百年のクレイドル

第21話「新しいツールPSVita」

 秋も深まり、少しだけあの夏の喧騒が懐かしい。

 夕暮れのこの時間、随分と日も短くなった。

 リビングのソファで雑誌を読みながら、ふと日陽ヒヨウいづるは顔を上げた。向かいでは姉の日陽あかりが、今日も元気に晩酌ばんしゃくをしている。ご飯の前に飲んで、夕食時にも飲んで、寝る前にも飲む。のんべんだらりとニートまっしぐらな姉がそこにはいた。

 あかりはいづるの視線に気付いて、にんまりと笑う。


玲奈レイナちゃん、遅いわね? 今日もバイト、忙しいのかしら?」

「あ、うん。まあ」

「ふふ、待ち遠しいわよね? いづる……ウフフ、フフフフフ!」

「な、なんですかあかり姉さん、気持ち悪い」


 ビールの缶を片手に、あかりが視線をスライドさせる。

 いづるの隣には、リボンと包装紙で飾られた箱が置かれていた。これは、阿室玲奈アムロレイナへのプレゼントである。あかりといづるでお金を出し合い、少し高価なものだったが購入した。

 今日は、玲奈の初めてのアルバイト料が入る日だ。

 この一ヶ月、彼女は頑張って働いた……恐らく外で働くことは、あのお嬢様には初めての経験のはずだ。生徒会の仕事もきっちりこなし、一日もバイトを休まなかった。


「喜んでくれるわよねー? だぁって、ラブラブないづるが選んだんだもの」

「よ、よしてくださいよ、あかり姉さん。僕は……」

「でも、いいと思うわよ? 指輪とかイヤリングとか、まだ早い! あと、重い!」

「そういう、もんですか?」

「そりゃもう……女の子へのプレゼントだって、順序があんのよ」


 そう言ってあかりは、飲み干したビールの空き缶をテーブルに置く。

 ダイニングの方では、楞川翔子カドカワショウコが夕食の準備で忙しく働いている。割烹着かっぽうぎ姿が行き来する、その背中に目を細めていづるは焦れた。

 気付けばもうすぐ時刻は七時半、そろそろ玲奈が帰ってくる時間だ。

 既に外は夕闇が満ちて、とっぷりと暮れている。

 そして、インターホンの音が鳴るや、いづるはわざとらしくソファを立った。


「た、宅急便かな?」

「はぁ? いづるー、それ笑えなーい。いいからほら、玲奈ちゃんを出迎えて!」

「わかってますよ、もう」


 そうは言いつつ、あかりに急かされ玄関へと歩く。小走りになる。

 だが、ドアを開けた向こうには意外な人間が腕組み立っていた。


「こんばんはだな、いづる少年!」

「あれ……富尾トミオ先輩?」

「お邪魔すると言わせていただこうか」

「え、えっ? あ、あれ?」


 富尾真也トミオシンヤだ。彼は土産らしき袋をいづるに押し付け、上がり込んでしまう。なにごとかと思ったら、背後でほんわかした声があがった。

 振り返ると、おたまを持った翔子がにっぽりと微笑んでいる。


「わたしが呼んだのぉ。今日はね、お祝い! だから、みんなで! あとで海姫マリーナさんも来るんだよぉ~」


 どうやら今日は、ちょっとしたパーティになりそうだ。

 そこまで大げさなのは、あの人がビックリするような、でも喜んでもらえそうな。そんな気がして、いづるもなるほどと納得してしまう。

 玲奈はいつも、人の厚意を大事にする少女だから。

 その中でも、いづるの好意を特別だと思ってくれるから。

 そうこうしていると、噂の少女があとから遅れてやってくる。


「ただいま、いづる君。さっき、通りの角で富尾君が見えて……追いついてきたの」

「あ、玲奈さん。おかえりなさい! あ、あの、お疲れ様です!」

「お待たせ、いづる君。もうお腹ペコペコだぞ? 私は我慢弱いの」

「は、はい。すぐご飯にしましょう!」


 玲奈は今日も、学校で会った時と変わらず笑顔だった。それはとてもりんとして涼やかで、見る者全てを魅了する笑みだ。いづるも、清楚せいそ可憐かれんな中に強さが感じられる笑顔が、大好きだった。

 バイトの疲れも見せず、玲奈はいづるとリビングに歩く。

 すぐに食卓の賑やかな声が響いてきた。


「ええい、楞川っ! 今日はハンバーグに、カニクリームコロッケだと!」

「お野菜もちゃんと食べてくださいねぇ、富尾先輩っ」

えて言おう、食うであると! ……いい匂いだな。楞川はやはり、家庭的な女の子なんだなあ、うんうん」

「富尾せんぱぁい、いいから座ってくださぁい。お茶碗ちゃわんにご飯、よそいますねぇ」


 既に食卓には、皆がめいめいに座って賑やかさを共有している。

 来栖海姫クルスマリーナはあとから遅れて来るそうだ。

 自然と皆にコップが行き渡り、烏龍茶やリンゴジュースが行き交う。

 乾杯の音頭を取るべく、あかりが立ち上がったその時だった。


「あの、あかり姉様。皆さんも。乾杯の前に、私からこれを」


 玲奈は少し恥ずかしそうに、封筒を差し出した。

 それは恐らく、あの中華料理屋、天驚軒てんきょうけんでアルバイトしたお賃金だ。学生のバイトなんてたかがしれてるが、それがまるまるあかりに差し出された。

 玲奈は律儀な少女で、自分の立場をよくわきまえていた。

 そは日陽家の者たちにとっては不要で不必要だが、嫌ではない。


「あらま、玲奈ちゃん……これは? ははーん、私へのラブレター?」

「手紙も入ってます。それと、私のお給金が。少ないですが、この日陽家にお世話になっている私の、せめてもの気持ちです」

「どれどれ……ええと、なになに? ……あら! ふふ、なぁに? 玲奈ちゃん」

「今の私の、いつわらざる気持ちです。アルバイトを初めて体験し、労働の大変さを知りました」


 ――あなたは、一日に四時間のシフトに入ることができますか?

 それは私のようなお嬢様育ちから見れば、とんでもない能力なんです。

 でもそれは“強要”された訳ではなく、人間がもともと繰り返してきた営み――

 “環境”に合わせて自分で選ぶ、人間自身の生き方――


 玲奈の手紙を読み上げ、あかりは笑顔をことさら眩しく輝かせた。

 少し恥ずかしそうにうつむきながら、玲奈も上目遣いにみんなを見る。


「ふーん、玲奈ちゃんは労働のとうとさを知った訳だ?」

「はい。そして、この日陽家でお金の価値、意味をも知りました。だから――」

「じゃ、これは半分だけもらうわね? 半分は返すわよん!」

「えっ? あの、これは……私がお世話になってる日陽家に」

「若い子が家にお金入れるなんて考えないの! お小遣いだって必要だし、いづるとのデートだってしなきゃ。ね?」


 いづるは素直に思った。

 あかり姉さん、格好いい。

 ニートだけど、格好いい。

 今現在、一円も稼がず家でゴロゴロお酒飲んでばかりだけど、格好いい。

 そして、本当に彼女は格好良く自分をも語り出した。


「玲奈ちゃんの想いは無駄にできない、だから半分だけもらうわ。残りは玲奈ちゃんのお小遣いにして、足りなくなったら相談してねん?」

「でも」

「フフフ……ウハハハハ! いいのいいの! で……私からも重大発表がありまーす!」


 あかりは全員にグラスを持つよう促して、声高に言い放った。


「わたくし日陽あかり、! 再びお茶の間に、美貌のお天気お姉さんとして私の姿を振りまく日が来たのよ!」


 いづるには意外だった。てっきり、家でグータラに暮らして、すぐに義兄あにとの愛の巣に帰ると思っていたのだ。そっちの方が望ましいとも思っていたが、違うらしい。

 いづるにはあかりの笑顔が、少しだけ空元気からげんきに見えた。

 だが、その素振りを微塵も見せずにあかりは乾杯を高らかに歌う。

 こうして楽しい夕食が始まり、いづるも敢えて言及は避けた。


「ええい、阿室っ! コロッケには醤油だと、なぜわからんっ!」

「富尾君ほどの男が……カニクリームコロッケはソースでいきます!」

「なんとぉーっ!」


 一気に食卓が賑やかになる中で、そうだと思い出していづるはソファに駆け寄る。玲奈に今日のこの日に、渡したいプレゼントがあった。


「玲奈さん、これ……僕とあかり姉さんから、プレゼントです。アルバイト、お疲れ様でした。これからも頑張ってください!」

「まあ……いづる君が? あかり姉様まで」

「その、色々悩んだんですが、あると便利だと思って」


 そう言って、そっといづるは玲奈の耳元に唇を寄せる。


「玲奈さん、これで少しガンダム成分を補給してください。あかり姉さんのこと、すみません」


 すかさず周囲がヒューヒューとはやし立てるが、構わずいづるは玲奈にプレゼントを手渡した。誰もが視線と笑顔で促す中、玲奈が丁寧にリボンを解き、包装紙から贈り物を解き放ってゆく。

 現れた箱は、玲奈の好きな白い色。


「まあ……これは、プレイステーションVitaヴィータ! こんな高価なものを」

「いづるがねー、玲奈ちゃんがゲームも結構好きだっていうから」

「え、ええと、その……凄く、凄く凄く、嬉しいです。大事にします!」


 玲奈は壊滅的に機械が駄目で、そのことが少し心配だったが。いづるが側についていれば大丈夫だろう。勿論、玲奈にゲーム機の操作を教えたりして、親密度を増したいという下心も、なかったと言えば嘘になる。

 だが、携帯用のゲーム機ならば、ほぼ大丈夫だ。

 少し玲奈には、ガンダム嫌いなあかりに隠れてガンダムを楽しむ必要がある。

 それは少し申し訳ないけど、複雑な家の事情に巻き込んだお詫びの意味もあった。


「素敵ね、特に色が! やっぱり白だわ」

「あとで開けてみましょう。初期設定とかは僕たちが手伝いまから」

「ええ! そ、そうね、私は少し、ちょっぴり機械が苦手ですものね」


 この場の全員が、「えっ」と一様にフラットな顔になった。

 機械音痴というレベルではない……玲奈は自分の携帯電話すら使いこなせない少女だ。

 だが、すぐに笑いが連鎖する。

 こうして日陽家の夜は、ゆっくりと団欒を広げながら更けてゆく。だが、まだ誰も知らない……玲奈の携帯ゲーム機が、あるゲームをダウンロードしたあとで、大きな事件と対決を呼び込むということに。

 この時はまだ、いづるも玲奈もそんなことは想像だにしないのだった。

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