限界美人

第16話「禁欲のダストブロー」

 体育祭が終わるともう、すっかり季節は秋めいて色づく。

 日陽ヒヨウいづるの日常も、瞬く間に普段の高校生活を取り戻していた。すぐに中間試験が始まるし、その後には文化祭も控えている。

 今日も一人、夜の自室でいづるは机に向かっていた。

 最近は以前より、勉強にも若干身が入るような気がした。

 それは、同じ家で阿室玲奈アムロレイナと暮らしているからだろうか? 彼女は時々勉強を見てくれるし、そんな恋人に格好悪いところは見せたくない自分がいた。


「そういえば、テストが終われば文化祭か……ちょっと楽しみだな」


 いづるの高校生活最初の文化祭がやってくる。いづるの通う私立萬代学園しりつばんだいがくえんは、体育祭もそうだが多くのイベントを地域の住民たちと共有している。頻繁に行事の時は校内が解放され、屋台や出店も沢山集まるのだ。バザーやフリーマーケットも行われるし、近所の人たちにとってあの学園は親しみやすいものだろう。

 そして、自然といづるは先日の生徒会室でのことを思い出していた。


「玲奈さん……バ、ババ、バニーガール、やるのね。バニーガール喫茶かぁ、いいなあ」


 今でもはっきりと思い出せる。網膜に焼き付いて、脳裏のハードディスクに永久保存されている。玲奈のバニーガール姿、それはとても魅惑的で美しかった。りんとして清楚せいそな普段のイメージとは違って、とても扇情的せんじょうてきですらあって、ドギマギしてしまう。

 バニーガールの衣装は、玲奈という曲線美を浮かび上がらせる最高の素材だった。


「……いけない、とりあえず勉強に集中しよう。玲奈さんが勉強を教えてくれてる手前、情けない点数は取れないからな」


 気を取り直していづるが再び机に向かった、その時だった。

 突然、控えめなノックがドアを叩く。

 反射的にいづるは、「どうぞ」と言ってしまった。まだ幼馴染の楞川翔子カドカワショウコがいて、夜食でも持ってきてくれたのかと思った。

 だが、違った。

 現れたのは……パジャマ姿の玲奈だ。

 しかも、まくらを両腕で抱きしめている。

 おずおずと彼女は、いづるの部屋に入ってきた。


「夜分遅くごめんなさい、いづる君。その……とても恥ずかしいお願いなのだけど」

「えっ? あ、あの、玲奈さん?」


 いつもより不思議と、玲奈はいじらしく可憐かれんに見えた。

 もじもじしながら彼女は、ギュムと枕を胸の中で圧縮してゆく。

 翔子が用意してくれたパジャマはサイズも手直しされてて、とてもよく似合っていた。淡いピンクに黄色で星がプリントされてる。以前のだぼだぼのパジャマもいいが、サイズが丁度いいと、一層玲奈のスタイルのよさが際立つ感じがした。


「いづる君……ごめんなさい。はしたないと思うかもしれないわね」

「いや、そんな……どうしたんですか?」

「そ、その、我慢できないの。禁欲生活は苦手だぞ? 私は我慢弱いの」

「は、はぁ……!? まっ、まま、まさか!? そんな、でも!」


 いづるはムッツリスケベである、これはヅダがゴーストファイターではないことと同じくらい、皆がよく知っている基本的なことだ。普遍の真理であり、くつがえることのない現実なのだった。

 そのいづるが、察した。

 玲奈は今、いづるの自室兼寝室を夜に訪れた。

 枕持参で、禁欲生活に絶えられないと自ら言った。

 ちらりといづるはベッドを見てしまう。

 今夜、彼氏と彼女が男と女になるのだろうか?

 だが、玲奈が発した言葉は意外なものだった。


「もう駄目よ、いづる君……限界よ。お願い……その、私と今夜、一緒に」

「は、はいっ! え、あ、えと、僕もその初めてですけど、頑張ります!」

「そんな……楽にして欲しいの、そして……一緒に、楽しめたら、いいなって」

「玲奈さん……そんなこと言われたらもぉ、僕はもぉ!」

「……いづる君! 私、!」

「は……ガン、ダム?」


 その言葉を聴いた瞬間、いづるの中でなにかが弾けて崩れる。

 デスヨネー、ソウデスヨネー、ガンダムデスヨネー……むなしく心のなかで、甘い蜜月の夜が去っていった。お互いの初めてを捧げ合う、淫靡いんびな二人きりの、初めての共同作業……そんなことはなかった。

 玲奈は紅潮して僅かに赤みのさした顔をグイと突き出してくる。

 瞳がうるんで、とても綺麗だ。

 心なしか、甘い吐息が呼吸を浅くしているような気がする。

 だが、ガンダムだ。

 彼女が欲を抑えきれず、禁断症状を発しているのは……ガンダムのせいなのだ。


「いづる君、私はガンダムが見たいわ!」

「あ、はい」

「でも……リビングのテレビはあかり姉様が使ってるし。あかり姉様には、ガンダムのことで嫌な思いをして欲しくないわ」


 いづるの姉、日陽あかりは今日も恐らく、バラエティー番組を見てゲラゲラ笑いながら晩酌ばんしゃく中だろう。当然のように下着姿で。だらしない姉だが、どこか憎めない。それは多分、血の繋がってないいづるを、血よりも濃いきずなで見守り支えてくれた、本物以上に本当の姉だからだろう。

 大事で大切な、家族。

 せめて服を着て欲しいと思うが、慕って尊敬する姉なのだ。

 日本酒の一升瓶を片手に、手酌でゲプー! と飲みまくっていても。


「私もテレビはよく見るわ、でもあかり姉様に今は譲ってあげたい……お酒は楽しく飲んで欲しいもの。だから……あら? いづる君?」

「意外です、玲奈さん。お嬢様もテレビ、見るんですね」

「もぉ、いづる君っ! そゆこと言っちゃ駄目だぞ? 私だって、ソファでゴロゴロしながらポテチを食べて、人には見せられないような格好でテレビを見たりするわ!」


 プゥ! と玲奈が頬を膨らませ、拗ねたように唇をとがらせる。

 豊かな感情表現で彩られる、玲奈の表情はどれも輝いて見える。年相応に普通の女の子で、時々物凄く子供っぽい玲奈……普段の楚々としたお嬢様のような雰囲気とは真逆で、とても魅力的だ。

 やっぱり、好きだなといづるは思った。

 惚れていると自覚したし、それがとても幸せだった。


「最近だと、鉄血のオルフェンズを見てるわ。あかりさんのいない時間帯に、録画を見てるの。本当はオンタイムで見たいのだけど……でも、あれは録画でもいいやつだから」

「……ガンダム、ですよね」

「それと、テレビ東京でのビルドファイターズも見るわね。今、再放送をしてるのよ? ああ、私もバイト代で少しずつ、ガンプラを……あと、もう少ししたら日陽家にもお金を入れるわ。働かざるもの食うべからず、ですもの」

「や、それは気にしないでください。それに……やっぱりガンダム、ですよね」

「……そ、そうね。ガンダムばかりだわ。でも、足りないの……駄目なのよ、いづる君!」


 そんなことだろうと思ったが、玲奈は形良いおとがいに手をあて肘を抱くと、なにから思い出すような仕草で眉を寄せた。

 そして、思案の末にポン、と手を叩く。


「他には、テレビドラマを見るわ。冬になると始まる、好きなドラマがあるの。刑事モノよ」

「へえ、意外ですね」

「有名なドラマよ……ロンド・ベルのように煙たがられている独立外部部隊……みたいな部署で、男性版カティ・マネキン大佐みたいな人が名推理をパートナーと」

「どんな刑事ドラマなんですか、それ。……パートナー? それって……相棒?」


 有名なシリーズの名前を上げたら、玲奈は「そう、それよそれ!」と笑顔になった。あれは確かに脚本がよく練られていて、カーチェイスや銃撃戦が主体だった昭和の刑事ドラマとは一線を画する。いづるも好きな作品の一つだった。

 そういえば玲奈は、日陽家に来てからも見てた気がする。

 いづるはドラマを食い入るように見入る玲奈を、その綺麗な横顔をいつも見ていた。


「あとはそうね、今年は大河ドラマが面白いわ」

「真田丸ですね」

「そうなの! 真田家は言ってみれば、ザビ家に対するマツナガ家……最後まで忠義を貫こうとした信繁のぶしげこと幸村ゆきむらは、シン・マツナガのイメージよね」

「えっと、なんか光の翼があるガンダムに乗ってる人でしたっけか?」

「それはシン・アスカよ。シン・マツナガ大尉は一年戦争のジオンのエース、凄腕のパイロットね。信繁と違って戦場に長くいて実戦経験も豊富だけど、その最後が気になるのよね。少し謎も多いところが信繁と似てるわ」


 他には、と玲奈はニ、三の番組名を教えてくれた。

 どれも全部、頭の中ではガンダムに変換されているらしい。

 音楽番組や大自然のドキュメンタリー、そして映画と色々な番組を見てることがいづるにも伝わった。

 だが、そんな彼女が一番見たくて、今はおおっぴらに見れない番組がある。

 それが、ガンダムだ。

 いづるの姉、あかりがガンダムを毛嫌いしているのである。


「ね、いづる君……私もう、我慢ができないの。胸が苦しくて……身体が火照ほてって」

「え、あ、いや、その、玲奈さん?」

「お願い、いづる君……自分を持て余す私をなんとかして。感情を制御できない人間はゴミだと、ザビーネは言ってたわ。私はそうは思わないけど、そうである私が気持ちを抑えられないのは、とても恥ずかしいことよ……いづる君にしか見せられない姿だわ」


 そう言って、椅子からたったいづるにグイと身を寄せてくる玲奈。

 彼女はやはり、どこか落ち着かない様子だ。

 禁断症状がでているのだろう、少し息を荒げている。

 そして、震える指で玲奈は……いづるの頬へと手を伸べた。


「れ、玲奈さんっ! だ、駄目ですよ、僕も一応男なんですから!」

「わかってるわ、いづる君……頭ではわかってるの。でも、でもっ……!」


 玲奈の指が、手が、いづるに触れそうになる。

 ゴクリと喉が鳴って、激しい動悸が息苦しい。

 そして……玲奈の手は、いづるの横をすり抜けた。彼女はほっそりとした白い指で、机の上を指差す。そこには、いづるが愛用しているノートパソコンがあった。一応、Wi-Fiワイファイでネットワーク環境に接続されている。スマホも持っているが、いづるはこのちょっと古めのノートパソコンを、ネットサーフィンなどに利用していた。

 やや古い機種だが、まだまだ現役、動画の再生も全く問題がない。


「いづる君、ガンダム! ガンダムが見たいの! 私にガンダムを見せて、パソコンで! ガンダムはここにいるぞー! って」

「……あ、いや……そんなことだろうと思ってました。でも、ふふ」

「あら、笑ったわね。ガンダムが見たい番組でなんで悪いのかしら! 私はガノタよ……そうなの、いづる君。もう、欲求不満で爆発しそうだぞ? ふふ、おかしいの」


 玲奈も少し照れくさそうに笑って、二人は互いに笑顔になった。

 それならと、集中力も切れてしまったところなので、いづるはノートパソコンを手に取る。


「因みに、いつでもお貸ししますけど……玲奈さん」

「私、機械は苦手よ! この間ようやく、この家でトースターの使い方を学んだわ。それはもう、ガンダムEXAエグザのレオスばりに学んだわね!」

「……やっぱり、機械オンチなんだ」

「そ、それに! いづる君が一緒ならパソコンの操作も問題ないし……わ、私は、その……いづる君と見たいわ。一緒にガンダム、見たいのよ!」


 そう言って玲奈は、いづるのベッドへと腰掛けた。そして枕をそばに置くと、隣をポンポンと叩く。


「いづる君、来て……そのパソコンを持って。二人でガンダムを見ましょう」

「いや、でも、その、そんな……二人でベッドでなんて、なにか間違いがあったら」

「大丈夫よ、いづる君! 間違いなく楽しんでもらえると思うわ、ガンダム……そう、ネット配信でしか見られないガンダムがあって、それをずっと見たいと思ってたわ。でも、私は、その……怖い番組、残酷な番組は苦手よ」


 玲奈は僅かに頬を赤らめ、恥ずかしそうに目を逸してしまう。

 考えても見れば、ガンダムは残酷で非情な一面を持っている。主人公の少年は常に、戦争に巻き込まれて多くの悲劇を潜り抜けてきた。親の死、仲間の死、そして宿敵との激戦に、異性との悲恋。

 だが、玲奈が言う残酷なガンダムとは、そのどれとも毛色が違う。

 むしろ、そうした『ガンダムの描写する戦争の悲惨さ』を、よりダイレクトに押し出した異色作なのだが、まだいづるにはそれがわからない。

 恐らく、怖い時の抱き枕にするのだろう……玲奈は傍らの枕をスタンバらせると、いづるに隣に座るよう促した。


「さ、いづる君。並んで二人で見るべきだわ。私たち、その、ほら、あれと一緒よ………こっ、ここ、、なんだから。劇場版ゼータ三部作の真ん中、恋人たちみたいなんだから」

「じゃ、じゃあ……その、一緒に見ます、けど」

「お願いするわね、いづる君。一緒に……私と一緒に、を見て頂戴!」


 機動戦士ガンダム・サンダーボルト、通称サンボル。それが、今夜の玲奈が飛び込むガンダムワールド。数ある映像化作品の中でも、飛び抜けて異色作だということを……いづるは今夜、体験することになる。

 そして、玲奈の意外な弱点をも知ることになるのだった。

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