第29話「夢中少女にクラクラする」

 日陽ヒヨウいづるの波乱万丈はらんばんじょうの休日。

 それは、急加速で危うい中を疾走するかのようなスリルに満ちていた。

 富尾真也トミオシンヤ楞川翔子カドカワショウコの、初めてのデート。

 それを影からサポートする謎の少女、嶺阿寶リン・ア・バォ。その正体は言わずもがな、阿室玲奈アムロレイナである。

 そして、いづるの隣には古府谷文那フルフヤフミナがいた。

 映画館の暗がりを出たいづるは、眩しさに目を細めて伸びを一つ。そして振り返れば、おとなしくなってしまった文那が目を擦っている。


「あの、文那先輩? ……えっと、と、とりあえず……これを。ハンカチです」

「うう、いづる様……わたくし、ううっ! ドキンちゃんが、あんな、あんな乙女心を」

「泣き止んでくださいよ、困ったなあ」

「赤いからとドキンちゃんを応援してたら、わたくし……わたくしっ!」


 文那はガン泣きしていた。アンパンマンの映画を見て、ウオーン! と大泣きしてしまったのだ。どうやら彼女にとって赤いというのは、それだけで特別な意味を持つようだ。

 愛しいショクパンマンとの逢瀬おうせより、ドキンちゃんはバイキンマンの助太刀すけだちを選んだ。

 結果はまたしても敗北だったが、どうやら文那は随分と感動したようだった。


「ごめんなさい、いづる様……わたくし、変な女だと思ってるでしょう?」

「いえ、別に。そんなことないですよ、文那先輩」

「うう、思い出したらまた泣けてきましたわ」


 サングラスとマスクを外して、いづるがわたしたハンカチで文那が涙を拭く。その姿は、本来の彼女の可憐さを引き立てる演出に満ちていた。上気した頬を伝う涙の輝きに、思わずいづるもドキリとする。

 縦巻きロールの赤い髪を揺らしながら、文那は容赦なくいづるのハンカチで鼻をかむ。

 ちーん! とかわいい音が響いて、ちゃっかり文那はハンカチをポケットに奪い去った。

 そして、再びサングラスとマスクで顔を追って死線を鋭く尖らせる。


「さ、いづる様……行きましょう。ほら、ご覧になって! 阿室玲奈が!」

「あ、はい。次はどこに……そろそろ僕、止めてきますよ。見てられないですし」

「待ってくださいまし! だめよ、まだですわ。いづる様にも見て欲しいんですの……あの阿室玲奈という女の本性を」

「本性って、文那先輩」


 真也と翔子は、映画のあとは買い物に行くようだ。

 翔子ときたら大興奮で、一生懸命真也になにやら喋っている。喋りまくっている。萌えだとか受け攻めだとか、そういう単語がかすかに聴こえた気がした。

 だが、真也もまんざらでもないようである。

 二人で見た最初の映画がアンパンマン。

 これはどちらにとっても忘れられない思い出になりそうだ。

 そして、気付けば二人は、先程より親密になったように感じる。手を繋いだりはしないものの、並んで歩く姿はかなりいい雰囲気だ。

 そして、その背後を物陰から物陰へとわざとらしく、玲奈が尾行している。

 いづるも文那にうながされるまま、あとを追った。

 玲奈はハッキリ言って、二人の中の進展のためというには、あまりにやることがつたないというか、うまくない。

 見失わぬよう早足で歩くいづるは、隣の文那にそのことを言われ続けていた。


「いづる様も御覧になったでしょう? 阿室玲奈は二人の仲を引き裂くつもりですわ」

「あ、さっきの映画館ですか? あれはわざとじゃないと思うんです。絶対に」

「ポップコーンを買って、密かに富尾真也に渡す素振りを見せつつ……派手に床にぶちまけちゃったんですもの。……そうね? 阿室玲奈は破局を求めていたのですわ。それで、それを私は許せぬと感じて、いづる様とデートをしつつ、ですの!」

「デッ、デート!? いや、これは」

「他にも、阿室玲奈は富尾真也に数々の妨害を……ペアシートに座らせるなんて!」

「あれ、ナイスでしたよね」

不潔ふけつですわっ! 男女たるもの、そういう仲になるまでは手順が必要ですの! いきなり並んで座り、あまつさえ……あの子、許せない! 許せませんの!」


 文那は勝手に一人でヒートアップしている。

 そうこうしている間に、真也と翔子は有名なアニメショップへと入っていった。翔子の笑顔が普段の二割増しではしゃいでて、鼻の下を伸ばす真也など保護者のお兄さんに見えてしまう。

 続いて入店する玲奈を追って、いづるも続いた。

 その時、異変は起こった。

 文那が不意に、いづるの腕を抱き締めたのだ。


「こっちですわ、いづる様! 見つからぬように尾行しますの……大丈夫でしてよ、考えてます! 角度とか!」

「ちょ、ちょっと文那先輩! う、腕が」

「ご覧になって……また阿室玲奈が」


 店の奥の同人誌コーナーに行くなり、翔子が瞳を輝かせる。

 夢中で同人誌を物色し始めた翔子を、真也はにこやかな笑みで見守っていた。

 そんな真也にそっと近付くと、玲奈はなにかをささやつぶやいた。真也は意外そうな顔をしたが、神妙な顔で頷いている。また玲奈は、不慣れな恋のキューピットをやり続けるつもりなのだった。

 それを見守るいづるは、突然の文那の悲鳴で振り返る。

 悲鳴というにはあまりにも浮ついた、それは歓喜が極まった感激の声だった。


「いっ、いづる様! これは!」

「え? 文那先輩、どうしたんですか?」

「これは……こっちですわ、いづる様!」

「引っ張らないでくださいよ、えっと……ああ、プラモデル? へえ、こんなのも売ってるんだ、最近のアニメショップは」


 文那は、店内の隅に纏められた小さな模型コーナーへと駆け寄った。

 どうやら新商品が何種類かあるらしい。その中の一つ、見慣れぬ青いモビルスーツのガンプラを文那は手に取った。

 サングラスの奥で彼女は、無邪気な幼子のように瞳を輝かせている。


「いづる様! バーザムが、バーザムが発売されてますわ!」

「へ? バーザム……ああ、このガンダムですか?」

「これはガンダムじゃありませんの。グリプス戦役終盤、ティターンズが製造したモビルスーツですわ! ガンダムMK-2マークツーの量産型という設定があって、頭部のバルカンポッド等が同じものですの。でも、この特異なスタイリング……とても嬉しい立体化でしてよ! まさに、我々は三十年待ったのだ! ですわっ!」

「いや、文那先輩そういう歳じゃないですよね」

「心はいつでも1stファーストからのガンダムファンですの! ……決めましたわ、このバーザムは四つ頂いていきますの! ジオン再興のために!」


 丁度、棚には四つのバーザムが売られている。それを文那は、周囲を何度もキョロキョロと確認してから手に取った。

 変装してても、いづるには彼女の笑顔がありありと見て取れる。

 やはり、文那もまたガノタ……隠しているつもりのようだが、ガンダム好きなのだ。


「でも文那先輩、どうして四つも買うんですか?」

「ふふ、これは制作用、布教用、保存用……そして、ですわ! わたくし、買ったガンプラは全部わたくし専用機に塗るのが……あら?」


 不意に文那が視線を落とす。

 それで気づいたが、小さな小さな男の子がいづるたちを見上げていた。彼の視線は今、文那が独占するバーザムに注がれている。

 文那はひたいの上にサングラスを押し上げると、男の子の目線の高さに屈んだ。


「どうかしまして? 困ったお顔ですわね」

「あの、それ……バーザム」

「まあ! このバーザムの価値がわかるなんて……見どころのある子ですわ」

「お父さん、好きなの……そのガンダム、家にないやつだから……誕生日にプレゼントしようと思って」

「あらあら、んまあ! なんてかわいいのかしら。では、一つ分けて差し上げますわ。いいものは独り占めしても楽しいもの、しかしわたくしの気高い高貴さは、言ってますの……むしろ、分かち合えと。さあ、これの布教用持っておいきなさい」


 文那からバーザムを受け取った子供は、あっという間に笑顔になった。そのまま「おねえちゃん、ありがと!」と元気な声でレジへと行ってしまう。

 それを見送る文那が、いづるにはとても優しい笑顔に見えた。

 だが、突然翔子の絶叫がこだまする。

 なにごとかと振り返るいづるは、身を隠しつつも絶句してしまった。


「富尾先輩っ! 駄目ですぅ! やだもぉ、男の子って……えっちなのは駄目ですよ? しかもこれ……これっ! 刹那きゅん総受け本じゃないですかあ!」

「違う、違うぞ楞川! これは阿室、あ、いや、違う! 嶺阿寶が」


 真也の手には、一冊の同人誌が握られている。そして、それを勧められたらしい翔子が、顔を真っ赤にしていた。どうやら真也が持っているのは、いわゆる『薄い本』と呼ばれる成人用のもののようだ。

 そして、チラリと視線を走らせれば……オロオロと本棚の影で見守る玲奈が見える。


「富尾先輩っ、こゆの好きなんですかあ? ……それならそーと言ってくださいよぉ」

「違うんだ! その、楞川がこういうのを好きだと、それを俺は知ってだな」

「えー、それはあ、うーん、好きですけどぉ。男の子の前だと買い難いですう! ……気になる男の子だと、特に、そのぉ」

「くっ、はかったな阿室っ! ……それにしても、ふむ。BL本ボーイズラブとはこういうものか!」


 裸の美少年同士が抱き合う表紙が、いづるにもハッキリと見えた。

 そして、先程の優しい笑みが文那の顔から霧散する。

 変装もあいまって、文那の感情が冷たく凍ってゆくような錯覚を感じた。


「やはり……安室玲奈は二人を引き裂こうとしてますの! わたくしの時のように!」

「え、えと、文那先輩!?」

「早くレジで買い物を終えて、すぐに阿室玲奈を止めますの……ええい、プライスダウンですって!? 鉄血キットが全品30%OFF!? なら、買うしかないじゃないか、ですわっ!」


 結局、文那は怒りを露わにしながらも……こじんまりとしたガンプラコーナーに足止めされてしまった。その間に結局、翔子は真也が勧めた――真也に玲奈が持たせた――同人誌を買ったようだ。

 こうして二人のデートは、どうやら昼食へと進むらしい。

 玲奈が付かず離れずで追いかける先へと、真也と翔子は行ってしまった。

 慌てて追いかけるいづるは、ガンプラでパンパンな文那の紙袋を持ってやる。文那はなんのかんので、どこか満足そうにいづると並んで走るのだった。

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