最終話18
首を傾げるさまがまるで舞台上のバレリーナだ。演じられたさまに、一宇は、かすかに眉をひそめる。
「大佐の、」
「お茶はいらないみたいね、マスター、ちょっと外に出てきてもよろしいかしら?」
前掛けを外しながら、マリアンが綺麗に微笑んだ。
「ほんの四、五分で戻ってくるわ」
「私は構わんよ……」
哀れむように見てすぐに目を逸らし、マスターはふと一宇を見て、会釈した。
頭を下げ返し、店を出ながら、一宇は最後まで言いきる前にとめられた言葉の代わりに、こっそりと小さなため息をついた。
エリカは、家の近くで本を読んでいた。
家の前に置かれた洗濯籠の上に腰掛けて没頭していたらしく、母親の姿を見て慌てて立ち上がった。
「お、お帰り? 早かったねー」
「……洗濯物が乾ききらないでしょうが」
「え、えへへー?」
そのやりとりの中、エリカが不審げに一宇を見上げる。
「あれ? パパの知り合い?」
「そう」
マリアンが答え、日だまりの中で振り返る。まだ幼い娘の肩を抱いて。
「ランゼルについて、何のお話かしら」
空はあまりに高く果てない。
世界は一続きだというのに、未だにそう簡単には自由に行き来することは出来ない。
足下におちた影が濃いのを見下ろし、一宇は、ポケットからそれを取り出した。
両手で出したそれはあまりに軽い。拍子抜けするほどの重さで、今にも指から離れてしまいそうだ。
「これを、あなた方に」
一宇は自分の声が震えていないことを願った。それでも指先は小刻みに揺れ動いている。
「大佐が。これを自分に託されました」
「ランゼル、が?」
呆然とした娘を前に抱いたまま、妻であるマリアンは顔を上げた。一宇はそっと指を開く。おずおずと差し出された女の掌に載せたのは、あのとき大佐から預けられた物。
「バカ……ッ」
それは、銀の色を帯びたドッグタグ。
刻み込まれた文字は幾分かすり減り、持ち主の首に長い間かかっていたことを物語る。
「だから、こんな、ものは要らないと」
言ったのに。本人が戻らないのでは意味がない。こんな、形見だけを残して死ぬようなことは望んでも許してもいなかったのに。
「……っ」
マリアンの頬に涙がこぼれた。唇をわななかせ、必死で噛んで嗚咽をこらえる。
彼女の手のひらにタグをおとし、一宇は一礼してきびすを返した。
振り返ることはしなかった。
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