第38話「昂りの午後」

 校庭に作られた特設ステージで、もうすぐ午後のショーが始まる。

 すで日陽ヒヨウいづるの周囲は人だかりでごった返していた。皆が期待するのは勿論、午後一番で開催される萬代祭ばんだいまつりの目玉イベント、ミス萬代コンテストだ。

 だが、いづるは不安である。

 阿室玲奈アムロレイナがいかに容姿端麗で才色兼備な学園のマドンナだとしても……あの古府谷文那フルフヤフミナが勝算もなく挑む訳がないのだ。文那はきっと、正々堂々と挑んでくるだろう。その上で、彼女には自分が勝つ、勝てるという自信があるのだ。


「はぁ、玲奈さん大丈夫かな……っと、しかし混んできたな。……ちょ、ちょっと、これは」


 周囲は満席で、並べたベンチは既におしくらまんじゅう状態だ。

 そして、いづるは柔らかな弾力に左右から圧縮され、挟まれていた。

 左右から覗き込んでくるおんは、玲奈のクラスメイトの二人だ。


「お、どしたー? いづる、顔が赤いぞ?」

「まあ、どうしたのでしょう……それより、混んで来ましたわね」

「それより、もっとそっちに詰めてよ、やわら

「こっちもこれ以上は……いづるさん、ごめんなさいね」


 両側から壇田美結ダンダミユ山下柔ヤマシタヤワラが身を寄せてくる。

 すし詰め状態の席で、いづるは左右から甘い匂いに包まれていた。心の中で玲奈に謝りつつ、身動きがとれないのでしょうがない。

 夢見心地なのも、うん、しょうがない……しょうがないなあ、デヘヘ。

 そうこうしている間に、どんどん美結と柔は密着度を増してくる。

 自然といづるは、頭の中で必死に違うことを考えた。

 素数を数えてみたりもしたが、服越しに肌で感じるぬくもりにはあらがえなかった。

 ステージで司会者がマイクに叫び出したのは、まさにそんな時だった。


「レディース・アンド・ジェントルメン! 萬代祭、楽しんでるかぁい! 午後のステージは、俺達放送部が仕切らせてもらうっ! で、早速始めようか、ミス萬代コンテストッ!」


 会場から割れんばかりの拍手喝采はくしゅかっさいが響く。

 ステージに起つタキシード姿の放送部員は、観客をぐるりと見渡して得意げだ。


「じゃあ、まずは審査方法を御紹介だ! 今から全員に投票用紙を配る! そいつに書かれた参加者の名前に、一つだけ丸をつけてくれ。そう、君がミス萬代にふさわしいと思った人の名前に丸をつけるんだ!」


 隣の美結から、いづるは小さな紙片の束を受け取った。それを一枚取り、柔へと残りを手渡す。

 見れば、参加者は全員で12人だ。

 そして、いづるは意外な名前を見つけて目を丸くした。


楞川翔子カドカワショウコ……翔子ぉ!? あっ、あいつ、何やってんですよぉ!?」

「ん、いるづの知り合いかー? ああ、翔子ってあの一年の?」

「玲奈さんに唯一勝ったことがある子ですね。わたくしもあのテニスの試合、見てましたわ」


 お隣さんの幼馴染、同級生の翔子がエントリーしていた。

 恐らく、十中八九周囲の人間に担ぎ出されたのだろう。言うなれば彼女は平々凡々な少女で、美少女という形容とは程遠い女の子だ。

 周囲と違って、長らく一緒に暮らしてきたいづるには客観的な評価ができない。誰もが羨む『』というスペックの、その素晴らしさがわからないのだ。それは、毎日ラーメンを食べていればラーメンのありがたみに気付けないのと一緒である。

 だが、突然背後で声がして、いづるの言葉に訂正を挟む。


「いづる、翔子なら運動部の子達に連れて行かれてたぞ。……なんといったか、あの……富野信者とみのしんじゃ? そう、信者君が止めたにもかかわらず、半ば拉致らちされるようにな」


 振り向くとそこには、玲奈の忠実なるメイドにしてボディーガード、来栖海姫クルスマリーナがいた。メイド姿の彼女は、真顔で投票用紙を見詰めている。

 目がわってて、ちょっと怖い。

 アルコールは飲んでないはずだが……ある意味、酒で豹変したあの日の夜より気迫がみなぎっていた。彼女はブツブツと不穏な言葉を並べる。


「まずは、この古府谷文那という女。お嬢様の障害となる者は排除せねば。あとは、お嬢様に勝ったことがある楞川翔子、危険だ。……いっそ、全員やるしかないな」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 海姫さん、何を考えてるんですか、何を」

「お嬢様の勝利は揺るがん。だが、万全を期して敵は事前に排するべきだ」

「いやそれ駄目でしょ。ってか、玲奈さんに怒られますよ?」

「大丈夫だ、いづる。密かに決行予定だ」

「駄目です! ……ちょ、ちょっと! 何で残念そうな顔をするんですか!」


 そうこうしているうちに、ミス萬代コンテストは始まってしまった。

 だが、いづるはステージの上で二年生のお嬢様がセーラー服だろうが、三年生のお姉様がシスター服だろうが、気が気じゃない。

 とにかく、背後で見知らぬ人の間に挟まり思案する海姫を止めなければ。

 そう思っていた時、会場が大きくどよめく。

 それは、ステージで一際華やかな美少女が出てくるのと同時だった。

 彼女は堂々とした歩みで中央に歩くと、駆け寄ってくる放送部員からマイクをひったくった。


「あ、ちょっと! マイク……」

「オーッホッホッホ! 元気のGはG組のG! 二年G組、古府谷文那ですわ!」


 文那が現れたことで、ステージに並ぶ他の参加者達が色褪いろあせてしまった。

 彼女達がかわいくない訳ではない、むしろミスコンに出てくるだけあってとても綺麗だ。だが、文那は格が違い過ぎた。本来の美貌に加えて、普段はお目にかかれない衣装……コスプレ? そして、何より彼女には圧倒的な華があった。

 いるだけで周囲を明るくさせ、見る誰にも平等にときめきを植え付ける。

 そう、ステージは今この瞬間、文那によって支配されていた。

 放送部員の司会者を遠ざけ、マイク片手に文那が観客席を見渡す。

 彼女はいづるを見つけて、パッと表情を明るくした。


「いづる様っ! そこにいらしたのですね……わたくしの晴れ舞台、御覧になってくださいな。今日こそ、あの阿室玲奈をコテンパンにして差し上げますの! ……で、いづる様? その両隣のモブっぽい人達は誰ですの? どうしてそんなにぴったりくっついてますの!」


 こちらを指差し、文那は片眉かたまゆを釣り上げた。

 そして、さらに状況が悪化する。

 客の全てが振り向く中、美結がいづるの腕を抱き締めて舌を出す。

 勝手に女の戦いが繰り広げられる中、どうにか司会者はマイクを取り戻した。


「駄目ですよ、もう! で、古府谷さんのこれはコスプレかな? なんのアニメ?」

「当然、ネオ・ジオンの宰相さいしょうっ! ハマーン・カーンですわ! それも、ZZダブルゼータ版の衣装ですの!」

「そ、そうですか……ふう、黄金聖闘士ゴールドセイントかと思ったです、ハイ」


 司会者の年齢らしからぬボケに会場がドッと沸く。

 そういえばハマーン・カーンという女性キャラがガンダムに、確かZゼータガンダムに出てきたのをいづるは思い出す。その時とは違う衣装で、続編のZZに出てくるものらしい。

 髪型までハマーン・カーンになっている文那だが、唯一縦巻たてまきドリルのもみあげだけが普段通りだった。


「ええと、じゃあ古府谷さん。何か特技を見せてもらえますか? アピールターイムッ!」

「ええ、よくてよ……では、歌います。古府谷文那、『サイレント・ヴォイス』出るっ!」


 文那がポーズを決めてマイクを受け取ると、スピーカーから前奏リフが流れ出した。

 盛り上がる会場が手拍子する中、彼女は颯爽さっそうと歌い出す。その振り付けもさることながら、なかなかの歌唱力……プロ級と言っても差し支えない歌声だった。

 サイレント・ヴォイス、心なしか物悲しい歌詞がメロディにたゆたう。

 これはハマーン・カーンを歌っているのだと、いづるはなんとなく思った。

 あとで玲奈にそのことを聞いてみたい、話してみたいとさえ感じる。

 ばっちり観客の心を掴むと、歌い終えた文那は満面の笑みでポーズを決める。拍手が舞い上がる中、そろそろ次の参加者に……そう思って近付く司会者にマイクを返さない。そのままマイクを握って、文那は手を広げて高らかに宣言した。


「さあ、では俗物共ぞくぶつども……見ててごらんなさい! 今日こそ、このわたくしが勝利するところを! ……出てきなさいっ、阿室玲奈! 他の方など眼中にありませんの……今日こそ、貴女あなたと白黒を付けてご覧にいれましてよ!」


 舞台袖を指差しながら、文那の強烈なマイクパフォーマンス。

 無責任な徴収はいいぞやれやれの大興奮だ。

 異様な雰囲気に包まれる中で、堂々と文那は腕組み待ち受ける。

 いづるは正直、気が気でなかった。先程はああ言ったが、今すぐ海姫に助けに行ってほしいくらいだ。だが、それはできない。何より、玲奈が望まない。

 いづるの好きな阿室玲奈という少女は、誰よりも自分を信じて何からも逃げぬ人だから。

 そして、文那の挑発に応えるように……ステージに玲奈が現れた。

 周囲は一斉にどよめいて、その後でつぶやきとささやきが行き交う。


「おおっ、副会長ぉ! ……なの、か?」

「ちょ、ちょっと……あれは、コスプレ?」

「っていうか、何? 何なのあれ」

「だ、だがっ、なんかこう……萌えっ!」

「ああ、萌え! 萌えだが、言葉にできない! なのに萌える!」


 確かにいづるも、玲奈の姿を見て絶句してしまった。

 ただ、その衣装を用意した海姫だけが、何故か膝の上に両肘をついて手を組み、その奥でほくそ笑むように「勝ったな……」と小さく笑う。

 いや、勝ったな?

 むしろ、ガノタ的にはこうじゃないだろうか?


「はっ、はかったな、シャアッ! じゃない、海姫さんっ! ななな、なんですかあれ! あの衣装! はっ、破廉恥ハレンチです! あんなに肌を露出して、しかもヘソ出しで!」

「落ち着けいづる。私の『勝ったな』は、新世紀エヴァンゲリオンの第弐話だいにわ『見知らぬ、天井』で冬月フユツキ先生が言った台詞せりふで――」

「そういう話じゃないですよ、おかしいですよ海姫さん!」

「大丈夫だ、エヴァはスーパーロボットだからな」

「全然違いますっ、そういう話じゃなくて!」


 そう、誰もが驚いた。

 普段の玲奈からは想像もつかない、一種いけないものを見るような、いかがわしい美しさがそこにはあった。

 いづるは後悔した……あの海姫が衣装を用意すると言った時、確認しなかったことを。

 そして、心の底で少しだけ感謝した。

 こんな格好の玲奈、きっと誰も見たことがないだろうし、自分も初めてだったから。

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