第19話「プレイバック」

 いつもの住み慣れた自室が、広く感じる。

 日陽ヒヨウいづるは、柔らかなぬくもりを肩に感じたまま、動けずにいた。

 彼の腕を抱くようにして、阿室玲奈アムロレイナが眠っている。完全に寝入っている。それは、彼女のチャームポイントであるひたいのVの字アホ毛が閉じているから、すぐにわかる。

 なんということだろう。

 同居中の恋人の部屋で、彼女は眠ってしまったのだ。

 二人が座るベッドが、妙な生々しさを伝えてくる。


「ハ、ハハハハ……お、起こさなきゃ。玲奈さんー? あのー」


 軽く揺すってみる。

 肩をポンと叩いてみる。

 だが、効果はない。

 反応らしい反応といえば、安らかな寝顔が「ん……」と小さく呟くだけ。静かな寝息を響かせながら、玲奈は安心しきって寝ている。

 とりあえず、いづるはそっとノートパソコンを膝の上からどけた。

 きっと玲奈は、久々のガンダムに触れて安心したのだろう。


「きっと、凄い我慢してたんだろうなあ。それこそ、禁断症状が出るくらいに。ふふ、そういえばちょっと最近、玲奈さんは変だったもんな」


 どちらかというと、最近どころか常に変だが。

 優雅で気品に満ちたお嬢様の玲奈は、いづるたちと暮らす庶民的生活でも全くその雰囲気を損なわなかった。一緒にスーパーの特売に並んだりしても、彼女が持つ圧倒的な存在感は変わらない。

 むしろ、いづるの中で急激に身近になった彼女は、より愛らしい存在になっていた。

 だが、こうしていると間違いを犯してしまいそうでれる。

 そのことを望まれているのではと、自分勝手な妄想が先走ってしまう。


「と、とにかく、ええと……玲奈さん、起きて、自分の部屋で寝てください。ねえ!」


 だが、玲奈は少し難しい顔で眉根を寄せるだけ。

 完全に夢の世界の住人となって、旅立ってしまった。

 そんな彼女の、桜色の唇が小さく動く。

 つやめいてしっとり濡れた花びらのようで、見ているいづるは生唾なまつばをごくりと飲み下した。


「ん、いづる……君。いづる君」

「はっ、はいぃ! ……寝言、かな?」

「いづる君……ごめん、なさい」

「えっ?」


 すがるようにいづるの腕を抱く、玲奈の手に力がこもる。

 そして彼女の頬を、一筋の光が伝った。

 どんな夢を見ているのか、いづるにはすぐにわかった。

 彼女を取り巻く数奇な運命と、その渦中で彼女を守ると誓ったいづるの物語……きっと、つい先日の大騒動を夢見ているのだ。

 玲奈は阿室家の御嬢様、多くの使用人やメイドと共に大豪邸に暮らしていた。父との不和以外、なんの不安もない生活……それは今、失われてしまった。他ならぬ、父の所業しょぎょうによって。そしていづるは、絶望のふちに沈む玲奈を助けることを選んだ。

 そのことを思い出していたら、また玲奈が小さく呟く。


「ごめんなさい、いづる君……」

「や、やだなあ、玲奈さん。……あやまらないでください。僕が選んだことですから」

「ごめんなさい……ファンネルが敏感すぎたわ。ストレートに防御に働いて」

「へ?」


 また、ガンダムだ。

 ちょっと、悔しい。

 いづるの好きな少女、阿室玲奈は……ガンダムが大好きなのだ。

 いづる自身、最近ちょっとガンダムが気になるのがまた、更に悔しい。

 どうやら玲奈は、ガンダムの夢を見ているようだ。


「私のファンネルのコントロールも悪いけど、文那フミナさんがいるからだわ」

「は、はあ……え? えっと、文那さん? 古府谷文那フルフヤフミナさんですか?」

「彼女を仕留めなければ、死にきれるもんじゃないの」

「しっ、死ぬなんて! 駄目ですよ、玲奈さん」

「覚悟を言ったまでよ……」


 なんだか深刻な夢を見てるようで、大丈夫だろうかと心配になる。そして、彼女自身もやはり多少なりとも意識しているのだ。

 執拗に玲奈を狙う少女、古府谷文那。

 それは、自らライバルと公言する富尾真也トミオシンヤとは別種のものを感じる。

 宿敵、怨敵……そして、天敵。

 毎回玲奈に挑んでくる文那には、恩讐じみたものを感じさせるのだ。


「玲奈さん……ぼっ、僕の夢なんか見て、勝手に殺しちゃって。もうっ、それで泣くなんて、ずるいですよ」


 そっと指で、玲奈の涙を拭う。

 そしてつい、いづるは大胆になってしまう。

 まるで唇を捧げるように、眠れる姫君となった玲奈が上を向いてくる。寝ているのに、どこかでなにかを期待されているような気がした。

 そして、そのままいづるも見えない期待に応えようとした、その時だった。

 不意にドアの向こうで声がした。


「いづるー? ちょっと、まだ起きてるー?」


 姉だ。

 最近家に出戻ってきた、姉の日陽あかりだ。

 言い訳無用、弁明不可能な状態のままで、いづるの鼓動と呼吸が停止した。

 そして無情にも、ノックを待たずにドアが開かれる。


「あ、起きてた! よかったあ、冷蔵庫のプリンなんだけど――」

「ほあああっ! あっ、あかり姉さんっ! こ、これは! なんとぉーっ!」

「……ふーん、いづる……甲斐性あるじゃん? ごめーん、お邪魔虫だった?」


 現れたあかりは、腕組み背を反らして目を細める。

 明らかに酔っ払っている、しかも泥酔だ。

 彼女の前にいるいづるは、玲奈と肩を寄せ合いベッドに座っているのだ。密着したまま寄り添い合うように、仲睦なかむつまじくしているのだ。

 それを見たあかりは、嬉しそうにニヤニヤと締まらない笑みを浮かべた。


「そっ、それより、あかり姉さん! どうして裸なんですか!」

「えっ? なに言ってるの、着てるじゃない。ほら、ショーツもブラもおろしたて。あの人、こーゆーのが趣味なのよね。どう? イケてるっしょ」

「知りません!」


 正確には半裸、下着だけは身につけている。

 だが、実の姉とはいえ、大人の色香を振りまかれてはいづるはたまったものではない。なにより、玲奈との親密さを煽られるようで、脳裏であかりの裸体が玲奈にすり替わる。

 身内びいきだが、あかりは美しい。

 ナイスバディで、美人だ。

 そして、それは玲奈だって負けていない。

 すらりと細身のスタイルに、自己主張のはっきりした女性的な起伏。

 そんな玲奈が今、いづるにしがみついているのだ。


「ま、いいわ。いづるー? 避妊はしっかりしなさいよー?」

「や、やめてください! これは、玲奈さんが先に寝ちゃったんです! 二人でガン――」

「ガン?」

「ガン……ガン、ガン……ガンガンガンガン! 若い血潮が真っ赤に燃えてー! ゲッタースパァァァクゥ、空高くぅぅぅ! ちょ、ちょっと玲奈さんと配信動画をですね、うん。ゲッターロボを見てたんですよ、あかり姉さん」

「……あ、そう。なに? 海姫マリーナちゃんの影響? いきなり大声で歌わないでよ、玲奈ちゃんが起きちゃうじゃない」


 鼻から溜息を零して、あかりは「プリンもらうねー」と言い残して、去っていった。だが、すぐにドアの向こうから顔だけ出して、ニシシと笑う。


「がんばれ、いづる! おねーさん応援してるから。明日、翔子ショウコちゃんに赤飯お願いしなきゃね」

「そういうのじゃないです!」

「それと……例のプレゼント、買っておいてくれた? 私じゃ、ほら、若い娘がなにを欲しがるかわかんないからさ。私もまだまだ二十歳ハタチで通じる若さだけど? ね、玲奈ちゃんは現役の女子高生だし」

「あ、ああ、はい」


 ちらりといづるは、ベッドの上の棚を見る。

 玲奈に見つからないように、隠してある包を見上げる。

 それは、日陽家の二人からのプレゼントだ。

 この家に玲奈が来て、既に馴染み始めているから。慣れぬ暮らしにアルバイト、彼女がとても頑張っているから。だから、決めたのだ。彼女が来てくれて一ヶ月、ささやかだがお祝いをしようと。

 そうしてずっと、もっと、家族になろうと思ったのだ。


「んじゃ、ねーさんプリン食べて寝るからねー? ニシシシシ……頑張れ、いづる」

「頑張りません! もう、姉さんも風邪引かないようにして寝てくださいよ?」

「だいじょーぶいっ! んじゃね、おっやすみー」


 それだけ言うと、姉は去った。

 ドアが閉まると、いづるはほっと胸を撫で下ろす。

 そして、安らかな玲奈の寝顔を見てから、再度棚の上を見上げた。そこには、あかりとお金を出し合ったプレゼントが眠っている。色々と悩んだが、ガンダム嫌いなあかりの現状も踏まえて、いづるなりに考えたつもりだ。


「ふふ、でも玲奈さんは機械が苦手だからなあ……ま、僕がフォローすれば大丈夫かな」


 そう呟いて、自然と笑みが浮かんだ、その時。

 不意にプレゼントがカタカタと動き出す。

 そして、部屋全体が揺れていると気付いた頃には気付いたその時には……いづるは玲奈の頭を抱くようにしてベッドに倒れ込む。全身で包むように守って、少し大きめの揺れで震える室内を見渡した。

 また、余震だ。

 夏の終わりに、大きな地震があったのだ。

 それが、玲奈といづるの運命を変えた。

 その余波は今も、日本列島を揺すっている。


「少し大きい……ねえさん、大丈夫かな?」


 そして、再度運命がいたずらを引き起こす。

 先程見上げていた、ラッピングとリボンで飾られた箱が動き出した。それは、棚の上から静かに滑り落ちるや……重力に引かれていづるの脳天へと吸い込まれる。

 一瞬だけまぶたの裏に宇宙が広がって、星々が舞い散る光景がフラッシュバックした。

 いづるはそのまま、玲奈を抱き締め気絶してしまうのだった。

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