第12話「華麗な文那」

 その一日は、朝から豪快ごうかいな花火で始まる。

 日陽ヒヨウいづるの自宅からでも聞こえる、快晴を知らせる轟音。それは、秋の体育祭の開催をげるものにほかならない。

 全校生徒はもちろん、周囲の地域住民たちをも巻き込んだ一大イベント。

 それが、地域密着型の私立萬代学園高等部しりつばんだいがくえんこうとうぶが誇る体育祭なのだった。


「いづちゃん、いづちゃん! どうしよぉ……き、緊張してきたぁ」


 開会式を終えて、すぐに最初のプログラムが開始されようとしていた。いづるにしがみついて歩くのは、幼馴染の楞川翔子カドカワショウコだ。彼女は無駄に豊満でむちぷりとした肉体を、遠慮なくいづるに寄せてくる。

 そして何故か、それが当然なのか……いづるを見る周囲の目は冷たく鋭い。

 一種の嫉妬しっとそねみとねたみを一身に受けている自分が感じられた。


「な、なあ、翔子……す、少し離れて歩かない? なんか、こう」

「そ、そぉなの! わたし、何故かジロジロ見られてるんだぁ……は、恥ずかしいよぅ」


 ますます身を寄せてくる翔子は、いづるの二の腕に抱き付いてくる。体操服もブルマもぱっつんぱっつんで、裸である以上にどこか扇情的せんじょうてきだ。

 そして、いづるは周囲からの敵意に辟易へきえきする。

 翔子は夏休みに、あの阿室玲奈アムロレイナを倒した期待の一年生として有名だ。よく見ればかわいいし、妹キャラ属性というものらしい。本人は気にしているが、そこまで太ましい感じもない、と、思う……接して触れば、ふわふわのむにむになのだが。

 そういう訳で今、翔子は学園でも人気の女子なのである。

 そして、玲奈ばかりか翔子とも距離が近いいづるは……いたたまれない状況に陥っていた。ここ最近、同性の男子の視線が痛い、痛過ぎる。


「翔子……この際、はっきりと言っておくよ、あのね」

「ふえぇ、いづちゃん?」

「あんましベタベタされても、その、困るんだ。や、翔子にはいつもお世話になってるけどね。大事な幼馴染だし、大切な人で……でも、ほら、親しき中にも礼儀ありというか」

「あ……そ、そうだよねっ! ゴメン……迷惑、だったかも」

「い、いや、迷惑という迷惑は」


 あわあわと離れた翔子は、目をうるませて小さくなってゆく。

 彼女はいづるにとって、やっぱり特別な存在だ。

 ちょっと言い過ぎたかな、と思うと、いづるも苦笑が柔らかくなる。ポン、と翔子の頭に手を乗せれば、翔子は再び笑顔になった。

 こういうのが周囲に誤解を広げてゆくのだが、仕方ない。

 恋愛や友情という言葉に分類できない人間関係というのは、実際に存在するのだから。


「で、翔子はなにに出るんだ? もうすぐ出番だろ」

「う、うんっ! あのね、あのね、えっと……パンい競走だよぉ!」

「……ああ、納得」

「この日のために特訓したんだから、うんっ! どんなパンだって、一口でガブリッ! だよぉ、にふふふふ」


 パン食い競走って、そういう競技だっけ?

 まあ、それはいいとして、張り切る中に緊張感を高めてゆく翔子を連れて、いづるはクラスの皆が待つ中へと歩く。

 広い広いグランドには今、各学級が陣取り各々に応援合戦が始まっていた。

 我がG組はという……なにやら大いに盛り上がっているようである。

 そして、その大歓声を背に一人の少女が近付いてくる。

 豪奢ごうしゃな赤い縦巻きロールを揺らし、勝ち気なひとみに強い眼差まなざしをともした、それは誰であろう古府谷文那フルフルヤフミナである。


「おはようございます、いづる様! 今日はいよいよ体育祭ですわ……今日こそあの阿室玲奈を叩き潰しっ! わたくしとっ! いづる様の仲をっ! ガッチリ、ガッツリ! 近付けてみせますわっ!」


 文那は今、両手にポンポンを持ったチアガール姿だ。下着を隠す気がまるでない、超絶短いスカート。そして、おへそ丸出しの短い袖なしセーラー服には鮮やかなカラーがひるがえっている。

 そんな文那が、いづるを見つけるなり小走りに駆け寄ってくる。

 心なしかキラキラと目を輝かせて、全力疾走してくる。


「おわっ、ふ、文那先輩!? あ、あのっ」

「いづる様ぁん! さ、一緒にG組のために頑張りますわよ!」

「いや、えっと……その格好」

「わたくし、今日は得意のチアを披露しますわ。クラスの皆と共に、勝利の栄光をG組に!」

「ス、スカート、短過ぎませんか……?」

「スコードッ! じゃない、スコートですわ。中もお見せしていいものですの……チラッ」

「ちょ、ちょっと、やめてくださいよぉ! ……ん? あ、あれ」


 嬉し恥ずかしといった感じで、文那がスコートをめくる。

 だが、純白の三角地帯をガン無視して、いづるはある違和感に気付いた。


「あの、文那先輩」

「あら、なにかしらん?」

「ひょっとして……同じ、G組、ですか? 僕や翔子と同じ、G組」

「ええ、当然ですわ。わたくし、運命を感じてますの……元気のGは始まりのGですわよ、オーッホッホッホ!」


 意外な事実、発覚。

 文那はどうやら、二年G組に転校してきたらしい。つまり、縦割りでの学級対抗となる体育祭では、いづるや翔子と同じチームということになる。

 そのことに、いづるより遅れること数秒の時間を経て、翔子も気付いたようだ。


「おおーっ、じゃあ文那先輩ってもしかしてぇ、わたしたちと今日は一緒に戦うんですねぇ。ふふ、よかった。わたし、文那先輩とも仲良くしたかったから」

「そういう貴女あなたは、楞川翔子さんね! 調べはついているわ」

「ほええ?」

「いづる様の世話を焼く甲斐甲斐しい幼馴染……!」


 相変わらず腕組み背を反らして、見下ろすような視線を文那は注いでくる。

 やれやれと肩をすくめつつ、その圧倒的な存在感にいづるがタジタジになっていると、彼女は不意にピクリと片眉かたまゆを釣り上げた。


「このプレッシャー……来ましたわね、阿室玲奈っ!」


 エスパーかなにかだろうか? もしくは、おおむねそう思うように、やはり痛い人なのか。多分後者だと思いつつ、いづるも首を巡らす。

 そこには、見るも凛々りりしい男装の麗人がいた。


「いづる君、今日もお昼ごはんを一緒に食べましょう? 私、いづる君に案内したい場所があるの。翔子さんともお弁当、一生懸命作ったし」


 玲奈はいづるに柔らかな微笑みを投げかけ、翔子にも頷き、ついでに文那に気付いて「ごきげんよう、文那さん」と頭を下げた。

 玲奈は今、学生服を……えりの学ランを着ている。

 どうやら、彼女もF組の皆にかつがれて応援団長をやるようだ。

 ハッキリ言って、眼福である。

 男装に鉢巻を締めてたすきまとった玲奈は、美麗の一言だった。


「ごきげんよう、阿室玲奈。今日こそはわたくし、勝たせていただきますわ……この体育祭、優勝するのは! わたくしといづる様のっ! ついでに翔子さんの! G組よっ!」

「まあ……相手にとって不足はありません。この阿室玲奈、そしてF組の全員でお相手しましょう。勝負は正々堂々、そしてエレガントに……よろしいかしら? 文那さん」

「そう、エレガントに……そして、わたくしは敗者になりたい……ハッ! ち、違いましてよ、ついエレガントだなんて言うから! トレーズ様の精神が降りてきましたの!」

「トレーズ様のノリ……そんなに突き放さないで。過剰な期待に応えたくなるわ。 同じガノタのよしみ、仲が打ち解けるまでの付き合いだぞ?」


 クスリと笑った玲奈に、文那は目元を険しくする。

 そういえば、いづるは以前から少し気になっていた。

 本人は隠しているつもりらしいが、文那はどう見てもガノタ、ガンダムオタクだ。そう、玲奈と同じガンダム大好き人間に見えるのだ。加えて、玲奈を敵視して恨みを感じているものの、清廉潔白せいれんけっぱくで正々堂々を好む真っ直ぐな人間であることは疑う余地がない。

 若干、いや、物凄く思い込みが強いが、根は正直で善良な人間に思えるのだ。

 その文那だが、ずいと玲奈をにらんで一歩踏み出す。

 玲奈もまた、涼やかな笑みをたたえて歩み寄った。


「阿室玲奈……今日こそ叩きのめしてあげますわ。わたくし、貴女と同じ競技にエントリーしてますの」

「全身全霊を持ってお受けしますわ、文那さん」


 一触即発の雰囲気に、周囲で見守る全校生徒の視線が集中する。

 そして、玲奈は髪をかきあげると行ってしまった。彼女を迎えるF組の男女から、一際大きな歓声があがる。

 やはり、今でも玲奈のカリスマは絶対的な憧憬と信奉を集めている。

 しかし、玲奈にはもう、高嶺の花のような孤高の鋭さはない。

 去ってゆく背中は一度だけ肩越しに振り返って、いづるに視線で頷いていた。

 いづるもまた、玲奈を見送り大きく頷く。


「ちょ、ちょっと、いづる様っ! 敵の女と通じ合うなんて……いけませんわ! もぉ……いけない、人。わたくしがこんなに」

「あ、そうだ。文那先輩」

「は、はいっ! ……な、なんですの……いづる様」

「その、いづる様っての、やっぱりやめませんか? ちょっと、なんだか、こそばゆいです」

「ダーメッ、ですわっ! いづる様はいづる様、わたくしの運命の人なんですもの。ふふ……わたくしとの恋仲を認めて下さるなら、もっと親しい呼び名を考えましてよ?」


 困ったなあと思いつつも、不思議と嫌いになれない。

 それは、文那がかわいくて愛らしい美少女だからではない。

 どこかいづるには、彼女が好きな人に似ている気がした。


「それと、もう一つ……今日は頑張りましょう、文那先輩」

「ほへ? あ、あの……いづる様、手が、手が」

「やるからには勝ちにいく、G組が一丸となって戦うんだ……だから、僕も、僕たちも。な、翔子? みんなでいい体育祭にしましょう」


 いづるは無意識だったが、文那の肩に手を置いて微笑む。

 そう、たかが学校のイベント、たかが体育祭……でも、この盛り上がりで父兄や地域住民たちが集まっているのだ。最高のパフォーマンスで、なにより楽しまなければ損である。そして、いづるはしゃに構えて学校行事から距離を取るようにはできていなかった。

 珍しく玲奈と敵味方であるという、それがまた不思議と嬉しい。

 玲奈が全力で挑んでくるのがわかるから。

 だから、全力で迎え撃つのだ。


「そういえば、文那先輩。先輩も、ガンダムお好きですよね」

「……え、ええ」

「今日は一緒のチームなんだし、その……文那先輩の誤解や思い込みも解消したいけど、他にももっと。そう、もっとガンダムの話とかも、むぐ!? むがぐぐ……ふぐぐ」

「しっ! 声が大きいですわ、いづる様っ!」


 不意に文那は、ポンポンを放り出すやいづるの口を手で覆ってきた。

 彼女はキョロキョロと周囲を見渡しながら、そっといづるの耳元に囁く。密着に近い距離で、文那からはとてもいい匂いが漂い鼻孔をくすぐった。いづるはドギマギとしつつも、改めて間近に文那を見下ろした。

 とても整った顔立ちに、つり目がちな瞳が大きく潤んでいる。

 ほっそりと引き締まったスタイルは、胸こそ真っ平らだが素晴らしい。

 だが、その彼女が甘い吐息を交えて声を潜め、いづるの耳に吹き込んでくる。


「ガンダムの話はいけませんわ、いづる様……それは秘密ですの! そう、わたくしといづる様だけの、秘密……秘密にしてくださる?」

「いやあ、玲奈さんも翔子も、みんな知ってそうですけど。ついでに富尾先輩トミオせんぱいとか」

「ダメッ、ですっ、わーっ! わたくし、秘密にしてますの……でないと、でないと」


 珍しく文那は、表情をかげらせた。

 それは、彼女がいづるに初めて見せる弱気な顔。なにかに怯えるように、唇を噛んでうつむく文那。普段からは想像もできない姿で、触れればいづるに震えが伝わった。

 だが、それも一瞬のことで文那は顔をあげる。


「とにかく、わたくしがガンダム好きなガノタであることは秘密ですの! そう、秘密……シャアが一番好きだとか、ガンプラは素組すぐみ派で、むしろ立体物はROBOT魂ロボットだましいとかの完成品フィギュアがメインだとか、そういうのは全部秘密でしてよ」

「は、はあ……」

「それと! 翔子さん? ちょっといいかしら」


 腰に手を当て、文那は翔子の方に向き直った。

 翔子は自分を指差し、きょとんと小首を傾げている。


「翔子さん、わたくし色々と調べたと言いましたわ。貴女のことも把握してますの……そう、貴女もまた、いづる様を」

「ほええ? わたし? あー、んとぉ、わたしはいづちゃんのことは」

「この体育祭、同じG組の仲間として……手を組みましょう!」

「それ、普通ですよぉ。文那先輩も、わたしやいづちゃんと同じG組なんですからぁ。みんなで優勝目指してがんばろーっ、お~っ!」


 だが、どうやら文那の言葉には違う意味が含まれているようだ。そして、そのことを彼女は隠そうともしない。

 ガンダムオタクな自分の素顔を、完全無欠のお嬢様という仮面で覆っている。

 それはやはり、いづるには彼女が玲奈に抱く負の感情に関係しているように思えた。


「翔子さん、貴女……阿室玲奈のこと、お邪魔だと思ってるんじゃなくて?」

「なんでですかぁ?」

「その胸に手を当て、考えて御覧なさい! その牛みたいに大きな胸に! ……本当に大きいですわね、なにを食べたらあんなに……阿室玲奈といい、翔子さんといい」

「んー、わかんないなぁ。わたしが玲奈先輩を? どっちかっていうとぉ、わたしが二人の御邪魔虫かなぁ? ……お邪魔、なのかなぁ……わたし」


 珍しく翔子が、難しい顔をした。

 幼馴染のいづるは知っている、翔子は難しいことを考えると頭から煙を出す。知恵熱ちえねつでオーバーヒートしてしまうのだ。

 だが、彼女はふと気付いて顔をあげると、いつものゆるい笑みになる。


「っと、そろそろパン競争が始まるなぁ。いづちゃん! 応援してて……わたし、頑張る!」

「お、おう……あのさ、翔子」

「ふふ、朝ごはんも控えめにしてきたし、今なら三つくらいぺろりと食べれちゃうなあ。待っててね、パン……パァン!」


 そう言って、無理に作った元気な歩調で翔子が去ってゆく。

 その背を見送ったいづるは、隣で文那の不敵な声を聞いた。


「ストレスが溜まると、パンなのよ。ベラ・ロナ艦長もそうだったし。そして、パンはいいものよ……月から来たキース・レジェも、パンに生きがいを見出したもの」

「はぁ……あの、文那さん?」

「はっ! わ、わたくしとしたことが、またガンダム的な……これが、若さなのね」


 それだけ言うと、ポンポンを拾って文那も自軍へと戻ってゆく。その方向はいづるも一緒で、二人は学年違えど同じG組として戦うのだ。

 スピーカーからアナウンスされる体育祭の競技進行を聴きながら、いづるも歩く。

 口では真剣勝負だとか因縁だとか言いつつ、文那はどこか楽しそうだった。

 その横顔は、やはり……君の姿は、彼女に似ている。

 いづるの彼女に似た笑みが、今の文那には浮かんでいるのだった。

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