第17話「願いの乳力」

 並んで座る自分のベッドが、二人分の重みでいつもより深く沈み込む。

 互いを結ぶはしのように、膝と膝とをまたぐノートパソコン。

 肩と肩が触れ合えば、日陽ヒヨウいづるの真横に今、阿室玲奈アムロレイナ精緻せいちな顔があった。大きな瞳が長い睫毛まつげと共にまたたいて、まるで地上に落ちてきた星のよう。そして、遠慮なく身を寄せてくる彼女の金髪からは、ほのかにシャンプーの香りがした。

 二人だけの、二人きりの、夜。

 キーボードを叩くいづるの指が、緊張で僅かに強張こわばった。


「え、ええと、玲奈さん……その、サンダーボルトっていうのは」

WEBウェブ配信を中心に展開された、漫画が原作のガンダムよ。……私、ちょっとだけ、少し機械の操作が苦手でしょう? だ、だから……いづる君、お願い」


 ちょっとだけ? 少し? 否……玲奈はもの凄い機械音痴である。テレビのスイッチをONオンにしたりOFFオフにしたりする程度のレベルが、彼女の限界であり到達点……録画予約なんかは全ていずるがやってあげていた。テレビのみならず、洗濯機や掃除機といった家電製品も、玲奈が触ればたちまち暴走するか故障する。

 いづるが幼馴染の楞川翔子カドカワショウコとあれこれ教えているが、その前途は多難である。

 そんな彼女にとって、インターネットへの接続などはもう、かなりの難易度だった。


「そんな訳で、いづる君。サンダーボルトよ! サンボルなの!」

「は、はい、ええと……あった、このリンクか」


 有料配信の公式サイトから、手続きを経て正式な視聴の手筈を整える。

 そうして、いづるが見やすいようにアニメの動画画面をフルスクリーンにした、その時だった。不意に自分の二の腕に、玲奈が抱き付いてきた。

 パジャマ越しの柔肌が、そのぬくもりと柔らかさが伝わってくる。

 それはゆるやかに浸透してきて、いづるは思わず目を白黒させた。


「れっ、玲奈さん!?」

「お願い、いづる君……見る間、サンダーボルトを見る間だけ……こうさせて」

「は、はあ。あの、その、あっ、ああ、当たってます!」

「いづる君? そんなことより! ほら、CMが始まったわ……キャンペーン? サンダーボルト二期決定記念……懸賞! 応募! ガンプラが、当たる? ええい……ファンネルたち、一番希少度の高いガンプラよ……! 当たって!」


 なにやら画面では、本編の前のコマーシャルが始まった。どうやら例のサンダーボルトなるガンダムは好評らしく、早くも続編が決定したらしい。それを記念したキャンペーンで、ここだけの限定版ガンプラが当たるようだ。当然、目を輝かせて玲奈がキーボードに手を伸ばす。

 ますます玲奈が、ぎゅむと形良い胸の膨らみをいづるに押し当ててくる。

 パニックになりつつ、いづるはとりあえず玲奈の手を遮った。玲奈が触れば、キーボードをタッチするだけでもノートパソコンは壊れかねない。

 だが、いづるにピタリと身を寄せた玲奈の手は、その細い手首を握れば酷く細かった。

 玲奈は「あ……」とつぶやき、いづるを見上げて……上目遣いに頬を赤らめた。


「いづる君……その、そうよ! 私、機械は駄目なの。いづる君、代わりに応募して!」

「は、はい。でも、その」

「大丈夫よ、当ててみせるわ!」

「え、ええ……当たってます。当たってるというか、もう……埋まってます」


 既にいづるの腕は、玲奈の胸の双丘そうきゅうかたどる深い谷間に埋まっている。二の腕が感じる柔らかな圧迫感は、大きさも形も完璧としか言いようがない実りの間に挟まっている。

 そして、そのことに気付いていないのか、玲奈はずっと画面のCMを見詰めていた。


「欲しいわ……限定版のMGマスターグレードフルアーマーガンダム、Var.Kaバージョン・カトキ

「と、ととっ、とりあえず! あとで応募しておきます! 必ず! ですから」

「お願いね、いづる君。MGサイコザクのVar.Kaもいいけど……私ならガンダムよ、ガンダム。そうでしょう? いづる君」

「は、はいぃ」


 いづるはもう、気が気ではない。

 そもそも今夜に限って何故、玲奈はこうも密度の高いスキンシップをしてくるのだろうか。これは、あれだろうか……いづるの中に一つの疑念が生まれ、それが願望と言うなの理論武装でフルアーマー化してゆく。ちょっとしたパーフェクト妄想へと膨れ上がってゆく。

 頬を紅潮こうちょうに上気させ、すぐ耳元で玲奈が言の葉をつむぐ。

 それだけでもう、彼女の吐息が肌をでて、いづるの中の青いせいあぶった。


「とっ、ととと、とっ! とりあえず! ガンダム見ましょう、ガンダム!」

「ええ、そうね! 機動戦士ガンダム・サンダーボルト、再生どうぞ!」

「どうぞ、って言われても……その、玲奈さん?」

「なにかしら」

「その……なんで僕にひっついてるんですか?」

「!」


 一瞬、目を見開いて玲奈はパッと離れたが……やああってまた、おずおずといづるの腕を再度抱き締めた。視線をそらしつつ彼女は、ゴニョゴニョと言い訳がましく唇をとがらせ呟く。少しねたような、恥ずかしいようなその横顔がとても可憐だ。


「それは……その、いいでしょう? 今は二人きりなんですもの。それに」

「それに?」

「……私、苦手なの」

「え? な、なにがですか。ガンダムですよ? 玲奈さんの好きなガンダム」

「そうよ、最近ガンダム成分に飢えてたから、私は欲求不満だわ! でも、苦手なのよ」


 むー、といづるを睨んでくる、その懸命に恨めしさを込めているであろう表情もかわいらしい。いづるの恋人はこんなに綺麗で、そして愛らしい少女なのだ。

 その玲奈が、ようやく事の真相を話し出した。


「私、苦手だわ。その、血が出たりとか、怪我をしたりとか……そういう映画やアニメが苦手なの! わかるでしょう? いづる君……わかってほしいぞ?」

「は、はあ……でも、ガンダムですよ? 今までだって」

「そうよ、私は少しずるい女だわ。図々ずうずうしいの。Gキャノンが吐き出した空薬莢からやっきょうが頭部に当たって母親が死んでも、ガエリオをかばってアインがシュヴァルベグレイズのコクピットで圧殺されても……辛いけど、ぎりぎり平気」

「は、はあ」

「母さん、僕のピアノ……! とか、俺は……嫌だね……! とかも、なんとか平気よ」

「え、ええ」

「でも、駄目なの……サンダーボルトみたいに、生々しさが凄い死と恐怖は、駄目なのっ! ……私、そういうのが全く駄目なのよ」


 ようするに、玲奈は残虐な描写が苦手らしい。

 意外に思えて、同時にいづるは当然のようにも感じた。

 玲奈はいづるの前では、誰よりも普通の女の子なのだから。


「えっと、つまり……これから見るガンダムは、残酷描写が多め、強めってことですか?」

「ええ。舞台は一年戦争のさなか、サンダーボルト宙域と呼ばれた激戦区での戦闘よ……そこでは、連邦軍とジオン軍がしのぎを削る中で、本当の、本物の戦争ゆえの非人道的な戦いが描かれているわ。原作の漫画から発するそうした雰囲気が、ちゃんと映像化されてる。と、思うの」


 少し想像したり思い出したりしたのか、玲奈はぶるりと身震いした。

 そして、一層強くいづるの腕に抱き付いてくる。

 またしても玲奈の意外な一面が見れて、いづるは少し驚いた。


「えっと……とりあえず、じゃあ……見るの、やめます?」

「駄目よ! ……見たいわ、ガンダム。サンダーボルトはまだ見てないもの、絶対に見なきゃ駄目。凄いのよ、いづる君? ハイクオリティの映像美、まさしく最新のガンダムアニメの一つ、最先端の迫力が楽しめると思うの。」

「……でも、血がブシャーって出るとか、そういうシーンもあるんですよね?」

「もぉ! 意地が悪いぞ? いづる君がいるから、多分、絶対に平気だわ。こうしてしがみついていれば、どうということはないもの」


 嬉しいやらおかしいやら、そしてやっぱりかわいいやら。

 思わず笑みが浮かんで、それを見た玲奈は頬を少し膨らませた。むくれっ面もとてもキュートだ。そうしていずるは、恋人の抱きまくらになりながらノートパソコンを操作する。

 一時停止させていた映像が再び動き出した。


「このアニメは、確か時代は……最初の、アムロとシャアの時代、世界観なんですよね?」

「ええ! 一応、一年戦争のサイドストーリーということになってるわ。勿論、かなり外伝的というか、一種のパラレルワールドのような雰囲気もあるわね」

「……ガンダムって、そんなに沢山作れるもんなんですか?」


 いづるの不用意な発言に、玲奈は瞳を光らせる。待ってましたとばかりに彼女は、身を乗り出して喋り出した。密着したままいづるは、思わず玲奈の顔を間近に見る。


「そうよ、いづる君! 一年戦争当時だけでも、プロトタイプガンダムにアムロのガンダム、そしてガンダムG-3……ファーストガンダムの系譜だけでもこれだけあるわ。更に、ガンダムNT-1、アレックスと、四号機から八号機までのプラン……そのうち何機かは実際に建造され、運用されたことになってるの。次に、余剰部品や規格外部品で作られた陸戦型ガンダムに、ブルーディスティニーやピクシー、GT-FOURに水中型ガンダムといった――」

「と、とにかく! わかりました、わかりましたから。玲奈さん、始まりますよ」

「そうだわ! 見なくちゃ……いづる君、もっと音を上げて頂戴」


 あっという間に玲奈は、さほど大きくもないノートパソコンの液晶画面を見詰める。その真剣な横顔を見ていると、いづるも神妙な面持ちで改めてガンダムに、サンダーボルトに向き直った。

 そして、二人だけの密室はベッドの上に、ガンダムを挟んだ蜜月を生む。

 しかし、玲奈はガンダムの前ではただの子供、少女ですらないあどけなさでのめり込んでいくのだった。それをただ見やるいづるもまた、作品の世界へと惹かれてゆく。

 二人は身を寄せ体温を分かち合いながら、一年戦争の激戦へと没入していった。

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