第14話「彼女の愛馬は今日、僕です」

 秋の体育祭も、いよいよ午後のプログラムが始まった。

 人気競技は総じて、午後に集中する傾向がある。ランチで英気を養った少年少女は、スタミナとパワー、そしてなにより精神力の全てを投じて対決に挑むのだ。

 そして勿論もちろん日陽ヒヨウいづるも例外ではない。

 今、クラス対抗の学年混合騎馬戦きばせんが行われようとしていた。

 そんな中、集合場所でいづるは幼馴染の姿を見つけて声をかける。騎馬戦などというアグレッシブな競技に、おっとりのほほんとした楞川翔子カドカワショウコが参加するのは珍しい。


「あれ、翔子? 翔子も騎馬戦、出るの?」

「あ、いづちゃーん。そだよぉ、なんか断りきれなくってぇ……わたし、重いから男子や先輩たち、大丈夫かなあ」


 にっぽりと笑う翔子は、贔屓目ひいきめに見てもかわいい女の子だと思う。たしかにややむっちりしているが、太っている印象はない。むしろ、阿室玲奈アムロレイナのような完璧なスタイリングを持つ女子の方が稀有けうなのだ。

 その翔子は、どうやらピンチヒッターで騎馬戦に担ぎ出されたらしい。

 あの玲奈を以前、テニス勝負で打ち負かした彼女だ……私立萬代学園しりつばんだいがくえん高等部で、唯一玲奈に勝利した女子として、現在密かな人気が沸騰中なのである。そして新旧ダブルヒロインを独り占めしてると思われてるいづるは、毎日が針のむしろのような気分だった。

 そうこうしていると、競技の時間が近付いてきた。

 アナウンスがスピーカーから『各クラスは騎馬を組んでグラウンド中央に集まってください』と放送が流される。いよいよだと思った、次の瞬間にいづるは、ガシリ! と二の腕を抱き締められていた。


「さあ、いづる様っ! 参りましょう……勝利の栄光を貴方あなたにっ、ですわ!」

「わわっ、ちょ、ちょっと文那フミナ先輩! ひっぱらないでくださいよ」

「わたくし、決めてましたの……わたくし専用騎は、いづる様でなくてはいけませんわ。うふ、うふふふふふ、うは、うはははは!」


 平らな胸を押し付けながら、古府谷文那フルフヤフミナがいづるを引っ張り出す。

 そういえば文那は、いづると同じG組の二年生だった。


「さ、いづる様……大丈夫ですわ、初めてでも痛くはなくてよ? 落ち着いてやれば大丈夫ですの……わたくしが上ですわね、ポッ」

「はあ、まあ、じゃあ……」

「ああ、それと!」


 いづるが一緒に騎馬を組む他の二人と挨拶を交わしていると、文那は背後を振り向いた。そこには、上級生たちに一生懸命頭を下げてる翔子がいる。ガタイのいい二年生や三年生たちは、そんな翔子を前にデレデレだ。

 その翔子に、文那がツンと澄まして言葉を投げ掛けた。


「翔子さんっ! さっきのお話、いいかしら? 承知していただけるのね?」

「あ、文那先輩っ! えと、えとぉ……そゆのは、ちょっと……お断りしたんですけどぉ、先輩全然話を聞いてくれなくてぇ」

「あーもぉ! とろとろと喋って! とにかく、頼みましたわよ!」


 そう言えば翔子は、いづるが玲奈たちとのランチに誘ったにも関わらず、用事があると言っていた。ひょっとして、文那につかまっていたのではと思い、いづるは不安になった。


「あの、文那先輩? 翔子になにを」

「心配ありませんわ、いづる様! わたくし、必勝の策がありますの……あの阿室玲奈に、わたくしは絶対に勝ってみせますわ。さ、参りましょう」

「は、はぁ」


 なんだか不安になってきたが、上級生たちと三人一組で騎馬になる。その上にふわりと、文那は華麗にまたがった。重さという重さも感じさせず、一人あたりにかかる負荷はほとんど無い。

 そして、各クラスの代表がグラウンドに集い、騎馬戦開始のホイッスルが鳴る。

 同時に、放送部が担当する音楽が鳴り響き、父兄や全校生徒の歓声があがった。

 なんだかどこかで聴いたことがあるような、なんともいえない曲が広がる。


「さあ、行きますわよ! BGMは勿論、『颯爽さっそうたるシャア』ですわっ! 古府谷文那、高機動いづる様とブースター役二名、出るっ!」

「ちょ、ちょっと文那先輩! 僕、そんな凄くは動けないですよ」

「お、俺たちはブースターかよ……でも、いい」

「ああ……文那さんのお尻……太腿ふともも……いい」


 そういえば、このBGMは玲奈の携帯の着信音と同じだ。確か、父親からの電話がくると鳴る音楽……それが聴かれなくなって久しい。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 あっという間に砂煙が上がる中、全八クラスによる大規模な騎馬戦が始まる。

 競技となれば一応真面目にやるが、とにかくいづるの上で文那のテンションは高鳴りっぱなしだった。


「いづる様っ、敵の動きが……見えましてよ! 増速前進……文那、吶喊とっかんしますわ!」

「わわわ、ちょっと、上で暴れると……うわあああっ!?」

「この鉢巻はちまきはいただいていきますわ……文那の威厳の再興のために!」


 大きな口を叩くだけあって、文那は華奢きゃしゃな体で縦横無尽に戦場を駆け回る。

 いづるはと言えば、背後の上級生二人のパワーに押されるままに、文那を乗せて右に左にと忙しかった。

 そして、すぐに聞き慣れた声がりんとして響く。


「F組は私だけ? ならっ、皆さんのかたきを取るわ。……そこっ!」

「来たわね、阿室玲奈! 今日こそ決着をつけてあげますわっ!」


 目の前に今、金髪をひるがえす玲奈の姿がある。彼女を背に乗せているのは太った男子で、その左右に昼休みに知り合った、壇田美結ダンダミユ山下柔ヤマシタヤワラがいる。見るからに快活闊達かいかつかったつなスポーツ少女といった印象の美結は張り切っているし、メガネの文学少女といったおもむきの柔も今は気合い充分だ。


「玲奈っ、あいつの鉢巻取っちゃえ!」

「わたくしたちが援護しますわ、玲奈さん! さあ!」


 ついに玲奈と文那の直接対決が始まった。宿命のライバルである二人……ただし、それは文那が一方的な因縁を感じて突っかかってるだけのようにも見えた。だが、勝負となれば、逃げず! 避けず! 振り向かず! なのが阿室玲奈という少女である。

 そしていづるは、相手が玲奈だからと手心を加えるようにはできていなかった。


「ホーッホッホッホ! なぜわたくしがいづる様に乗ってるか、おわかりになって? ……情けない男子に乗って、勝つ意味があるかしら?」

「馬鹿にして……!」

「しかし……これはナンセンスです、わっ!」

「そうやって貴女あなたは、永遠に他人を見下すようになってしまっては!」


 激しい攻防、そして攻めと守りが目まぐるしく入れ替わる応酬。玲奈と文那、二人の騎馬は互いのバックを取ろうとグルグル周りながら、その間の空間に風を起こして汗を弾けさせる。

 二人は自然と、互いの鉢巻に手を伸ばしつつ、己の鉢巻を守りながら戦った。

 その合間に、ちゃっかり周囲の関係ない騎馬からも、ちょこちょこと鉢巻を拾っている。

 気がつけば玲奈も文那も、かなりの数の鉢巻を集めていた。


「ちょ、ちょっと、文那先輩……そろそろ、僕……体力、が」

「パワーダウンですって? 騎馬のパワーが負けている? ……翔子さん、今ですわ!」


 その時偶然、文那の声に呼応するように、一騎の騎馬が割り込んできた。

 それは、いかにも体育会系なガッチリマッチョ三人組に支えられた、翔子だった。


「翔子さん!? そう、同じG組ですものね。さあ、かかってらして!」

「玲奈先輩っ、鉢巻いただきますっ!」

「またこうして戦えるなんて、嬉しいわ。テニスの借り、返させてもらうわよ!」

「わたしもです、玲奈先輩。真剣勝負っ、わたしだってぇー!」


 今度は玲奈は、間髪入れずに翔子と激しくぶつかり合う。ぼんやりしてても流石は翔子、玲奈の手をさばき切りつつ、隙を見て鉢巻を取ろうとする。運動神経や反射神経で圧倒的に劣る翔子のアドバンテージは、その身を担ぎ上げる三人の上級生だ。運動部のコワモテは身体が大きく、安定した足場を形成していた。その上に高身長なので、自然と高低差が発生して翔子の攻撃を上からのものにしている。

 だが、玲奈はなんだか楽しそうだ。

 そして、翔子も笑顔である。


「ぐぬぬ……わ、わたくしより……目立ってますわ!」

「え、えと……文那先輩? とりあえず、翔子を援護しましょう。G組、このまま勝てますよ」

「わたくしは阿室玲奈に勝てればそれでいいんですの! ……わたくし本人が、阿室玲奈に勝たなければ」


 その時だった。

 勝ち残った数少ないう騎馬の一騎が、玲奈と翔子に割り込むように突っ込んでくる。そこには、メガネを上下させる美男子が立ち上がっていた。


「敵とたわむれるな、楞川翔子っ! ええい、阿室っ! ライバルといえばこの俺、それを忘れるなど……ゆくぞ諸君っ! 鉢巻っ、よこせよやぁぁぁっ!」


 富野信者とみのしんじゃ、もとい、富尾真也とみおしんやだ。彼は目をギラつかせる男子三人にまたがり、玲奈と翔子の戦いに割って入った。

 なんだか、真也を乗せる男子たちは息が荒い。

 ハァハァ言ってて「阿室先輩のブルマ、ハァハァ」とか「翔子ちゃあああん!」とか、危ない単語を口走っている。だが、鎧袖一触がいしゅういっしょくで真也は弾き出された。


「富尾君? 女同士の間に入らないでっ!」

「富尾先輩、邪魔ですっ!」


 あっという間に真也は、鉢巻を取られてしまった。

 唖然あぜんとする彼を横目に、再びいづるは走り出す。呼吸を整えた他の二人も、付き合ってくれた。意外に思ったが、思っていたより文那は人望と人気があるらしい。彼女を一緒に担ぐ上級生たちも、なんだか顔が少しにやけてはいたが。


「一年生だけにいい思いはさせませんよ!」

「文那ちゃんが駄目になるかならないかなんだ! やってみる価値ありまっせ!」


 そして、なにより文那がやる気を取り戻す。


「……わたくし、勘違いをしてましたわ! 必ずや、阿室玲奈を倒します。クラスの全員のために! それこそが、古府谷家に生まれた女の戦いでしてよ……いざっ!」


 文那は流石に玲奈をライバルと公言するだけあって、スポーツ万能を絵に描いたような動きを見せてくれた。駆け抜けるいづるたちの上で立ち上がるや、大きく身を乗り出して次々と鉢巻を取ってゆく。

 そして気付けば、グラウンドには玲奈と翔子、そして文那だけになっていた。


「ふふ、阿室玲奈……ここから先は競争よ」

「古府谷文那っ! 決着をつけます」

「文那先輩っ、援護しますぅ。やると決めたら真剣勝負ぅ!」


 G組は二騎、圧倒的に有利だった。

 だが、冷静に距離を取りつつ、下の三人に声をかけてから玲奈が突進してくる。

 対して、文那も迎え撃つべく真正面へといづるたちを走らせ、その背後に翔子が続く。


「翔子さん? 奴にジェットストリームアタックをかけるわ!」

「ほぇ? えっとぉ、それって」

「ああもっ、お昼休みに打ち合わせしたでしょう!」

「ああー、はい! 思い出しましたぁ。でわでわっ」


 文那の背後へと、速度を少し緩めて翔子が続く。

 そして、いづるにはなんとなくジェットストリームアタックの意味がわかった。わかりたくなかったが、自然とわかってしまった。

 以前、玲奈に聞いたことがあるアニメの必殺技だ。

 本来は三人で行う連携攻撃のことである。

 だが、それは玲奈も重々承知のようった。

 全速力で迫る玲奈と、文那を抱えるいづるがすれ違う。

 次の瞬間、周囲の絶叫も歓声も遠ざかった。

 ただただいづるは、文那の声を聞くと同時に、ように感じた。


「なっ……わたくしを踏み台にしたですって!?」

「わわっ、玲奈先輩!? そ、それっていいんですかぁーっ!?」

「戦いは非情よ。もらったわ、翔子さんっ!」


 なんと、騎馬の上から玲奈はジャンプした。

 そして、跳び箱の要領で文那を跨いでパスし、その背後の翔子から鉢巻を取る。そうして熾烈しれつな空中戦を制すると、着地地点に滑り込んできた仲間の上に降り立った。

 軽業かるわざ、そして神業かみわざである。

 あまりの驚きに黙ってしまったギャラリーは、クラスの別なく熱狂と興奮を叫んだ。

 そして、競技の時間が終わりタイムリミットとなる。


「くつ、阿室玲奈っ! わたくしの鉢巻を無視して、翔子さんの鉢巻を……キーッ! 悔しいですわ! その上、踏み台にっ!」

「それは違うわ、文那さん。私、貴女からは鉢巻が取れなかったの。隙がなかった、だから飛び越えるので精一杯だったわ。流石ね」

「ま、まあ、それ程でも……って、なに言ってますの! ムギーッ! やはり阿室玲奈、貴女だけはわたくしが倒しますわ。帰りますわよ、いづる様っ! 翔子さんも!」


 歯噛みする文那の悔しさが、漠然とだがいづるにも伝わった。

 そして、玲奈はにこやかな笑みで歓声に応えて手を振りつつ、自分たちのF組へと戻ってゆく。完璧な勝利、そして勝者の飾らぬ姿がそこにはあった。

 いづるたちは、試合でも勝負でも負けたのだ。


「えと、とりあえず、その……お疲れ様です。文那先輩?」

「……いづる様……わたくし、本気を出しますわ! 絶対に! わたくしが! ……いいえ、G組が勝ちますわよっ!」


 いやいや、あなたさっきから本気丸出しで全力全開だったでしょう、などと思ったが、敢えていづるは突っ込まなかった。そして、地元の住民たちをも興奮の坩堝るつぼに叩き込む体育祭も、終盤に差し掛かっていた。

 不思議と文那を嫌いになれない理由が、また一ついづるに増えた。

 それは、やはり悪い人ではなく、むしろ正々堂々とした公明正大な精神、玲奈と同様に鍛えた心身に健全な人格が宿っているように感じたからだ。……ただし、思い込みが激しいのはどうかとも思うが。

 そして、いよいよ競技種目も残すところ僅かとなった。

 最後には再び、玲奈は文那や真也と雌雄を決する事になるだろう。

 なぜなら、体育祭の最後のフィナーレは、と常に決まっているのだから。

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