第15話「何も考えずに走れ!」
秋の体育祭も、いよいよ最後のプログラムが始まろうとしていた。
全てのクラスの頂点を決める決戦……それは千メートルリレーだ。
本当は違う人が、上級生が走者だったのだ。
だが、不思議な力が多く働き、いづるへとお
何故なら、G組のアンカーは
「さあ、いづる様! 二人でバトンを
準備が進む中、それぞれのスタート地点に散らばる前の集合場所。そこでは、いづるは意気込みに頬を
ツンとお高く止まって天上人、そういう印象が今はない。
あの騎馬戦での敗戦が、不思議と文那に心境の変化を与えたようだ。
そして、そのことをいづるは好ましく思う。
例え敵と味方に分かれていても、F組の
「文那先輩」
「あら、なにかしら。ふふ……いづる様から話しかけてくださるなんて」
「あ、いえ……頑張りましょう。なんか、だんだん勝ちたい気持ちが強くなってきて」
「当然ですわ! このわたくし、古府谷文那がついてますのよ? いづる様に必ずや勝利を」
こうして見ると、文那はどこにでもいる普通の……まあ、色々ととんがっているが普通の少女に見える。改めていづるは、他のG組の走者とも言葉を交わす文那に見とれた。
綺麗だ。
美人である。
かわいい。
赤い髪を縦巻きロールにして、つり目気味の瞳を輝かせている。体操服にブルマのその姿は、胸が全くないもののスタイル抜群だ。
その文那が、いづるを始めとするG組の走者五人を集める。
「さあ、皆さん?
意外にも、G組の団結を高めるために率先して文那が皆を呼ぶ。小柄で
肩を抱き合い腰を屈めると、文那は皆に静かに言い聞かせた。
「では掛け声を……わたくしに続いてくださいな」
よくある「えいえい」「おー!」という、あれだ。
なんだか文那の両隣の男子は、息を荒げて
彼女は、本気だ。
玲奈が本気にさせたのだ。
そして、いざ競って戦うとなれば、いづるも本気で行きたかった。
文那はリレーのメンバーを見渡し、円陣の中央へと声を投げかける。
「では、参ります……俺が、俺たちが!」
一瞬の、静寂。
皆が皆、ポカーンと顔を見合わせてしまった。
文那だけが不思議そうに、一同を見やって形良い
「なにやってるんですの、声を出していきますわよ! 一致団結の掛け声、
「あ、あの……文那先輩。それ、なんです?」
「まあ、いづる様! 決まってますわ……俺が、俺たちが! と言えば、ガンダムだ! ですの」
「……ちょ、ちょっと、こう……もう少し、別の掛け声を」
「わ、わかりましたの。いづる様がそう言うのでしたら」
再び円陣の中で互いに密着して、文那が声を張り上げる。
「では、気を取り直して……流派! 東方不敗は!」
またしても、沈黙。
とうとう先輩の男子たちも、
たまらずいづるは、なんとかその場を取り繕う。
そして、文那に声を掛けつつ、後半は声を潜めて彼女にだけ伝える。
「文那先輩、僕が掛け声を……えと、ガンダム好きだって漏れ出てます! ダダ漏れです!」
「もぉっ、王者の風よ! って……しまった! そ、そそ、そうでしたわ。わたくしとしたことがなんたる失態、ううう」
なんだか、久々の感触。
自然といづるは、玲奈のことを思い出す。以前は玲奈も、いづるの前で溢れ出るガンダム愛を発散していた。当時は隠していたから、いづるはフォローに
だが、顔を真赤にして俯く文那は、今もガンダム好きを秘密にしている。
そして、隠しても隠しきれぬ大好きオーラが全開になっている。
「じゃ、じゃあ……僕がG組ファイトー、レディー! って言います。だから先輩方、みんなで元気よく、ゴー! ってお願いしますね」
「いづる様、それは! そ、そうですわね! その掛け声で行きましょう!」
そして五人は再び円陣を組む。
不思議な顔をしていたが、他の三人の上級生男子は、どうやら気付いていないらしい。ここにガンダムが詳しい男子がいなかったことは幸いであった。
いづるは円陣の中心へと、声を限りに叫ぶ。
「それでは……G組ファイト! レディ……!」
「ゴォォォォッォッ!」
「ですわ!」
みんなで元気よく叫んで、円陣を解いた。
そして、周囲がそうであるように、いづるもバトンを受け取る第四区のスタート地点へと向かう。その背中が、文那の
文那の声に応える返事もまた、清涼感が突き抜けるような
「あら、阿室玲奈……あなたもアンカーかしら? 直接対決になりますわね!」
「文那さん。光栄ね……お互いベストを尽くしましょう!」
「私のプライドを汚し、勝利の栄光を奪い、古府谷家の女としての
「もとからこの阿室玲奈、愛を交わした覚えはありません」
「そうでもあるが! ですが、阿室玲奈……貴女を倒しますの。今日、ここで!」
二人は互いの視線がぶつかる空間に、静かな闘志を凝縮してゆく。そのまま張り詰めた空気をまとって、アンカーが待つ第五区のスタート地点へと行ってしまう。
だが、去り際にちらりと玲奈が振り向いた。
いづるに気付いていたのか、声を出さずに口でなにかを喋って、ウィンクして行ってしまった。どうやら文那と違って、玲奈には気負いがないようだった。
「頑張って、か……玲奈さんは余裕なのかな? 相変わらず、凄いなあ」
感心してしまうが、今のいづると玲奈は敵同士。
それでも、彼女が周囲に隠れてこっそり応援してくれるのが嬉しい。
そして、いづるが第四区のスタート地点に並んだ、次の瞬間……運動会の最後のプログラムの開始を知らせるアナウンスが響き渡った。同時にかかる音楽は、これもなんだかガンダムっぽいが、アーアアー、とテンションを盛り上げる荘厳かつ戦闘的なリズムに聞き覚えはない。
『さあ、いよいよ最後の種目! 千メートルリレーの始まりです!』
因みに、各クラスの得点はどこも競ってて、横並びだ。それは勿論、いづるたちG組と玲奈のF組も一緒である。
そして、戦いの
各クラスの第一走者が、バトンを手に走り出す。
いづるは焦れる気持ちに極力平静を呼び掛けつつ……だんだんと緊張感が増してくる中で落ち着かない。あまり脚が速い方ではないのだが、
あとはもう、がむしゃらにベストを尽くすしかないのだ。
「あ、トップはF組だ……それと、うち? G組も?」
始まってしまえば、陸上競技というのは淡々と進む。バトンを落とす組が出る一方で、F組とG組が並んで次の走者へとバトンを引き継ぐ。ばらけて遅れる組が出る中、トップスピードで走るランナーたちをいづるは見詰めた。
そして、二区から三区へとバトンが渡り、いづるへと仲間が走ってくる。
「き、緊張してきた……だ、大丈夫だ、なんとかなる。頑張らなきゃ」
徐々に心音が高まり早まるのを感じるいづる。
その時、聞き慣れた声援が耳に飛び込んできた。
「いづちゃーん! ファイトだよぉ~」
「あの声は……
それで、いづるは走り出す。
同時に受け取ったバトンを握り締めて、必死になって駆け出した。そこからはもう、周囲も意識できず、思考も脳裏に
ただ前だけを、文那だけを見て走る。
「いづる様! こっちですわ! お早く!」
「やるわね、G組っ! 私も負けていられないわ」
隣を走るF組の走者とは、互角の勝負だった。
そして、ほぼ同時にバトンをアンカーへと渡す。
一位を互いにキープしながら奪い合うように、並んで二人の美少女が飛び出した。そう、まるで飛ぶように走り出す。
「阿室玲奈、行きまーすっ!」
「古府谷文那、出るっ!」
二人はすぐさまギアをトップに叩き込むや、明らかに周囲の高校生たちとは別次元の運動能力を爆発させた。
立ち止まって膝に両手を当て、呼吸を
そんないづるに、声を掛けてくれる人物がいた。
「いい走りだったな、いづる少年!」
「あ、あれ……
そこには、眼鏡をかけた端正な表情の二年生がいた。
かれはウンウンと腕組み頷きながら、いづるの健闘を讃えてくれた。
それは嬉しいのだが……彼もアンカーのようで、スタート地点に立っている。
「あれ、富尾先輩……いいんですか? リレー」
「フッ! こういう時、焦ったら負けなのよね。見ろ、我が組を……ちょっと絶望的だが、しょうがない」
ちらりと見れば、ようやく第四走者が走り出した組がある。
それは、真也のクラスのようだ。
「いづる少年……少し古府谷文那の雰囲気が変わったが、なにが? あんな顔で走る彼女を、俺は初めて見る。っと、ではまた会おう! さらばだ!」
バトンを受け取り、遅れながら真也が走り出した。
その先ではもう、玲奈と文那のデッドヒートがクライマックスを迎えている。
いづるの目には、競い合って走る二人の少女が、とても美しく見えた。全身の筋肉を躍動させ、力強くも優雅で華麗なストライドで走る二人。それは競って戦っていると同時に、どこか互いを踊らせ終わらぬワルツで舞うバレリーナにも似ていた。
だが、そんな戦いが二人を勝者と敗者とに、分かつ。
パン! とピストルの音が響いて、ゴール地点のテープが切られた。
ゴールへと向かういづるが、周囲のざわめきを耳に拾う。
「おい、きわどいぞ! 今の、どっちだ!」
「わからん!」
「同着に見えたが……F組の白い流星か、それともG組の赤い彗星か!?」
玲奈と文那は、互いに呼吸を落ち着け胸を手で抑えながら……ふと、先程とは違う色の視線を結び合う。それは、闘争心剥き出しの鋭い眼光ではなかった。
自然と互いを認めあうように、笑みと笑みとが交わされる。
「やりますわね……流石、
「貴女こそ。ふふ、ズィー・オンの赤い彗星は伊達ではないということね」
そして、広いグラウンド中にスピーカーで放送が響き渡る。
『只今の決着は、ビデオ判定により……胸の差で、F組の勝利となります!』
おおー! と声があがる。誰が見ても同着、いづるの角度からも二人が同時にテープに触れたように見えた。
だが、機械は嘘をつかない、それも事実だ。
そして、まだ豊かな胸を上下させている玲奈と、薄い胸に手を当てる文那に全校の視線が殺到する。誰もが、差が歴然の二人を見て、妙な納得を得ていた。
「なんてことですの……クッ! この古府谷文那、戦いの中で胸を忘れた! ……お互いのバストの違いが戦力の決定的差ではないと言うことを教えたかったですわ」
「胸に、助けられた……普段は邪魔だとしか思ってなかったのに、ふふ。でも、文那さん……私も今回は危ないところでした。また是非、戦いましょう」
玲奈が握手を求めて手を差し出す。
その白く綺麗な手を見詰めて、文那も自然と手を出した。
だが、握手する寸前に、ピクリ! と文那が硬直する。
「……馴れ合いはしなくてよ、阿室玲奈。わたくし、G組の勝利を皆さんと約束しましたの。敗軍の将となった今……やはり、わたくしは貴女に勝ちたいですわ!」
「そう、なのね……でも、私たちは同じ時間、同じことを考え一緒に走った。なら」
「それとこれとは話は別ですの! ……やっぱり、許せなくてよ。阿室玲奈……あの子、許せない。わたくしをこうも
「それなら、やっぱり……文那さん」
「だから許せなくてよ! どうしてあの時……あの時、貴女は!」
それだけ言うと、文那は玲奈の手をパチン! と叩いて握手を拒絶した。
彼女は強い足取りで、呆然とするいづるの側を通り過ぎてしまう。
そこにもう、共に気持ちを一つにした華麗な文那はいなかった。
いづるは言葉を失いつつ、玲奈を気遣い見やる。
叩かれた手の痛みの、その熱を拾うように彼女は手に手を握り締めていた。
こうして、一瞬の和解とその後の再決別で、秋の体育祭は膜を閉じるのだった。
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