第6話3

 九条同様、沖田は目を丸くしている。瀬野は敬礼して武器庫に向かおうとした足を止めた。

「……彼は候補生でしょう?」

 怪訝そうな瀬野を、大佐は片手で追い払う。

「さっさといけ」

「……気になるんですけど」

 ぼやきながらも、瀬野は廊下を曲がってきえた。

「一宇が一番マルチだからな」

 それを見送り、大佐は笑う。意味を捉えかね、沖田が首をひねった。

「マルチって……アレはけっして万能じゃあないですよ、どっちかっていうと器用貧乏に見えます、オールマイティだけど、」

「突出するところがない、だろ」

 大佐は更に笑いを深めた。

「だから、だ。今回、荷物運搬を目的と見せかけて実際帰り道にこそ情報を運ぶ。人員は少なくしなきゃならん。そこでヘタに一つのコトに秀でたものだと、対処できる対象が減る、むしろオールマイティでなきゃできない」

「うーわー、ぜんぜん関係ない『ついで』の戦地でおとされても文句言えないし、しょーもない作戦……」

 九条が顎をさすりながらぼやき、一宇大丈夫かなぁ、とどこか投げやりに呟いた。一宇を出した張本人は、九条をじっと横目で見た。

「すんませんでしたー」

 九条はさりげなく廊下の端に逃げた。

 大佐と九条の間に挟まれた形になった沖田が、まぁまぁ、と二人をなだめようとする。

「別に俺なにもしてないし」

 異口同音に沖田に言い、大佐と九条はフッ、と笑った。

「いやいや、大佐、大人げないことしないで下さいよ」

「はっはっは、何を言う九条、俺がいつ何処で何をした」

「三日前はレタス責めにしてくださいました」

 大佐は黙った。それから爽やかに微笑んで、内田に振り返った。内田は急に矛先を向けられ、哀れなほどにびくりとすくんで、「ひぃ」と小さな声を漏らした。

「――日頃の行いのしのばれる」

 九条が減らず口をたたいている。

「内田、浮田大尉の機がおちたんだろ?」

 大佐は九条を無視し、本題に戻った。

「な、なんでご存じなんですか!?」

 内田は思わず大声を出し、慌てて両手で口を塞ぐ。

「そろそろだと思ったんだ」

 内田の激しいリアクションに肩をすくめ、大佐は軽く、こう返した。

「ワザと墜としたのさ」

   *

 どうすればいい?

「武器……! あッ、もう燃えてるし!!」

 一宇は密林をえぐった機体からの延焼を呆然と眺めた。しかし、すぐに我に返る。

「いやっ、ンなコト気にしてる場合じゃねえし!! 考えろッ、えーと、森――」

 一宇は慌ただしく木々を見回すと、そのうちの一本に目を輝かせて近づく。

「どうした」

 持てる分だけの銃器を装備した憂乃が、首を傾げた。

「これ、いちばん丈夫です。重みも適度なんで持って走れるし、殴り殺せる程度には武器になる」

 一宇の腰の入れ物には、ナイフや簡易的な治療用具や手榴弾といった荷物のみ装備されている。今持っているものだけでは地上戦に入れば戦力にならないどころか真っ先にやられる。とっさに持って出られなかった火器がもったいないのだが、悔やんでも始まらない。

「東南西5kmに熱源反応があったんですよね、地下っぽいんですが。味方の可能性がありますか?」

 一宇は木の枝を折ると、先をナイフで手早くとがらせ、地面に突きたてた。一見、大振りの杖のようである。憂乃はその手際を目を丸くして見ていた。

「おまえ……ただのバカじゃなかったんだな」

「何の話ですか!」

 しみじみと呟いた憂乃は、不意ににっこりと笑った。

「当たりだ」

 言って、彼女は倒れた古木を乗り越える。

「何が当たりなんですか、ちょっと待ってくださいよ」

 憂乃を追い、一宇は棒を杖にして木を越え、再び地面に足をつけた。

 山鳩に似た鳴き声が低く響いた。

「走れ!」

 憂乃の短い一喝より先に、一宇は灌木を選んで身を伏せた。憂乃も近くの茂みに伏せる。獣道を直線上に泥がはね、辺りは急に静まりかえった。

「伏せてどうする」

 何かのトリが、奇声を発して飛び立っていく。ぼそりと呟いた憂乃だが、もし走っていたとしても間に合っていたかどうかは分からない。ただ、二人が知っていることは、次に出るときは完全に戦闘に入るということだけである。すでに戦線は開かれているのだが、今はまだ、猶予がある。耳を澄ませても、己の鼓動しか聞こえない。一宇は必死で目を凝らし、同時に、聴覚と嗅覚に引っかかる情報を待った。――何かがシダを踏む。

「行きます!」

 今度は一宇が叫んで飛び出した。後を追うように、いくつかの草木が葉を鳴らして散る。憂乃は舌打ちし、一宇の行動で分かるようになった敵の位置に弾丸をぶち込む。彼女はその間(かん)にも、腰を低くし、まるで子鹿のようなはね方で地面に間近く進んでいく。一宇は杖を振り上げ、木の枝を掴んだ。ざっ、と葉を鳴らし、上にいた者の顎を蹴り上げる。弾が一発かすったが、腕は服を除いて無事である。敵の連射式の銃を手に、一宇は敵の体ごと地面に落ちる。相手の体は味方の掃射を受け、柘榴のようにその身を散らした。

 一宇は地面に伏せ、自分の荒い息を聞く。

 シンクタンクの演習では人形を使っていたが、クラスによっては時に捕虜を使うところもあったという。幸か不幸か、一宇は生身の人間とこういう対峙をしたことがない。自分の手で殺すのはこれが最初になるのかもしれない。しかし一宇は、そこまで思い至らない。物を考える余裕を失っていた。

 相手の姿がほとんど見えないが、わずかな動作が命取りとなり、問答無用で動かぬ肉塊となるのだ。――意識は現在に集中される。

 伏せていると、近づく者の気配を感じる。ぎりぎりまで近づけて、一宇は杖で敵の頭部を殴った。力の加減はできなかった。出血量を確認する暇さえ自分に与えず、とがらせた切っ先でためらわずに背から左胸をつく。

 飛び越えてから杖を抜いたので、血がどのように吹いたのかは見なかった。

 血臭よりも火薬の匂いをかぎ分けて走る。

「一宇(いちう)!」

 憂乃が呼び、すぐに消える。耳元で葉が鳴り、ノイズで鼓膜がおかしくなる。足が木の根に絡まった。それでも止まることはできない、動いていて場所を知られているのに倒れ込めばそれこそ餌食だ。地面の匂いがする。走るだけの機械になったような気がした。周囲でひっきりなしに鉄の雨が降り、当たらないのが不思議なほどだ。つまづいた軍靴の先の地面に着弾がある。ぞっとするだけの気概もない、すぐさま四つんばいを維持しながら下段回し蹴りで背後の影をしとめる。先程奪い取った銃はどこかへやってしまったので、首を狙って頸骨を折った。手羽先を包丁で叩き折った時に似ていた。すぐ側で大きな閃光があがり、意識が飛ぶ。何がなんだか分からなくなり、がむしゃらにもがいたが手は空(くう)をかくばかりだった。叩きつけられた灌木と自分の境界も分からぬまま、一宇は、初めて声を挙げた。

「なんで戦うんですか! いやだ、こんな、こんなのはッ」

 目の前の頭が一つはじけた。むき出しの眼球が地面に吸い付く。息があがり、体の底から泥のような重さが、支配の根を広げてきた。体がもう動かない。いっそこのまま、と思う気持ちが胸をかすめる。頭の後ろでラジオのボリュームを全開にしているのに、些細な水音がひどく気になる、そんな状態に似ていた。

「一宇! このっ……バカ」

 唐突に首根っこをつかまれ、一宇は我に返った。

「ばかものがっ! 死ぬ気か」

「だって……死んでるのとかわんないじゃないですか、こんなの、むしろっ、死んだ方が落ち着く、」

 憂乃は座り込んだ一宇の後ろ頭をつかみ、茂みの中に押しつけた。

「じゃあしんでろ! 足手まといはいらん!」

 泥に汚れた顔を歪め、少女は機敏な動作で森に消えた。銃声が近づいては遠ざかる。

 木の間に倒れた一宇は血まみれで、敵の死体となかよく枕を並べていた。そのうち、ゆとりを取り戻すか増員した敵兵が、生存者を助けに来るか息の根を止めに来るだろう。

 やっぱりコックになりたかったなぁ、と一宇はしびれた唇で呟いた。涙はなぜか出なかった。

 

 頬を伝ったのは、もうずいぶんと冷えた水滴だった。一宇は自分が目を開けていることに気がついた。眼球は乾いていなかったが、我に返った途端にしばしばしてきた。まだ生きている。一宇は瞬きを繰り返し、冷えた指を曲げた。起きあがろうと力を入れた途端、体中がきしみをあげる。うめくことさえ痛みにつながった。不器用に胎児を真似て体を丸める。上空を爆音が通り過ぎていった。

 森を完全に焼き払ってしまえば、遮るものもなく戦争できる。かつては森を枯らしその環境を破壊してまで戦争が行なわれた。しかし砂ばかりの大地には得体の知れないウィルスが散らばり、人々は森を失ったことの痛手を、食料や水不足と共に思い知った。森があれば、奥深くに踏み込みさえしなければそこにあった未知のウィルスからの感染を免れることができる。はるか東方では「森」が大増殖しているという。前線付近には地平線さえかすむほどの砂とむき出しの大地が多いというのに、それはまるでお伽噺のようだ。

 現在、砂漠化も森林化も、人の生存を危うくするという。一宇にはよく分からない。

 飯が食えてひとがそこそこ笑えたり泣けたりする、明日へと誰かの命がつながれる、そういうことでいいのになぁとぼんやり思う。

 なかなかうまくいかないものだ。それは「持つ者」の論だと、生きる場のないレジスタンスにはどやされるだろう。軍からは「もっと志気を持て」と怒鳴られることだろう。――奪い取らねば何も与えられないこの大地で。

 大佐なら同意してくれるかもしれない、一宇はそこまで考えて、眉をひそめた。

 耳はたくさんの嵐をとらえていた。

 精神の奥にさえ波紋を描く音たちが、このかれた大地の血を洗った。空気が急速に冷えていく。息を吸うと、細かい霧となった水が肺に入り、ひどくむせた。泥水に沈んだ体を引き上げ、一宇はどうにか座り込んだ。

 ここにいても死ぬばかりだ。レジスタンスに投降しても民間に紛れても、いつか戦争は間近に迫り、弾避けのゲームを繰り返すことになる。人気(ひとけ)のない森の中で、一宇はすっかり落ち着きを取り戻していた。このまま、森に溶けてしまえそうな気がした。一宇は呼吸を意識した。水でふさがれた途端に全力で生きようと反応するこの肉体は、今や静かにここにあった。先程までの、焦燥にも似た疾走のことを、思い出して吐き気が起こった。吐瀉物を雨が洗う。息苦しくて、涙が出た。

   *

 わざとではなかった。狙った場所とは違う位置に、違う方法で落ちたのだ。

 憂乃(うきの)は鉄扉を睨みあげた。周囲で起きた戦闘のあとは、どこも同じように斑(まだら)の赤い模様を描いていた。鼻の奥に、泥の匂いがついてはなれない。

 一宇(いちう)が気づいた熱源は地下プラントだ。

 最近、レジスタンスの一派が、軍のマザーコンピュータ「M(エム)」の回路図を入手したという。ただし、形態に制限のあるデータで持ち出され、コピーファイルを作ることはできないらしい。旧帝国時代に作られた「M」はずいぶん古い機と言えるが、「所在不明」の肩書き通り、あらゆる地に端を置き、本体が不明であるため未だ有用である。扱えるのは特定の人員のみであり、彼らの許可の下りた者たちのみが、「M」の与える情報網から情報を引き出せる。内部に裏切りが出たのだろうが、始末済みだという。

 本当にここにあるのだろうな、と、憂乃は暗い気持ちになった。もし「M」が破壊される、あるいは乗っ取られる、利用される、いずれにしても事が起これば、憂乃や一宇の一人や二人の命では済まない。

「いっそプラントごと吹っ飛ばしてしまえば良いんだが」

 そこまでの許可は下りていない。どうも爆発の余波や未知のウィルスの株が保管されている可能性を警戒しているらしい。面倒だ、憂乃は憂鬱な気分を追い払うように頭を振った。かえって、少しだけ眩暈がした。

 

「一宇に秀でたところがあるとすれば……体術かなあ」

 浮田(うきた)大佐は半ばぼんやりと応答した。

「ゲリラ戦なら第七部隊だが」

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