、展開的にそうだろうなーと思っていたら、案の定だ。

 光る宇宙そら

 そして、いづるが見詰める先で今、星々のまばたきすらかすむ光が走る。

 行き交う白と赤とが、苛烈かれつな戦いを演じていた。

 何故か夢の中のいづるは、それが誰と誰だかわかってしまった。

 だから、止めようとして叫ぶ。


『やめてくださいよ、玲奈レイナさん! それと……古府谷文那フルフヤフミナ先輩でしょう? やめてください、二人が戦うことなんてないんですっ!』


 夢とはいつも、不条理、そして理不尽なものだ。

 見ていること自体がわかる明晰夢めいせきむでも、止められはしない。

 決して目を背けられぬ眠りの中の世界……それは、時に残酷だ。

 火花を散らす二機のモビルスーツは、激しくぶつかり合って火花を散らした。


『いづる君? いづる君なら何故戦うの? ……それが人の背負った宿命なのかしら』

『いづる様っ!奴とのざれごとはやめてくださいな』


 ガンダムと戦っているのは、赤いモビルスーツだ。ザクではない、くらいしかいづるにはわからない。だが、それに乗っているであろう文那の気迫は凄まじい。

 そして、それはガンダムを操る玲奈も同じだった。

 二人の激闘が加速してゆく中で、夢の中のいづるは無力だった。


『いづる様っ、わたくしは阿室玲奈アムロレイナを討ちたいですわ! わたくしをみちびいてほしいですの』

『やれるのかしら? 文那さん、覚悟っ!』


 そして、いづるは気付けば自分を前へと押し出していた。

 ガンダムのビームサーベルが、眼前へと迫る。

 己が焼かれて蒸発する感覚まで、リアルに感じて絶叫する。

 夢は、いづるの消滅という形で幕を閉じた。

 それは、現実の世界が朝を迎えるのと同時だった。


「ん……あ、あれ? そうか、僕は」


 カーテンの隙間から、朝日が柔らかく差し込んでいる。

 ベッドの上に身を起こしたいづるは、ぼんやりと部屋の中を見渡した。

 そとからはすずめのさえずりが聴こえて、枕元の目覚まし時計を見れば六時前だ。どうやら自分は、眠ってしまったらしい。

 そして思い出す……気絶したのだと。

 すぐ側に、プレゼントの包装をされた箱が転がっていた。

 棚の上に隠していたものが、頭の上に落下してきたのだ。

 それから玲奈を守ったことを思い出し、そして驚く。


「そうだ、玲奈さんは……ほあああっ ユニバァァァァァァス!?」


 いづるの胸に頬を寄せて、玲奈は眠っていた。

 まるで、硝子細工ステンドグラスの乙女のようだ。それ自体が美術品のように、いづるにぴたりと身を寄せて眠る少女。そのやすらかな寝息が、つやめく桜色の唇から漏れ出ていた。

 どうやらいづるは、あのまま玲奈と一晩を過ごしてしまったらしい。

 ただ二人で寝ていただけだが、それは一線を超えたとしか表現できない。

 なんの言い訳もできぬ現実は、いづるを酷く慌てさせた。


「え、ええと、とにかく! 起こさないと……がっ、がが、学校に行かないと!」


 慌てて玲奈の下から這い出ようとするいづる。

 しかし、玲奈はがっちりと両腕を背後に回して、いづるを抱きしめているのだ。

 抜け出せない……脱出不能の柔らかさが温かい。

 思わずいづるは、理性をゆらがせる衝動につぶやきをらした。


「玲奈さん、その……離れてくれない、と、えっと……抱き返し、ちゃいます、けど」


 そっと、きらびやかな金髪に触れてみる。

 甘やかな芳香ほうこうを、そっと優しく抱きしめてみる。

 いづるの中で、朝からいけない気持ちが膨らんでいった。

 それは、彼の健全な男子の肉体に血潮を巡らせる。血液が逆流して、一箇所に集まりかけた、その時だった。


「ん……い、いづる君……と、取り返しのつかないことを、取り返しのつかないことをしてしまったわ……」

「れ、玲奈さん?」

「だ、駄目よ……前へ進んじゃ駄目よ。光と人の渦がと、溶けていく。あ、あれは憎しみの光だわ!」


 次の瞬間、眠る玲奈が動いた。

 いつものVの字アホ毛は、閉じている。だから眠っている、それは確かなのに。それなのにう、玲奈はいづるからおずおずと離れるや……寝返りをうつようにして転がる。それは、いづるの襟元を掴んで放り投げるのと同時だった。

 訳も分からず、いづるはベッドの下へと、落下。

 ムニャムニャと眠そうに唇をもごつかせながら、玲奈は再び丸くなって眠る。

 ドシン! と落ちたいづるは、玲奈を起こさぬように悲鳴を噛み締めた。


「いてて……玲奈さん、意外と寝相が悪い? のかな?」


 尻をさすりながら、情けなさにいたたまれないいづる。それでも身を起こすと、立ち上がってベッドに向き直る。愛しの眠り姫は、まだ二人のぬくもりで温かいシーツの上だ。

 とりあえず、玲奈へのプレゼントを回収し、そっと隠す。

 そうしていると、再び玲奈が「んっ」と鼻から抜けるような声を湿しめらせた。

 はっきり言って、かなり色っぽい。

 パジャマ姿の玲奈は、そのパーフェクトな肢体したいかたどる曲線の起伏が、とてもめりはりのあるラインを浮かばせている。呼吸に合わせて小さく上下する胸など、見事に実った豊満な果実だ。

 だが、いづるは平凡ながらも、不思議と優しいメンタリティを持つ少年だった。

 だから、なにをするでもなく、そっと玲奈の肩に触れる。


「玲奈さん、起きてください。朝ですよ」

「ん、ふぁ……ふふ、駄目よいずる君。いけないわ」

「いや、そうじゃなくて……そろそろ起きないと。女の子って、朝は色々忙しいって翔子ショウコも言ってたし。それに、その……翔子や姉さんが来たら、またややこしいことになります」


 幼馴染の楞川翔子カドカワショウコは、もう家に来て朝食を作り始めている筈だ。

 見られて恥ずかしい、後ろめたいことなどしていない。

 だが、見られて説明を迫られても、説得力のあることを言う自信がない。どう見ても、自室に玲奈を連れ込んだいづるが、イチャめかしいアレコレをしたように見えるから。

 それでいづるは、さっきより強く玲奈を揺すってみる。

 ようやく玲奈は、うっすらとまぶたを開いた。

 長い睫毛まつげの下で、星の海を閉じ込めたような瞳が瞬く。


「……ん、んっ……あら? まあ! おはよう、いづる君。どうしていづる君が私の部屋に? はっ、まさか! そ、そうなのね……いづる君。私、凄く嬉しいのだけど」

「あ、いえ、ここは僕の部屋ですけど」

「……そ、そうね! そうよね! いづる君が私の部屋に勝手に入るわけないものね! 夜に人目を忍んで訪れてくれただなんて、そんなはしたない……あ。思い出したわ」

「ええ。一緒にガンダムを見てて、玲奈さんは眠っちゃったんです」


 おずおずと身を起こす玲奈は、頬を赤らめ目を伏せた。

 もじもじといづるを見ては、また目を逸らす。

 ようやくベッドから降りて立ち上がると、彼女はずいと身を乗り出した。腰に手を当て、いづるを真っ直ぐ見詰めてくる。


「……なにも、なかったのかしら」

「ええ、おおむね」

「どうしてかしら」

「それは、その……僕も、寝てしまいまして。というか、気絶してしまって」

「気絶?」

「そ、それより! 学校に行かないと。玲奈さん、準備とかあるでしょう?」

「それは、そうだけど。ねえ、キミ……いづる君? どうしてなにもなかったの? 私、ちょっと凄く、ちょっぴりとても気になるぞ?」


 タジタジで下がるいづるが、脳裏に言葉を探す。

 だが、結局上手いかわしかたも思いつかずに、正直にそのまま胸の内を話すことになった。言い訳がましいことをスラスラ言えるほど、いづるは器用にはできていなかったのだった。


「えっと、一緒にガンダム見てて、玲奈さんは寝ちゃって……それで、僕はドキドキしたけど、それってずるいなと思って」

「ずるい?」

「無防備な玲奈さんもですけど、僕自身がずるいんですよ。男の子って、そういうのは気にするんです。そしたら、ちょっとした事故で……僕も寝入っちゃって」

「ふーん、そうなんだ。ふふ、いいわ。そういうとこ、好きよ?」

「すっ、好き!?」

「ええ。大好き」

「また! ……ぼ、僕も同じ、ですけど」


 その時、そっと玲奈はいづるの頬に触れた。

 唇で触れて、呼気ででた。

 それは一瞬のことで、そして永遠に忘れられないくちづけだった。


「……よし! じゃあ、学校に行く準備をしてくるわ。いづる君、朝食でまた」

「あ、はい……また」


 ベッドに自分の枕を拾い上げると、それを抱きしめ玲奈は行ってしまった。颯爽さっそうとして、溌剌はつらつとして、言動も見た目も涼やかに軽やかに。そうしてドアの向こうに玲奈が消えると、いづるはその場にへたり込んでしまった。

 玲奈の唇が触れた頬が熱くて、手を当てる。

 彼女の温もりを拾う肌は、火傷やけどしそうな程に火照ほてっていた。

 いつもの変わらぬ一日がこれから始まる。

 それがいづるには、今までと同じ一日にはどうしても思えなかったのだった。

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