第18話「おやすみで御座います」

 ――サンダーボルト宙域。

 それは、いかずちの女神が支配する魔の宙域だった。一年戦争と呼ばれる戦い、その末期……補給路として重要度の高い戦域故に、連邦軍とジオン軍はこのデブリ帯を奪い合っていた。崩壊する廃棄コロニーが漂い、残骸同士が共鳴するかのような放電現象が稲妻いなずまとなってとどろく。

 それは、戦局に影響があったかどうかもわからぬ局地戦。

 サンダーボルト宙域の制宙権を奪い合う中に生まれる、ハーモニーと不協和音ノイズ

 ある者は己の闘争心の赴くままに踊り、ある者は身を削ってまで戦いに舞う。

 戦争という名の非日常が、ヒューマニズムや情緒、感情を黒く塗り潰す。

 そして、男たちは出会い、殺し合う。

 宿命の名のもとに、互いの鼓動でリズムを刻み、呼吸でビートを連ねながら。


 日陽ヒヨウいづるは、最新のアニメーション技術に言葉を失った。

 ぎゅむと抱きついて身を寄せてくる、阿室玲奈アムロレイナのぬくもりと柔らかさすら忘れてしまう。

 そこに描かれていたのは、一年戦争と呼ばれるお馴染みの時代。確か玲奈の話では、近い時期に地上ではシローがアイナとの恋を愛に変え、ジオンではヅダやヨルムンガンドといった兵器が評価試験の名のもとに消えていった。そして最後には、中立コロニーでクリスとバーニィのかなしい戦いが待っている。

 他にも、一年戦争には無数のドラマがちりばめられている。

 だが、サンダーボルトと呼ばれる外伝作品が持つ空気はあまりに異質だった。


「玲奈さん、これ……こんなことって」


 全話を視聴し終えても、玲奈はぴったりと身体を寄せてしがみついてくる。

 彼女の震えが伝わるようで、自分も震えているかのような錯覚をいづるは感じた。それほどまでに、サンダーボルトが見せ付けてきた戦争は、戦慄。旋律をかなでて激突し合う二人の男が、それぞれに背負うものの大きさと恐ろしさに、いづるは畏怖いふした。


「いづる君、ありがとう……」

「へっ? あ、いや、僕は、別に」

「いづる君が一緒じゃなかったら、私一人だったら見られなかったわ。その、ネットの接続とかもそう。でも、私……こういうの、苦手なの」


 そう小さく呟いて、玲奈は精緻せいちな小顔をいづるの肩に乗せてきた。さらりと長い金髪が広がって、ふんわりといい匂いがいづるの鼻腔を刺激する。

 ベッドの上に腰掛けた二人の、限りなくゼロに近い距離が、近過ぎる。

 いづるは自然と、密着感を増す玲奈の呼吸と鼓動を近くに感じた。

 だが、そうして互いに体温を分かち合ってる今が、どれだけ平和かを思い知らされる。自分たちが生きる日常の平凡さ、平穏さ……それは今、いづるにとってはかけがえのないものだと認識できた。


「イオ・フレミング……あのガンダムに乗ってた人ね。彼は、己の闘争心のままに戦うけだもののような人よ。でも、それを誰が否定できるかしら」

「それは……玲奈さん、僕も少し驚きました。ガンダムのパイロットってこう、ある種の人格者が多かったじゃないですか。カミーユ、でしたっけ? 少しエキセントリックな人もいましたけど、そういう人はみんな背負った背景が重かった」

「勿論、イオにもなにかしらあるのは確かよ。家柄とか、ムーアの同胞とか。でもね、いづる君……戦争の激戦地にあって、彼は純粋に戦いを求めていたようにも見えるの。それは、ガンダムを得たことで増長し、膨らんでいった」


 ガンダムは、勿論ガンダムシリーズの主役ロボットなのだ。基本的に善玉で、無双の強さを誇る一騎当千のスペシャルなモビルスーツなのだ。そして同時に、乗る主人公との力関係、バランスがドラマをいろどってきた。父が造ったガンダムであったり、偶然動かした挙句に自分しか使えないガンダムになったり、先祖代々のガンダムだったりと様々だ。

 様々と言うほど数を見ていないが、いづるは玲奈のお陰で知識だけはあった。

 ガンダム、その白いモビルスーツが持つのは、清廉潔白せいれんけっぱくなる意思。

 ガンダム、それは反体制の象徴……決起する民や、自由と尊厳を求める者たちのやいば

 だが、サンダーボルトではただ力として描かれ、それにイオは溺れていった。


「多くの作品で、ガンダムは反抗の象徴であると同時に、なにかを守るものだったわ。そうでしょう? いづる君」

「え、ええ……でも、サンダーボルトのフルアーマーガンダムは」

「サンダーボルト宙域を奪い合う中、エースパイロットと認められたイオに託された力。ただ、力でしかなかったガンダム。それに対して挑んだ、サイコザクもまた同じよ」


 ガンダム作品でありながら異質な雰囲気は、敵であるジオン軍でも濃厚なものだった。

 なんと、ジオン軍では手足に欠損を持つ障害者、負傷兵を使って戦っていたのである。その中には、後にサイコザクに乗ってイオのガンダムと雌雄を決する、ダリル・ローレンツ。彼もまた、戦争の狂気に飲み込まれ、自らを狂奔きょうほんへと駆り立てる。


「ただ、モビルスーツの性能をあげるために……腕を切り落とすなんて。それも、もともと不自由だった片腕しかない身体の、残された片方を……」

「いづる君、これが戦争なのよ」

「で、でもっ!」

「戦争という名の非日常は、人間のあらゆる感覚を麻痺させるわ。正気ではいられない、正気を保たせてくれないの。戦争とは、国家間で行われる武力を用いた全ての事業を指すわ。その中では、個人の人権は容易く踏みにじられてしまう。戦争にはルールがあるけど、そのルールさえ簡単に人は踏み躙ってしまうわ」


 いづるは恐怖した。

 これは確かに、残虐描写が生々し過ぎて、玲奈が苦手としているのもうなずける話だ。

 残虐で残酷で、しかし目が離せない。

 どこかでこの作品を求め、先を見たくて最後まで見詰め続けた自分がいた。

 目が離せない程に、眩く輝き、魂を燃やす者たち。

 戦争という極限状態で、生と死の狭間を男たちは戦い、女たちも翻弄される。

 そこには紛れもなく、濃密で濃厚なドラマがあった。

 アニメ最新作の一つとして、圧倒的な存在感を放っていたのだった。

 そのことをいづるが自分の中に確認していると、玲奈が言葉を続ける。相変わらず彼女は、いづるに甘えるようにもたれかかっていた。いづるの腕はまだ、彼女の豊かな胸の双丘たにまに埋まっている。


「このあと、戦いは地上へ……再びイオはガンダムに乗り、戦い始めるの」

「えっ、捕虜になったんじゃないんですか?」

「ア・バオア・クーの戦いで、隙をついて脱出した筈よ。仲間たちと共にね。そうして、終戦……それは、新たなる戦いの始まりでしかなかったわ。彼はもう、ガンダムという魔物に魅入られたのよ」


 そう話す玲奈の横顔を見下ろし、いづるは思った。

 玲奈もまた、ガンダムに魅入られた少女なのでは、と。

 こうして自分と一緒にいる時間が、年上の恋人をとても愛しい大事な人にしてくれている。ずっとこれからも大切にしたいと思わせてくれる。

 だが、彼女はもしかしたら……そう思ういづるよりも、ガンダムを選ぶかもしれない。

 そんなことはないと笑っても、いづるの中に芽生えた疑念はゆっくりと膨らんだ。

 しかし、すぐにその考えは霧散する。


「……玲奈さんはでも、あかり姉さんのためにガンダムを我慢できる人なんだ」

「うん? なにか言ったからしら、いづる君」

「あ、いえ……で、どうでしょう。欲求不満、的なの……おさまりました?」


 いづるの一言に、ぱっと玲奈が表情を明るくした。

 相変わらずいづるの片腕にぶら下がったまま、顔を覗き込みながら喋り出す。ノートパソコンを開いたまま、いづるは眩しい笑顔をじっと見詰めた。


「最高だったわ、いづる君! この作品がガンダムの世界観に与えた影響は大きい……それを体感できて、とても私、幸せよ! 幸せなの!」

「は、はあ……よかった、です」

「漫画を担当した太田垣康男おおたがきやすお先生の解釈による、全く新しいメカデザインが素晴らしかったし。それは全て、既存の一年戦争前後のメカニックと比べても、整合性を感じられる完成度だったわ」

「なんか、ちょこちょこ違う感じでしたよね、ザクもジムも。勿論ガンダムも」

「デブリ帯での戦闘を主眼に、シールドを複数装備して防御力を向上させた連邦軍のモビルスーツ。対して、ディフェンス側のジオン軍は狙撃用の砲台を設置して応戦……こういう戦術や戦法、攻守を踏まえてのメカデザインなのよね!」


 やっぱりというか、当然ともいえるが、玲奈は急に元気に喋り出した。ハスハスと鼻息も荒く、いづるにガンダムの話をこれでもかとぶつけてくる。

 不思議と、不快じゃない。

 もし、彼女が見知らぬ誰かだったら、少し苦しい時間が続いただろう。

 だが、彼女は、阿室玲奈は……

 自分の好きな人が、好きなものを語っている。そのキラキラと輝く瞳の宇宙に、ただただいづるは魅せられるばかりであった。

 そしてなにより、今のいづるには心強い味方がいる。

 そう、膝の上のノートパソコンだ。


「でね、いづる君! フルアーマーガンダムっていうのはもともと、RX-78ガンダムの強化プラントしてMSVモビルスーツバリエーション大河原邦男おおがわらゆきおさんがデザインされたものなの」

「えっと、ちょっとググりますね……これかあ。色からなにから全然違いますね。イオ・フレミングのフルアーマーガンダムと、あんまし似てない」

「説明するわね、いづる君!」


 アカン。

 これ、アカンやつや。

 何故か心中に呟く言葉が関西弁になったが、いづるはやはり表情はにこやかだ。本当に元気になった玲奈が、かわいくてしかたがないのだ。いつも毅然きぜんとして凛々りりしく、いづるを引っ張り回す年上の彼女は……今、とても愛らしい姿で一生懸命喋っている。

 ここ最近は少し元気がなかったが、今の彼女はいづるのよく知るガノタな玲奈だった。


「そもそも、マクロスよ! マクロスなの、いづる君!」

「えっと、なんだっけかな……歌うやつ、でしたっけか」

「そうよ、1stファーストガンダムにも参加した板野一郎いたのいちろうさんて方がいてね、いづる君! 板野サーカスで有名なミサイル芸のパイオニア、金田伊功かなだよしのりさんの遺伝子を受け継ぐ、アニメ特有のダイナミズムと躍動感を持ったアニメーターさんなの!」

「わ、わからないです……ちょ、ちょっとググらせてください」

「それで、その板野一郎さんが1stガンダムを作ってる時、最終決戦用に書いたガンダム強化案が、パーフェクトガンダムなの! それを、MSVのミリタリーティストなデザインに落とし込んだのが、フルアーマー、ガン、ダム……なの、よ……」

「え? ちょ、ちょっと、待ってくださいよ、もう。ふふ、でも、ガンダムの話をする玲奈さんって、やっぱり元気でよかったな」


 急いでググりつつ、ネット頼りの自分が情けなくもあるいづるだった。そうして、グーグルでの検索を続けると、パーフェクトガンダムなるものが出てきた。なるほど、トリコロールのカラーはそのままに、重武装で鎧を着込んだようなデザインだ。そして、右腕と一体化した二連装のビームライフルに、右肩から突き出た砲身と、フルアーマーガンダムのデザインラインを踏襲している。

 否、このパーフェクトガンダムなるデザインから、フルアーマーガンダムができたのだ。

 さらにリンク先をクリックし、いづるはWikipediaウィキペディアの深淵へと導かれて知に溺れる。


「あれ? 緑色のフルアーマーガンダムと、青色のフルアーマーガンダムがあるぞ?」

「それは、ね……違うの、いづる……君。説明、するわ……」

「ふむ、フルアーマーってのは他のガンダムにもあるんだな。えっ? こ、これも? ……ユニコーンはこれ、フルアーマーって書いてあるけど、アーマーを着てないぞ」

「いづる君……軍隊、では……武器そのものを、アームズ、アーマーって……呼ぶ、ことが……」

「おかしいですよ、玲奈さん! ……あ、あれ? 玲奈さん?」


 いづるが、重装フルアーマーガンダム七号機なる訳がわからん具合に肥大化した『フルアーマー病の重篤患者』みたいなガンダムまでググり終えた時には……隣では、しっとりとした重みが寄りかかってきていた。

 玲奈は久々にガノタとしての自分を発散した反動か、寝入っていた。

 静かに寝息をたてる彼女は、しっかりいづるの腕を抱いたまま放さない。

 そして、そのままよりかかるようにして眠りこけているのだった。


「れ、玲奈さん? あ、あのっ! まずいです、まずいんですよお!」


 いづるは狼狽うろたえたが、極力身体を動かさないようにする。今、玲奈が縋るように抱き締めている腕を抜けば、彼女を起こしてしまう。

 だが、その方がいいような気はする、気はしている。

 極めて健全な、恋人同士とはいえ同じ屋根の下に住む者同士、親しき仲にも礼儀あり、だ。だが、そうは思いつつ、頬を桜色に染めて寝入る姿を見下ろせば、自然と喉がゴクリと鳴った。

 日陽いづる、16歳……据え膳食わぬはなんとやら。

 そして、すでに言うまでもないが、機動戦士ガンダムSEED DESTINYのバンクシーンのごとく、しつこく言っておかねばならないだろう。

 いづるは、誰が見ても完璧なムッツリスケベ、青い性の炎を身に宿した真性のなのだった。

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