第48話「思い上がりの黒い影」

 静まり返った校舎に、夕闇が迫る。

 古府谷文那フルフヤフミナは温かい缶コーヒーを二つ買い、その片方を日陽ヒヨウいづるにくれた。

 そして、彼女の過去への旅が始まる。

 好敵手ライバル、そして宿命の怨敵おんてきである阿室玲奈アムロレイナとの因縁を知る旅……いまだんで流血した、一人の少女の敗北の歴史である。


「いづる様、ガノタって……ガンダムが好きな女の子って、どう思います?」

「えっ? いやあ、そうだなあ」


 食堂の片隅、自動販売機の前での立ち話。

 でも、なんでだろう……何故なぜなんだろう。

 どうして文那は、自販機と自販機の間に挟まって立つのか。そのことを突っ込まずにはいられなかったいづるだが、あっさりと「ライセンスがありますの!」と、訳のわからないことを言われてしまった。

 そして、改めていづるは考える。

 ガンダムが好きな人間、ガノタ……いわゆるガンダムオタクだ。

 趣味に貴賤きせんはないと思うが、珍しいのも事実だ。


「僕は……ガンダムが好きな女の子って、とてもいいと思います。でも」

「でも? ……やっぱり、少し引きますわよね。むしろ……ドン引き、ですわ」

「いえ、そうじゃないんです」


 自動販売機の影で、文那が息を飲む気配があった。

 だから、いづるはハッキリと伝える。

 本当は顔を見て、目を見て言いたかった。

 でも、それが恥ずかしいからきっと、文那は隠れてしまったのだ。先程は、泣いていた……スーパーヒロイン阿室玲奈、萬代ばんだいの白い流星とまで呼ばれた才女の影で、戦いの数だけ彼女は敗北を刻み込まれてきたのだ。


「僕は、好きになった人がたまたまガンダム好きだったんです。だから、ガノタならやめますなんて……言えない。言う必要がなかったです。関係ないですよ、そんなこと」

「そう……いづる様、ありがとう」


 不意に、お礼の言葉。

 文脈として少し不思議で、その中に込められた気持ちが不鮮明だった。

 ただ、その謝辞に偽りがないことだけが伝わってくる。


「そう言えるいづる様だから、わたくしは好きになりましたの。だって……そう言える男の子はきっと、いづる様だけだから」

「そ、そんなことないですよ」

「……いいのよ、いいの。ガンダムが好きな女子高生なんて、気持ち悪いんですわ。世の殿方とのがたはもっと、オシャレやスイーツなんかに関心のある女の子が好きですの」


 短い沈黙がいづるをあっしてきた。

 なにか言葉を選ぼうとしても、その中に込める想いを出すことができない。何故なら、いづるにとって今……文那の言葉は自分へ向けられた審判にも似ていたからだ。

 そう、いづるは今こそ裁かれる。

 一度もガノタについて考えたことがないと言ったら、それは嘘だ。

 確かにいづるは、心のどこかで姑息こそくな優越感を持っていたのだ。


 ――ガノタな阿室玲奈と付き合えるのは、彼女を許せるのは自分だけなんだ。


 なんて不遜ふそんで身勝手な思い込みだろう。

 それほどまでに女の子にとってガンダムは、特殊な趣味に思えた。そして、それにのめり込む玲奈はとても奇異な存在にさえ見えたのだ。

 それを受け止め、否定せず、共に染まってゆく。

 自分にはそれができる、そういう自分を選べたことに酔いしてれてはいないか? その問をいづるから引き出してくれたのは、文那だ。そして、いづる自身は堂々と否定する勇気が持てない。

 そんな中で、ついに文那の告白が始まった。


「わたくし、昔……好きな人がいましたわ。高校一年生の春、それは運命の出会い。接するたびかれてゆき、その都度つどより深く触れ合った。そういう人が、いましたの」


 初耳だ。

 だが、むしろ当然とも思える。

 文那は思い込みが激しいが、公明正大で真っ直ぐな女性だ。そんな彼女はまだ、うら若き乙女なのだ。恋をしない方がおかしいし、結果にかかわらず恋には恵まれてほしいと思えた。

 しかし、同時にいづるは気付いてしまった。

 そう、好きな人がいた……それはもう、過去形。


「ああ、今はいづる様が好きですわ。……いづる様、大好き。おしたいしてますの」


 上手く返事ができない。

 なにを言っても、言い訳になる。

 そして、文那は安い同情を最も嫌う気高い少女だ。

 だから、すでに玲奈と気持ちを通わせたいづるには、言葉が見つからなかった。

 そんな中で、独白は続く。


「とても素敵な方……だから、わたくし思いましたの。彼に、絶対にガンダム好きを……

「そ、それは」

セントズィーオン女学院、ズィーオンの赤い彗星と呼ばれた天才美少女が、ガノタ……これではいい道化ですの」

「あっ……じ、自分で言っちゃうんだ。美少女、って。あ、でも、あれ? 女学院、ですよね。女子校……」


 そしていづるは知った。

 禁断の愛を宿して、一方通行な恋心をくゆらせた文那の若さを。

 彼女が好意を寄せた相手は、教師だった。


「わたくし、嬉しかった。とても楽しかったの。ずっと、家の言いなりで、いい子にして、帝王学を叩き込まれた完璧な跡取り娘をやってたんですもの」

「その、先生とは」

「学校の外では、教師も生徒もやめられる。でも、清らかな交際でしたのよ? ふふ、秘密の関係にとても胸が高鳴りましたの。勿論もちろん、二人の秘密を見たものは生かして帰さない覚悟もありましたわ。お前を殺す、くらい」


 だが、文那はなつかしむような声色を硬くした。

 そして、ハッキリと言葉を切ってくる。


「将来なんて……あの方を困らせたくなかった。教師と生徒の関係が一番ならそれでいい、一緒に映画を見たりお茶をしたり、でもその先はない。その先に踏み出さない。そういう一時の恋でさえ、わたくしには十分でしたの。でも――」

「でも? ……ま、まさか!」

「ええ。わたくしとあの方を引き裂いたのは……阿室玲奈。あの女ですわ!」


 にわかには信じ難い。

 阿室玲奈は恐らく『人の恋路こいじを邪魔する奴は、馬に蹴られて地獄に落ちなさいな!』くらい言う……そういう、気持ちや思いを大事にする人なのだ。そして、その形や姿には決してとらわれない。教師と生徒であっても、気持ちを通わせた二人なら……彼女は見守りこそすれ、破局へと導くような真似まねはしない筈である。

 いづるの知っている玲奈とは、そういう清廉潔白せいれんけっぱくな少女なのだ。

 だが、文那が嘘をついているとも思えない。


「わたくしは幾度いくどとなく、阿室玲奈と戦いましたわ。それは、言うならば喜び……あらゆる競技で語り合えた。とてもいいライバル、それでこそ阿室玲奈……そう思ってましたの。なのに、あのは! ……玲奈はっ!」


 血を吐くような声音だった。

 そして、いづるは最悪の現実を知る。


「玲奈は、あの方が顧問を務める吹奏楽部のコンクール、わたくしが指揮者を務めたあの場所で……こともあろうに、あの方の前で! 二人の関係を暴露し、あの方を――」

「そ、そんな……事情があった! 筈! 訳が!」

「いづる様……愛し合い惹かれ合う二人を破滅させても、それでも許される理由なんてありますの? 教えて頂戴ちょうだい、いづる様……わたくしはあと何回、玲奈に挑めばいいの? 何度、あの完璧な美しさと強さに敗北されればいい?」


 いづるは言葉を失った。

 そして、信じられなかった。

 信じたくなかったのかもしれない……文那の心を深々とえぐって傷付けたのは、とても普段の玲奈からは創造もできない愚挙ぐきょだったからである。

 いづるは必死で頭を働かせ、どうしてそうなったかを想像した。

 なにか訳があったと、必死で自分に言い聞かせた。

 だが、無情にも張り詰めた声が響く。凛冽りんれつたる声は清水しみずごとく、しかしとても冷たい。研ぎ澄まされた刃のような声に、いづるは思わず振り向いた。


「その話は本当です、いづる君。私は、二人の中を引き裂きました」


 振り向くとそこには、制服姿に着替えた玲奈が立っていた。

 しかし、その瞳に今は光はない。

 満天の星空をたたえた、あの輝きが見られなかった。

 そして、自販機の影から文那が出てくる。


「そう、玲奈……貴女あなたはわたくしの愛を破壊した。そして今、いづる様に惹かれて再生しつつある愛をも、破壊しようとしている」

「……えて否定しません。文那さん、貴女がいづる君に、私のいづる君に迫ると言うなら……その再生を破壊します!」

「それでこそよ、玲奈……わたくしの仇敵きゅうてき!」

「やっと、呼んでくれましたね。ただ名前で、玲奈と」

「――ッ! そ、それは」


 普段からクールで澄まし顔、誰が見ても清楚で可憐、そんな玲奈の姿が今は違った。そして、いづるの視線を避けるように表情を凍らせてゆく。

 彼女が無理に自分を強く見せているが、いづるにはわかる。

 だが、そんな彼女にまた、勘違いもはなはだしい優越感を持って接するのは、もうできない。いづるは今、初めてちゃんと自覚した自分の浅はかさが恥ずかしかった。


「決着をつけましょう、文那さん。いつも常に私に文那さんは挑んてきた……挑んでくれた。だから、今日は私から勝負を挑みます! 決着が突いた時には……真実を語りましょう」

「真実? そんなものはありませんわ! 事実、そして現実……もう、あの方はわたくしを振り向いてくれませんの。もう……ガンダム好きを隠す必要もありませんわ……」


 重苦しい空気の中、ついてこいとばかりに玲奈は歩き出す。

 夜を迎えた校舎へと、いづるは文那と共に踏み出すことになるのだった。

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