第5話「変人たち」

 日陽ヒヨウいづるの家に温かな夕餉ゆうげの時間が訪れた。

 まだまだ日の長い九月一日、明日から本格的に二学期が始まるのを前に……何故か日陽家はリビングで宴会が開かれていた。

 勿論もちろん発起人ほっきにんにして中心人物は姉、日陽あかりだった。


「あかりさぁん、これ冷奴ひややっこですぅ。あと、今夜はみんなで冷やし豚しゃぶですょ~」

「クゥーッ! 相変わらずお料理上手ね、翔子ショウコちゃん! いいお嫁さんになるわよぉ!」

「そんなぁ、エヘヘ」


 阿室玲奈アムロレイナと並んで座るいづるの前で、ソファの上にあぐらをかいて座るのが、姉のあかりだ。先ほどは風呂あがりのバスタオル姿だったが、今は毒々しい薄紫ヴァイオレットのスケスケネグリジェを着ている。

 目の毒、それも猛毒としか言いようのない痴女ちじょがいた。

 だが、本人はまるで気にしていないらしく、楞川翔子カドカワショウコの出すつまみに舌鼓したづつみを打ちつつ、ぐいぐい日本酒を飲んでいる。頬を薄紅色に染めて、何度も感嘆の溜息をこぼしては手酌てじゃくで杯を乾かしていた。


「えっと、それでー? どこまで話したっけか……そうそう、玲奈ちゃん!」

「は、はい!」

「ずっと家、居ていいからね? 遠慮せず、我が家だと思って住んでてちょーだいっ!」

「あ、ありがとう、ござい、ます。……あの」

「いいのいいの! 私はこの後すぐ、荷物まとめて出て行くから!」

「えっ」


 いづるにも意外な言葉を平然と口にして、あかりはグイグイと酒を飲み干す。本日何度目かの「プッハー!」で満面の笑みになると、彼女は滔々とうとうと語り出した。自分が既に納得済みだとでも言うかのような、不思議と悟った諦観ていかんを感じさせる口調だった。


「ほら、いづるって昔からイイ子じゃない? やっとヤンチャしてくれたなーって」

「あの、あかり姉さん。僕は別に」

「いいの! 言わなくてもいいのよ、いづるっ! 二人の愛の巣に、小姑こじゅうとみたいな姉が居たんじゃ格好つかないじゃない」

「……小姑になることは前提なんですね」

「まぁね~」


 あかりはどうやら、いづると玲奈に遠慮してるらしい。

 だが、そもそも論として……と、いづるが口を開いた、その時だった。


「あかりさんっ! そんなこと言わないでくださぁい! また一緒に、みんなで暮らしましょうよぉ……わたし、あかりさんが居ても、玲奈先輩もいづちゃんも邪魔だなんて思わないって知ってます! 今の二人には邪魔者なんていないんですよぉ~」


 常に日陽家に入り浸ってる翔子の発言は、それはそうだと説得力がある。

 同時に、いづるにとっても気を遣われるのは本意ではないし、それは玲奈もそうだろう。そして、それを気にしているのか玲奈は翔子の言葉尻を拾った。


「失礼ですが、あかりさん」

「やーねぇ、もぉ! 姉さんって呼んで! 義理の姉、すなわち……あかりねーさんって!」

「ええと、では、あかり姉様」

「姉様! ねーさま……おおう! なんて甘美な響き! んもぉ、玲奈ちゃん! チューしたくなっちゃうわ、んちゅー」


 相変わらず面倒臭めんどうくさい姉だと思いつつ、苦笑を零すいづる。

 それは玲奈も同じようで、恐らくこんなに砕けた態度で接してきた人間が珍しいのだろう。やや気後れして、ともすれば少し引いてるようにも見えたが、玲奈は笑顔で言葉を続ける。


「あかり姉様、姉様は……行くあてはあるのでしょうか」

「んー? そりゃまあ、駅前でホテルとか? あ、いい機会だから湯治とうじに旅行とかもいいなあ。別府とかさ、箱根とかさ! 熱海でもいいわあ」

「いえ、その……もとの家に、旦那様の元には戻れないのでしょうか」

「……うん。駄目、それは……もう、無理よ」


 いまさらだが、姉のあかりはとにかく気分の上下が激しい人だ。有頂天でハイテンションになったかと思えば、急に落ち込んで塞ぎ込んでしまうことも多々ある。

 豪華にあぐらをかいて膝をピシャピシャ叩いていたあかりは、体育座りで小さくなってしまった。


「駄目よ……もう、あの人とは一緒にいられない。そもそも、あの人が家にいないんだもの。もう、一人で家にいるのは嫌よ。帰ってこない人を待つもの疲れたわ」

「……僭越せんえつかと思いますし、出過ぎたことと存じます。でも、あかり姉様」

「いいの、いいのよ玲奈ちゃん。ありがとう、あなたイイ娘ね……いづる、やるじゃない。若いんだし二人共、青春謳歌しないとね……お邪魔虫は退散するわ、これ飲んだら行くね」

「待ってください、あかり姉様。せめて……もう少しお話を」


 だが、膝を抱えてうつむいてしまったあかりは、既にスーパー賢者タイムになってしまっている。かくムラッのある姉に、いづるも少し心配になってきた。具体的には、あかりのことだから、出て行くと言えば本当に出て行く。……この格好のまま、出て行く。

 新学期早々に警察沙汰になるのも困るし、なによりあかりが心配だ。

 玲奈と頷きを交わすと、いづるも言葉を選んで口を開く。


「姉さん、とりあえず……話してよ。義兄にいさんとなにがあったの? いい人だったけどな、義兄さん。真面目で誠実で」

「そうよ、真面目で誠実……仕事にもそうなの」

「えっと、義兄さんの仕事は確か」

「アニメーター……作画監督? とかってのやってるわ。それで今、ずーっと家にいないの……連絡すらくれない。そう、全ては……全てはっ!」


 ガバッ! と顔をあげたあかりは、涙目でソファの上に立ち上がる。


「全ては、!」


 一瞬、部屋の空気が沈黙によどんだ。

 ――ガンダムが、悪い?

 どうにも話が読めないのだが、立ち上がって怒りの拳を天井に突き上げたまま……あかりはボロボロと泣き出した。本当に面倒臭い姉なのだが、これがいづるの大事で大切な家族の一人だ。血は繋がってなくても、本当に心から愛してる姉なのだった。

 ソファの上に崩れ落ちたあかりに、翔子が無言で寄り添い抱き締める。

 一回りも若いお隣さんの胸で、ウオーン! と声をあげてあかりは号泣ごうきゅうしだした。


「ガンダム、ガンダム! ガンダムなのよ……ガンダムがぜーんぶっ、悪いのよ!」

「あかりさぁん、ほら、泣かないで? ね?」

「ううっ、う、うう……ガンダムね、今ね、作ってるの……あいつ、ガンダム作ってて、それで全然家に帰ってこなくて。最初は電話もしたし、メールもしたのに」

「男の人って、仕事で忙しいと時々そうなっちゃんですよぉ。ね? 元気出してくださぁい」

「二言目にはガンダム、ガンダム……ガンダム作れるのが嬉しいって、名誉だって、夢だったって! ずーっと仕事場から帰ってこなくて……びえーん!」


 ようやく謎が解けた。

 いづるも、義兄がアニメーター、それもかなり有名所の人だということは知っていた。ただ、アニメを作る職人さんだけど、真面目で誠実で、そして優しい人だった筈だ。

 そんなことを考えていたら、隣の玲奈が俯き黙ってしまった。

 まさか彼女にとっても、大好きなガンダムに関わる人が、こんな形で涙に濡れることがあるなんて想像もしなかっただろう。いづるにだって予測不能だし、この結果を思い描けるとしたらそれこそニュータイプだ。


「ぐす……で、実家に帰ってきたら、かわいい弟に恋人ができてるじゃない? ……邪魔できないよ、私は嫌。だって……いづるに彼女がいるなんて、嬉し過ぎるんだもん」

「あかり姉さん……あ、あの、姉さん」


 いづるは意を決して、真実を話そうと身構える。

 本当のことで、現実だから言えることがある。

 同時に、そんな現状に甘んじてもいないし、ずっとそれでいいとも思っていない。でも、一つ屋根の下で暮らす玲奈にも、あかりと一緒にここで暮らして欲しいから。

 いづるは、隣の玲奈が握った拳を置く膝に、手を重ねる。

 硬く握り締めた小さな手に手を置いて、そうして話し出す。


「姉さん、あの……本当のこと、話します。僕は玲奈さんのこと……な、なんか恥ずかしいな、照れる。でも……大事に思ってます」

「うん……よかった、いづるもようやく男の子だね。私、ずっと心配してたんだから」

「でも……その、僕たち……。大変なことが玲奈さんには沢山あって、それでゴタゴタした夏でもあったし。それに、まだ高校生だし。なにも……して、ないです」

「…………………………はぁ!?」


 突然泣き止んだあかりは、背中をポンポンと叩いていた翔子を突き飛ばした。翔子は「およよ」とソファに転がる。そんな彼女を放り出すと、立ち上がったあかりはテーブルに、バン! と手を突き顔を乗り出してくる。

 並んだつまみの小皿が小さく浮いて、その後に静寂が訪れた。


「いづるっ! なにやってるのよ……むしろ、ナニをやってないの!? どうして! 健康的な十代の男子高校生でしょ? 思春期真っ盛りでしょ! 右手が恋人なんでしょ!」

「あ、いや……そのぉ」


 かわいそうに、いづるに手を握られたまま玲奈は真っ赤になって俯いてしまった。だが、いづると玲奈の仲の、その現実を知ったあかりは猛烈に怒り出した。


「いい、いづるっ! オママゴトじゃないんだからね、好きな人とはそうするのが、そうなるのが普通なの! 人間的なの! 自然のいとなみ、摂理せつりなの!」

「い、いや、姉さん落ち着いて……えっと」

「キスくらいしたんでしょ?」

「……まだ、です」

「ムラムラ感が薄いわよ! なにやってんの!」

「……なにも、してない、です」


 耳まで真っ赤になった玲奈が、どんどん小さくなってゆく。

 彼女はついに、それでも手を開いていづるの手を握ると、指を絡めてきた。

 不思議と玲奈の手が熱くて、それを握るいづるに熱が伝わって火がともる。まるで着火したように頬が熱くて、いづるはしどろもどろになりながらも言の葉をつむいだ。


「ぼっ、ぼぼ、僕はですね、姉さん! 玲奈さんにここにいて欲しい、気持よく暮らして欲しいんです! またいる場所を、帰る場所を失って欲しくないし、ずっとここに帰って欲しいんですよ。……だから、その、焦らずに、ですね」

「ふーん……言うようになったじゃない? いづる。姉さん見直したわ。で?」


 ちらりと視線が移って、慌てて玲奈はいづるの手を離した。

 それでも彼女は、いつもの毅然きぜん凛々りりしい態度を優しく和らげながら、真っ直ぐあかりを見て喋り出す。その頬が桜色に染まってて、横顔を見やるいづるにはまぶしい。


「あかり姉様、どうぞこの家にいてください……私と一緒に、いづる君と暮らして欲しいんです。私、なにもかも翔子さんに頼りっぱなしで。だから、あかり姉様みたいな方にお手本になってもらって、翔子さんにも教えてもらって……色々できる女になりたいんです」

「玲奈ちゃん……」

「私には帰れる場所がある、こんなに嬉しいことはない……って。でも、それが逆なら、どんなに辛いことでしょう。あかり姉様、姉様の帰れる場所はここです。……私と一緒ではお嫌でしょうか」


 大きくテーブルに身を乗り出していたあかりは、引っ込むやぐるりと迂回うかいしてきて……玲奈を抱き締めた。豊満な胸の膨らみに顔を押し付けられて、玲奈はもみくちゃにされた。


「玲奈ちゃんっ! あーもぉ、かわいい! かわいい、いづるにはもったいない!」

「あ、あの、あかり姉様……うぷ」

「決めたわ、私この家にいる、ここでしばらく暮らすの! 家事も任せて! ……なんて言えない、その、私も若干……でも、翔子ちゃんがいるわ! だから」


 翔子はあいかわらずのにっぽり笑顔で「はい~」と笑っている。

 そうしてあかりは、ガシリと玲奈の肩を抱くと、まるで明日を見詰める希望に満ち溢れた少年少女のように天井を指差す。その先になにが見えているのか、いづるには謎だが気分はわかる。

 そう、あかりは気分屋……それもムラッ気の激しい姉なのだ。


「今日から私が玲奈ちゃんの家族、そしてお姉さんよ! なんでも聞いて頂戴、頼って頂戴!」

「まあ……よ、よろしくお願いします、あかり姉様」


 だが、おずおずとしつつも玲奈は、阿室玲奈は……

 完璧な作法と気遣い、そして優しい性根を持っている彼女の中で、ガノタ特有のどうしても我慢できない気持ちが発作的に持ち上がる。それはもう、一度火が点くと止まらなかった。


「あの……旦那様が作ってる、新作のガンダムというのは!」

「んー? ああ、いいのいいの。あいつねー、昔からアニメ一筋で……そういう一途さ、格好いいじゃない? だーめなのよねー、私も。そういうとこ、大好きでさ」

「私もよくよく運のない女だわ、姉様が戻られての御実家でこんな新作情報に出会うなんて」

「それでねー、なんだっけ? その、ガンダムに昔から憧れてたんだって、そう言うのよ」

「その気持ち、まさしく愛だわ! 乙女座の私にはセンチメンタリズムな運命を感じられずにはいられない」

「そう、愛……私、彼を愛していたわ。愛してるの……でも、彼はガンダムに首ったけよ」


 いやいや、玲奈さんは獅子座でしょうと、心の中で突っ込んでしまういづるだった。

 どうやら玲奈は、ガンダムの新情報が聞きたくてウズウズしているらしい。だが、酔っ払ったあかりが変に話を合わせているので、二人は肩を寄せ合いカオスな会話を広げていった。


「ま、まあでも、いいの……あかり姉様、一緒に暮らしましょう! 貴女あなたは自分の手で、日陽家の歴史の歯車を回してみたいとは思わなくて?」

「そうだー! 私が二人を見守ってぇ、くっつけてぇ、そしてそして……ウフ、ウフフフフ……ウハハハハ!」


 どういう訳か意気投合しつつ、また上機嫌に返り咲いたあかりがソファに戻ってゆく。彼女は翔子におしゃくをされながら、元気に酒を飲み出した。

 それを見守る玲奈は、いづるの視線に気付いてウィンクを投げてよこす。

 そして彼女は……日陽家で一緒にあかりと暮す中で、自分へと一つのかせを設けた。

 それは、あかりのためにも今後は、自宅内ではなるべくガンダムの話題を避けるということだった。だが、いづるにはそれは難しいように思う。新作情報と聞けばウズウズが止められない玲奈にとって、ガンダムの全てがアウトな暮らし……果たしてどうなるのか、いづるには想像もつかないのだった。

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