第50話「早とちりか、チルドレン」

 決着……ついに因縁いんねんの対決が、二人の少女をかつ。

 ギリギリの戦いが、勝者と敗者とを産み落とした。

 だが、日陽ヒヨウいずるにとってそれは、勝敗以上のものに感じる。ただ全力を尽くした……これを気に、二人に新しい関係性が生まれてくれればいい。

 親愛なる阿室玲奈アムロレイナには、新しい時代のヒロインをやってくれ!

 古府谷文那フルフヤフミナも、これでわだかまりを捨ててわかりあえる……嗚呼ああときが見える!

 そんな万感の思いを胸に、いづるは勝利者の腕を高々と上げる。


「勝負、それまでですっ! 勝者……っ!」

「チィ、完璧な作戦にならなかったですわ! ……って、へ? あ、あら? いづる様、わたくしは……え? わたくしが勝ち?」


 赤い道着の文那は、キョトンとしてしまっている。

 そして、ようやく立ち上がった玲奈がキリリと表情を引き締めた。


「そう、文那さんの勝ちです。いづる君、ナイスジャッジね」

「ちょ、ちょっと玲奈! それはおかしいですわ! わたくし、片羽絞かたはじめで完全に……カトンボくらいたやすく落ちそうでしたの! それを!」

「あら、文那さん。では、言い方を変えましょう」


 玲奈にはもう、わかっているようだった。

 そして、いづるも大きくうなずく。

 玲奈は文那を真っ直ぐ見詰めて、そして小さく微笑ほほえんだ。


。それはすなわち、文那さんの勝ち」

「なっ……なにを」

「最後の片羽絞めは柔道の技ですが、その前……下からたぐってバックをとる、あの動きは……あれは、柔術です! ブラジリアン柔術のデラヒーバという技です」


 文那は、固まってしまった。

 いづるは、技名までは知らなかったが明らかに違和感を感じた。柔道にはない技、それはすなわち反則である。巴投ともえなげに行くと見せかけ、玲奈は下から巧みにそでえりとを使ってきたのだ。相手の着衣や関節に脚をからめつつ、力学にそって体を入れ替える。

 勿論もちろん、柔道の技ではない。

 そのことを告げられて、文那はうつむきブルブルと震え出した。


「ちょっと、玲奈! これはなんですの! なんですの、この結果は!」

「私は敗者になりたい……」

「トレーズ様のモノマネで逃げても無駄ですの! なんとかおっしゃい!」

「この玲奈、柔道の中で柔道を忘れた、とでも? ええ、実はその通りなんです、文那さん」


 玲奈は自然な仕草で文那に歩み寄り、その手を握った。

 そして、さらにもう片方の手を重ねる。

 面食らったように鼻白はなじろんだ文那は、先程の剣幕を忘れてしまった。

 それくらい、玲奈の所作は自然で、勝者への敬意に満ちていた。


「私は、私が持つ柔道の技だけでは、貴女あなたに勝てなかった。負けを潔く選べず、外法げほうの技を選んだ。でも、それは勝利とは程遠いもの、そうでしょう?」

「え、あ、お、う……え、ええ! そうね! つまり、わたくしの完勝ですわ!」

「私に柔術の技を無意識に使わせるくらい、文那さんは強かったのです」

「当然でしてよ! オーッホッホッホ! ……でも、ふふ……勝ってみると、不思議ですわ」


 文那も笑って、玲奈の手に手を重ねて握る。

 いづるがずっと見たかった光景が、目の前にあった。

 しかし、これで一件落着とはならない。

 二人の因縁は、勝敗がついたことで解決へと向かう。そのために、封じられた過去の真実が暴かれようとしていた。そして、うながされるまでもなく玲奈は語り始める。


「文那さん……お話します。あの日、あの時、あの瞬間……私は文那さんの未来を変えてしまった。今こそ、開きましょう……私と文那さんとの、ラプラスの箱を」


 玲奈の声は、落ち着いていた。

 だが、そこに深い悲しみと後悔が感じられる。気丈きじょうに振る舞っていても、彼女は同世代の女の子なのだ。そして、訳あって文那の前で真実を封じた。それがよかれと思った善意であることを、いずるは疑わなかった。


「あの日、文那さんの部の顧問である教員に、私は告げました。文那さんが素晴らしいガンダム愛好家……!」

「ちょ……ちょっとぉ! なんてことしてくれますの! このスットコドッコイは!」

「これが若さか……」

「誤魔化すんじゃありませんわ! ……何故なぜ、どうして。ずっと、隠してたのに」


 文那が涙ぐんだ。

 彼女はかつて、セントズィーオン女学院で文武両道のスーパーお嬢様として君臨していた。数多の部活に参加し、私立萬代学園高等部しりつばんだいがくえんこうとうぶの玲奈とは宿敵……心身をさらけ出してぶつかりあう好敵手ライバル、認めあった仲だった。

 そんな彼女が秘められた恋を捧げた、一人の男性教師がいた。

 だが、二人の仲を引き裂いたのが、玲奈だというのだ。

 そのことについて、ゆっくりと言葉を選びながら玲奈は語る。


「文那さん。私の言葉を信じてくれる、真実を受け止めてくれると信じます。……あの男性教諭は、貴女がガノタであることを知っていた」

「えっ!?」

「その上で、必死に隠そうとする貴女をもてあそんで、嘲笑わらっていました。それが、私には許せなかった……私は言ってやったのです。文那さんは素晴らしいガノタ、本当のガンダム愛を持つ男……いえ、おとこだと!」

「あ、いや、わたくしは女ですわ」


 玲奈の話をまとめればこうだ。

 その日も、玲奈は文那と部活でのガチバトルに挑んだ。高校は違えど、あらゆる競技で対決する仲、それが例え文化部でも違いはない。

 しかし、玲奈は知ってしまった。

 偶然、立ち話を聴いてしまったのだ。

 文那の引率の教師は、他の女生徒たちと談笑していた。教師と教え子のスキンシップなら、それもよかった。だが、その男は面白がる思春期の乙女たちを前に、文那を滑稽こっけいだと嘲笑ったのだ。その上で気付かぬフリをして、自分が文那と付き合ったことを笑い話に飾る。

 浮世うきよを流す自分を誇るために、文那を道化へと祭り上げたのだ。


「文那さん……申し訳ないのですが、あの方はそういう人でした。それを目撃した時、私は気付けば我を失っていたのです」

「嘘……嘘よ、そんなこと」

「文那さんが嘘と感じて、それを欲して求めるなら、私は構いません。ですが、勝敗が決した今、約束通り私は真実を語ります。そして」


 不意に玲奈は、文那の手を放した。

 その時いづるは確かに見た。

 あの文那が、唯我独尊ゆいがどくそんを絵に描いたようなふてぶてしい自信に満ちた文那が、不安そうな顔をした。離れた玲奈の手を求めるように「あっ」と小さくらした。

 そして、次の瞬間には玲奈は文那の全てを受け止め包み込んでいた。


「私は知っています。文那さんは耐える、受け止める。だって……文那さん、君は強いだから」

「玲奈? ……で、でも、そんな、じゃあ」

「私はその場で、文那さんをだましていた男を糾弾しました。今思えば、浅はかだったのです。でも、許せなかった」

「じゃ、じゃあ……先生が、あの方が、わたくしから離れていったのは」

「全て私のせいです。貴女が隠していたことを、隠されながら知って弄んだ、そんな男を許せなかった私の……早とちりと、頑張り過ぎです」


 いづるも初めて聞いた。

 そして、初めて見た。

 玲奈は今、その胸に文那を抱き締めていた。

 いつも以上に、玲奈が大きく見える。

 まるで聖母、全てを許す地母神のようだ。

 現実には、柔道で勝てないと知るや咄嗟に柔術を使う大人げない女の子だ。でも、その時確かにいづるには、大いなる包容力で全てを慰撫いぶする女神のように見えたのだった。


「私が、文那さんの恋心を潰してしまいました」

「……そう、それで。わたくしは、それを知らずにずっと……ずっと、玲奈を恨んで。それで、それを私は生き甲斐に感じて、玲奈を宿敵にとしてあつかって……」

「貴女ほどの女が、なんて器量の小さい……なんて、言いません。言えません。全ては、私が勝手にやって、貴女の知らないところで進んだこと。勝手に私の怒りに、貴女を重ねていた」

「ふふ……これではいい道化どうけですわね」


 だが、不思議と文那は悲観にくれてはいなかったし、泣いてもいなかった。

 ただ、静かに玲奈を抱き返す。

 萬代の白い悪魔が、彼女にとっての星になった。流星一条りゅうせいいちじょう、白く尾を引く……白い流星が今、全てのわだかまりを拭き去ってぶ。聖ズィーオンの赤い流星もまた、ようやく好敵手として認めた星を追って光になった。

 いづるには、そう見えたのだった。


「でも、水臭いでしたわ。そうならそうと、言ってくれれば」

「文那さんが聞く耳を持たないからです」

「そうそう、わたくしってば人の話は聞かな――な、なんですって!」

「いつも顔を合わせれば、勝負、勝負、大勝負。でも、私はそんな文那さんが好きです」

「ちょっ……やめてもらえるかしら! 真顔でそんな! 恥ずかしいですの!」

「ふふ、ただ……ええ、ただ、これだけはゆずれないと言っておきますわ」


 玲奈は、文那を抱き締めたままその耳になにかを囁いた。

 いづるには、その声は聴こえない……密やかに、しめやかに、二人の間を空気の振動が貫いたようだった。そして、文那はちらりといづるを見た。

 どこか寂しいような、だけど文那はいづるに微笑みかけてくれた。


「……いい度胸ですわ、悪いのですけどわたくしは新しい恋をすでに見つけてますの」

「今の私の言葉を、聞いた上での意思ですか?」

「ええ! 受け止めましたが、納得はしませんわ。ここから改めて、勝負ですの」

「望むところです、文那さん。嬉しく思います!」


 勝利者などいない……Stand Up to the Victoryスタンダットゥーザビクトリー

 何故か、いづるを二人で見て、玲奈と文那は笑顔になった。そのままお互いを抱き締め、健闘を讃え合って笑い合う。

 そこには、一方的な恨みで関係性を貫かれていた二人の姿はなかった。

 それは、いづるがもっとも見たかった光景かもしれない。

 だが、この時は彼は知りもしない。

 明日から彼が予想だにせず歓迎できない事態……三角関係が始まろうとしているのだった。

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ガノタですがまだなにか? ながやん @nagamono

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