第10話8

「……大佐、単に苛つくから煙草吸うんですね、別に平和だから暇で吸うんじゃなかったんですね……」

 ぼんやりと沖田が呟くが、その声は砂丘に飲まれて消えた。

『本当に、覚えてますか?』内田情報局局員の隣に置かれた変換器から、佐倉の疑わしげな声が聞こえてくる。大佐は一瞬詰まったが、すぐに隙のない表情になった。

「いやだなあ俺が忘れるわけがないじゃないかもう、あはは」

「声が裏切ってます」

「うるせえよイーサ!」

「がふう!」

 二人の遣り取りにため息をついて、砂漠の別地点にいる佐倉が全体的な戦況を棒読みした。基地跡地にいるほうが都合がよいようにも見えるが、砂漠の真ん中に潜むほうが盗み見る目も聞く耳も少ない。敵が内側の情報にも詳しい可能性が高い。浮田の言葉に異論はなく、軍内部を介さずに直接情報を移動させることになったのだ。使用回線を外部回線に切り替えて使うと盗聴されやすいというデメリットはある、それでも軍事回線のみに頼るより改竄の恐れは減る。軍の情報に乱れが生じている以上、それを鵜呑みにすることもできない。しかし完全に軍から離れてしまうと、得られる情報も自然限られてしまうことになる。そこで回線を併用することになる。併用をするにあたり、中佐が軍事回線のほうをおさえ、なるべく何者かの改竄が入らないよう見張ってくれているが、それでどれほどの効果が出るのか期待はできない。内側の敵。今回、基地を出る前に、内田が他の隊員から少しづつ集めたうわさ話だ。

「大佐の様子がおかしいんです」

 軍の回線使用をやめるように浮田大佐に進言したのは他ならぬ彼である。情報局大佐――その名には覚えがあった。

「急に戻ってきたな、二、三年前に」

「三年と少しです」

 律儀に訂正し、内田は常時所持しているモバイルを握りしめた。白くなった指を見ながら、同席していた佐倉はちゃんと電源が切られているなと淡々と思った。つまり、これは情報局局員による内部告発になるだろうと予測された。確かではないと前置きして、内田はさまざまな――よく言えば細かな、悪く言えば雑多な情報を提示してくれた。

「私用で回線をおさえることとか……あと、聞いた話だと彼女が入って以降に……正確には三年前、前線基地のプログラムは一度初期化されていています。これを言うのもどうかとは思うんですが……キーワードがあれば、総統権限で情報統制どころか違法に指令を捏造することも可能なんです」

 情報局大佐についての妙な噂は多かったが、このキャリアウーマンの業績も高く、とても裏切るとは思えないというのが一般的な結論である。勿論、他にも不穏な動きは多かったのだが。さておき、

『大佐、本当に今回の任務目的が何だったのか覚えてらっしゃいますか?』

 情報確認中もイーサを締め上げていた大佐に、佐倉が鬱陶しさを隠しきれない口調で問う。

「あれだろ、表向きは一宇の奪還、ホントの目的は神の左目の救出」

『逆です』

 一宇は救出するんです、と返され、表裏の逆かと思っていたランゼルが拍子抜けしたように煙草を取り落とした。

「あァ……まぁそれもそうだが」

「あれ? でもアレですよね、神の左目って旧帝国の遺産でも、今じゃ何のためのものだかよく分からないシステムですよね」

 最初に出迎えてくれた商人の一人、イーサと呼ばれる若い男がターバンを巻き直しながら首を傾げた。

「あぁ、しらんか」

 うろんげに頷き、大佐は風で転がる煙草を拾った。

「ああ大佐それ吸うんですか」

 沖田が言ったがそれは黙殺された。

「昔は地図の作製に使われてたンだよ。いちいち計測し切れねぇから人間にシステムのちっちゃいのをぶち込んで好きに動かしてりゃおおよそ役には立つだろう?」

「衛星があるのに、ですか?」

「衛星じゃ影の中までは見えない。でも、赤外線探知とか色々機能搭載してたとは思うがな、軍事衛星――のお古」

 お古、と口の中で呟いて、聞いた男が変な顔をする。

「どうした、つぶれた蛙みたいな顔して」

「つぶれたッて!! しっつれいだなぁもう」

 ぷりぷりとしか形容できない怒りかたで、まだ二十歳も過ぎていないだろうその男が腕を組んだ。

「仕方ないじゃないスか、僕は商人なんですからね!」

 お前たちとは違うのだと。最後まで言わせずに、大佐が男の口を封じた。人差し指で唇を縦に押さえられ、男は己の失言に気がつく。

「ただの通訳がべらべらグダグダ――」

 言ってんじゃ、ないよ?

 微笑まれ、笑顔のすごみで男が退いた。それに頷き、大佐は視線をはずすことで男を解放してやった。僕少し先に行って見てきマース! と一声あげて駆けていくさまは、とても立派な商人とは思えない。あれでいて今回の商売の責任者は彼なのである。

『ただの通訳って――あの子は商人でも通訳でもないでしょう』

 佐倉が呆れたように言ったが、ランゼル曰く、彼はどちらもこなすらしい。

「イーサは旧語も含めて十二カ国語マスターした、ウチの商隊中第二位の腕を誇る護衛隊だからな」

 内輪扱いされたのは、軍の部隊のことではない。

『イーサ君はまだ十四でしょう、これからも伸びるでしょうね……成長具合はすでに成人並みですが』

 これには曖昧に頷いて、ランゼルは明後日のほうを向く。

「俺もよくは知らないんだ。何しろ俺はあんまり郷里に戻ってないし」

 浮田の家は、成り上がりの商家である。武器も食糧も何でも運ぶ。

『イーサ君の上に、二十三才くらいの次期主人がいましたよね』

「あー……イェレスは兄貴の子だろう。俺と十も違わねえ」

 砂漠の風が強くなる。目を細め、大佐ははずしていたゴーグルを引っかけた。

「イーサは姉貴の息子だかんな。あいつが死んだら俺が姉貴に殺される」

 ふう、とため息をつき、「でも自分から来たのに」と小さくひとりごちる。

「居ないほうが心配は減るんだがなー」

『まぁまぁ、イーサ君は強いですし』

「強いから心配なんだなー何殺すかわかったもんじゃねえ」

『……そうですか』

 まぁ頑張ってください、と言うと、イヤホンは沈黙を装った。

 

 三連隊をくんだ商隊は、昔ながらの駱駝と改造されたジープのような車を使っている。しかしそこに載せられるのは荷物であり、人間は主に徒歩という非常に原始的な方法で砂漠を突き進むことになる。商隊中の三分の一以上は軍人であり、残りは本物の商人のうちの護衛隊の者だった。荷物を運ぶのに、頭を使って取り引きするだけの者を省き、それよりは多少劣るが頭と戦闘の両方に長けた者が居るのだ。

 商人の根城の一つに滞在した一晩以外、(元)軍人たちはずっと砂に埋まりながら歩いている。そして、そこから一日経った日――異変が起きた。先を歩いていた筈のイーサが悲鳴をあげ、同時に、来ないように警告を発したのだ。

「どうした!」

 大佐が問うが、違うやりとりでイーサは手一杯らしく応答がない。

 舌打ちして護衛達は走り出そうとしたが、手旗信号のように手を動かしていたイーサが急にこちらに戻ってきたのでとどまった。

「何があった!」

 答えず、駆け戻ってきたイーサは食い入るように大佐を見つめた。

「いいですか、我々は現在軍人ではないものを雇った、護衛です、あなたがたの意図については不干渉であり不知である……!」

「事実だ」

 何度も重ねて確かめるイーサに、(元)大佐はやる気無く応答した。すでに散々聞かれた内容であるため飽きていたが、イーサは重々しく頷いた。

「オッケーです。では皆さん、はりきっていきましょう」

 先程彼が立ち止まっていた場所まで来ると、その理由がようやく分かった。わずかに盛り上がった砂の影に、男が二人座り込んでいる。面倒そうに立ち上がると、彼らは一旦向けた銃口を降ろした。

「お前ら、本物だな?」

 言いながらも眉間の皺は刻まれたままだ。

「ええ! わたくしどもは今回請け負わせていただきました浮田のものでございます」

 険をほぐすかのようにイーサが満面の笑顔をつくり、よろしくお願いいたしますと頭を下げた。二人が無線機で本部と確認をとりあう隙に、イーサは笑顔のままで大佐に近づく。

「分かってますよね、我々は現在軍人ではないあなたがたを護衛として雇った」

 素早く耳打ちをしたイーサに、大佐は鷹揚に頷く。そしてわずかに顔をしかめた。

「しつこいぞ、何回目だとおもってんだよ」

 そこでレジスタンス側から声がかかった。うんざりした表情を崩さず、彼は不服げに吐き捨てた。

「おい、コードはあってるそうだ。案内する……もっと早く来てくれりゃあこんな手間もなかったんだろうがよ」

「あぁあぁあぁ! 申し訳ございません遅くなりましてえ!」

 それには返さず、そそくさと腰を折り叩頭してから勝手に立ち上がると、イーサは馴れ馴れしくレジスタンスに近寄っていった。

「申し訳ない、実は途中に嵐にあいまして」

「その割りには無傷のようだが」

「いえ、ですから。進路方向に不穏な影が出ましたのでね、すこうし回り道をしたのでございますよ、ええ。そりゃあもうこの大事な積み荷をお運びするためにも必要なことでございました」

「能書きはいい、とっとと入れ」

 イーサの調子に嫌悪を露わにして、一人が軽く合図をした。無防備に向けられた背を、商隊の一行がじっと見つめる。

「……お前ら、」

 先を行く男がぼそりと言うと、イーサがさっと駆け寄った。

「はい何でございましょう?」

 腰が軽いなあと大佐が感心しながら駱駝を引っ張っていると、イーサはがくりと膝をついた。何事かと思えば、恨めしそうな顔をして、こちらに向かって「てめえら目立つなっつってんのにようそれ以上なんかしたらこの僕がぶっ飛ばす」などと唇だけで呟いている。

「申し訳ございません、実はこの者たちは新たに雇った護衛でございまして、ええ」

「何ィ?」

「ええそれがちょうど他のお客様のところへも行商が出ておりまして、タイミングが珍しく重なりましてね、正規の護衛部隊が不足しておりまして。ああご心配には及びません、たまたま雇いました者たちですが腕は確かでございます」

「ほおお……それで遅れたってわけか。オマケにさっきからえっらく不躾な視線が背中につきささるなとは思ってたんだよ、商売する心構えができてねえんじゃねえかよぉ」

 ねっとりと言われ、イーサが謝罪の言葉を連ねようとしてすぐにやめた。相手は単に暑い場所に立って待たされていたから苛立っているのだ。何を言っても気が晴れるでもない。ここはおとなしく聞いて置いた。

「……しかしなんざんしょねえ、急に武器をご所望とは」

 ぽつりと呟いたのは、一番奥の巨大なテントに招かれてからだ。護衛役は後は帰りの用しかないので、主に入口に近い場所で待機を命じられている。連れているのはわずかな数だ。そのうちの一人と目があって、イーサは心持ち顔を引き締める。いきますよ、と唇で言うと、ランゼルが作戦開始だと服の影に隠したインカムにささやいた。

   *

「きっ、きさまらァ!?」

 茶色の天幕につくと、血は鮮烈な模様を描き出す。内側に敷かれた絨毯の赤が、すべての行為をまるで無かったもののように思わせていた。敷物に描かれた複雑な紋様は先日のセフェ・フィー襲撃の際にも見られたものだ。生活に結びついた生命とも言うべき信仰による団体、彼らは魔術に詳しく、それによる世界の体現を求めていたなと思い出す。ランゼルはひとしきりの銃声の後、眉をひそめて際(きわ)にある籠を蹴り飛ばした。

「裏切ったのか!?」

 まだ息のあった者が叫ぶ声がする。ちちち、と舌先を鳴らし、イーサがステップを踏んで血だまりを上手く避けた。

「違いますなぜなら我々は彼らの目的など皆目検討もつかずただ雇い入れただけのこと、そう、彼らがまさかまっさか裏切るなど思いもしません、これは事故なのです! 不幸な事故!」

「おい、」

 籠の影に隠れていた子供に一瞬だけ肩をおとし、ランゼルは構わず引き金を引いた。

「おい、イーサ」

「そして! 突如撃ち合いを始めた彼らにあなたがたが銃を向ける、私は自己防衛のためにこうして銃を取る!」

「イーサ、もう死んでる」

「おや」

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