第2話「文那、ガノタと叫ぶ」

 二学期の初日は始業式、そして簡単なホームルームだけで終わった。お昼にもまだ早いかなという時間帯、日陽ヒヨウいづるはいつもの面々と絶賛寄り道中……こうしたなにげない日常が、彼にとってはなによりも幸せだった。

 何故なら、もう側には阿室玲奈アムロレイナがいてくれるから。

 いつも、いつでも、いつまでも……彼女の隣にいたいと願う。

 そんないづるの、どこか老成して達観した生温かい視線は、玲奈の横顔に注がれている。


「翔子さん、やっぱりかき氷はこうして食べないと駄目ね……この下町ダウンタウン感あふれるシチュエーションが、私はとても気に入ったわ」

「ここの駄菓子屋さん、百円でかき氷が食べられるんですよぉ! わたしは抹茶ラズベリー味が好きです。玲奈先輩は、イチゴ味ですねえ」

「ああ……おいひい。美味しいわ! これは……ッ! あ、頭が!」

「あっ、玲奈先輩! キーンて来ましたぁ? キーン、て」


 一同は今、氷と書いた旗が揺れる駄菓子屋の軒先に腰を下ろしている。くたびれて色あせたベンチに並んで、おやつの真っ最中だ。この後は商店街でぶらりと買い物をしつつ、軽く昼食も済ませる予定である。

 日陽家の女将おかみさんである楞川翔子カドカワショウコの食材購入に付き合い、荷物持ちをするのだ。

 玲奈はこめかみを指で抑えつつも、その表情は穏やかに笑っていた。


「……強化し過ぎたようね。ギュネイやマシュマー、プルツーたちもこの痛みを感じたのかと思うと……ああ! でも、頭が痛いのに、かき氷がやめられないわ!」

「慌てて食べるからですよぉ、玲奈先輩。……はぐぅ!? わ、わたしも、頭が」


 なにやってんだか、と苦笑するいづるの隣では、富尾真也トミオシンヤがブルーハワイ味を食べている。舌を真っ青にしながら、彼はじっと翔子のことを見詰めていたが、いづるの視線に気付くと咳払いを一つ。そうして黙々とかき氷を食べ始める。


「そういえば、富尾先輩。翔子の奴、結局どこかの部に入れられちゃったんですか?」

「うむ、それだがな……いづる少年。彼女は『いづちゃんのお世話がありますからぁ』などと言ってだな」

「……富尾先輩、モノマネ全然似てないですよ」

「ン、そうか……まあ、結局運動部の連中は諦めてくれた。阿室に勝った奇跡のヒロインの、その威光が欲しいだけなんだが、しょうがない連中さ」


 そう言って肩をすくめる真也の言葉に、早くもかき氷を完食した翔子が割って入る。


「わたしはほらぁ、いづちゃんと玲奈先輩を見守るって決めたし! でも、生徒会は二学期はすっごく忙しいって聞いたから……わたし、玲奈先輩と富尾先輩、お手伝いするねっ」


 どこまでも甲斐甲斐しい、まるで新妻風にいずまふうなのにおっかさん的な母性丸出しの笑顔があった。そんな翔子の緩い笑みに、自然と真也も頬を崩す。

 いつもの四人の学園生活が、また始まったのだ。

 残暑も厳しい中で、いづるは不思議と奇妙な安堵感に満たされてゆく。

 楽しくも波乱万丈だった夏休みが、今は遠い昔のように感じられた。


「そう言えば、阿室っ! 二学期には秋の体育祭、そして文化祭もある! イベントは目白押しだ……会長を補佐して、我々生徒会メンバーも忙しくなるぞ」

「ええ……相手にとって不足はないわ。それに、とても楽しみ」

「そうでもあるが! や、やはり人手不足は深刻だと言わざるを得ない。だ、だからだ! だから俺は楞川に面倒見の良さを感じて、それで生徒会のメンバーに、だな。だが、これはナンセンスか?」

「いいえ、ちっとも。ふふ、そういうことにしておいてあげるぞ? 富尾君」


 なんの話だかわからないが、玲奈は機嫌良さそうにかき氷をシャクシャク食べている。いづるはただただ、にっぽり笑顔の翔子と顔を合わせて首を傾げるだけだった。

 それにしても楞川翔子、相変わらずだが……よく食べる。

 抹茶ラズベリーなる悪趣味なかき氷を食べた後で、駄菓子屋に並ぶ品物を物色し始めた。ここは数十円でも満足の行く買い食いができるとあって、周囲の子供たちには人気のスポットだ。

 そうこうしていると、じっと玲奈がいづるを見詰め、その手元へ視線を落す。


「いづる君は何味を食べてるのかしら」

「あ、これですか? レモン味ですね」

「……ひ、ひひひ、ひっ」

「ひ?」

「一口! 一口だけ、いいかしら」

「いいですよ、どうぞ」


 かき氷が盛られた紙コップを、いづるは玲奈の前へと差し出す。彼女は自分のスプーンでそれをすくって、はむ! と一口で頬張った。そして、うっそりとまなじりを緩めて甘美な氷菓ひょうかの世界へと旅立ってゆく。


「レモン味も美味しいわ……御屋敷で海姫マリーナが作るジェラードもいいけど、こういう庶民的な味が私にはとても新鮮」


 海姫とは、かつて玲奈の御屋敷で働いていた専属メイドにしてボディーガード、来栖海姫クルスマリーナである。仏頂面の無表情がデフォルトな女性だが、心から玲奈のことを想ってくれている、家族にも等しい存在である。

 その海姫だが、日陽家には頻繁に顔を出し、その都度いづるに釘を刺してくる。

 勿論、いづるだってやましいことはないし、理性を総動員して暮らすつもりだが……海姫はいつも、いづるが玲奈と一線を超えてしまうことを心配しているのだった。だが、いづるには不幸な事件で同居人となった玲奈の、行くあてのない現状に付け入るようなことはしたくない。

 それに、一緒に暮らすだけでもう、いづるの気持ちは満たされていた。

 あのムッツリスケベないづるが、ここ最近は悟りに境地に達した賢者のようである。

 そんなことを考えていると、頬を赤らめうつむきつつ……玲奈が隣で上目遣いに見上げてくる。


「美味しかったわ、いづる君! レモン味も悪くないのね……シャア専用っぽい色に釣られて、イチゴ味を選んだけど……黄色だとやっぱり、サンダーボルト版の旧ザクかしら。……ザクレロ? ふふ、冗談はよすのよ」

「え? あ、いや……まあでも、これからは毎日だって寄り道できますよ。九月もまだまだ暑いですし」

「そ、そうね! そうなのよね! それで……一口貰ったんだから、いっ、いい、いづる君も! 私のかき氷を一口食べるべきだわ。ええ、そうするべきよ!」

「は、はあ」


 じゃあ、といづるが玲奈の紙コップにスプーンを向けた、その時だった。

 玲奈は震える手でスプーンを持ち直すと、イチゴ色の甘い香りを一口すくって……それをいづるに差し出してくる。


「どうぞ! さあ! いづる君! ……はっ、早く。パクリと食べるべきだわ! 男らしく、一口で! いさぎよく、一気に!」

「えっと、じゃあ……いただきます」


 はむ、と一口でいづるは、玲奈のスプーンからかき氷を食べた。なんだか、かき氷よりもプラスチック製のスプーンの方が……甘い気がする。玲奈の口に出入りしていた、彼女の唇と舌が触れていたスプーンが、あっという間にいづるの身体に火を付ける。

 妙に火照ほてって熱くなる頬を、その紅潮こうちょうする赤面を気取られぬよう、いづるは平静を装った。

 やはりというか、二期でもいづるはたぐいまれなるムッツリスケベなのだった。


「お、美味しい、です」

「ええ、とても美味しいわね。プルがパフェにハマって、マリーダもアイスを好きだと言ったわ……冷たい甘味は、これぞまさしく人の心の光よ」


 そう言うと、照れ笑いに玲奈は再びかき氷を食べ始める。先程いづるがめたスプーンが、今度は玲奈の口へと運ばれる……高校生男子の青い妄想力が爆発して、いづるは言い知れぬ興奮に慌てて話題を変える。


「そ、そういえば、玲奈さん。あの……今朝の古府谷文那フルフヤフミナさんって方は」


 いづるが今朝方の校門で出会った、真っ赤な縦巻きロールの少女の話を持ち出す。すると、玲奈は自然と真也と一緒に鼻で笑って、小さな溜息を同時に零した。


「いづる少年、あの女は……古府谷文那は――」

よろしいですわ! そんなにわたくしのことが気になるなら……教えて差し上げます!」


 突如、甲高い声が響き渡った。

 そして、駄菓子屋が接する道路に金色のリムジンがやってくる。……そう、金色、金ピカ……リムジン・オブ・ゴールドである。趣味が悪いというレベルを通り越して、妙な執着しゅうちゃく妄念もうねんさえ感じる車体から、一人の少女が降りてきた。

 鮮やかなくれないの髪をひるがえすのは、話題の古府谷文那だ。


「ごきげんよう、皆様。こんな所で寄り道、あまつさえ買い食いなどと! これでは、人に品性を求めるなど絶望的ですわね」


 思わず『百』と書きたくなるようなリムジンで登下校している人間には言われたくない。いづるはそう思ったが、チベットスナギツネみたいな顔になってる翔子も同意見のようだ。

 それでも玲奈は、かき氷の最後の一口を食べ終えるや、立ち上がる。


「ごきげんよう、文那さん。丁度今、貴女あなたの話をしていたところよ」

「あら、そう……では、いづる様に私の高貴なる戦い、そしてそれを踏みにじってきた貴女の所業しょぎょうが伝わったということなのね?」


 なにを言ってるんだ……? 時折ヒートアップする真也の富野節とみのぶしの方が、まだ日本語の文法として自然に感じられるいづるだった。

 それより、

 文那はニッコリと微笑み、いづるの前にしずしずと歩いてくる。


「いづる様、今朝ほどはありがとうございました。助けていただきましたのね、わたくし……これは正しく、愛ですわ!」

「あっ、愛!?」

「ええ……身をていしてわたくしを守った、その気持ちがわたくしといううつわの中に注がれましたの」

「いや、勘違いですけど」

「了解しましたわ、貴艦あなたのハートは撃沈しますの」

「……日本語、通じてますか、あの」


 その時、そっと真也が耳打ちしてくれる。

 この女は……文那は昔から思い込みが激しいのだ、と。

 そして、どうにも現状がよくわからないいづるの前で、文那は言葉を続ける。


「わたくし、かつてはセントズィーオン女学院では"ズィーオンの赤い彗星すいせい"と呼ばれてましたのよ? 罪なわたくし……なにをやっても人並み以上にしか振る舞えず、常にトップ。ああ、なんて罪深い!」

「は、はあ」


 どこかで聞いたことがある話だ。それは、以前の玲奈にちょっと似ている。

 そして、文那の話はどうやら玲奈と深い関わりがあるらしい。


「しかし、そんなわたくしの前に立ちはだかった強敵……ライバルと認めて差し上げてもいい方、それが……"萬代ばんだいの白い悪魔"、阿室玲奈ッ! そう、わたくしの苦難はあの日――」

「いづる君、駄菓子というものに興味があるわ。店の中も見ましょう」

「ちょ、ちょっと! わたくしを無視するのはおやめなさい! ……貴女、いつもそうですわ」


 なんとなーく、いづるには二人の背景が読めてきた。

 そして、それを裏付けする文那の言葉と、隠された真実を呟く真也の声が重なる。


「テニスに陸上競技、そして水泳……あらゆる分野でわたくしの前に立ちはだかり、ズィーオンの勝利の栄光を阻んできた怨敵おんてき、それが阿室玲奈ッ!」

「阿室は昔から、生徒会のかたわらいろんな部活を助っ人として手伝っていたのだ」

「スポーツだけじゃありませんわ! 演劇部や吹奏楽部でもわたくしは……忌々いまいましい阿室玲奈」

「ただの逆恨みだ、気にするないづる少年」


 だが、どんどん盛り上がる文那がどうしてもいづるには、悪い人には見えない。

 痛い人だが、悪気はなさそうだ。


「えっと、文那先輩……あ、こう読んだら失礼だな。えっと」

「よくてよ、いづる様! なんならわたくし、スパッツ姿にパーカーを羽織はおってもいいわ」

「へ? あ、あれ、それって」

「! なっ、ななな、なんでもなくてよ! それより!」


 なんだかいづるは、すごーくよく知ってる人物に文那が似ているような気がした。

 そして、その予感は的中する。


「阿室玲奈っ! 貴女が忘れても、わたくしは忘れませんわ……あの日、あの時、あの瞬間の屈辱! 憎らしくも好敵手として、ある種の尊敬すら感じていたわたくしの気持ちを……貴女は卑劣な軽薄さで裏切りましたわね!」


 その言葉に、玲奈は腕組み小首をかしげた。目をつぶって「むーん」と小さくうなり、考え込んでしまう。どうやら記憶を掘り返しているようだが、文那の言うような過去は発掘できないらしい。だが、文那の剣幕たるやそうとうなものだった。

 そして、彼女は一方的にいづるが好意を自分に持っていると勘違いしている。

 その反動もあって、彼女はふんぞり返ったドヤ顔で必殺の一言を言い放った。

 ――彼女にとって切り札らしかった、玲奈を失墜させるであろう一言を。


「いづる様、お聞きになって……実は……ええ、実は! ! !」


 静寂が駄菓子屋の前を支配した。

 熟考にふけっていた玲奈も、顔をあげるや「あら」と小さくこぼして目を丸くする。翔子は先程からずっとフラットな顔で表情を失っていたし、真也も真顔になってしまった。

 そう、阿室玲奈はガンダムオタク、ガノタだ。

 それはもう、

 学校でさえ、既に彼女は隠すことをやめているのだった。


「……えっと、文那先輩? それは」

「いづる様、この女はガノタ! ガンプラを買って作り、あまつさえプレミアムバンダイで限定ガンプラをも物色する女なのですわ! 更にはジオン系よりやや連邦系を好み、あ、でも、リックディアスとかは格好良くてよ、あれはいいものだわ! ……ン、ンンッ! ン! と、兎に角! Blu-rayブルーレイで全ガンダム作品を持ってるような、部屋にポスターや副読本ムックがあるような女ですの!」

「ええ、そうですけど」

「……ほへ?」

「玲奈先輩はガンダムがすっごい好きで……時々一緒に見ますけど」

「一緒、に? それは」

「僕たち、えっと……あ、なんか恥ずかしいな。玲奈先輩、すみません、でも……僕たち、付き合ってるつもりなんですけど」


 ガーン! という音が聞こえてきそうなくらい、見るからにショックというオーバーアクションで文那は怯んだ。そしてそのまま、よろよろと後ずさって金色のリムジンに寄りかかってしまう。慌ててリムジンからは、二人の男が降りてきた。黒服にサングラスで、見るからにボディーガードという感じだ。

 だが、そんな二人を文那は気丈にも押しやり、手で制する。


「だ、大丈夫でしてよ、呂辺ロベ亜堀アボリも。わたくしは平気、車にお戻りなさい」


 文那はどうやら、いづるの前で玲奈の正体をあばき、失望して欲しかったらしい。だが、ガンダムごと玲奈にホの字ないづるには、なにがなにやら訳がわからない。いまさら感が漂う中で、見かねた玲奈が言葉を返す。


「情けない方」

「なんですって! 阿室玲奈、ガノタであることが皆に露見してると、なんで気付かないのかしら!」

「貴女こそ」

「トーンダウンですって……ハッ!」


 冷静な玲奈の言葉で、どうやら気付いたようだ。

 そう、文那は……玲奈がガンダムオタクであることを暴露ぼうろしようとして、同時に自分もそうであることを語ってしまったのだ。それも、高らかと饒舌じょうぜつに。


「ま、いいわ。事実ですもの。文那さん、貴女が言うように、貴女以上に私はガンダムが好きよ。そして、それ以上にいづる君が」

「そ、そんな……この世にガンダム好きな女子を認めてくれる殿方とのがたがいるはずが! だって、わたくしは! いつも!」

「文那さん。かつて幾度もまみえた、貴女は確かに私の宿敵で、よきライバルだったわ。そして薄々察していた……同じガンダム好きだと」

「……フ、フフ……わかりましたわ! 理解しましてよ、阿室玲奈ッ! やはり、私が心を奪われたいづる様は、素晴らしい方……ガンダム好きな女子を受け止めてくださる器なのね!」


 やばい、なんだか文那が暴走気味だ。やはり真也の言うように、思い込みが凄く強い娘らしい。そこで玲奈の、決定的なトドメの言葉が放たれた。


「これからも仲良くして頂戴ちょうだい、文那さん。さ、いづる君……帰りましょう。

「なんとぉーっ! ……い、今、なんとおっしゃったのかしら? ミノフスキー粒子が少し濃くてよ、聞こえない……アーアー! アー! 聞こえませんわ!」

「私、いづる君の家に御厄介ごやっかいになってるわ。


 その言葉で、文那は固まってしまった。そして、恐らくアニメ的表現ならそのままネオ・ジオングからまろび出たシナンジュのごとく、ボロボロと風化してちりと化しただろう。それくらい、いづるにはショックを受けていたように見えた。

 そんな彼女に優雅に一礼して、ゴミ箱に紙コップやスプーンを片付けた玲奈が歩き出す。知らぬ間に駄菓子を買い込んだ翔子も、真也と一緒に後に続いた。

 いづるは最後に、文那の表情を覗き込んで、いたたまれなくなって声をかける。


「あ、あの、文那先輩。お気持ちは嬉しいですけど……でも、友達でよかったら是非。僕、文那先輩のこともガンダムのことも、まだまだ知らないことばかりですし。そ、それじゃあ、失礼します」


 いづるが玲奈の背を追いかけ小走りに駆ける、その背中は通り過ぎる風の音を聴いていた。まだまだ暑い盛りなのに、不思議と秋風の冷たい気配が感じられるのだった。

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