第25話「恋を告ぐ者」

 気付けば日陽ヒヨウいづるは、夕焼けが赤く染まる時刻まで遊びほうけてしまった。

 正確には、いづるをぬくもりと柔らかさのサンドイッチで圧迫していた、阿室玲奈アムロレイナが遊んでいたのだが。彼女は、古府谷文那フルフヤフミナが去ったあと、いづるとおやつを食べて立ち上がる。

 こんな時間になってしまったが、バイトもない彼女のオフみたいな日だ。

 文化祭も近付いていたが、珍しくいつもの四人の放課後だったのだ。


「玲奈さん、やっぱりなんていうか……かわいい人だな」


 前を楞川翔子カドカワショウコと並んで歩くのを見て、いづるはぽつりと呟く。

 学園で一番の才女で、誰もが憧れるマドンナ……そんな玲奈は、いづるの恋人なのだ。そして、玲奈の素顔を誰よりも知っているのは、いづるなのだ。

 だが、やはり気になることが一つだけある。

 公明正大で清廉潔白せいれんけっぱくな玲奈が、文那にいったいなにを?

 いづるには、玲奈が誰かの利を害することなど、想像もつかない。


「文那先輩の逆恨み……とういう訳でもなさそうだし」


 そぞろに歩けば、カラスの鳴き声が朱色の空を渡ってゆく。

 少し前では、翔子が玲奈を相手に一生懸命シノ×ヤマギについて熱く語っていた。どうも彼女のなかでは、鉄血のオルフェンズとかいうガンダムがマイブームらしい。

 玲奈も楽しそうにお喋りして、可憐な笑顔を咲かせていた。

 やはり、ありえない。

 いづるが知る限り、玲奈が人の恨みを買うなんて考えられなかった。

 だが、その時隣で声が上がる。


「いづる少年……なにか考え事かな?」


 富尾真也トミオシンヤだ。

 彼は何故か、普段の眼鏡が知的なイケメンの表情を台無しにしている。どういう訳なのか、クールで澄ましたできる男、全校女子がキャーキャー言ってるナイスガイではない。ぷくーぷくぷくーっと鼻孔びこうが広がっていた。

 頬が赤く染まってるのは、なにも斜陽の光が原因ではない。


「あ、あの……富尾先輩。その」

「君を笑いに来た。そう言えば君の気が済むのだろう?」

「……そんなにおかしいですか?」

「その悩みを与えたのが阿室なら、秘密を知ってるのも阿室なんだよ! ……古府谷文那とのことを考えていた。そうだろう? 少年!」

「え、ええ」


 なんだか妙だ。

 変である。

 勿論、普段から真也は変だ、変人である。おかしい。だが、それはたたの富野信者とみのしんじゃであるという、その一点に凝縮されていたはずだ。それが今、だらしなく鼻の下を伸ばしながら、ぽわぽわに笑顔を緩めている。

 それも気になったが、いづるは文那のことを率直に聞いてみた。


「ああ……俺も詳しいことは知らん。古府谷文那は以前は、セントズィーオン女学院の生徒だった。そして、阿室のライバルとして戦ったのだ。その名は"ズィーオンの赤い彗星"として有名なのだが」

「ええ、それは知ってます。じゃあ、怨恨えんこん? いや、そんなことないですよね」

「うむ。あの女は気位が高くてな。卑劣を一番嫌う女なのよね」


 それに、いづるは知っている。

 体育祭で一緒に戦った、文那の生真面目で気高い気持ち。彼女は常に王者の風格で、正々堂々をモットーとしている。さっきのゲーム対決だって、自分で対戦用のツールを作るくらいだから、いくらでも己を有利な状況にできた筈だ。

 だが、彼女は玲奈と同じ、ゲームで実際に努力と時間を費やすデータしか持っていなかった。そして、ジェガン部隊をあーだこーだ言うわりには、シャア専用ザクやシャア専用ズゴックなど、性能より趣味を追求した機体も使っていたのだ。

 うすうす、いづるは気づいている。

 だから、文那が嫌いになれないのだ。

 ――姿

 そう、文那は玲奈によく似ていた。

 多分、そのことを指摘すると、ものすごく怒るだろうが。


「文那先輩って、なんで玲奈さんと仲良くできないんでしょうか。同じガンダム好き、ガノタなのに」

「憎しみ合うのがガノタじゃないでしょ……そう、いづる少年の言う通りだ。以前は富野御大の作品以外をガンダムと認めていなかった、それが俺という男だ。しかし、今は違う」

「富尾先輩が言うように、えっと、富野監督? の作品も素晴らしいですけどね。僕は、一番最初のと、あとはZゼータガンダムをみました」

「俺も、00ダブルオーSEEDシードをみた。どれも個性があって名作だな!」


 だが、真也はふと思い出したようにポツリとこぼした。

 それは、文那の謎を解く鍵なのだが……今のいづるには、それを差し込む鍵穴が見えていない。はめ込む先を持たぬそれは、まだ言葉でしかなかった。


「そういえば……古府谷文那は何故、ガンダム好きのガノタを隠しているんだろうな」

「ああ、そうですね。体育祭でも、そのことを必死に取り繕っていました」

「阿室のように、あけすけなく好きでいられたら、それは幸せなのだろう。だが、そう思う時、焦ったら負けなのよね。古府谷文那には、事情があるのかもしれん」

「事情……ガンダム好きを公言できない事情」


 例えば、玲奈と家に帰れば姉の日陽あかりがいる。あかりは現在夫と別居中で、実家に戻ってきているのだ。ラブラブ天驚拳てんきょうけんを絵に描いたようなおしどり夫婦だったあかりを引き裂いたのは……ガンダムだ。

 あかりの夫はアニメーターで、今はガンダムにかかりきりなのだ。

 それであかりは、ガンダム憎しというガンダム嫌いをこじらせてしまった。

 最近はまた古巣のテレビ局でお天気お姉さんを始めた。

 働いてる姉は、実家でのだらしなさといやらしさが嘘のように格好いい。

 だが、玲奈はそんなあかりにガノタである自分を隠す日々が続いていたのだった。


「ふむ……やっぱり、今度僕から玲奈さんに聞いてみようと思います」

「それがいい、いづる少年。俺も阿室のライバルを自称する男、古府谷文那は他人とは思えん。ま、まあ、時々他人のフリでやり過ごしたくなるがな」

「まあ、そう、ですね」

「で、だ……いづる少年っ!」


 不意に真也がいつもの生真面目な顔に戻った。

 その表情は、夕日を反射する眼鏡で目元の感情を覆う。

 彼は、ちらりと前の二人を見てから、いづるに声をひそめてくる。


「いづる少年……一つ聞かせてくれ。楞川には」

「へ? 翔子ですか?」

「そうだ! ええい、声が大きい!」

「す、すみません」


 また真也は、ちらりと前を歩く二人を見て、翔子を見詰める。

 そして、再び小さな呟きをもらした。


「……楞川は、今……好きな異性はいるのだろうか」

「え?」

「もうっ、察しなさいよ! 楞川に彼氏がいるか聞いているんでしょう?」

「い、いないと、思いますけど」

「因みに、いづる少年! 君は!」

「た、ただの、幼馴染のお隣さんです」

「ふむ! 私は運がいい……」


 ここにきていづるは、ようやく鈍いなりに理解した。

 それはつまりこういうことです。

 富尾真也は、楞川翔子に恋をしたのだ。

 それを頭で文字にしてみて、いづるが驚きの声をあげた。


「えっ、富尾先輩! そ、それって!」

「少年、声がでかいよ! なにやってんの!」

「す、すみません」

「いづる少年……男と見込んだ。楞川との縁をとりもつのを頼みます!」

「え、僕がですか? ま、まあ、普通にやってみますけど。っていうか、富尾先輩なら普通に翔子に好かれてますけど? 普通でいいと思いますけど」

「普通にやっていますって言うのは阿呆の言うことだぁ! ……ま、まあ、うん。その……人には恥ずかしさを感じる心があるということも。おっ?」


 気付けば、夕焼けの中で玲奈と翔子が振り返っていた。

 彼女たちは笑顔で互いを見て頷き合い、また笑う。


「こら、遅いぞ? 二人共。男の子同士、仲がいいのね」

「わぁ、玲奈先輩……それって? それってやっぱりぃ、いづちゃんが受けってことですか!? 総受けですか!?」

「ふふ、冗談はよして頂戴。でも……仲がいいのは良いことだわ。ね? 富尾君?」


 そう言って玲奈は、ふと視線を外す。

 朱に染まる夕暮れの街を見て、彼女は小さく零した。


「文那さんとも仲良くできたらいいのに」


 そう言って寂しく笑い、玲奈はまた歩き出す。その横にべったりくっついて、翔子は最近はアトラ×クーデリアも好きなのだと喋り続ける。

 そんな二人を追いかけ、いづるも追いつくために歩調をあげた。

 隣の真也は、何故か実感がこもった目で玲奈を見ている。

 その瞳はいつになく優しげで、そして穏やかだった。


「ン、とりあえず阿室っ! 俺もそのゲーム機を買うことにした。お前が遊んでいるのを見ていたら、面白そうだったからな。見せてもらおうか……Gジェネの新作の面白さとやらを!」

「あら、富尾君。Gジェネ、やったことがあるのかしら?」

「小さい頃、古いものを何本かな。あれはいいものだ! ……阿室っ、お前は知るまい。GCD!」

「まあ! そんなことをしたら壊れてしまうわ。機械オンチの私でもわかります」

「フッ……あとでニコニコ動画で検索してみるのだな! フハハハ!」

「グーグル検索というやつね……あれは難しいものよ。でも、やってみるわ!」


 こうしていづるたちの日常がまた一日、暮れてゆく。

 来週からは文化祭の準備が本格化し、季節も十月を折り返そうとしている。既に日は短くなって、秋の風は夕方ともなれば随分と冷たい。

 季節のうつろいを感じる中で、いづるは謎を謎のまま胸の奥にしまった。

 それをいつか、玲奈と紐解き解決することを願って。

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