シャア的なのが来る

第1話「阿室・リターン」

 九月一日、始業式。

 誰もが皆、健康的に焼けた小麦色こむぎいろの肌を笑顔で飾っている。

 ここは私立萬代学園高等部しりつばんだいがくえんこうとうぶ、正門……日陽ヒヨウいづるはまた、この学舎まなびやに帰ってきた。

 長い夏休みが終わり、今日から二学期が始まりである。

 周囲からの視線を感じてこそばゆい中で、いづるは気持ちも新たに一歩を踏み出そうとしていた。勿論、周囲がひそやかな声を交わし合って目をうるませ見やるのは、いづるではない。


「見て見て、ご覧になって……なんだか、こう」

「ええ、ええ。以前とは雰囲気が……御屋敷おやしきの方、大変だったと聞いてますわ」

「以前の張り詰めた緊張感というか、圧倒的に怜悧れいり玲瓏れいろうな凛々しさもいいけど」

「なぜかしら……前よりずっと優しく、柔らかに見えますの。そして、とてもお美しい」


 濡れた眼差まなざしがいづるを通り越して、その隣に立つ人物へと注がれてゆく。

 いづるの隣には、さも当然のように一人の少女が立っていた。私学しがく故に独特なデザインの制服も、一種ドレスのように着こなす美麗びれいたたずまい。見るもの全ての呼吸と鼓動を支配する、精緻に作り込まれた美の結晶……神話の妖精や女神、天使を髣髴ほうふつとさせる姿。

 そんな彼女は、隣で思わず見詰めてしまったいづるに笑いかける。

 その声は、染み渡る清水のように澄み切って、心地よく鼓膜に浸透しんとうしてきた。


「さ、行きましょうか。いづる君」


 彼女の名は、阿室玲奈アムロレイナ

 

 そう、彼女……恋人。

 そして、今や同じ屋根の下で暮らす同居人である。言うなれば二人は、毎朝起きて最初に顔を合わせる男女であり、同じ風呂に入って、同じ洗濯機で下着を一緒に洗う仲だ。

 数奇な運命が二人を近付け、互いが望むままに今の形に収まったのである。

 そのことをいづるは、今でも夢のように感じていた。

 だが、夢ではない……まして、アニメじゃない。現実なのさ!


「あ、あの……阿室さん」

「ん? あら、ちょっと硬いぞ? キミ、二学期だからって、学校だからって……それは駄目」

「え、えっと……玲奈、さん」

「よろしい! なにかしら? いづる君」


 阿室玲奈、17歳。生徒会副会長にして、学年成績トップの才女、スポーツ万能のパーフェクトヒロイン。非公認のファンクラブまであり、誰が呼んだか"萬代ばんだいしろ流星りゅうせい"という通り名まである。まるで漫画かラノベのヒロインような、高スペックガール……わかりやすくガンダムで例えるなら、彼女はフルセイバー装備のダブルオークアンタ位に凄いのだ。

 その彼女の勝ち気な笑みに、おずおずといづるは言葉を選ぶ。


「学校では……僕たち、一緒に暮らしてるってことは……せておいた方が」

「あら、どうしてかしら? 私にはなにもやましいことはないわ。そっ、それは……確かに、いづる君と正式に、ごにょごにょ……まだ、苗字みょうじも同じになってないのに、その……でも! 隠し立てする必要はなくてよ!」

「い、いやぁ……僕にあるというか、僕の生命に関わるというか」

「……そうなのかしら?」

「そうなんです」

「まあ、いいわ。率先して吹聴ふいちょうする必要はないわね。……これって、二人だけの秘密ってことかしら? ふふ、悪くないわ。二人だけの……秘密の、関係」


 ニコリと笑う玲奈は、普段のました笑みとは違う印象をいづるにだけ与えてくれる。こういう人懐ひとなつっこい、飾らない笑顔を見たのは、多分いづるが最初だと思う。彼女は今は、最強のヒロインであると同時に、等身大あるがままの阿室玲奈でいてくれるのだった。

 だが、玲奈とは逆の隣側から、唇をとがらせる抗議の声があがる。


「ちょ、ちょっとぉ、玲奈先輩? それ、二人だけの秘密じゃないですからねー? わたしも一緒、みんなの秘密……わたしたち、そういう仲なんですからねーっ?」


 頬をプゥ! と膨らませているのは、いづるのお隣さんで幼馴染、楞川翔子カドカワショウコだ。日陽家で家事一切を取り仕切ってる彼女は、いわばいづるにとって家族も同然。姉であり母であり、そして今は小うるさいしゅうとめさんみたいなものだ。

 いづるにとって、玲奈と同じくらい大事な存在。

 そんな彼女は、にっぽりと緩い笑みを浮かべている。


「玲奈先輩っ! 今日から二学期、また一緒に登下校できますねっ!」

「ええ、翔子さん。今度は帰る場所も同じだから……沢山寄り道できてよ? 今から楽しみね。ハレルヤ、世界の好意が見えるようだわ……」

「とりあえずぅ、今日は駄菓子屋さんでかき氷! まだまだ暑いし、おやつ食べていきましょうよぉ」

「嬉しいわ、翔子さん! 阿室玲奈、お小遣こづかい持参でおともします! ……放課後が楽しみね」


 この調子である。

 二人は仲が良くて、でも時々見えない火花を散らしたりしていて、でもその意味がいづるにはわからない。ただ、ハッキリしているのは……翔子は玲奈が好きということだ。二人は互いに同じ想いを共有してるらしくて、そこにいづるの踏み込める余地はない。

 しかし、本気で付き合う二人だから、本気でぶつかり、本音で許し合う。

 そういう女の子同士の仲には男子は割って入れないと、いづるは酷く実感するのだった。

 そうこうしていると、つぶやきとささやきが取り巻く中、玲奈が校門をくぐる。

 彼女は両手をあげると、周囲を見渡し声高に宣言した。


「阿室玲奈、また皆様と共に、ここに置いていただきます!」


 なんだかよくわからないが、月の女王みたいな威厳があって、周囲から拍手が巻き起こる。そんな中で、相変わらず人心を惹きつける無双のカリスマに、訳もなくいづるは感動していた。

 隣ではニコニコと翔子が、ゆるーい笑みを浮かべている。

 だが、彼女がそうして笑っていられるのも、この瞬間までだった。


「おお、いた! いたぞ! こっちだ!」

「楞川翔子だ、校門前! 急げっ!」

「各機、援護しろ! 勧誘かんゆうは俺がする!」

「秋の新人戦、部が県大会に出れるか出れないかなんだ! やってみる価値はありますぜ!」


 不意に、雑多なユニフォームや道着を着た一団が駆けてくる。男も女もごった煮で、彼らは真っ直ぐに翔子を目指していた。

 いづるには、その理由が少しわかる。

 知りたくもないが、わかってしまう。

 翔子は夏休みの登校日、ふとした些細ささいな行き違いから玲奈とテニス対決を行った。全校生徒が注目する中で行われた決戦は、萬代の白い流星こと玲奈の、初の敗北という結果で幕を閉じたのだった。今、翔子は学園で唯一、あの玲奈に勝利した少女なのだった。

 そして、いづるは押し寄せる一団の先頭に見知った顔を拾う。


「すまんが……みんなの命をくれ!」


 どうやら、翔子を部活に勧誘、マネージャーとして招聘しょうへいしようとする一団の急先鋒は彼のようだ。整った顔立ちに眼鏡をかけた、その姿はもはやいづるには見慣れた親しさが感じられた。


「あっ、あの! 待ってください、富野信者とみのしんじゃ先輩!」

「誰が富野信者か! そうでもあるがっ! ……ええい、どけよやぁーっ!」


 あっという間にいづると玲奈の隣から、翔子が連れさらわれた。

 ワッショイ! ワッショイ! と、男女の別なく各部の部長たちが翔子をさらってゆく。呆気あっけにとられて見送るしかできないいづるは、玲奈と共に胴上げ状態で運ばれてゆく翔子を見やる。彼女は半べそ状態になりながら、校門の向こう側へと消えていった。

 あれは多分、始業のベルが鳴るまでずっと、入部届を突き付けられるだろう。

 彼女は玲奈を倒した唯一の女子、この萬代学園高等部の新たなニューヒロインなのだから。


「ええい、俺らで翔子ちゃんをすんだよ!」

「生徒会にだけにいい思いはさせませんよ!」

「野球部、合流遅いよ! なにやってんの!」

「とりあえず生徒会室に運ぶ! そこで翔子ちゃんと……添い遂げるぅぅぅぅぅ!」

「ふええ、いづちゃーん! 玲奈先輩ぃぃぃぃ! た、たしけてぇぇぇぇ!」


 連行というよりは運搬という体で、翔子は消えていった。

 だが、その拉致犯の主犯格、生徒会書記が戻ってくる。彼は神経質そうに眼鏡のブリッジを上下させながら、玲奈に向かって真剣な表情を向けた。


「いいか、阿室ッ! そしていづる少年も! 俺は富尾真也トミオシンヤ、それ以上でもそれ以下でもない……それと! 阿室、気をつけろ……がどうやら、我が校に転校してくるらしい」

「あら、あの女というのは……彼女しかいないわね。忠告ありがとう、富野信者君」

「富尾真也! お前の永遠のライバル、真のライバル、富尾真也だ! ではさらばだ……今は楞川を生徒会へ入れねばならん! また会おう、いづる少年! そして、阿室っ!」


 なんだかよくわらかないが、シュタッ! と挨拶して真也は行ってしまった。

 そして、二人が共に語る「あの女」とは?

 嫌な予感しかしなくて、いづるがそれでも玲奈に微笑みかけた、その時だった。

 妙に真剣な顔をする玲奈は、いづるの顔を見ていつもの飾らない笑顔を見せてくれた、のに、それなのに――


「とりあえず、行きましょうか、玲奈さん。今日は始業式だけだし、少し遊んで帰りましょう」

「ええ、いづる君! 翔子さんも言ってたわ……駄菓子屋でかき氷。まさに、我が世の春がきたわ! そ、それでね、いづる君。そのあと、もしよかったら……私、一緒に――」

「また会えましたわね! 萬代ばんだいしろ悪魔あくま! 阿室玲奈っ!」


 その声は、頭の上から降ってきた。

 何事かと首を巡らし、最後には空を仰いでいづるは絶句する。それは、恐らく同じ導線で視線をようやく声の主に重ねた玲奈も同じだろう。

 その場の誰もが、高笑いと共に降ってくる声に、残暑厳しい朝の日差しを振り返った。

 そしていづるは、縦巻きロールの赤髪をなびかせる少女の姿を目にする。


「オーッホッホッホ! お久しぶりですわね……萬代の白い悪魔、阿室玲奈!」

「その声……邪気が来たわね! 古府谷文那フルフヤフミナ!」


 玲奈が身構えたその先、校門の左右に立つ石の柱の上に……人影があった。

 ――古府谷文那。

 玲奈は確かに、その縦巻きロールの美少女をそう呼んだ。美少女、そう……初対面で見るいづるが、特異で突飛な状況下でもそう思えるほどに美しい少女だった。この残暑厳しくけだるい朝に、こともあろうか高い高い校門の上に立っているのだ。その常軌を逸した行動で身を晒しているにもかかわらず、高笑いを響かせる彼女がいづるにはかわいい女の子に見えた。

 勿論、お近付きになりたいタイプかと言われれば、話は別だが。


「……古府谷文那。どうしてここに? それも、その制服。はっきりおっしゃい! 貴女、この学校に」

「その通りでしてよ、阿室玲奈っ! 今まで貴女に受けた屈辱くつじょく、そしてわたくしがまみれた恥辱ちじょく……! 貴女が忘れても、わたくしは忘れませんことよ!」


 よく、話が見えてこない。

 だが、萬代の白い流星と呼ばれる玲奈を、と呼ぶ人間には共通点がある。即ち、正当な勝負で玲奈に負けたにも関わらず、逆恨みを抱くタイプの人間だ。玲奈に負けっぱなしで連敗街道まっしぐらの真也が清々すがすがしい程に馬鹿真面目でいさぎよい中、こういう人間の悪目立ちたるや、かなり痛々しい。

 しかし、いづるは次の瞬間には思わずかばんを放り出して走り出す。


「阿室玲奈、萬代の白い悪魔……同じ土俵に立ったからには、このわたくしが叩き潰して! さし、あげ、ます、わっ! 覚悟してらっ、あ、あれ? お、おろ? おろろー!?」

「危ない、落ちるっ!」


 縦巻きロールの少女は、変な決めポーズを取ったために、足元のバランスを崩した。そして、校門の上からジタバタと手足を振った挙句に落下する。いづるは全速力で墜落する一点へと身を押し出し、間に合わないと知るやダイビングで身をおどらせる。

 スライディングで滑り込むいづるの上に、真紅しんくの髪をなびかせる少女が降ってきた。

 全身で受け止めた時に走った激痛は、触れた柔らかさと温かさを消し飛ばす。

 周囲が「おおー!」と声を上げる中で、いづるはなんとか少女を抱きとめた。


「イチチ……あ、あのっ! 怪我、ないですか? 駄目ですよ、あんなとこに登っちゃ」

「貴方は……え、えと? あれ? 阿室玲奈と一緒にいた、貴方は」

「えと、まずは降りて貰えますか? 玲奈さんもそうだけど、女の子って結構重い……」

「貴方っ! 清楚せいそ可憐かれんな乙女を重いと言いますの! 人には恥ずかしさを感じる心があることも……あら? 貴方、いいお顔してますのね」

「へっ?」


 誰もが言葉を失う中、文那と呼ばれた少女が頬を赤らめる。いづるの上に馬乗りになったまま、彼女は口元を手で抑えながらも、濡れた視線で流し目をいづるに注いでいた。

 波乱の二学期が幕を開けた瞬間だった。

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