第10話7

 男の声に否定せず、女は漆黒の鞭を軽く振った。その先には細いカミソリのようなものが仕込まれていると悟り、憂乃は彼女との距離とタイミングをはかり、息を詰める。撃てば直後に、捕まえ損ねた男の反撃を食らう。身近の仲間は情報局局員であり、元は非戦闘要員であって協力戦闘を苦手としている。どうする、とじりついた胸に、ひとつの石が投げ込まれた。

「イチウ、知り合い?」

 女王に口の端だけで笑い、少年はどうでしょうねぇ、と絡むような口調でいう。

「覚えてるんだかないんだか。あんたらの非道な行いの所為で、こちとら自分が誰だかも分かりませんね」

「あぁ」

 甘ったるい声で笑い、女王、と呼ばれた女が姿をくらます。砂丘の向こうへ移動したのだ。こちらの軍人が追いつめられたと思ったのか、憂乃は苦く吐き捨てる。

「……何だって?」

 男が、左目を覆い隠す眼帯をずらしながらぼそりと聞いた。

「何か言ったろ、今」

「ふざけるなと言ったんだ!」

「引きなさい!」

 飛びかかった身体は、成人していても未だ少女のものほどしかない。引き留め、味方が低く舌打ちをする。利き腕を撃たれ、血で花を描きながら、まだマシンガンを抱えていた男が眉をひそめる。

「おい?」

 戦うのか戦わないのか、と聞くよりはやく、招集の笛が彼を呼び戻した。

「命拾いしたな!」

 空に空砲を撃ち、男は砂を踏んで仲間の死体を越えていく。

「次に会うときは覚えてろ」

 吐き捨てられた言葉に、憂乃の背がわずかに揺れる。砂がすべてを隠していって、再び、砂の音だけが耳に残った。忘れてしまったと、思っていた声だった。再び聞こえればいいのに、と何度も思った。もう、聞こえないと思ったら、身体中の力が抜ける。

「大尉、待つんです」

 味方の男がなだめるように背を撫でる。その手を振り払い、憂乃は冷たい声で言う。

「期待はしない」

 もう、しないと、

「……決めたんだ」

 それならばどうして、そんなに、裏切られて傷ついたような顔をしているのだろうか。局員は情報局の許可キーを取り出して端末を操作しはじめ、ため息をつく。

「作戦上の不備です。本人に遭遇する可能性を思慮に入れなかった大佐の責任です」

「どっちの」

 鼻声になっているので、顔を見なくてもどうなっているか予想がつく。憂乃を見ず、彼は短く一言答えた。

「両方です」

   *

「出たんだ?」

 へーほーふーん。どうでもよさそうな相づちだったので、暑さで大分やられている軍人たちは特に構わず、着慣れない白い布をかきむしりながら水を飲んでいた。一人、佐倉だけが怪訝そうな顔をする。

「まぁそうがなるな」

 漏れ聞こえる声は、確かランゼルの姪のものだ。憂乃、出た、とくれば。

「一宇は無事なんですか?」

 大佐が振り返り、軽く左手で追い払うような仕草をする。そしてすぐに電話に戻った。

「大丈夫だ! 俺がなんとかしてやる。うん。大丈夫だって。コレ言うとお前も嫌がるからナンだがな、アルフォンスが地下に潜らせてる解析チームからかなり有力な情報があってだな、あぁ、そうそう、感染者激減に関わる作戦だそうだ、そう、だから」

 徐々に彼女の声が収まっていく。あぁ、いつのまにか人の心に残るような人物になったなと、佐倉は甥のことをぼんやり思う。このまま「良い思い出」になってしまうのとろくでもない人生を続けるのと、一宇の名誉としてはどちらのほうがよりましだろうか。首を振る。どうも思考が後ろ向きになりがちだ。

 明るい日差しが体力を奪う砂漠、もうすぐ商隊との合流地点である。砂の中に突き立てた臨時回線と電話機の異様な姿を見つめながら、佐倉はこれからの予定を反芻した。頭の中で広げた地図と現在の経度、緯度を考え、そろそろ進路を変えなければなと判断する。

 判断に数分かかった佐倉は、こめかみをおさえて息を吐いた。いつもより鈍いスピードでしか動けないのだ。このぶんだと、今レジスタンスに襲撃されても部下もほとんど使いものにならないだろう。

「大佐、電話中失礼しますがそろそろ出ます」

 悩んでも仕方がない。時計を確認し、数名の部下を呼んで立ち上がる。大佐は受話器をわずかにはなし、頷いてから「行ってこい」と声をかけた。佐倉たちの別働隊は、浮田の連れた隊よりも幾分手前にベースを置く。それまで大佐のとぼけた発言に反応してくれていたスケープゴートが消え、隊の者たちは黙々と歩きながらもどこかいたたまれなさそうな顔をしていた。

「隣のカキはよく客食うカキだ」

 いつもならここで「何のカキですか」もしくは「客がカキを食うんですよ」と誰かが口を割るのだが、皆が皆、面倒そうに目をそらしあう。

「これはなぁ、海の牡蠣を表しているありがたーいお経なのだぞ」

 本人が解説を始めるので(しかもどう考えても真実から遠い)ますますむなしさが募っていった。はやく佐倉少佐に会いたい。むしろなぜいなくなった一宇。上司と候補生のことを思い、隊員たちはため息をついた。

「んー? どうしたお前ら。ため息つくと幸せが逃げるぞー」

「……どっから聞いたんですかその俗信」

 堪えきれず、誰かが茫洋と返答をした。

 なぜか嬉しそうな顔をして、大佐はうん、と頷いた。多少疲労の影をのこす頬をゆるめ、彼は宙に向かってうきうきと呟く。

「なんだ、皆、元気じゃないか」

 喋れないほど疲弊しているかと思ったが。

「その調子なら今日中に一気にたどり着けそうだな、よしよし」

 休憩なーし、と明るい声が空に吸われ、バカっ、やりやがったっ、と隊員は口々に吐き捨てた。

 代わり映えのしない景色が延々と続き、オアシスの幻影が見える理由がよく分かる。砂と、揺らぐ空気、そして白茶けた空。世界を彩る色彩が少ない。真っ白な先頭の隊員の背を追い、何のために歩いているのか思い出せない。ちらりと見えた気のするオアシスは、色が豊かで麗しい。気の迷いだと分かっていながら、ふらふらと隊を外れかける軍人も出始めた。

「ちょっと強行軍が過ぎたか」

 舌打ちし、浮田が情報局局員に確認を取る。

「あとちょっとで合流だが――まぁ、一キロほど遠回りになるが休憩をとるか」

「……あとどれくらいですかぁ?」

 呼吸で蒸発する水分さえ惜しくなり、口を開けようとせずにもごもごと発言が出る。

「合流まであと五キロ」

 大佐はどこかの立て看板のように無機質に言った。途端、うわああ、とやる気の出ない声ばかりが隊員たちの間からこだました。

「行けどもいけども終着地点が遠ざかってる気がするッスよ……」

「あちー……」

「遊撃隊なんだからもうこれ以上は……がふう……っ」

 誰かが砂に埋もれた。助け起こすほうも苛立たしげな顔をしている。大佐もときおり手を貸しているが、無駄に体力を使わされたためなのか、あとで何か奢れ、となかば脅しのように強制してから助けているところがさすがである。

「まだかなぁ……」

 太陽はなかなか沈まない。砂の山の影を歩行してはいるが、風がきつく乾き熱を込めて吹いてくる。

 と、そのとき左右の砂丘をすべり、商隊に向かって影が下ってきた。ざ、と砂を蹴立て、踵で止まったのは二人の軽装備兵である。

「ここから先は立ち入り禁止だ!」

 二人同時に叫ばれ、大佐がわずかに目を細めた。とっさに前に出た下士官が、構えられた銃器に色をなす。

「何者だ!」

 叫んだ男に弾かれるように、隊員たちがそれぞれ構える。どちらも「戦争」になれたフットワークを持つが、数で言えばこちらが有利だ。しかし誰かが引き金を引く前に大佐が動いた。

「そちらは浮田の家の商隊の者と見受けるが!」

 一触即発の緊迫した空気を大佐の一声が引き裂いた。その声に威圧され、二人が一瞬足を引く。

「あぁー居たいた、ここだここだ」

 大佐の声にひかれるように、若い声が上から降った。

「そちらは今回の件の護衛役かな」

「このたびは雇い入れ感謝する」

「まぁまぁまぁ、それはともかく」

 何がともかくなのか、一人の青年が砂丘の方から手招きをした。

「迂回でよいのでこちらへ。衛兵が失礼いたしました」

「いや、よくできた番犬を置いておられる。……おい、行くぞ」

 大佐が合図し、構えをといた軍人たちが歩を進めた。青年は下に影を落としながら、軽快に砂の山を崩し崩し歩いていく。

「いやぁ参りました。本来より一刻遅れられましたゆえ警備がきつくなっておりました」

「……なぁ」

 衛兵から遠ざかり、大佐が急に口調を変えた。

「お前誰だ? 心当たりのあるやつにものすごく似てるんだが」

 それに気を悪くするでもなく、青年は微笑んだ。

「イーサの使いの者です」

「あァ、息子か」

「違います兄弟ですブラザーです」

 兄弟。大佐がけげんそうな顔をする。

「あぁ間違えた、従兄弟です従兄弟。イーサですからね、イーサの親とうちの親が兄弟。貴方の兄弟」

「だよなぁ。なんっか変だなと思ったんだ」

 なにやら納得し、大佐がうんうんと頷いている。それを見て青年が笑みを深くした。多少の嫌みを込めた笑みに、思考がついていかない隊員たちが我に返る。イーサは、今回の商隊を動かす責任者。その親がこの青年の親と兄弟で、さらに、大佐の兄弟である。

「実家に戻られないからですよー、叔父さん」

「めんどくせえンだよ」

 大佐は大儀そうに言葉を返し、顎で先を示した。

「さっさと行こうぜ。うちの連中もへばってんだ。休ませろ」

「偉そうに言わないでくださいよ。今回は縁者としてではなく護衛として雇ってるんですからねー、こっちより偉そうにしないっ」

「へいへい」

 やる気のない(出ない)集団は、青年と大佐の後についてのろのろと行軍する。

「よーしお前ら、競争だぞー。一番最後に到着したヤツは明日朝一番に起きて補給路確認して保持してこい」

 砂を踏む音が砂漠に響いた。同時に、先程より隊員の目が殺気立つ。返事はない。もはや遣り取りよりも休憩第一の元前線基地第二十五部隊隊員たちであった。

   *

「大佐出せッつってんだよコラ」

 一商隊が無線機ではなく電話を使っている。というかむしろ「彼」が。

「あァん? 何だ? 寝とぼけてんのか!?」

 突き飛ばしてわざわざ頭を掴んで引き戻す仕草が目に見えるようだ。

 今日の大佐は荒れている。

「るっせえんだよ。ンじゃ何か? てめえら軍は、こういう民間人からの寄付でやってけてるってェのに回線つなぎもしねえのかうおらああ!?」

 がん! と電話機を蹴りつけた大佐に、周囲がびくりと肩を揺らした。怯えている商隊の中から通信回線の確認をしていた少年と青年が顔を上げる。

「大佐」

「あぁ!? ガタガタガタガタ言ってんじゃねェぞ、この――」

 青年が、耳に付けたイヤホンを引きはがして声を荒げた。

「大佐! 今回の任務目的が何か覚えてらっしゃいますか! って少佐が」

 ぴたり、と男の口が止まった。息を吸い、吐いてから、おもむろに居住まいを正す。

「――今現在軍務について仮放置されている東方前線基地、第二十五部隊大佐浮田=ランゼル。ルノー=モトベ大佐に告ぐ。……ケツの穴にロケット花火ぶち込まれたくなかッたらとっとと金寄こせ!」

 ちーん、という音と共に、再び商隊の男たちは息をひそめた。ベル音で着信を告げる古めかしい電話機は、受話器を叩きつけられても禅僧のように静かだった。電話を置いていた台を解体し、灰色の服の男たちがいそいそと荷造りを再開する。

「大佐、覚えてらしたんですね」

 先程佐倉の指示を受けて口を開いた男は、イヤホンを耳につっこみながら感心したように先を続けた。

「意外だなー意外だなー、そんなだったら便利だなーうちのオヤジども役にたたねえ」

 俺がエライのは当たり前だと切り返し、インカムとイヤホンを装着しおえたランゼルはポケットから出した煙草に火をつけた。

「イライラする! 大体なー、イーサ、お前が提出した売り物総額の概算の桁が二桁も違ってんだよ! に、け、た! 分かるか!?」

「ひゃあ! 煙草は熱いので押しつけないおしつけなぎゃあ!」

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